百十五話 一方その頃 羽膳の場合 その三
新坂で服だけは新しいものを用立てはしたが、
それで体のあちこちに残る傷が消える訳でもなく……。
「……ただいま」
「えっ!? 羽膳じゃない……おかえり、早かったねぇって……
どうしたのアンタ、その怪我っ!」
新坂を飛び立ってから一晩飛び続けて楼京に戻ってみれば巳の刻となっていた。
そんな朝の活気に満ち満ちた楼京の空を通過し、羽膳は幕府へと向かう。
そうして楼京幕府の一画、侍所の詰所に到着した羽膳を迎え入れたのは
そんな心配そうな花南の顔だった。
俗に三つ目と呼ばれる三眼族の花南、普段は快活な女性なのだが
羽膳の痛ましい姿を見ては大いに慌てている。
三つの目がオロオロと自分の身体を見回すのを、羽膳はくすぐったく感じる。
というか実際にくすぐったい。花南の手があちこちをまさぐっているからだ。
(この感覚も……久しぶりの様な気がするな)
……早かったと花南が言う通り、会えなかった期間は二十日に届かない筈だ。
だというのに……随分と懐かしい。
「どうして翼をそんなに痛めてきたの!?
ちょっと遠慮して毟れないじゃないのぉ……」
「別に、普段も毟らないでくれると嬉しいんだけど……」
怪我の具合よりも先に羽根毟りが出来ない事を嘆く辺りは
花南らしいと言える。
「えっと……そんな事より他の皆は?」
楼京があまりにもいつも通りだったからふと和みかけたが、
新坂の事を思えば今は花南の遊びに付き合う余裕は無い筈だった。
だからと詰所を見渡してみたが、生憎とここには花南一人しかいない。
「虎鎧は前の将軍様拉致未遂事件の調査で街に出てて……
落葉は逆徒の情報を漁りに色んな所に顔を出してるって話。
私はねぇ……今は留守番!」
「そっか……花南以外の皆はそれぞれの仕事をこなしてるんだな」
「いや、今日は偶々誰もここにいないから残ってるだけでねぇ……」
そんな花南の不平は敢えて流す。この花南、その明るい性格が災いしたのか、
ここ侍所の紅一点ではある筈が、皆からは結構ぞんざいに扱われている。
しかし当たり前といえばそうなのだが、今回の事件で頑張ってるのが
自分や衛蒼の様な新坂に行った者達だけではないと感じて少し心強くなる。
「それでさ、羽膳……結局逆徒の事件はどうなったの?
それに衛蒼様は? アンタだけ先に帰ってきたの?」
「……簡潔に言うと事件はまだ解決していない。
むしろ以前思ったよりも更に酷くなっている。
それで衛蒼様はまだ新坂だ。俺はここにお使いで戻って来ただけで……
すぐにまた発つ事になる」
衛蒼に褒めてもらってから随分と心が軽くなっている羽膳だったが、
現状を報告する段になると流石に表情も曇る。
「花南、詳しい事は皆が戻って来たから話そうと思う。
そういう訳で夕刻までには詰所に戻ってくれるように
虎鎧と落葉に言っておいてくれ。
俺は今から衛蒼様のお使いを済ませないといけない」
「分かったけど……お使いって何?」
「武器の調達に……援軍の要請。
特に援軍の方がな、衛蒼様の御指名は魔王軍の方々だ」
「え!? あの……腐ってる連中?」
腐ってる連中とは……ここ楼京に常駐している魔王軍の事だ。
無論どこでも大声でそう言って回っている訳ではない。
幕府は世界の統治を委ねられているとはいえ朝廷の下部組織であり、
その幕府の更に下っ端側にいる羽膳達は立場的には魔王軍よりも下なのだ。
そんな羽膳達が魔王軍をそう言って揶揄している事が知られると、
勿論いい顔なんてされない。
いやそれどころか……最悪喧嘩を売られて殺されかねない。
そんな事情を踏まえても花南が腐ってる、なんて言うのも理由はある。
……実際に、腐っているのだ。何もする事が無い癖に、
ただ威張り散らしているだけ、というのが彼等のここ楼京での評判だ。
とはいえこれについては彼等ばかりを責める事は出来ない。
そもそもちょっと昔はここ楼京でも魔王軍の役割というのはちゃんと存在し、
