百八話 英雄の最期
鹿野戸さんの言葉に抗えるだけの何か。
それに当ては無いけれど、それでも俺の心は警鐘を鳴らす。
(本当に……鹿野戸さんの言葉は正しいのか!?)
正しさというものがどういうものか。
それを知るにはまだ経験が足りないとは思う。
だけど……だからこそ思うのだ。
正しさなんてものは、そう簡単に分かっていいもんじゃない。
俺は自分の心の中を探る。
この短い生涯、俺が今まで見聞きした事の中に……
何か、鹿野戸さんの理屈に抗するだけのものは……。
姉さんの授業、牧場からの逃走、延老さんの指導、
そして……遠鬼との再会。そこで俺は、確か……。
(あった……これだ。これだったんだ)
たった一つ。それは俺を救ってくれた言葉であり……
俺を認めてくれた言葉。
「鉄……ありがとう、もう大丈夫だ」
痺れるように動かなかった左手を無理矢理に動かして、
俺を庇う鉄の肩に乗せる。
「か、界武……。お前、大丈夫なのか!?」
「ああ、大丈夫。お陰で大事な事を思い出せた」
鉄にどいてもらって、今度は俺が鹿野戸さんと対峙する。
既にその距離は三歩程度。一歩踏み込んだら拳が届きそうな距離だ。
「……鹿野戸さん」
「何だい、界武君?」
「俺の牧場でもさ、多分沢山の……俺の知ってる人が食べられてたんだと思う。
そこで一番親しかった……俺の姉さんも、多分」
「……そうだろうね」
「でもさ、俺はその事で魔族に復讐しようなんて思わない。
食べられた人達から目を背けて
自分一人幸せになってもそれを悪いとも思わない」
「それは……どうしてだい?」
「だってね……俺には意志があってさ、
この意志が俺にとって何より大事だからだ。
俺のやりたい事、守りたい人、戦いたい敵……それこそが俺そのものだからだ」
春夜さんはこれを無頼の思想だと言った。
無責任で自分勝手なならず者の考え方だと。
でも……正直、俺はこれが嫌いじゃない。
「それ以外の全て……死んだ人の思いも、殺した相手の無念も、
まだ見ぬ同胞の悲劇すらもだ……
そんなものは全部俺の意志より大事なものじゃない!
全部……ただの雑音だ!」
「雑……音……」
自身の行動理念そのものを雑音と切り捨てられた衝撃からか、
鹿野戸さんは狼狽えるように後ずさる。
「そうだ! 鹿野戸さん……鹿野戸さんが
本当に鉄や子供達の幸せを願うのなら、そんな雑音に振り回されずに
この国から逃げ出す事も出来る筈だ! それが出来ないってんなら……
それはな、ただ単にアンタにとってここの子供達よりも
魔族との戦いの方が大事だってだけなんだよ!
鹿野戸さんが自分の意志でそう選んでいるだけだ!」
鹿野戸さんの動揺が伝わったのか、俺の身体を縛っていた拘束魔術が
解れていくのを感じていた。俺は一歩前に踏み出して、
両手を大きく広げてなおも叫ぶ。
「そしてな、鹿野戸さん……アンタはその選択の責任を
死人に押し付けたんだ。犠牲が出たからしょうがない、
彼等に報いる為に戦う以外やりようがないってな……!」
「そんな……事は……」
それは初めて見る鹿野戸さんの顔。
……怯えている。そんな表情だった。
「なぁ鹿野戸さん、もう一度しっかり子供達と向き合ってくれ!
今までの犠牲を理由にして思考を停止しないでくれ!
それで、向き合って……そしてもう一度選んでみてくれ!
子供達の幸せか、魔族との戦いか!」
「……界武、君……」
「それで子供達の幸せこそ自分の意志だと思ったのなら……
何度でも言うよ、ここから皆を連れて逃げてくれ!
でも……もし、魔族との戦いの方が大事だって言うんならなぁ!」
両肩から作り出したのは銀の魔腕。
その破壊力を誇示し、鹿野戸さんの戦意を奪わんばかりに破裂音が鳴り響く。
「俺が! 鹿野戸さんの戦う力を奪ってでも止めてやる!
