百四話 歴史
「皆……今日は、いつもとちょっと趣の違った話をしようと思う」
鹿野戸の前では歳相応の無邪気な顔を見せる子供達ではあるが、
その日は鹿野戸の神妙な雰囲気を感じ取ったか、
静かに座して次の言葉を待っていた。
「まあ、そんなに畏まる事もない。
今までおとぎ話を幾つか聞かせた事があるだろう。あれの延長でな、
この世界の歴史について、俺の知ってる事を聞かせたいと思っている」
「……れきし?」
耳慣れぬ言葉に質問が飛ぶ。
「ああそうだ、昔々……今までのおとぎ話と違ってな、
作り話ではない、本当にあった出来事を歴史という。
ではまず……千年以上前の話からだ、いいか?」
「え!? ちょっと先生……せんってあれでしょ?
いち、じゅう、ひゃく、せん……のせんだよね?」
途端に子供達が騒めきだす。
そのあまりに突拍子の無い数字に鹿野戸が嘘を言っているのではないかと
訝しんでる子までいる。
「嘘ではないぞ。王都にはな、何百、何千という書物が
収められている大書庫がある。その中に千年前の出来事が書いてある
物があったのだ……何だ、それでも嘘だというのならお前達も実際に
読みに行けばいい。いや……そうだな、
その機会をどうにかして作ってみるよ……約束だ」
まだ見ぬ王都、その大書庫に連れて行ってくれるという約束、
その効果か騒めきがどうにか落ち着いてきた子供達に、
鹿野戸は歴史を語って聞かせる。
書庫で知った全てをそのまま聞かせるには時間が足りない。
だから掻い摘んで話す事にはなる。
混沌としていたこの世界を統一した者の話から、
その者が朝廷を作り世界を統べるようになるまでの出来事。
そして、その頃は毛人と呼ばれていた魔族、
その討伐に功績のあった者が征夷大将軍に任じられ、
次第に軍権を預かるようになっていった事。
それから……将軍への権力の集中を危惧した朝廷が
一度討伐を企てるが失敗に終わり、結果幕府が生まれた事……。
最後には、魔王が魔族を率いて反乱を起こし、
人間が敗北した所でこの話が終わる。
「……先生、それから……どうなったの?」
話が終わり、急に訪れた沈黙に怯えるように女の子が声を上げる。
「それからは……皆が知ってる今の世界だ。
魔族と人間の大戦から百年以上も経ってはいるが、
何度か反乱が起きた程度で大きな変化は無いんだ。
よく言えば安定しているし……
悪く言えば、停滞している」
また訪れる沈黙。
今聞いた事の全てを理解出来ている子はもしかしていないのかもしれないが、
鹿野戸は子供達の表情の変化から、
それぞれの心の中に何かが芽生えたように感じた。
ならばもう少し言葉を加えよう。
そもそも今回の話は、それを知ってもらう為のものだからだ。
「難しい話も多かったから分からない事もあるかもしれない。
でも、細かい所が分からなくてもいいんだ。
俺が言いたかった事は一つだけ。それさえ分かってくれればいい」
そうだ、そもそもこの世界は……。
「この世界はな、魔族が支配するようになってたった百年だ。
でもな、その前の千年はずっと人間が支配していた。
俺達魔族と君達人間はな、立場が逆だったんだ」
本来ならばこのように、魔族に飼育されているという環境に
甘んじるような子達じゃないんだ。
彼等は食糧などではなく、かつて世界を支配した者の末裔だからだ。
だというのに、彼等に刻まれた服従印がそれを許さない。
食糧としての生しか認めない。
だが……今ならどうだろう。
魔力を鍛え、印の効果が減退した今ならば……。
「……これから、君達が望むのならば、
その後ろ首に刻まれた服従印を少し書き換えようと思う。
書き換えたなら、君達は魔族に従わなくても良くなる。
君達自身の意志で、これからどう生きるか決められるようになる」
周りに魔族がいない事は何度も確認済みなのだが、
それでも冷や汗が流れる。今の言葉を聞かれてしまえば、
鹿野戸の命は無いと思っていいからだ。
「勿論、君達がどんな判断を下そうとも、
俺はずっと君達の側にいる。それは約束する。
だから……まずは、恐れずに選んでみて欲しい」
そうして鹿野戸は目を閉じて、子供達の判断を静かに待った。
このまま家畜として生きるのか、それとも人間として抗うのか。
どちらであってもそれに殉ずる覚悟はあった。
ただこの時の鹿野戸に必要だったのは覚悟などではなかった。
この後に起こるであろう全てに対応するための、知恵と経験だったのだ。
……全てを失ってから、ようやく鹿野戸はその事に気が付いた。
「最初から血なまぐさい手段を取るつもりなんて無かった。
そもそも当時はひ弱もいい所でね、
牧場の子供達に引けを取らないぐらいには痩せていたんだ」
昔ひ弱だったと話す鹿野戸さんの両腕は太く傷だらけだった。
子供のように細かったというその面影などまるで見る事が出来ない。
「でも子供達が戦う事を選んだんだろ?