それをしっかり果たして尊敬もされていたのだ。
だが……衛蒼が力を持つようになってからはそういった仕事の殆どを
衛蒼とその部下である侍所の面々が受け持つようになってしまい、
結果仕事を奪われた形となる魔王軍は
惰眠を貪るぐらいしかする事が無くなってしまったのだった。
「そう……仕事が無いと腐っているらしいからな、
ちょっと手伝ってもらおうという事だ」
「……つまりは、新坂では人手が足りない。
それも一人二人の補充でどうにかなるような状況じゃないって事?」
流石に花南も察しがいい。
「正解。百人単位で人手が足りない」
「……一体、新坂で何が起きてるっていうのぉ?」
不安げな表情の花南に夕刻を楽しみに……とだけ告げて、
衛蒼は足早にその場を離れる。
次に向かうべきは……その腐ってる連中の詰所だ。
気圧されすまいと羽膳は歩きながら深呼吸を数度行い、
傷だらけの身体に今一度力を張り巡らせた。
人間はこの建物の事を楼京城と呼んでいたらしい。
羽膳もどちらかというとそちらの名の方に馴染みがあるが、
これは単にずっと鳥人族の里に籠っていたが故の世間知らずが理由だ。
魔族がこの世界を支配するようになってから、
この幾つかの巨大な建屋とそれを繋ぐ廊下、
そして幾重もの塀と堀に囲まれた一大建築物は、ただ幕府と呼ばれていた。
その幕府の廊下を羽膳は歩く。
侍所の詰所と魔王軍の詰所はほぼ対極の位置にある為に、
歩くとなるとそれなりの距離にはなる。だから飛んでいっても良かったのだが、
今の羽膳は歩きたかった。
新坂からずっと飛んできたから羽を休めたくもあったし、
それにお使いを済ませてしまえば夕刻まで別段する事もなかったからだ。
すれ違う幕府の役人の中には、普段とは違って傷だらけの羽膳を見て驚くような
反応を示す者もいたが、声を掛けてくる事は無かった。
魔王軍の詰所へ向かう羽膳の真剣な眼差しに気圧されていたのかもしれない。
「おや……これはこれは、管領様の部下の鳥人族ではないか」
……だが、流石にこの男は気圧されたりしない。
金に輝く毛並みに鋭い眼、羽膳と同程度に小柄ながらも
異様なまでに重々しい迫力を持つ、妖狐族の若者。
その装束は飾りが無く簡素ながらも質の高さを感じさせる美しさがあり、
狩衣と呼ばれる魔術師特有のもの。
聞けば王都では高名な魔術師だったらしく、
その腕を買われて衛門府へと取り立てられてからも地道に功績を上げ続け、
遂には従五位上右衛門佐にまで任じられたという。
「右衛門佐殿か……」
名は確かシンレン……文字にすると臣錬、そう書くと聞いている。
腐っているとされる楼京の魔王軍ではあるが、
その実力は決して街のならず者などに劣りはしない。
そしてその魔王軍を従えるこの男の実力は衛蒼に次ぐものではあるのだ。
「丁度良かった。貴方に会う為に魔王軍の詰所に向かう所だったのだ」
「我々の詰所に……? 理由は分からんが拒む理由もまた無いか。
私も詰所に向かう所だ。道中で話そう」
そう告げると臣錬は羽膳には目もくれず歩き出す。
その歩の速さは傷だらけの羽膳を気遣うようなものでは決してない。
だが遅れる訳にもいかないと羽膳は足早に臣錬の後を付いていく。
「っ……右衛門佐殿、『偏愛逆徒』の件については聞き及んでいるか?」
「『偏愛逆徒』……ああ、幕府の連中が取り逃した反逆者とやらか。
お前達が取り逃したせいで、こんな時にまた人手を割かれると
うちの上司が癇癪を起していたな」
言葉に棘がある。
だがそれもいつもの事……とにかくこの臣錬という男、
幕府へもそうだが衛蒼とその部下への風当たりは非常に強い。
「それは申し訳ないな。右衛門督殿には謝罪の言葉もない。
だが……その反逆者、尻尾を掴みつつはあるのだが未だに
捕らえるまではいっていないのだ」
「反逆者と言えば物々しいが、所詮は一介の罪人ではないか。
それをお前達はどうして野放しのままにしておけるのだ?
