死に神
本当に、人生って理不尽だよな。
思い通りに生きよう!とか、人生は自分のもの!とか、どっちもそれが出来る人にしか言えない言葉だ。
学生時代はそれなりに楽しかった。
高校と大学の7年間は特に問題も無く、少ないながらに友人にも恵まれて、楽しい日々を送っていた。
そんな生活が終わって、社会人生活に突入。
幸いな事に学生のうちにやりたい事も見つけ、それが実現出来る会社に入社し、これから悠々自適な人生謳歌タイムが始まると思っていた。
だが、蓋を開けてみればこんな有様だ。
45階建の自社ビルの屋上で、靴を地面に揃えて脱ぎ置いて、その上に遺書を置き、手すりの向こう側に立って人が行き交う地上を見下ろしている。
壮絶な社畜の日々を語ることはしないが、1人の男性が人生に絶望するに十分な5年間であったと言っておこう。
その代わりに金は稼いだ。
自殺しようと決めた時からその金を湯水のように使いまくり、食いたいものを食い、行きたいところに行った。
そして逝きがけの駄賃として、俺含めて様々な人間に恨まれていた上役を何人か先にあの世へ送っておいた。
自分が死ぬって分かった時のあいつらの顔。
今思い出しても笑えてくる。
自分達は何人も過労自殺に追い込んだくせに。
そしてそれを揉み消してきたくせに。
過労自殺した奴らにはなんの情も無いが、俺の人生までめちゃくちゃにしてくれやがった罰だ。
「…これで俺は地獄行きだな」
ポツリと呟く。
誰も聞いている者はいない…
…はずだった。
「それがですねぇ、地獄行きかどうかは今世の貴方の行動によって決まるんですよねぇ」
ノンビリと間延びした声で話しかけられて、驚きながら振り返るとそこには、スーツ姿をした初めて見る男が立っていた。
そいつはなおも言葉を続ける。
「そもそも、彼岸の地は天国と地獄なんて、2つに分かれている訳ではありませんしねぇ。あ、でも簡単な区分けはされているので、その別れている様が天国と地獄とも言えなくもないかなぁ?あ、ご存知ですか?今の地獄って、凄くシステマチックなんですよ!」
こいつは何を言っているんだ。
ヘラヘラと語られるその言葉が俺の頭の中に浸透していかない。
理解を放棄したかのように頭が痺れて、口も動かない。
呆然と顔を見つめるだけの俺に気付いたそいつは、勝手に自己紹介をし始めた。
「初めまして、秋津祐一さん。僕は死に神のネーロ。死に神協会のものです」
「なんで俺の名前を…」
「ですから、僕は死に神なんですよ。秋津さんがこれから行う自死に際して、貴方の今世を解析して、来世をどのようなモノにするかを決める、その為に来ました」
「来世を…どのようなモノにするかを決める…?」
「はい。貴方が秋津祐一としてどのように生きてきたか、それを今から確認させていただきますね」
そういうとこの男は、持っていたスーツケースを開けて1枚の紙を取り出した。
「秋津祐一。1990年生まれの27歳。神奈川県横浜市出身。父親は大手ゼネコンに勤務し、家は裕福。母親は専業主婦。兄弟は無し。幼少の頃は父親からの愛情はあまり得られず、母親にベッタリだったようですねぇ。そのせいか高校生の頃から父親との諍いが絶えず、大学3年生の時に半ば家出するかのように、幼馴染とルームシェアを始める。その頃から少々やんちゃな事をし始める。大学卒業後は現在の就職先である広告代理店に勤務し、今年で勤続5年。順調に実績を積み上げて、お給料も年々上がっている真っ最中…。なかなか順風満帆な人生ではないですか!こんな人生を送れる人はそうそういませんよ?何故自殺しようなどと思ったのか、今のところは僕には理解出来ませんねぇ」
「…」
「秋津さん?聴いてます?」
「…あぁ」
「ならよかった。続けますね?」
「…」
「返事がない、ということは了承されたものとして、話しますね〜」
なんなんだこいつは…?
何でこんなに俺の個人情報を知ってる?
