百十四話 一方その頃 羽膳の場合 その二
「少し遅かったので心配していたが……」
新坂の守護屋敷、その大広間にて衛蒼を前に跪いているのは羽膳。
人の流入流出共に激しく混乱の最中にある新坂で、
その主従はいつもと変わらずの落ち着いた雰囲気で向かい合っていた。
座して羽膳を見詰める衛蒼の視線がボロボロに傷んだ羽や袴を彷徨い、
そしてまた羽膳の顔に戻ってくる。
「……どうした、着地に失敗して森に突っ込みでもしたのか?」
当たっている気がする。気がするが……事はそれで済む話ではない。
「戦いを挑み……敗れました」
だから羽膳は正しく事実を告げる。
「……相手は?」
「……従五位上左衛門佐その人……同……いえ、遠鬼殿です」
「それは……また……」
そこで衛蒼は言葉を失った。
勿論、そういう事もあるとは思っていただろう。
羽膳と『同族殺し』の性格を思えば、衛蒼がいかに制止したとしても
戦いになる事は想像に難くなかった。
だから衛蒼とてそういう事があっても仕方がないとは思っていたのだ。
だがそれを許さぬ状況が唐突に訪れてしまっていた。
故に今それをされては不味いのだ。
幕府の役人と朝廷の戦士が戦ってしまった……。
それが極々私的な理由であり、幕府と朝廷の仲違いの理由には
ならないと当人達は分かっていても……
そんな事はこの話が市井に広まってしまえば何の関係も無くなるだろう。
故にもしそうなったとすれば、この丹波国中に広まろうとしている混乱が
更に大きくなる事は容易に想像できた。
「新坂の町中で流れる噂……聞いているか?」
「……はい。小耳に挟んではいます。
幕府に叛意ありとして朝廷が討伐軍を組織していると……」
「そうだ。更にはその尖兵として『山嶽王』をこの新坂に差し向けた。
どうも噂ではそういう事になっている。
多分に事実を含んでいるだけたちが悪い」
「事実……ですか?」
「そうだ。勿論話の内容が、ではない。
『山嶽王』がそういう戯言を吐いていた、というな」
衛蒼の言葉には苛立ちや怒りといった感情が含まれていた。
その理由も羽膳は事前に噂という形で仕入れてはいる。
一昨日、衛蒼がこの新坂の側で『山嶽王』と大立ち回りを演じ、
難敵であった『山嶽王』を空の彼方に吹き飛ばしたという。
この新坂は勿論、近隣の村々でもこの話で持ち切りだった。
だが……皮肉な事にこの衛蒼の華麗な戦果が、
朝廷の幕府討伐、その出鱈目な噂が広まる一助となってしまったのだ。
その噂が言うには、服従印で意志を縛られた『山嶽王』がその力を振るうには
必ず魔王様の許可が必要であると。だから『山嶽王』が攻めてきたからには
魔王様がそう命令を下した筈なのだと。
「……馬鹿馬鹿しい! 幕府に叛意などない。
そも管領の私が知らんのだ。それでどうして……」
衛蒼の憤慨も尤もだ。
だが、今重要なのは噂の真偽ではない。
「衛蒼様。俺が思うに問題なのは……」
「分かっている。『山嶽王』の襲撃の直後に広まるこの噂だ。
全てが逆徒の策の内と見て間違いはない。
つまりはどういう事か……羽膳、分かるか?」
「……実際に俺達に叛意があるかどうかは関係なく、
こういった噂を広める事で人心を惑わすのを目的としている」
その羽膳の言葉に衛蒼は首肯する。
「……だろうな。
結果、新坂の町を見ただろう。
戦が起こると逃げ出す者もいれば、
まだここ新坂の方が安全だからと流れ込んでくる者もいる。
こうも人の流れが激しいと逆徒の手の者が紛れ込んでいたとしても
手の出しようもない」
聞けば今は新坂の関も人波を遮ること叶わず、碌に機能していないという。
ここで幕府に兵権が無いという欠点が露わになる。
平時はともかく緊急時にはまるで人手が足りなくなるのだ。
勿論、こういう時の為の朝廷であり、魔王軍である。