それで無理矢理にでも子供達を連れてどこか他の国に運んで行ってやる!
何故ならこれが俺の意志だからだ! 俺がそうしたいからだ!
今までの犠牲も、人間の反乱も、楼京の屠殺場も……関係あるかぁ!」
その俺の暴論に、戦いを不可避なものと悟ったか、
鹿野戸さんから明確な敵意が放たれる。
「……『黙れっ』!」
それは恐らく拘束魔術。
俺の動きを縛るよりも先に、その口を塞ぎたかったんだろう。
だけど……もう俺には油断なんて無い。
誰かに頼まれたからとかじゃなく、俺自身の意志で、
どうやってでも鹿野戸さんを止めると決めたからだ。
既に俺の眼前には透明な大きい三角柱が鎮座している。
この魔力のおむすびは……鹿野戸さんから放たれる魔力の全てを屈折させる。
「……効かないよ、鹿野戸さん」
「何故……だ?」
何となく分かる。命令として口に出してこそいないが、
俺を黙らせようと、その動きを縛ろうと、
何度も何度も命令を送っているんだろう。
その全てが俺の手前で逸れているとも気付かずに。
「さぁな。でもその理由は鹿野戸さん自身が何度も言っていたじゃないか。
俺が鹿野戸さんの言う通りに英雄だというのなら……
誰かの言いなりになんてなる筈がないだろう!?」
その言葉を契機に銀の魔腕が鹿野戸さんを襲う。
咄嗟に鋼の大槌を構えた鹿野戸さんだが……その傷だらけの腕で
大槌をしっかりと握れる筈もない。
初撃を何とか打ち落としはしたものの、生憎と銀の魔腕は二本ある。
二本目の魔腕が振り下ろされて勢いを無くした直後の大槌を捉え、
大きく弾き飛ばした。
鹿野戸さんの手を離れ大きく吹き飛ばされる大槌。
転がる度に大きな金属音を鳴らすその大槌が……多分、決着の合図。
俺と鹿野戸さん、互いに傷だらけで余力の無いこの状況で、
武器を奪われてしまった鹿野戸さんが絶対的に不利だからだ。
「鹿野戸さん、アンタの負けだ」
「そう……みたいだね」
自分の不利を悟ったか、鹿野戸さんから戦意が失せる。
ならば俺も躊躇わない。戦いに発展してしまった以上は、
鹿野戸さんは子供達じゃなく魔族との戦いを選んでいるからだ。
「じゃあ……これから鹿野戸さんの戦う術を奪う。
それで、この騒乱もお終いだ」
戦う術……その奪うべき何かはまだはっきりとしていない。
腕や足を一本奪ったところでこの人は止まらないだろう。
ならば何をどうすれば……。
「分かった。俺はもう抵抗しないよ。
英雄と敵対した時点でね、
反逆者の敗北は決まったようなものだからね……。
ただその前に界武君。一つ歴史の授業をしておきたい」
戦う術を奪うという非情な決断、その覚悟を鈍らせるかのような優しい声。
その声についつい俺も乗せられてしまう。
「歴史……何だよ、長いのは止めてくれよな」
「長くはならないよ、大丈夫。
英雄の話だ。歴史上のね……」
それは授業というよりは、ただの小話とでも思えるような短い話だった。
「千年も続いた人間の歴史。千年だよ、千年。
言葉にすれば短いが、実際には想像も出来ない程の長さだ。
そんな長い時間があればね、英雄と呼ばれた者が何人も現れた。
……その歴史上の英雄達はね、戦いにおいて負け知らず、
味方に慕われ敵に恐れられ……まさに万夫不当の存在だった」
「へぇ……」
「……でもね、そんな英雄の最期には不思議な程に共通点がある。
なにか分かるかい?」
(英雄の……最期? 不穏な話だな……)
その不穏さが気にかかりはするが、そんな共通点になど心当たりはない。
「最期? そりゃあ……何だろ、驕ってしまって負けちゃったとかか?」
だからと適当に返事をする。
その内容はともかく、俺が返事をした事が嬉しかったらしく
鹿野戸さんは楽しそうに笑っていた。こういう所は確かに先生らしいと思う。
「外れ……かな。答えはね、これからという時にどうでもいい事で
