百六話 反逆の終わり方
「それで……鹿野戸さんはさ、これからどうするつもりなんだ?」
鹿野戸さんの正体が知れた時に沸いた強い使命感に少し声が震えていた。
ここにはもう、戦いに関わっていい人なんて一人もいない。
鹿野戸さんも子供達も、一刻も早くこんな場所から逃げて欲しかった。
「これから……? ああ、界武君の献身もあって追手は撒けたようだからね。
またすぐ次の作戦に移る。上手くいけば魔王軍の指揮系統そのものを
麻痺させてしまえる。長門国の反乱にもきっといい影響を……」
「い、いや……ちょっと待ってくれよ!」
鹿野戸さん達を更に戦いにのめり込ませる為に羽膳と戦った訳じゃないんだ。
「……どうした?」
「次の作戦って……鹿野戸さんはもう傷だらけで、
子供達の中には……その、戦えない子も出始めてるんだろ!?
中止に……中止にしたらどうなんだ!?」
死んだ、とはどうしても口に出せなかったから、戦えない子……
なんて分かりにくい言い方になったが、
鹿野戸さんは勿論その言葉の意味を理解しているようだ。
「中止……? 確かにこちらも何人もの犠牲者が出てる。
でもだからこそ、ここに至ってはもうその選択肢は無い」
「……何故だ?」
「犠牲に見合うだけの成果がそろそろ手に入るからだ。
計画はね、確かに上手くいかなかった事もあるけれど、
それでも大筋ではまだこちらの想定を大きくはみ出してはいない」
そのはっきりしない言い方。察するに詳しくは言えないが
大きな作戦が進行中で、それが成功しつつあるんだろう。
「……何が起きるってんだ?」
どうせ碌な事じゃない。また沢山の人が死ぬんだ……。
だがその俺のうんざりするような気持ちとは逆に、
鹿野戸さんは珍しくも明るい笑顔を見せた。
「それは後でいくらでも話すよ。
……他にもね、ここに来て俺達に心強い味方が現れた」
その鹿野戸さんの優しい笑み……
周りの子供達からも期待を込めた視線が集まる。
俺の方の事情を知る青達はどんな視線を向けているのか……
そこまでは分からないが、そんな察しの悪い俺にだって
今の言葉の意味は分かる。
「その味方って……俺の事か」
「勿論。人間の英雄たる界武君がここで合流してくれたんだ。
これでもう俺達の勝利は約束されたようなものだ」
手が差し出される。
その鹿野戸さんの右手は巻かれたばかりの白い包帯に覆われている。
延老さんとの一戦で相当痛めつけられたのだろうに、
その白い右手からは力強さや頼もしさを感じる。
人間の為にと只管に戦い続けてきた手なのだ。
そりゃあ人間の俺がそこに信頼のようなものを
感じても不思議じゃないんだろう。
……だけど、だけど俺はその手を取らない。
俺がここに来た理由は、決して共に戦う為じゃあないんだから。
いつまでも握り返されない自分の手を見て、
鹿野戸さんの笑顔に寂しさが混じり始めたその時だ。
「……鹿野戸さん」
「えっと……どうしたんだ、界武君?」
鹿野戸さんとしては俺がすぐに手を取らなかった事を
不思議がっているようで、その返事にも困惑が滲み出ていた。
「鹿野戸さんの計画ってさ……
結局、成功したとして最後にどうなるんだ?」
「どう……とは?」
「ああごめん、ちょっと曖昧だったなぁ……
俺が聞きたいのはだ。鹿野戸さんの計画が成功したとして、
結果ここの子供達はどうなるんだ?」
鹿野戸さんは口をつぐむ。
当然だろう。鹿野戸さんだって直視はしたくない筈だ。
これからその計画、何もかもが上手くいくとしても、
全員無事……なんてのは有り得ないだろうからだ。
「なぁ……鹿野戸さん。
半分はいなくなるのかな? それともそれ以上か……?」
「……はっきりとは、言えない」
そう答える鹿野戸さんの表情を見るに、
やっぱり半分以上はやむを得ない犠牲として使い道が決まっているのだろう。
「そっか。ならさ……あともう一つ。
その計画が終わった後……鹿野戸さんはどうなってるんだ?
死んでるのか……それとも生きてるのか」
「それ……は……」
「もうちょっと付け加えるとさ、もし生きていたとしても……
その状態からまだどれだけ傷を増やすんだ?