だがその肝心な朝廷との連絡が今は逆徒のせいで取れていない。
「……分かるか? 今のこの新坂は逆徒の命令一つで自爆するような者が
どれだけ紛れ込んでいるかすら分からないのだ。
そしてそれはこの近隣の村々も変わらない。
……この丹波国そのものを人質にでも取られたかのような状況だ」
守護の襲撃、屠殺場の爆破、そして『山嶽王』の侵攻。
これだけの事件が続いた結果巻き上がった社会不安に乗じて、
幕府謀反の噂が瞬く間に広がってしまっている。
これまでの事を全て狙っていたのだとしたら、
逆徒という男は恐ろしい策略家といえる。
「こうなると……かの廃砦にて逆徒の手掛かりを
何も掴む事が出来なかったのは……痛恨の失態でした……」
思わず項垂れる羽膳。
界武と『同族殺し』に邪魔されたとはいえ、
逆徒の尻尾を掴む千載一遇の機会を棒に振ってしまったのだ。
一向に好転しないこの逆徒との戦いを思えば、
自身の無能を憎まずにはいられなくなる。
「……ああ、その報告をまだ受けてはいないか。
あの『同族殺し』……今は左衛門佐殿か。
その左衛門佐殿と争ったと聞いたせいか
そこからちょっと話が逸れてしまったか……。
ま、とにかく報告を頼む。
失態かどうかはその内容を聞いてから私が判断する」
衛蒼という男は部下が深刻な顔をしている時は
努めて明るく振舞う事としている。
だから羽膳が廃砦での一件を報告している間も、
軽い感じで相槌を打ったり、時には笑ったりもした。
そうして羽膳がこの新坂に戻るまでの一部始終を報告し終えた後、
衛蒼は神妙な面持ちで羽膳にこう伝えた。
「羽膳、お前の仕事には一切の瑕疵はない。
むしろ上出来の部類といえる……自分を責める必要は一切ない、
そう心得よ」
「で……ですが衛蒼様! 俺は……」
「まぁ待て。今からその理由を話す」
なおも自分を責めようとする羽膳を一旦留めておいて、
衛蒼は嬉しそうな表情で話を続けた。
「まず……お前でなければあれだけの速さで廃砦には辿り着けなかった。
報告から察するに、人間達は逆徒と共に
撤退の準備をしていたそうではないか。
つまりはお前以外の誰が同じ事をしたとしても、到着が遅れて
もぬけの殻の廃砦を調べるしか出来なかった事になる。
それに比べれば……だ、
その廃砦に実際に逆徒と人間達がいた事まで知れたのは
お前の大きな功績だ」
なるほど、それはそうかもしれないと羽膳は思う。
羽膳にとっては当たり前すぎて過小評価になりがちだが、
空を飛び非常に速く移動出来るというのは大きな利点なのだ。
「次にお前は左衛門佐殿と界武という少年と面識があった。
これもまた大きな功績だ。お前がそれまでに課せられた仕事を
十全にこなしてきたからこそだ。
他の誰かがその場にいたとしても面識がないのだから、
当然その二人から何の情報も引き出せなかっただろう。
つまりは、『閃刃』様が無事であり、こちらへの報告を望んでいる
といった情報すらも得られなかったのだ。
これ全てお前の成果だ、羽膳」
(それは……確かにそうかもしれない)
そう思えば羽膳の暗い表情も徐々に晴れてくる。
「更にだ、お前程の強者でなければ左衛門佐殿は勿論、
界武という少年の強さを測る事も叶わなかった。
特に……左衛門佐殿が魔術師であったというのは大きな情報だ。
今回の騒乱を治めるためには必要不可欠な情報であったと思う。
……よくやったぞ」
「あ……いや、それは……」
羽膳は照れている。
褒められてしまった。
てっきり叱責されるものと思っていたのに、
ここまでお褒めの言葉を頂けるとは望外の喜びだった。
「ここまでの功績に比べれば、左衛門佐殿と戦った事など些事よ。
第一、お前の様な誇り高い男に挑発的に振舞った左衛門佐殿が悪い。
二、三発は蹴られて然るべきだろう。
敗れたのも気にするな。お前はまだまだ強くなる……次勝てばいいのだ」