味方に裏切られ殺される。そんな最期を迎える英雄が多かったんだ」
……この授業、一体どういう意味なんだ。
今後味方の裏切りに気をつけなさいっていう警告のつもりなのか。
次の瞬間、鹿野戸さんの鋭い声がある命令を発した。
それは俺に対してじゃない。そもそも俺には拘束魔術は効かない。
「鉄、界武君を止めなさい」
だが……そうだ。鉄には鹿野戸さんが書き替えたっていう
服従印が刻まれている。だから……いざこのように強い命令を発せられると、
その意志とは無関係に命令を果たそうとする……。
……背中が熱い。
何故だろう……熱くて、痛くて、立っていられない……。
「あ、あ……」
それは鉄の声。何を怯えているのか、苦しくて……悲しい声だ。
何故そんな声を出しているのかと不思議に思って後ろを振り向いた。
短刀だ。鉄が良く使っていた短刀が……俺の背中に刺さっている。
その短刀を握るのは勿論鉄だ。
そして……その表情を見れば分かる。いや、見なくたって分かっている。
鉄が自分の意志で俺を刺す筈がない。
「……こういう事だ、界武君。
俺は負けても戦いを止めない。全ての犠牲に報いる為に……
どんな卑劣な手を使ってでも人間の世界を取り戻す」
「うわああああっ!」
まるで自分が刺されたかのように慌てふためく鉄の悲鳴が悲しかった。
「だ……大丈夫か、大丈夫か、界武……!」
大丈夫だと言ってあげたい。安心させてあげたい……けど……。
駄目だ、痛い……苦しい。声すらも……上げられない。
「大丈夫だ、鉄。界武君を死なせる訳にはいかないからね。
すぐに治療する。準備をして欲しい」
これは鹿野戸さんの声だ。それは分かる。
だけど……視界が暗くて、鹿野戸さんの姿が見えない。
(治療……俺は、助かるのか……?)
どうなんだろう……よく分からない。
背中の傷はどうも今までの負傷とは質が違う気がする。
傷の深さもそうだけど……刺さった場所が悪かったか、
それとも出血の量が良くなかったか……視界と、思考力を奪われた。
倒れ込む俺の身体を誰かが揺すっている。
誰だろうか……鉄か、それとも鹿野戸さんか。
いや……どっちでもいい。もう色々と考える事が出来ない。
だけど、せめて一つ、一つだけでもしなきゃいけない事がある筈だ。
(それは……何だ……っけ……)
それは月の色をした髪に、太陽の色の瞳。
俺と別れたくないと……泣いて、泣いて、そして……。
(つきひ……)
月陽……そう、月陽だ。
泣かせてまでここに来たんだ。絶対に無事に帰ると、約束して来たんだ。
(かえ……らなきゃ……)
ここに倒れたままだと駄目だ。多分もう一生月陽には会えない。
それならどうすればいい……どうすればここから逃げられる。
「先生、先生……!」
「鉄……落ち着いて。界武君は大丈夫だ。
まずは止血をする。急いで……」
声が聞こえる。目はともかく耳はまだ大丈夫。
バタバタと足音が……それに、何か水の流れる音。
(みず……かわ……)
そういえば、このすぐ傍には川が流れていた。
この川の下流には……多分、アイツがいる筈だ。
何処まで追って来ているかも分からない。
だからこれは賭けだ。この上なく危険な賭け。
でもそれをやらない選択肢は無い。
ならば迷わない。どうせもうそろそろ意識も保てなくなる。
その前に……。
「なっ……!?」
誰かの驚く声が聞こえる。それが誰かは分からない。
だけど、驚く理由は分かる。俺の身体が勝手に宙に浮いているのだ。
「先生っ! 界武が……浮いて……!?」
「これは……原始魔術か! 鉄、界武君を取り押さえろっ!」
駄目だ。取り押さえられるのは困る。
最後に残った魔力、それで作った透明の腕を使って俺の身体を放り投げる。
川のせせらぎ、その音を頼りに放り投げた俺の身体が浮遊感を失った時、
水しぶきの音を、確かに聞いた。