……只でさえ我々魔王軍は長門国の反乱討伐に
その全力を注がねばならぬというのに、また我々の力を削ぐのをお望みか?」
侍所の所司代が魔王軍に用事がある。
しかもその所司代が巷を賑わせている大罪人の名を出した、
この時点で臣錬は羽膳の用事の内容を察したのだろう。
そして、はっきりと迷惑だと告げている……やりづらい。
「相変わらず耳が痛い。
しかし……そうまで長門国の反乱は深刻な状況なのか?」
雑談ついでにそっちの方も聞いてみた。
衛蒼が援軍に向かうという話もあったから、他人事ではないのだ。
「……今は小康状態と聞いている。
だがな、それはつまりこちらから攻め入る力も足りていないという事だ。
故に我々にも幕府の事は捨ておいて長門国に援軍へ行く話が出ていると聞く」
そう言う臣錬の表情は不満一色だ。
……それもまた迷惑なのだろう。何しろ長門国は遠い。
行って帰るだけでも一年はかかるだろうに、
待ち受けるは終わりの見えない反乱討伐だ……気持ちは分かる。
(……ならばその辺りに攻め口があるのやもしれんな)
長門国まで連れ出されるよりも、
むしろここより王都に近い丹波国へ遠征する方が臣錬にはいい話といえるだろう。
そう羽膳は考える。
「……着いたぞ」
その言葉に臣錬の背に貼り付けていた視線がその前方へと向かう。
常時百人を超える戦士が常駐しているというその詰所は流石に広い。
内装は普段見慣れた侍所と似たようなものだが、やはりその規模が違う。
しかし……その広い部屋の中、実際に見る人影は十を数える程度だ。
これはあまりに少なすぎる。
「……今ここにいるのはこれだけなのか?」
「他は街で酒でも飲んでるか、家で寝ているのではないか?
むしろここにいるのは魔王軍でも物好きな部類でな」
臣錬は別段それを咎める気もないようだ。
しかし……比較的真面目な者を物好きと評するのはいかがなものか。
そしていくら仕事が無いからとはいえ、
これは弛み過ぎではないかと羽膳は思う。
仕事が無かろうと鍛錬を積むぐらいの事は出来るだろうに。
「お前達……集まれ!」
その十数名の戦士に向けて臣錬が号令をかける。
それでようやく上司の登場を知った戦士達が慌ててその場に並んだ。
「……管領様の使いの者がここに来ている。
何やら我々に頼み事があるのだそうだ……傾注!」
その号令でその場の全員の視線が羽膳に突き刺さる。
……やや敵意をも含むその視線に居心地の悪さを感じるが、これも仕事だ。
「侍所所司代の羽膳だ。管領様よりの指示を受け、
魔王軍へ丹波国、新坂への援軍を依頼したいがために来た。
ではこれより、その新坂の現況をお伝えする……!」
それからしばらく、がらんとした魔王軍の詰所に
羽膳のやや高めの声だけが響き渡った。
「……以上だ!」
百人もの自爆する人間達、それを従える凄腕の拘束魔術師、
そして衛蒼でも退けるので精一杯という伝説の悪漢『山嶽王』……。
過不足なく丹波国で起きている事を伝えられたと思う。
その効果は覿面で、臣錬も含めた魔王軍の戦士達は、
流石にそれまでの弛緩しきっていた雰囲気を捨てて戦士の顔に戻っていた。
「今の話……嘘ではないだろうな?」
臣錬の持つ重々しい迫力が更にその凄みを増し、羽膳へと事の真偽を問い詰める。
その疑り深げな表情に羽膳はただ首を横に振る。
「事実だ、右衛門佐殿。私見では世界を揺るがせん程の一大事だと見ている」
だが、その羽膳の言葉だけでは臣錬の疑いが消えないのだろう。
臣錬の表情はまだ変わらない。
「……悪いが、どうにも信じられん。
いや、それ程の一大事だというのなら我等魔王軍が必要とされるのも分かる。
だがそんな騒乱が隣国で起きていればこの楼京にも噂程度は届きもしよう。
だというのにその噂が全くこの耳に入ってこない」
「噂程度ならもうすぐこの楼京にも届くだろう。
ただこの翼が人の噂よりも早く俺を楼京に届けたというだけの話だ。
