0-007.水の苦手なヌンサ
「ちょっと頭冷やしてくる」
表に出でて滝つぼで顔を洗おう。いま気がついたけど。ここは二日目に俺が目を覚ました場所だ。扉の外の景色にも見覚えがある。二週間経ってここいるなら住んでいるのかな?
滝つぼへと足を向けると自分では知らないヌンサに話しかけられた。俺にはわからないがこの二週間の間に知り合ったヌンサなのだろう。
「アッシュ。今日はあれやらないのか?」
何のことだろうか?いやな予感しかしない。とりあえず聞いてみるか。
「あれって?」
「おいおい。お前が俺たちに教えてくれたんじゃないか。金魚の糞だよ」
金魚の糞ってなんだ!
「俺二十個まで行けるようになったぜ」
自慢げにいうヌンサが背を向けて走り出す。速度の上がりと共にゆらゆらと揺れるものが目に入る。尾びれの下。小さな茶色い泥を等間隔につけた糸。それが総排泄口から糸が出ているということに気がついた瞬間思考が停止した。
やがてひとしきり走って戻ってきて聞いてくる。
「どうだった?地面についてなかったろ。これで俺忍者になれるかな」
知るかよ!と叫ぼうとしたらあまりにもきらきらした目で見てくるヌンサにでかかった言葉が咽に詰まってしまった。やっていることに間違いはないんだと純粋に信じて疑わない子供のような目。まぶしすぎだ。お前のやっていることは無駄なことなんだといわなければいけない俺の心境は子供の夢を大人が現実をもって破壊することに他ならない。
というか忍者っていたよな。前世の記憶だと忍者の長い布を見につけて走る訓練があったはずだ。たしか布の垂らした先が地面につかないように走るんだったか。
ちらりと見て思う。あの走る訓練がどうやったらこの状況になるんだ・・・・・・
とにかく俺がやることは一つ。教えたのが俺なら俺がやめさせればいい。
しかしなんと言えばいい。考えてもいい言葉は浮かばない。悩んでも仕方ない。正直に意味ない訓練だからやめたらって言うか。
「え~と残念ですけど――「大丈夫だ」」
口を開いた俺の前に手をかざして言葉を止める。
「お前の態度で分かるさ。俺に忍者の才能がないってことはさ」
あるかないかで言ったらないでしょうね。
「でもよ。夢見たっていいじゃねえか」
はい、そうですね。というか何で急に熱く語りだしたの?
「俺だって長老みたいに分身の術使ってみたいんだよ」
「ちょっと待て!いますっごい聞き捨てならないこと言ったよな」
できんの?長老分身の術できるの?その話が本当なら長老は残像が残せるくらいの速さで走れることになる。しかし残像とはいえ複数の長老を見るのはいやだな。
「笑うがいいさ。夢破れた無様な俺をさ」
あはははは、と今度は気味の悪い笑い声を上げる。情緒不安定なやつだな。そんなにショックだったのか?何とかしてやりたいけど・・・・・そうだ。
「できないとはいってないですよ」
「な、なんだって」
「いまの修行は初期段階。実は次の段階があるんです」
「次の段階!」
よし。目に光が灯った。うまく誘導できたみたいだ。
「へ。そういうことかよ。初期段階の修行。俺はもう完璧」
指を絡めて手のひらを前にして腕を伸ばして屈伸する。
「そういうことだろ。アッシュ」
なんか自信満々に流し目で気ざったらしく言ってくる。
「まったく。自分の才能が怖いぜ」
仰け反りながらウィンクしてくる。
「じゃあ、次の修行いっちゃおっかな」
うぜえ。長老並にこいつうぜぇ。それでもやめさせられただけましか。はーっ、とため息をつきながら、わかった、と思いついた次の修行内容を話す。
「次は水の中でとにかく足をばたつかせて泳ぐんです」
「わかったぞ。水の抵抗を利用して足腰を鍛えるんだな」
「そうです。何よりもヌンサは水になれています。陸上生物と違って水の中でも生活できるから溺れる心配もなくて無茶もできます」
「どこまで到達すればいい」
「え~と。足のばたつきだけで滝が登れるくらいとか?」
「なかなか難しいな。でも俺ならできる。そういうことだな」
「あ。はい」
「本気だしちゃおっかな~」
また仰け反りながらウィンクしてくる。だからうぜぇよ。だいたいなんだよそのポーズ。まあ、金魚の糞続けられるよりはましか。
「なあアッシュ」
何か思い出したのか。かけられた声は、ああそうだ、というニュアンスに聞こえた。
「なんですか?」
「俺は泳ぎが得意だからいいけどよ。ヌンサの中には泳ぎが得意じゃないやつや水に弱いやつだっているんだぜ」
