百十三話 一方その頃 羽膳の場合 その一
目が覚めたのは天井に開いた穴から差した陽光が眩しかったからだ。
(……ここは、何処だ?)
寝起きはいい方の筈だが、
今日は何故か背が床に張り付いたかのように動かない。
頭痛すら伴うその最低な目覚めにげんなりとした羽膳は、
寝返りを打って陽光から目を逸らし、そのまま二度寝と決め込もうとした。
だがそこで気付く。寝床が妙に堅い。
いや……そもそもよく見ればそこは寝床ですらなくただの板張りの床だ。
更に言うなら羽膳が寝ていたこの一室、床は荒らされ壁には穴が空いている。
廃墟……と呼んで差し支えない場所だった。
そこで羽膳は最初の疑問に立ち返る。
ここは一体何処か……。いや、そもそも寝る前に何をしていたのか……。
頭痛に思考を乱されながらもどうにか記憶を辿る。
最初に思い出せたのは星の瞬く綺麗な夜空。地平線には沈みゆく太陽が、
その茜色が儚げに消えようとしていた……そんな空を飛んでいた。
そして、そこを降りて……とても早く降りて……そして……。
「『同族殺し』っ!」
思い出した。あの絶望的な実力差。
誰にも劣る筈もないと思っていた飛行時の速度……それを上回られた屈辱を。
その苦い思いに覚醒した意識で、
違和感の残る身体を無理矢理に起こそうとしてさらに気付く。
「……痛い」
違和感の正体は身体の至る所に残る傷と……治療の為に巻かれた包帯だ。
動かす度に走る痛みをこらえどうにか上体を起こす。
そして自分の身体を今一度確認すれば、ボロボロもいい所だった。
特に普段着用している白い袴が酷い。
その色故に戦いのある度に何処かに汚れが付くものなのだが、
今のそれは汚れというよりは模様だ。
黒みがかった赤に緑と茶と白の斑模様がびっしりと描き込まれている。
(血の滲みと草木が擦れあった時に着いた色、後は……土汚れか)
こうまで汚れてしまえば元の色には戻るまい。
所々が痛んでもいるから、もうこの袴は捨てるしかなさそうだ。
そしてその両翼には二、三ヶ所に包帯が不格好にグルグルと巻いてある。
翼の治療なんてした事のない者の処置ではあろうが、
止血出来ればそれでいいと言わんばかりの大雑把なものだ。
こんな風にされては血で凝り固まった羽根が翼に纏わりついて
上手く飛べなくなってしまうのだが。
まあ……他の個所、胴や足首にはそれなりに綺麗に包帯が巻かれている。
故に悪意を持ってそうした訳ではないだろうから感謝こそすれ
咎めるような事でもない。
(だが……この治療をしてくれた者は誰だ?)
問題はそこだ。付け加えるなら羽膳が寝かされていた場所、
何処か見覚えがあると思ったら界武との戦いの舞台ともなった廃砦、
その一階の入り口の隅にあった部屋だった。
少なくとも気を失う直前まで屋外で戦っていた筈だから、
その治療してくれた誰かが羽膳をここまで運んでくれたという事になる。
(その者が誰か。ちょっと考えれば該当する男が一人だけいるにはいる。
だが、まさか……そんな……)
有り得ないと羽膳は思う。
だが……あの戦い、見届ける者すら一人もいない戦いではあったから、
羽膳に治療を施せるのは、対戦相手であった『同族殺し』……
その人以外には考えられないのだ。
「馬鹿な……そんな……事が……」
思わず羽膳は頭を抱える。
『同族殺し』、あの男が何を考えて羽膳と戦い、
また何を考えてここに運んで治療していったのか。
その答えは羽膳の考えが及ぶ範囲の遥か外側にあった。
少なくともあの戦いから一日は経過している。
天井や壁の穴から差す日の光がそれを羽膳に教えてくれる。
だが……正確な日時はここにいては分からない。
それならここを飛び立てばいいだけの話なのだが、それも今は叶わない。
(傷の程度が……ちょっと酷い。今はとてもじゃないが飛べない)
歩いての移動ならどうにかなりはするだろうが、それでもこの傷だ。
普段の歩みよりはずっと遅くなる。
更に言えばここはまだ敵地かもしれないのに、
今の状態で敵と遭遇してはひとたまりもない。
飛行魔術の要である翼が治療の拙さもあってうまく動かせないのだ。
(それなら今は……少なくとも飛べる程度に
回復するまでここにいるしかない)
だから羽膳はそう考えた。
幸いこの廃砦には人間達が残していった糧食の類も少しばかり残っている。
そして空を飛べるようになるまでは……恐らくあと三日はかかるが、
その三日を凌ぐ事はどうにか出来そうだった。
だがそうやって夜を迎え、そしてまた朝日を拝んでも思い返すのは
『同族殺し』との戦いばかりだった。
(……全く、完全に、議論の余地も無い程に、一方的な勝負だった)
鳥人族の里を出てから二年近くになる。
その二年の弛まぬ努力の甲斐あってか、
里にいた頃よりもずっと強くなった自覚がある。
上司でありまた師でもある衛蒼以外の相手には不覚を取らない自信もあった。
だが……その自信はいつしか驕りになっていたのだろうか。
結局、『同族殺し』にはまるで通用しなかった。
その『同族殺し』との一戦、結果だけ見れば
羽膳は一方的に叩きのめされたばかりでなく、
その速さまでもを盗まれたのだ。
あの戦いで、『同族殺し』は羽膳の最高速よりさらに速く
動けるようになる強化魔術の閃きまでもを得た。
これではもう再戦する機会があったとしてもだ、
どう戦っても勝ち筋自体が存在しない事になる。
……戦士としての格付けがなされてしまったのだ。
(……更に、弱者に施しでもするかのように治療まで!