鹿野戸さんはどうやってそれを叶えるつもりだったんだ?」
話の流れからするとそういう事になる。
結末を知っている身からすれば容易に察しが付く。
ただ、周りの子供達の反応を見れば、鹿野戸さんの話の結末は
周知の事実という訳でもないらしい
本当に無駄口の一つも聞こえない。真剣に聞き入っている。
つまりは、子供達にここまで昔の事を語るのは初めての事なんだろう。
「……その頃になるとね、長門国で人間の反乱が起こっていた。
最初は今よりもずっと小さくてね、すぐに鎮圧されるって噂だったけれど。
でもその頃の俺達にはその小さな反乱に縋る他なくて……
だから、準備が整ったら子供達を連れて西へ向かうつもりだった。
ただ乳飲み子なんかもいたからね、よほどしっかり準備しないと
長門国に着くのすらも無理だという認識はあった」
たった一人で四十を超える子供達、
乳飲み子などを加えると六十にまで膨れ上がるそれを
遥か西へと連れて行く。
その準備をだ、誰に知られる事もなく一人でこなすのは
非常に困難ではあっただろう。
勿論子供達も手伝ってはくれただろうが、
肝心な事は全て鹿野戸さんの判断が必要になる筈だからだ。
「……そうだね、準備は大変だったけど、不可能ではなかった。
だから時間をかけてしっかりと続けた。幸いにもね、
次の出荷日までにはどうにか準備が整うだろう所までは
都合がついたんだ。そうと知った時は皆で大喜びしたものさ」
当時の喜びを思い出していたのだろうか、
俺の質問に答えた鹿野戸さんは少し笑った。
だが……その儚い笑みはすぐに悲痛に暗く染まる。
「だけどね……俺は見誤っていた。
あの牧場の管理者の欲深さをだ」
その日の午後は牧場の隅にある自室で糧食の計算をしていた。
これまで稼いだ給金の殆どを費やして手に入れた糧食は
裏の空き部屋に詰め込んであり、その管理は脱出計画の要とも言えた。
今日入手した糧食で長門国までどうにか辿りつけるか、
という所まで来た。
次の出荷日は半月後となっているため、それまでに脱出する算段ではあるが、
長く居れば居る程脱出計画が露見する可能性が高まる事を考えると、
ここが悩みどころだった。
(もう少し糧食に余裕を持たせるか、
それとも早く出てしまうか……)
どちらも一長一短だ。
故にいくら悩んでも結論に辿り着けず、
もう今日は諦めようかと思ったその時だった。
「……先生っ! 先生っ!」
珍しい。というか、ここに来てから一度も無かった筈だ。
牧場の子供の一人が部屋まで鹿野戸を呼びに来たのだ。
その声色に緊急事態を感じ取った鹿野戸は逡巡もせず戸を開ける。
そこにいたのは牧場でよく見る少年の一人だった。
「……どうした、何があった」
ここまで余程急いで駆けて来たのか、
息を荒らげ声も出せぬ少年を落ち着かせる。
「……先生っ! 今日出荷されると……魔族が……来て……!」
その言葉だけで全てを察する。
(まだ半月はある筈だ。早すぎる……!)