名前や出身地なんかはちょっと調べれば出てくるだろうが、あの事まで…
あれは誰にも知られていないはずだ。
俺の頭の中を読んだかのように、あの事について話し始めるネーロ。
「先程、少々やんちゃな事、とお伝えしましたね。この内容についても確認を取らねばなりません。よろしいですね。まぁ、貴方の来世はここからの貴方の答え方次第という事になるでしょう。そして先程、『なぜ自殺しようとしているか今のところは分かりません』と言いましたよね。ですが、ここから先を読み進めると、否が応でも分かってしまいますね」
そうして、俺の中の秘密がひとつずつ暴かれていく。
「まず、大学3年生の頃の家出の際、貴方はご両親を殺害してますねぇ?巧妙に痕跡を消して、警察などの懐疑の目は完全に逃れたようですが、人間ではない僕たちには無意味です」
やめろ…
「そして父親の莫大な遺産を手に入れた貴方は、そのまま闇の世界に足を踏み入れる。殺人代行業と称して殺し屋紛いな事業を展開し始めた、貴方と貴方の友人たち。これまでに貴方がたが殺した人数は12名。いずれも何らかの事故死として処理されています。遺産を使って色々な所に根回しした甲斐がありましたね?」
やめろ…!
「その者たちへ疑いの目が向けられるとすぐに、貴方はその者たちを足切りした。自分とは関係無いと言い張ってね」
やめろ…!!
「貴方が相棒と恃んでいた幼馴染まで足切りした甲斐もあり、貴方はあの殺人代行業の組織を跡形もなく潰した。それが今から3年前ですね。20歳の時に作り上げて、たった4年間で警察などの司法にまで根回しして、疑われないように立ち回ったその手腕は見事なものでした。しかし貴方は組織の絶頂期に解散を決意。そこから粛清による行方不明者と、何者かの情報のリークによって逮捕者が続出。貴方の秘密を知る者はみな、山の中か檻の中。ですが次第に、彼らと行動を共にしていた貴方にも捜査の手が伸び始めた。当然ですね。まぁよくもここまで見事に逃げおおせたものです」
「やめろ!!!」
「…おや?暫く振りに喋ったかと思えば、やめろ、とは?私は貴方の今世を解析しているだけであって、断罪したい訳ではないのですよ?」
「知るか。もうたくさんだ。お前のその与太話を聞いてる時間はないんだ!」
「時間!?時間とは!?これから自殺しようという人に時間が無いなんて言われるとは!!ハハハハハハ!!!」
今度は大声で笑い出した。
もうたくさんだ。
もう、飛び降りてしまおう。
後ろを振り返って、一歩だけ足を踏み出せばそれでこのクソッタレな人生が終わる。
だいたいこいつが現れなければとっくに下まで落ちていたはずだったんだ。
俺はいまだに笑い続けるネーロのせいで霧散してしまった自殺する為の気持ちを持ち直し、空中に身を投げた。
「あぁ、これで終わる…」
みるみるうちに地面が近付いてくる。
そして蘇る昔の記憶。
もう頭の中に存在しないと思っていた、両親の笑顔。
楽しかった幼少の頃や学生時代の青春の日々。
これが走馬灯か。
本当に見えるんだな。
地面に近付く速度が遅い。
…おかしい。
スローモーションどころではない。
止まって、る?