「そ、そう……ですか」
それで羽膳が失態と思っていた事柄全てが功績に変わってしまった。
……こういう所は流石だと羽膳は思う。
こうなっては上司部下の関係を超えて付き従う他ないではないかと。
「それでそこまで負傷しておきながらもよく新坂に戻ってくれた」
「それは……勿論。
生きている限りは必ず、衛蒼様の下された命を遂行いたします!」
そう返す羽膳の言葉にも力強さが戻っている。
今ここに、羽膳は完全に復活したのだ。
「……結構」
そして羽膳の表情から影が消えた事を察し、衛蒼も笑って頷く。
「では……その痛ましい姿を見ておいて悪いが、お前に頼み事がある」
「頼み事……ですか?」
「そうだ。個人的には療養して欲しい所だが、生憎とまだお前の様な
有能な部下を遊ばせておく余裕がないのだ……頼めるか?」
「も……勿論です!」
まだ全身に痛みが残る羽膳であったが、そう答える他なかった。
衛蒼はこういう所が上手いと、羽膳は先程と別の意味で感心した。
「では羽膳、今私達に足りないものを二つ、楼京に戻り調達してきて欲しい。
ちなみに……それが何か分かるか?」
部下の成長を促す目的か、衛蒼はただ指示を出すだけではなく
このように意見を聞いてくる事がある。
それがいつもの事だからか狼狽える事もなく羽膳もすぐに返事をする。
「二つ……ですか?
まず一つは人手でしょう。今の新坂の町を見るに全く足りていません」
流石にこれは簡単だった。侍所の面々ならば皆すぐに答えられるだろう。
そして衛蒼の表情から察するに、この回答は間違ってはいない。
「正解だ。楼京に戻り魔王軍の方々に援軍に来てくれるよう
お願いしてきて欲しい」
「魔王軍……ですか?」
ただ、その人選はちょっと意外ではあった。
魔王軍。衛門府に属するこの軍隊は世界各地に散らばっており、
当然楼京にも一軍が控えている。
その軍隊を援軍として頼むというのだ。
「幕府と朝廷の軋轢が噂されているこの時に、ですか?」
「この時だからだ。そんな軋轢は存在しないと民に示す為にも
魔王軍の方々に来てもらうのが最適だ」
「なるほど。そういう事であれば異存有りません」
流石に衛蒼はよく考えている。
ただ……だからこそ一抹の不安が残ると羽膳は思う。
誰しもが、衛蒼のように聡明ではないのだ。
まあそれは今はいい。次に羽膳が考えるべきはもう一つの足りないものだ。
「もう一つは……何でしょうか。
色々と思いつくものはありますが、どれもちょっと決め手に欠けますね」
「では……そうだな。それは今私が持っていないものだと言えば分かるか?」
「持っていないもの……ですか?」
その言葉に衛蒼をまじまじと見つめてみれば、確かに何かが欠けている。
それは何かと考えて、すぐに答えに辿り着く。
「槍……ですか。普段使っておられる木槍が見当たりません」
それを聞いて衛蒼は笑った。どうやら正解だ。
「当たりだ。『山嶽王』との一戦であの槍を失くしてしまってな。
幕府から別の槍を持ってきて欲しい。
ただ……ただの槍では不足だ。再度『山嶽王』が攻めて来た時に、
今度こそ奴を殺しきれる程の武器が必要なのだ」
それまでの明るい表情から一転、衛蒼の顔が険しくなる。
恐らくは『山嶽王』との戦いを思い出している。
そして……倒しきれなかった不覚を自責しているのだ。
「となると、まさか……」
衛蒼が言う『山嶽王』を殺しきれる武器、羽膳にも心当たりはある。
だが羽膳もその武器を衛蒼が扱う姿を見た事が無い。
それ程厳重に秘匿されたその武器の名は……。
「天下三槍を楼京から持ち出す気ですか……!?」
衛蒼の返事は簡潔だった。
「そうだ、それしかない。
『山嶽王』を殺し、左衛門佐殿を退け、逆徒の企みの全てを潰す為には、
天下三槍の力を借りるしかない」