出荷日をずらす事などそうありはしない。
受け入れ先との調整なども必要なのに、
牧場は得てして辺鄙な場所にあるからだ。
そして、こんな場所にまで出荷調整に来る物好きなどそういないのだ。
だがもう推察を重ねる段階ではなく、
こうしている間にも子供達の誰かが出荷されてしまいかねない。
「……今すぐ向かう!君は……ひとまずこの部屋で休んでなさい!」
そう指示して取る物も取り敢えず部屋を出る。まず向かうは子供達の住居。
そこに居なければ……牧場の門に向かうべきか。
そう思いながらとにかく走る。
そしてその少ない体力を消耗しきる寸前には
どうにか子供達の住居まで辿り着いた。
「先生っ……!」
「せんせぇ!」
一斉に鹿野戸を取り囲む子供達の表情は暗く、気の弱い子は泣いてすらいた。
「五人、連れていかれたけど……て、抵抗しちゃったから、
ここで殺すって……!」
そう言って泣く少女が指差すは、この牧場の門前にある広場の方向だ。
慣れぬ全力疾走で悲鳴を上げる身体にもう一度鞭打ち、鹿野戸はなおも駆けた。
ようやく辿り着いたその広場。
催した吐き気は疲れからか、それとも目の前の光景故か。
二人の少年が頭から血を流してしゃがみ込んでいる。
その少年達を気遣うように二人の少女が側に、
そしてその四人を庇い立てるように一人の少年が魔族に立ち塞がっている。
鹿野戸と最も親しかった、一番最初に戦う術を求めたあの少年だ。
魔族の方は棍棒を持った男が一人、更にその周りを七、八人が取り囲む。
その中にはあの牧場の管理者もいた。
その巨体が悪目立ちして否が応でも目に入る。
「何を……しているんだ!?」
鹿野戸の声は大きいとは言えずかすれてもいたが、
それでもその場の全員の耳に届いたようで、一斉に視線が集まった。
「お前……拘束魔術師! よくも……服従印の書き換えを怠ったなっ!」
その大きな声はここの管理者のものだ。
鹿野戸のそれとは比較にならないくらいに大きい。
「それは……悪かった! 今から書き換える! だから殺すな……!」
今更言い訳が通じる筈も無いだろう。
だからどうにか取り繕おうと出た言葉。
だがその認識は甘すぎた。こんな言葉にどんな力があるものか。
「もう遅いわっ! 出荷しようとしたらな、抵抗されたのだ!
従業員が一人頬をはたかれた! こうなると殺すしかない!」
(頬を……はたかれたくらいで……!)
鹿野戸はそう思うが、暴力の程度の問題ではないのだ。
人間が魔族に逆らったその時点で殺さねばならないと
魔族の法に記されている。
「そもそも……今日が出荷日ではないだろう!
だというのになぜ急に出荷する!? 俺の与り知らぬ所でだ!」
分が悪いと感じた鹿野戸は話題を逸らす。
だが同時に知りたい事でもあった。
そしてなぜこうも予定にない行動をするのだと、
口汚く糾弾もしたかった。
「出荷日を決めるのは俺だ! お前の都合など知らんわ!」
「俺の都合はともかく、出荷先の都合もあるだろう!
そう簡単に変えられる予定でもないだろうに……
急いで出荷してどうする気だ!?」
「……ふん、その出荷先からのたっての要望でな。
前に出荷した人間がいたく好評で、すぐに在庫が尽きたから
倍の値段でもいいから出荷を急げとのお達しだ。
どうだ、いい儲け話だろうが!」
失念していた訳ではないが、人間の反乱が本格的に始まってから
魔力の高い人間の需要が跳ね上がっていたのだ。
そしてその需要に合わせようとあの欲深い男が
焦った結果がこの惨状という訳だった。
その言葉に鹿野戸は茫然とするしかなかった。
(最後の頼みの綱と思っていた人間の反乱、
まさかその影響がこんな風にやって来た訳か……)
……このままでは、他の子供達の状況もすぐに露呈するだろう。
そうすると……どうなるか予測するのは簡単だ。
ここから逃げるどころの話じゃなくなるし……
それに何よりも、この場にいる五人の子供達はまず助からない。
何もかもが徒労なのだと運命に嘲笑われているような気がした。
人間の為にと汗を流す鹿野戸の存在自体を否定されてるようにも思えた。
鹿野戸はその場で崩れ落ちるように跪く。
ここに至って、もはや鹿野戸に出来る事はない。
あの中の魔族に一人にだってすら、力で敵いはしないのだ。
「……もういい、お前は後できつく叱ってやる!