「まだ話の途中でしたよぉ?」
「うああああっ!!!」
地面まであと10メートルかというところで時が止まったかのような感覚が訪れ、それを疑問に思った瞬間、俺のすぐ横にネーロが現れた。
「話の途中で飛び降りてしまうとは。僕があと1秒笑いを止めるのが遅かったら死んでましたよ?」
「うるせえ!!!死なせろ!!!死ぬ為にここに来たんだ!!!死ぬ為に飛び降りたんだ!!!!死なせろ!!!」
喉が裂けるかと思うくらいに叫んでも、こいつは眉ひとつ動かさない。
「ですから、確認の作業がまだ残っているんですよ」
「もういいだろ!?全部お前が言った通りだよ!!」
「ほう?まだ全ては話していませんが、それも含めて全部を認めるということですか?」
「ああそうだ!!もう全部分かってるんだろう!?全部俺がやった事だ!!だからもう死なせろ!!!」
「ええ、分かりました。確認も取れましたので、僕の仕事はこれで終わりです。半分…ね」
「…は?」
「さて、秋津祐一さん。ここからが本番です。ここに2枚のチケットがあります」
スーツの懐からチケットを取り出した死に神。
赤と黒のチケットだ。
その光景を俺はまた、訳もわからず見つめる事しか出来ない。
最初にこいつが現れた時以上に、頭が痺れている。
「では、説明を致しましょう。まずは赤のチケット。こちらは、このまま死を受け入れて、彼岸の地へ渡り、今世で犯した罪が貴方の魂から消え去るまで、数多の責め苦を味わう、というもの。平たく言えば地獄行きのチケットです」
言いながら赤のチケットをヒラヒラと振る。
1万円札のような形で、赤地に黒いハンコが押してある。
無間地獄と書いてあるようだ。
地獄にはいくつかの層があるとか、昔に本で読んだな。
「ええ、その通りです。と言っても、その概念は仏教が主ですが。それによると、8つの層があります。無間地獄とは、その8つの層の最下層。その層に落ちるまででも、2,000年かかります。落ちた後も、数限りない程の責め苦が未来永劫、貴方を苦しめ続けるでしょう」
「ははっ…」
思わず乾いた笑いが出た。
「続いて、黒のチケット。こちらは、簡単に言えば生まれ変わる為のチケットです」
「は…?」
「簡単に言うと、です。このチケットを使えば、貴方は生まれ変わる事が出来ます。貴方に」
「…は?」
意味が、分からない…
「もう少し詳しく説明しましょう。この黒のチケットを使えば、秋津祐一さん、貴方は、貴方に、生まれ変わります。貴方が産まれた病院で産まれ、貴方が育った街で育ち、貴方が卒業した学校を卒業し、貴方が就職した会社に就職し、貴方が死のうと思った瞬間に、僕が現れるでしょう。そしてまたこの問答をし、貴方はこの黒のチケットを選び、そしてそれを99回繰り返します。その後は円環の理に組み込まれ、全ての記憶をなくして、本当の意味で新しい生物に生まれ変わります」
「なんだそれ…そっちも地獄じゃねぇか…」
「えぇ、そうですね。ですが、貴方が取れる道は2つに1つ。それが、貴方が犯してきた罪への報いです」
…沈黙が降りる。
だが、どっちも嫌だ、なんて言えるわけ無いしな。
どのみちもう死ぬのは確定してるんだ。
なら、その先が示されているなら、選ぶしかない、か。
「なぁ…」
「はい?」
「どっちの方が苦しい?」
俺が問うと、一瞬迷うような表情を見せるネーロ。
死に神にも感情なんてもんがあったのか。
ずっとヘラヘラとしつつも淡々と話し続けていたからな。
さっき笑っていたのも、機械仕掛けのようで感情なんて感じられなかった。
「…さぁ?どちらを選んでも地獄である事に変わりありません。何も見えず、何も感じない虚無の空間を2000年落ち続けるか、貴方が経験した人生を99回繰り返すか。後者の方が年数で言えば長いですが、今世で経験した楽しい事もまた、同じように経験する事が出来ます」
「たしかに、どっちも地獄だな」
「えぇ、そうですね」
…よし、決めた。
「こっちにするよ」
「かしこまりました。では、止めている時を動かします。貴方はこのまま地面に激突し、死にます。痛みは無いので安心してください。そして次に目が覚めた時には、貴方が選んだ方の刑が、実行されているでしょう」
「わかった…でも、少し、怖いな」
「そうですね。では、これにてお別れです」
時間が加速していくのを感じる。
あと数秒も無いだろう。
俺は最後に死に神の方を向いて言った。
「ありがとな」
目を見開いて驚くネーロ。
「ははっ、そんな顔も出来るんだな。たったひとつの、仕返しだ」
―――――そして、俺の世界は―――――
「いやはや、僕とした事が…驚いてしまいました。あんな事を言ったのは初めてですね。魂の浄化作業が終わりを迎えつつある、という事ですかね」
そう言いつつ僕は、秋津祐一と書かれたファイルを取り出す。
転生回数が98から99に変化するところだった。
「あと27年の辛抱ですよ、秋津さん。それが終わったら、もう一度話し合いましょう。貴方がなりたいモノの希望を聞いて差し上げます」
そして開かれる彼岸の地への扉。
そこからひょっこり顔を出して僕に声を掛けてくる同僚の死に神。
その声に応えながら、僕はまた秋津祐一の人生を見続けるために彼岸の地へと帰っていく。
読んでくださった奇特な方、ありがとうございました。
天国と地獄ってあるんでしょうかね。