百十話 一方その頃 衛蒼の場合 その二
巨人族というだけあって流石に大きい。
大きいが……その大きさよりも興味を引くのは、眼前の巨漢の歳だ。
(確か……九十は越えている筈だが……)
この男が反乱を起こしたのも衛蒼が生まれる前、五十年近くも前の話だ。
衛蒼とて鬼人族。不本意ながらも『悪鬼王』に連なる者の一人として
『三大罪人』の反乱自体は何度も耳にした事がある。
だがそれも全て昔話。まさか生きた実物と相まみえる機会が訪れるなどと、
今の今まで想像した事すらなかった。
「お初にお目にかかる。幕府管領、衛蒼という者だが……
貴方は『山嶽王』その人で間違いないか?」
とはいえ、羽膳の報告で出た名前ではある。
心の準備とやらはとうに出来ていた。
「ほう……私が来るのを知っていたような口ぶりだな」
頭上から響くその低い声は予想以上にしっかりしている。
歳を取ると喋るのすら億劫になると聞くが、そんな影響は微塵も感じない。
「貴方は有名人だ。そういう事もあるだろう。
で……新坂には何用で来られた?
生憎と今は世情が不安定でな、貴方といえど歓待する事も出来ぬ有様だ」
大罪人とはいえ魔王に命までは奪われなかった男だ。
今は反乱に加担している容疑が掛けられてはいるがそれも容疑止まり。
その罪が明らかになるまでは衛蒼も手は出さない。
「私がここに来た理由……? そんなものは一つだ。
この服従印を見れば分かるだろう……」
そう言うとその身体を誇示するかのように『山嶽王』は上着を脱ぎ捨てた。
……見事な肉体だ。老人のものとは到底思えない。
その鍛え抜かれた体にはびっしりと赤黒い文様が刻まれている。
「この身体ではなぁ、自分の意志では村を出る事も出来ん。
その私がここにいる……それはな、これが魔王の意思だからだ」
「魔王様の……意思?」
奇怪な事を言うと羽膳は思う。
逆徒と手を組んで反乱を企てているのではないのか。
だというのに……何故ここで魔王が出てくるのか。
(こちらを動揺させるためのはったり……かもしれんが、
『山嶽王』とはそんな小狡い手を使うような男なのか……?)
「……魔王の命だ。
反逆の意図ありとして幕府を討伐する。
私はその尖兵という訳だ……不本意ながらな」
「馬鹿げた……話を……」
秩序の守り手としての誇りが衛蒼にはある。
その自分がこの大罪人に反逆者呼ばわりされたとなれば、
流石にいい気分にはなれない。手に持つ愛槍を片手で軽く振り回し、
衛蒼はその不快を紛らわせようとする。
「馬鹿げた……? どうしてそう思う?」
「こちらに反逆の意図などない。それだけだ……
それに、反逆というのならば貴方の御友人の方こそが
該当するのではないのか?」
「……友人?」
「拘束魔術師だ。通り名を『偏愛逆徒』という……
知らないとは言わせないが」
「知らん」
その素っ気ない返事に、不思議と嘘の匂いを感じない。
変な話である。嘘だらけとしか思えない『山嶽王』の言葉、
それが羽膳から受け取った曖昧な情報混じりの報告よりも
真に迫っているように聞こえるのだ。
(嘘は……言ってないのか? だとしたら色々と腑に落ちんな)
だが衛蒼とて根拠も無しに言った言葉ではない。
『山嶽王』が嘘を付けないというのなら丁度いいとばかりに
報告にあった守護襲撃の一件を切り出した。
「知らんと言うか。
だが私達は知っているのだ……貴方が丹波国守護、厳容殿を襲撃した事をな。
まさかそれは知らぬとは言わぬだろうな」
「襲撃……?」
「最近の事だ、厳容殿の馬車に夜襲をかけたというではないか。
貴方を見たという目撃者がいるのだ。忘れたとは言わせない」
衛蒼は『山嶽王』を睨みつける。
そもそも衛蒼はこの手のならず者が大嫌いだ。
法を蔑ろにし秩序を踏みにじるのを生業としてるかのように
適当に暴れまわる……旧世代の魔族そのままだからだ。
「ああ……したした、そんな事もしたわ。
全員殺したと思ったが……生き残りがいたか」
(……こうだ! こいつらは悪びれすらしない……!)