まずはその人間を殺せ!」
棍棒を持った男が少年に迫る。
(……駄目だ、あの子はまだ強化魔術の初歩を身に着けたばかりだ。
勝てない。殺される……!)
だとして……どうしろと言うのか、何が出来るというのか。
その答えの辿りつけぬままに、目の前で行われる惨劇の予感に震える。
そうして男が棍棒を振り上げる。それを見た周りの魔族が笑う。
打ち据えられる筈の少年は力で敵わぬ事を悟り、
せめて自分の身体で皆を守ろうと子供達を抱えるように、
魔族達へと背を向けた。
その少年の後ろ首が見えた。
そこには鹿野戸が書き換えた服従印が刻まれている。
解除する事は出来ないながらも、巧みに意志の拘束をすり抜けるようにと
書き換えたそれは、拘束魔術師として見れば芸術品と言っていいものだ。
あの少年と、ここの子供達の事を思って必死に研究したからこそ書けた、
子供達との共作とも言うべき作品だった。
「……止めてくれっ!」
思わず叫ぶ。何も出来ないと諦めかけた鹿野戸の唯一の抵抗としての叫び。
それが、新しい能力の発露だった。
「そこで、服従印を刻まなくても命令に従わせる事が出来るっていう、
新しい拘束魔術が使えるようになったってのか……」
「ああそうだ。あの時は俺自身もどういう理屈か分からなかったんだけどね、
その俺の止めろという言葉で場の全員が動けなくなった」
それは鹿野戸さんにとっても予想外の出来事だったらしい。
ただそれでも、動けなくなった魔族を尻目に子供達を救出したのだそうだ。
「だけど、あの頃は理屈も分かってなかったから……
子供達があの場から居なくなって拘束魔術が解けてしまった。
それで……あの牧場の管理者を含めた魔族達を逃がしてしまった」
「え!? 子供達が居たからその魔術が使えたのか?
というか……その、拘束魔術の理屈って聞いてもいいのか?」
鹿野戸さんにとっては最も重要な秘密の筈だ。
それを話してもらえるぐらいに自分が信用されているとは正直思ってなかった。
だが鹿野戸さんはあっさりとしたものだった。
「ああ勿論いいよ。
まず、拘束魔術は服従印を刻んだ者の意思を拘束して命令を聞かせる魔術だ。
それは俺の魔術も例外じゃない。
ただね、例えば一日だけ命令を聞かせたいというのなら
服従印は皮膚に刻み込む必要はない。皮膚の上から墨で書いてもいいんだ」
「へ、へえ……そうなんだ」
何気に凄い事を聞いてる気がしてちょっとどもってしまった。
「でもさ……鹿野戸さんのそれは別に服従印を墨で書いたわけでもないんだろ?」
「そう、そんな時間も隙も無い。だけど……人間の身体には
常に何かを映しているものがある……瞳だ。
界武君が俺を見ている時は、俺が界武君の瞳に映っているようにね……」
そう言うと鹿野戸さんは、右目を覆っている長い前髪を手でかき上げた。
「なっ……それ……!」
鹿野戸さんの右目があった場所、その眼窩には服従印らしき模様が刻まれた
鏡石が入っていた。
「この服従印を一度でもその瞳に映してしまえばね、
この印が脳裏に残っている間……まあ、良くて二、三刻程度の時間だけど
服従印を刻まれた状態に近くなってしまう。
……これが俺の拘束魔術の理屈という訳だ。
あの時もね、少年の後ろ首に刻まれた服従印を
魔族達がその瞳に映していたから効果があったという訳だ」
作り物の瞳を鹿野戸さんはもう一度前髪で隠す。
「……驚かせたかな、ごめんね」
優しい笑みでそう謝る鹿野戸さんに、俺は上手く返事出来なかった。
驚いた、確かに驚いていたんだ。
拘束魔術の理屈がとかじゃなく……
自身の負傷すらも魔術に利用し戦う、その恐ろしいまでの執念に。