あの男は……どれだけ戦士の誇りを虚仮にすれば気が済むんだ!)
怒る。怒るが……どうしようもない。
実際に『同族殺し』は羽膳よりもずっと強いのだから。
そうやって怒りの矛先が自身の弱さに向いて悶々と苦しみ抜いた三日の休養、
それで羽膳はかろうじて飛べる程度に回復した。
怪我がある程度癒えてから、羽膳は廃砦を一通り調べてみた。
逆徒の所在地や次の企み等の情報が無いだろうかと思っての事だ。
だが結果としては特筆すべき発見は無く、
大きな得物を逃したという失望の念がただ強くなるだけだった。
とはいえ手ぶらで帰る訳にもいかないと、
羽膳は新坂に持ち帰る戦利品として一張りの弓を選んだ。
人間以外に扱えるものの殆どいないこの武器は、
魔族の社会では希少品といえる。
だからこそ見る者が見れば逆徒に繋がる何かが分かるかもしれないと思ってだ。
例えば……そう、作られた場所等のような、だ。
その持ち帰る弓をどれにするか……。
廃砦に散乱する弓の幾つかを並べ品定めをしていた時に、
羽膳は数日振りに自分以外の声を聞いた。
「……おう、何やってんだよ、テメ……う、羽膳」
その声に振り向けば、廃砦の入口に屈強な体躯の狼人族が立っていた。
「……鋼牙、か」
楼京で知り合ったその男の名だ。
そういえば、鋼牙もここに来ると言っていた……それを羽膳は思いだした。
「……それで、『同族殺し』にボロボロになるまでやられて、
ここで休んでたってのか」
「……ああ、そうだ。惨めな事この上ない」
一通りの情報共有を終えた後、羽膳はそう自嘲気味に吐き捨てた。
「惨め、ねぇ……。俺から見りゃあの『同族殺し』を目の当たりにして
戦おうって気になれたってのが信じられねぇわ」
鋼牙の感想はこうだった。
聞きようによっては慰めにも聞こえる……かもしれない。
「で……お前さんはその弓を持って新坂に帰るつもりか」
「……そのつもりだ。失態とはいえ報告は怠る訳にいかんからな」
力なく笑う。その羽膳の醜態を鋼牙は笑わない。
代わりにただ仕事の要件を確認した。
「じゃ……俺はこの砦を調べでもすればいいかね?」
その事務的な言葉に何となく優しさのようなものを感じた羽膳は
思わず鋼牙を見やる。その表情に羽膳へと向ける侮蔑は無かった。
「あ……いや、ここは一通り調べ終えた。
鋼牙が調べればまだ何か見つかるかもしれんが……
いや、やはりそれも考えにくい」
「でもよ、せっかくここまで来たんだ。
他に俺に出来る事ぁねぇのか?」
その鋼牙の言葉で久々に『同族殺し』との戦い以外の方向へと思考が向いた。
今この場所から……何か出来る事はないのか。
「……そうだ、『閃刃』様だ!」
界武が言っていた。ここからもう少し東に行った所にある集落、
そこに『閃刃』がおり、何やら報告が必要な情報を持っているという話だった。
「……『閃刃』?」
突然の羽膳の大声に、鋼牙が怪訝な顔で聞き返す。
「ここより少し東行った所に集落があるという……
まぁ、正確な場所までは分からないが。
ただ、『閃刃』様がそこに逗留しており、
報告したい何かがあるという事、らしい」
「……なるほど。なら俺はその情報を聞き取って新坂に戻ればいい訳だな」
「ああ。だが俺が飛んで行っても……」
そっちの方が早いようにも思う。
だがそう言って腰を浮かしかけた羽膳に鋼牙が首を横に振る。
「お前さんは新坂に行って休め。
その身体で仕事を幾つも抱え込むんじゃねぇ。
むしろそれは俺にやらせろ。手持ち無沙汰なんだよ」
「……そうか」
気を遣われたのか、実際暇していたのか……。
(いや……気を遣われたのだ)
そうなのだろう。そもそもこの鋼牙という男は
好き好んで仕事を引き受ける質の男ではない。
そして、そうと知ったのなら言うべき事がある。
「すまん、助かる」
この言葉は流石に顔を見ては言えなかった。
だから羽膳は俯いてしまう。
「いいって事よ」
そのざっくばらんな鋼牙の返事に、久しぶりに羽膳は心が和らぐのを感じた。