……重ねて言うが、事実だ」
それで臣錬もただ疑う事を止めたのか、深く考え込み始めた。
恐らくは先の話にあった長門国への援軍の話も踏まえて、
自分達がどう動くべきか熟考しているのだろう。
「……それで、もし我等が新坂に行ったとして、
管領様は何を任せようとしておられるのだ?」
疑う気持ちは減ったのだろうが、
それで空いた心の隙間に今度は不安が入って来たのだろう。
そう聞く臣錬の言葉には警戒心が多分に含まれている。
「まず、管領様は『山嶽王』を討ち取りたいと考えておられる。
その為に俺はかの天下三槍をも取りに来たのだ」
「天下……三槍……」
「そうだ。管領様が天下三槍を持てば『山嶽王』とて物の数ではない。
だがそうして管領様が敵地へ攻め込むとなれば新坂の守りが薄くなる。
故に右衛門佐殿にはその新坂の守りを頼みたいのだ」
天下三槍については勿論臣錬も知っているだろう。
というか、魔王軍に属するものなら
天下三槍と衛蒼の逸話を知らぬ者はいないと聞く。
『ある時、天下三槍を振るった衛蒼を見た将軍様がとある感想を述べた。
「お前にそれを自由に使わせては魔王様に叛意を疑われかねない」と。
それで天下三槍は全て幕府の厳重に管理する所となったのだ』
……そんな逸話だ。今の状況ではやや不穏当ではある。
「……つまり、我等を『山嶽王』にけしかけるつもりは無いのだな?」
どうやら臣錬が気にしていたのはそこらしい。
あの衛蒼でも殺しきれなかったという『山嶽王』だ。
不安になる気持ちも分かる。
「無論だ。管領様は自身で『山嶽王』を討ち取るおつもりだ。
右衛門佐殿に頼みたいのは新坂の守りと住民の慰撫だ。
伝えたように今の新坂が人の流出入が激しく、
役人達もまるで手が回っていない。その辺りの補佐も頼みたいのだ」
こう言っておけば臣錬の不安も払拭できただろうか?
それならばいいと羽膳は思うが、同時にこうも考えるのだ。
(右衛門佐殿は『山嶽王』と戦わされると思っていたのか?
……そもそも、衛蒼様が手こずるような相手だ。
魔王軍が百人いたとて相手にもなりはしないだろうに)
それを認める事の出来ないのが臣錬の……魔王軍の弱点でもあるのだろうか。
衛蒼の強さを渋々ながら認めてはいるのだろうが、
羽膳のようにそれに全幅の信頼を置く事は出来ず、
何処かに警戒感と対抗意識が残っているのだ。
そんな臣錬だが、今の話と長門国への援軍の話を比較して、
まだこっちの方がましだ、という結論に達したのだろう。
しばらく熟考した結果、幾分不満の残る表情ではあったが
それでも羽膳に承諾の返事をした。
「……そういう事なら、丹波国への援軍、受けよう。
今ここに残っている真面目な者は留守を任せても問題は無かろうから
置いていく。ここにいない者全てをかき集めたらすぐにでも新坂へと出発する」
「……ありがとう。管領様にもよく伝えておく」
……何とか一仕事終えた。羽膳は内心安堵のため息をついた。
それからは事務的な要件を少し話し合い、
しばらくしてから羽膳はその場を離れた。
「……あの管領が苦戦する姿、というのも見物だからな」
羽膳が魔王軍の詰所を立ち去った事を確認してから、
臣錬はボソッとそんな独り言を呟いた。
臣錬は自分の強さに揺るぎのない自信を持っていた。
実際に王都では、近衛軍の化け物共を除いては
魔術で誰にも劣る事はなかったからだ。
そんな臣錬だが、この楼京に配属されてから
たった一度だけ手痛い敗北を味わっている。
相手は当然衛蒼だ。臣錬から力試しと挑んだ勝負、
武装強化魔術しか扱えないと鼻で笑った衛蒼に、
何も出来ずに打ち倒されたのだ。
格が違う。それをその身で実感していながら、
されど納得は出来ず、ただ燻ぶっていた。
(何故兵権の無い幕府の一役人に……
右衛門佐の私が敗れねばならんのだ!?)
その問いに答えが得られる事はなく、
臣錬の心には今もわだかまりが残っている。