鹿野戸さん……アンタが一体どれだけ傷付けば、
その計画って奴が成功するんだ?」
鹿野戸さんからの返事はすぐには来ない。
それは多分、俺のこの問いが鹿野戸さんにこれからの犠牲の大きさを
改めて考えさせてしまったからだろう。
狙ってやったとはいえ、ちょっと惨い事をしたと思う。
でも……そうでもしなきゃ次の俺の言葉が
この人に届かないのもまた確かだった。
「なぁ……鹿野戸さん。もう……やめないか?」
「やめる……か。それは今回の計画をって事かな?」
「そうだ。この子達は死ぬには若すぎるし……
鹿野戸さんは戦い続けるにはもう傷付きすぎてるよ」
ほぼ同年代の俺が言うのもどうかとは思うけど、
俺達を取り囲むように座る子供達はまだ若い。
ここを生き延びる事さえできたなら、
この子達ならきっと幸せな人生って奴を歩めると思うんだ。
でも……このまま鹿野戸さんに従って戦い続けたのなら、
最悪、誰一人として歳を重ねることなく終わってしまう。
そして……鹿野戸さんだ。
「さっきまでの話を聞いててさ、俺は思ったんだよ。
鹿野戸さんはもう十分戦ったって……
人の何十倍も戦ったって……もう休んでいいんじゃないかってさ」
「……休む、か」
「そうだよ。もうどこか別の国に逃げちまおう。
鹿野戸さんやこの子達が犠牲になる以外にもやりようはあると思うんだ。
とにかく……もう皆が苦しんだり悲しんだりする必要は……」
「界武君?」
それは早口でまくし立てるように喋りだした俺を落ち着かせるかのような、
優しい声だった。
「ん……何だ、鹿野戸さん」
「君の言う通り逃げたとして……その後、俺達はどうすればいいのかな?」
「どうすれば……って」
言葉通りの質問と受け取っていいのか、
それともまた別の意味を含んでいるのか……。
(いや、別の意味があったとしても俺には読み取れやしない。
ならそのまま受けるしか……ないか)
多分、ここで賢く立ち回ろうなんて考えちゃ駄目だ。
俺は理屈で鹿野戸さんを説得なんて出来ない。
向こうは年上でこっちよりずっと経験を重ねて来てるんだ。
ならば……情に訴える。多分それしか道は無い。
「家を……建てたらどうだ?」
「……家?」
「そうだ。鹿野戸さんが助け出した子供達全員が住める、
大きな家を建てるんだ。皆で食事が出来る大きな食堂に、
子供達それぞれに部屋があって……そんな大きな家」
それは夢のような未来の話。
この魔族に支配された世界の片隅に、
人間の子供達と一人の傷付いた魔族が暮らす大きな家がある。
皆で畑を耕し、猪を狩り、その日の夕食には皆で笑い合いながら
賑やかに、楽しく食事をとる。
そんな幸せな生活がずっと続いていく……。
俺は想像出来る限りの幸せな未来、って奴の話をした。
勿論、この国から逃げたからといって
そう簡単に手に入る暮らしでもないだろう。
でも……これは、ここで戦い果てたのなら絶対に叶えられない夢だ。
周りの子供達は勿論、鹿野戸さんもじっと俺の話に聞き入ってくれた。
俺が語る未来がどれほど現実からかけ離れた事か、
なんて嫌というほど知ってはいるんだろう。
だけど、鹿野戸さんはその夢の話に異論を挟む事は最後までなかった。
「……それは、本当に夢のような生活だね」
話し終えた俺に、嬉しそうな鹿野戸さんの感想が届く。
「そ……そうだろ!? 難しいかもしれないけど、
でも挑戦しなきゃ叶うものも叶わないのは確かなんだ!
このまま魔族と戦い続けるよりも、
ここから逃げ出して今の話を叶える為に頑張った方がいい!」
もう誰にも死んで欲しくはないし、
鹿野戸さんにもこれ以上傷付いて欲しくなんかない。
(だから……だから、鹿野戸さん。
今の話を叶えようって子供達に……言ってくれ……!)
俺はそう願う。
そして縋るような視線を鹿野戸さんに向ける。
「……界武君。楼京は知ってるかな?」
だが、鹿野戸さんは唐突に話題を変えてしまった。
「ん? ああ、行った事はないけど聞いた事はある。
この世界で最も大きな町なんだって……」
「そうそう、本当に大きな町だ。
機会があれば行ってみるのもいいと思う。
本当に……色んなものがあるから」
鹿野戸さんの意図が読めない。
ここでどうして楼京の話になるのか。
「……ここにいる子供達はね、
そんな楼京からどうにかして連れ出したんだ。
二年近くは時間をかけて、百人に近い子供達をね、
少しずつ、少しずつ連れ出してきたんだ……。
ちなみに、どうして楼京を選んだかは分かるかな?」
「子供達を連れ出す場所として楼京を選んだ理由……?
いや、ちょっと考えたぐらいじゃ思いつかない」
「そうか。難しく考える必要はなかったんだけどね。
答えは簡単だ。楼京なら、一人二人人間がいなくなっても、
誰も気にも留めないからだ」
そう話す鹿野戸さんの瞳は、また徐々に絶望の漆黒に濁り始めていた。
「あの町は、毎日百に届くかっていう人間が集められてね、
消費されているんだよ。毎日、毎日……途切れる事無くね。
あの町の屠殺場に行ってみるのもいいかもしれない。
本当にね、酷いものが見れるから……」
「鹿野戸……さん?」
「そんな場所から一人人間がいなくなってもね、
誰かが帳簿に載らない所で食べてしまったんだろうで終わるんだ。
だから百人も連れ出したって……問題にすらならなかったんだ」
「それ……は……」
「界武君、君がさっき言ったのはね。
そういう最悪な現実から目を背けて
自分達だけで幸せになろうって話なんだ。
その選択をするにはね……俺は知り過ぎてるし、何より殺し過ぎた。
敵も……味方もだ」
俺は言葉を返せない。
俺の語った夢の未来は、鹿野戸さんの心には届きはしなかった。
それほどまでに、この人の絶望は深かったんだ。
「今だってね、目を閉じれば弔った友の、
見殺しにした仲間の、犠牲を強いた子供達の顔が瞼に映るんだよ。
そして……その度に、この広い世界で今日も何人もの人間が
服従印に縛られたまま殺されている現実を思い知る!」
「鹿野戸さん、それでも、それでも……!」
「それでもは無いんだ、界武君。
反逆というのはね……終わり方は二つしかない。
敵を殺し尽くすか、敵に殺され尽くすかだ。
逃げて幸せに過ごすなんてね……反逆者には許されてないんだよ」
相変わらずの優しい声色の中に、非情な決意の響きが混ざる。
つまりはもう……俺の話は聞いてはもらえまい。
交渉は、決裂したんだ。