「そうなんですか」
「ああ。半漁人だから勘違いされる場合が多いけどな」
「わかりました。気をつけます」
「そうじゃ。わしも含めてヌンサはみんなナイーブなんじゃ。気をつけるんじゃぞ、って何でそんないやそうな顔するんじゃ!」
どこから沸いて出たのやら長老が目の前に出現した。そしてどうやら俺は長老の出現に無意識にいやな顔をしていたらしい。
「すいません。悪気はないんです」
「なおたちが悪いわ!」
まったくもープンプン、と小指側をくっつけた握りこぶしを口の下に持ってき他ぶりっ子ポーズで怒りを表現する長老に苛立ちを抑えて我慢する。下手に相手するからいけないんだ。何それ?自分でかわいいと思ってやってんの?そんな気持ち絶対口に出さないぞ・・・・・っておいっ!そこの金魚の糞ヌンサ!やたらときらきらした目で長老を見るんじゃねえ。いまのかわいくもねえ長老のぶりっ子のどこにお前をそんな顔にさせる要素があった?いけない。このままでは長老式ぶりっ子を真似するやつが出てしまう。何か話題を振らねば。
「でも泳ぎが苦手なヌンサってちょっとイメージつかないですね」
・・・くそう。だめか?
「ふむ。なら泳ぎの苦手なヌンサを紹介してやろう」
よっしゃあああああ。食いついた。心の中でガッツポーズをとった。
金魚の糞ヌンサが残念そうな顔をしていたが無視した。
「お~い岩男」
話題の主を探して長老が手を振る先を見る。ヌンサの村は滝つぼから扇上に広がった平地にあり、その周囲は森に囲まれている。見た限りその森へと続く林道が目に付くだけで目に入るヌンサはいない。森の中にいるのだろうか?林道の奥へと目を凝らしたときだった。
林道の入り口脇にあった岩が動いた。
「うおっ!」
思わず驚いて声を上げてしまった。
「魚だけにうお(魚)とか」
隣で何か勘違いした長老の発言を無視。
動いた岩が九〇度回転してこちらへと向かって動き出す。よく見れば足がついている。岩だと思ったのはヌンサだった。近づいてくるのにあわせて少しずつはっきりとしてくる。
岩のようなねずみ色のヌンサ。よく見ればうろこ一枚一枚が干からびた岩のようでとても硬そうな印象を受ける。ねずみ色の革ジャンで覆われて腕は隠れている。目全体を覆うゴーグルをかけていて目を見ることはできない。足がムキムキで太く、腕も同じように太いことから筋肉質でかなりパワーのあるヌンサみたいだ。
「長老。何かようか?」
「アッシュにお主を紹介しようと思っての」
ちらりとゴーグル越しに感じた視線と共に、あのツッコミの、とかすかに聞こえた台詞を必死に聞き流す。余計なことを言われる前にこちらから話しかけたほうがいいかもしれない。
「はじめましてアッシュです。これからよろしくお願いします」
こちらの挨拶に岩男さんの体がぴくりと動いた。
何だろう?警戒されている?
「今日はずいぶんと静かで。礼儀ただしいいんだな」
はて?どういう・・・
まさか!と気づいて思わず勢い余って岩男さんの腕を掴む。
「俺何をやらかしたんですかっ?教えてください」
あらぬ方向を向いて明らかに視線を逸らされる。思い当たることといったら一つしかない。
「岩男さんお願いします。俺この二週間記憶喪失だったんですよ。その間こと記憶が戻ったら忘れてて・・・・・何があったのか知りたいんです」
教えてくれ!金魚の糞以外に俺は何をやらかしたんだ。
俺の必死な様子に岩男さんが重く閉ざしていた口を開く。
「たしかにこの前のお前と違うな・・・・・」
よし、後もう一押しだ。
「お願いします」
「わかった」
岩男さんが話す気になってくれた。
「・・・オッポレ」
「は?」
沈痛な面持ちと反した言葉にあっけに取られる。
「お前はオッポレをしていた」
オッポレって何だ!叫びたい気持ちを抑えて質問する。
「その・・・オッポレって何ですか?」
「わからない」
「えええええええええ」
説明ができないもどかしさで眉間にしわが寄っていた。
「あ、ありのまま今起こった事を話すぜ!」
説明ができないというならそれしか手はない。頷き返す。
「気がつくと俺は数人のヌンサに囲まれていたんだ。やつらは全員奇妙なポーズでオッポレといいながら俺の周りを回っていた。頭に雑草をはやし。肘と手首を九〇度に曲げ。両手のひらを空に向け。蟹股で。蟹歩きで決して俺から視線をはずすことなく。そしてその包囲網は徐々に狭まっていった」
何それ怖い!