衛蒼の表情が一層険しくなる。
その怒気のこもる視線をあざ笑うかのようににたりと笑ってから、
『山嶽王』はただこう言った。
「あれも魔王の命よ。反逆者だから殺せとな。
でなければどうして私があんな惰弱な者を相手にするか……」
そう言うと忌々しそうに腕に刻まれた服従印を掻きむしった。
(服従印があるから……命令には逆らえなかったとでも言うつもりか?)
確かに腕に限らずその全身に印は刻まれているし、
肉を抉った所で効力には一切問題は無い……鉄壁の服従印である。
『山嶽王』程の男とはいえその力には逆らえないのだろう……だろうがだ、
その服従印の効力が失われていないのなら、逆徒はどうやってこの男を
操っているというのか。
「……もういい。お前が幕府の者だというのなら殺す。
後ろの者も殺す。あの町も幕府のものだというのなら壊す」
この問答も面倒だと、『山嶽王』はそう言って両手を大きく広げた。
格闘術の構えというにはいささか隙が大きいようにも見えるが、
二十尺はあろうかという巨体でこの構えを取られたならば
大抵の者は縮み上がってまともに戦えまい。
そう、大抵の者ならばあの構えを取られただけで
戦意を失い腰砕けにでもなるのだろう。
衛蒼の後ろから金属音が響く。振り向かなくても分かる。
連れて来た役人の男が先程の脅しに怯え尻もちでも付いたのだ。
「ひいいいぃぃ……」
その立派な体躯に不似合いな可愛い悲鳴が後ろから上がる。
それが『山嶽王』の脅しから始まった緊迫した雰囲気を妙に弛緩させて
衛蒼は思わず吹き出した。
「……そう怖気づくな、お前とて幕府の一員だろうに」
今の雰囲気を程良く弛緩させてくれたお礼代わりにと、
衛蒼はその役人を安心させようと声を掛けた。
「で、ですが『山嶽王』が殺すと……町も壊すと……」
声が震えている。未だ安心出来ていないようだ。
ならば……実際に教えてやった方が早いだろう。
「そんな事は起こらんよ。何故なら私がここにいるからだ。
魔王様の尖兵を騙るこの大罪人は……ここで拘束する」
そう言うと槍を構え衛蒼は目の前の巨漢を睨む。
(この男は敵だ。魔王様の命を騙って守護殿を襲撃し、
今度は新坂の町を破壊するなどと言ってのけた。
よりにもよって……この私の前でだ!)
衛蒼は自分が自制心が強い方だと思っている。
何故ならば衛蒼は子供の頃からずっと一つの欠点に悩まされてきたからだ。
……衛蒼は怒りっぽい。昔からこのような秩序に逆らう愚か者を見ると
すぐに激昂してよく挑発にも乗った。それで犯した失敗も一つや二つではない。
だからこそ強い自制心を身につけ今に至る訳だが……
残念ながら未だその欠点を抱えたままだったりする。
「……来い。法を守るどころかそれを愚弄した大罪人よ。
地に伏した後もその傲慢な戯言が聞けるかどうか試してやるわ!」
法に従い正しく生きる無辜の民まで手にかけるといった『山嶽王』に、
よりにもよって魔王の名を出して自分の愚行を正当化しようとした罪人に、
衛蒼はかつて無い程に怒っていた。
「小兵が良く吠えおるわ!」
『山嶽王』の拳が迫る。その迫力を加味すればその大きさは
衛蒼の身の丈よりも大きく見えた……恐らくは、その威力も相当のものだ。
衛蒼の持つ貧相な木の槍では、いなす事すら不可能だろう……。
その巨大な拳がすんなりと弾かれた。
衛蒼が振り上げた槍は軋む事すらなく軽々と『山嶽王』の拳を弾き飛ばし、
次の瞬間には横薙ぎの一閃を『山嶽王』の横腹に叩き込んだ。
「その小兵にこうも容易く薙ぎ倒される……老いたか、『山嶽王』?」
横腹への一撃に大きく吹き飛ばされた『山嶽王』は未だ倒れ込んだまま。
その衛蒼の挑発にも反応すらしない。
「か、か、か、管領様……」
「ん……どうした?」
「凄く……凄く強いじゃないですかぁ!」
代わりになのだろうか、後ろで座り込む役人が賛辞の言葉をくれた。
そのあまりに素直な感想に、聞く衛蒼はまたも笑ってしまう。
「強いじゃないですか……か。
自分ではあまりそう思ってないのだがな。
自分が強いというよりも、周りが強くない……そう思っている」
「そ、そんな事はないですよ!」
「いや実際にな、私は使える魔術が極端に少ない。
辛うじて自慢出来るのがこの武装強化だけなのだ」
そう言って青白い魔力を纏う木槍を振り回す。
「武装強化……ですか?」
「そう、極めて初歩的な魔術。私はこれ以外は碌に使えない。
だが不思議と……誰にも負けた事が無いのだ」
そんな雑談をしている間も衛蒼は手慰みにか木槍を軽やかに振り回している。
その槍の軌跡に青白い魔力の残像が映るせいかそれは舞踏のように美しい。
だがそれは美しいだけではなく破壊力を伴った死の舞踏。
あの木槍がちょっと触れただけでも、
未熟な強化しか纏えぬものは四肢を吹き飛ばされかねないだろう。
残像が残る程に強化された武器というのはそれ程の破壊力を持つ筈だからだ。
「……なるほど、少しはやるな」
その木槍の一撃を受けながらも痛みすらないかのように
むっくりと立ち上がったのは『山嶽王』だ。
……やはりこの老人も只者ではない。
あの程度の一撃では傷一つ付かないのだ。
「分かって頂けたか?
私がいる限り貴方はもう一歩たりとも新坂に近づけない。
伏して許しを請うなら今だぞ?」
「戯言を! ……だが許す。その戯言を許す!
衛蒼とやら……お前は、強い!」
『山嶽王』は笑っていた。それはもう満面の笑みだ。
好敵手と出会えた事が嬉しくてしょうがないというその攻撃的な笑みに、
衛蒼は更に怒りを募らせる。
「そうやって笑う……それがお前達だ!
法を守り正しく生きる……その程度の事が出来んお前達の娯楽に
これ以上付き合えるか!」
先程まで振り回していた槍を再度構え直す。
睨む衛蒼の視線の先は『山嶽王』の喉元だ。
「次は喉を刺し貫く。ああ……大丈夫だ。
殺めずに喉を突くのは私の数少ない特技の一つでな」
それを聞いた『山嶽王』は尚も笑う。
「喉か……だが果たしてその槍が私の喉まで届くかな……?」
そう言うなり『山嶽王』は雄叫びを上げる。
その大きな声は遠方にある新坂までも届いただろう。
「なっ……なんだこれはぁっ!?」
衛蒼の後ろにいた役人の驚く声。
その驚愕の理由は『山嶽王』の声の大きさなどではない。
その役人の大きな体がすっぽりと影に隠れてしまったからだ。
新坂に続く街道に後は草原が広がるばかりの開けたその場所で
そのような大きな影が現れた理由は一つ。
只でさえ巨大な身体を持つ『山嶽王』、
その体躯がそれまでの二倍……三倍、
いや……五倍までもに膨れ上がったからだった。
「さあどうだっ!? 私の喉はここにある……届くか、衛蒼っ!」
山の如き巨体となった『山嶽王』の仰ぎ見るしかないその先に確かに喉がある。
だが……距離にして百尺は先にあるその喉、どうやっても槍が届く筈もない。
だが衛蒼は表情一つ変えない。
昔話で『山嶽王』のその巨人化の魔術は知れている。
ならば別段驚くような事でも無いのだ。
「容易い!」
遥か頭上にある『山嶽王』の耳にも届くようにと衛蒼は声を張り上げた。
「……ならば、やってみるがいい!」
巨人の次の一撃は蹴りだった。
石を蹴り上げるような動作で衛蒼とその後ろにいる役人諸共吹き飛ばさんと
蹴り足を振り下ろす。
衛蒼の眼前に迫る巨大な足の甲、その迫力と速度は先の拳とは桁が違う。
「ひやぁあああああっ!」
後ろで響く役人の悲鳴を聞き流しながら、衛蒼は前と変わらずに槍を振り上げた。
「なっ……!?」
その巨体から見れば草木の棘程度の大きさでしかない筈の木の槍が、
『山嶽王』の蹴り足を振り払った。
……有り得ない。あの小さな槍の一振りが、
その威力が『山嶽王』の蹴りに比肩するなどと……誰が想像できるというのか。
蹴り足を振り払われた衝撃で『山嶽王』が後ろに倒れ込む。
後ろに手をついてどうにか背中を打ちつけるのを防いだ『山嶽王』だが、
その手を体を支えるのに使ったせいで、
眼前に迫る小さな影には無防備となってしまう。
「そうやって倒れ込んでしまえばな、
軽く跳ぶだけでもその喉に届くのだ!」
そう叫ぶ影の正体は衛蒼。
そしてその手に持つ青白い棘の一閃が、『山嶽王』の喉を貫いた。