「俺は森の入り口で門番をしている。普段から岩のフリをしてな。何事も長年やってれば骨ってもんがわかってくるもんさ。俺はいつもどおりその経験を生かして、自分は岩なんだ、と念じながら視界を閉ざし、岩になりきることで耐えることにした」
なるほど。岩男さんの仕事は門番だったのか。岩に見えるたのも理由があったんだ。
「かかる息に距離の近さを感じたころだった。オッポレの声がやんだ。何が起きた?なぜ静かになったんだ?何が起きている?俺は必死に考えた。目を開けるか否か・・・・・」
長く感じられる沈黙にごくりと喉が鳴る。
「悩んだ末に開けることにした」
「それで。どうなったんじゃ?」
そわそわはらはらした長老が視界に入ってくる。緊張感が台無しだ。
「俺は好奇心に負けて目を開いてしまった。何が見えたと思う」
「何が見えたんですか?」
「アッシュ。お前がいた」
「え?」
「底冷えするような無機質な目で俺をじっと見つめていたよ」
俺怖すぎる!何そのホラー映画的シチュエーション!
「オッポ~レ。オッポ~レ」
業を煮やした長老がよくわからないオッポレを視界の端ではじめる。明らかにリズムもサンバ的でマラカス振っているし・・・よくわからない。
「チャチャチャッ!オッポレサーンバー!」
うん。完全に違うものになってるね。聞いた話の原形とどめてないね。
「オーレイ!」
勢い余って長老の手からスポ抜けたマラカスが宙を舞う。片膝着いて両手を絡ませると、
「アー光アRAY!」
不謹慎な駄洒落の祈りをささげた。
パンッ!
「無拍子でツッコミだと!」
岩男さんの驚きの叫びはもっともだ。俺もまさか無意識で予備動作も無にツッコミを打ち込むとは思わなかったもの。前世の格闘漫画で得た知識から『無拍子』という言葉に関して思い出す。『人の動きの中には必ず無駄なところがあり、それゆえに一切の無駄が取り払われた動きを人は認識できない』というものだ。もう少し噛み砕くと『無駄がない動きを人はできないし、無駄のない動きを知らない。それゆえに一切の無駄が取り払われた動きとは人に認識できない』ということらしい。それこそ戦国時代で言えばすでに切られたいたみたいな?そして一切の無駄のない動きというのが『無拍子』なのだという。
「それでどうやって助かったんですか?」
無拍子ツッコミとかどうでもいい。ぴくぴくしている土上の魚も同じ。大事なのは続きだ。促せば岩男さんも、いつものことか、と気を取り直す。さすがヌンサ話が早い。
「オッポレだ」
「は?」
「得体の知れない恐怖に俺は思わず『オッポレ』と口にしたんだ」
駄目だよく分からない。
「お前は負けたといって去っていったよ」
「負けたって・・・・・勝ち負けがある?ルールがある?オッポレはゲームなの?」
「分からない。少なくとも昨日までのお前が別人だったというのなら、すべては闇の中だ」
「・・・そうですね」
あっ、と岩男さんが声を上げる。重要なことでも思い出したのだろうか?
「たまにアッパレが混じってた」
「それはどうでもいいです」
ホントにどうでもいいことだった。思わず冷静に返してしまった。
とりあえず何があったのか一つでも知れただけでよしとするか。
「そういえばちゃんとした紹介がまだだったな」
「いえいえ。話を脱線させてしまった私の責任です。むしろすみませんでした。岩男さんにいたっては仕事中にお呼び立てしまっているわけですし」
頭を下げる。
「許さん。謝れ!謝れ!」
関係のない長老が騒ぎ立てる。くそう。復活早いな。
もう一度黙らせようかと思ったときだった。岩男さんが任せろとこちらを手で制した。
頷き返すと長老へと半身を向けてこちらから見えない側のゴーグルを上にずらした。
騒ぎ立てる長老の声がやんだ。
ゴーグルを戻した岩男さんがこちらを向くと同時に上体をずらして向こう側を見る。むこうではコインブロックを叩く前世の世界でも有名な謀赤い帽子をかぶった大工のオジサンと右腕を掲げたジャンプポーズで石になった長老がいた。
「俺の本名はヌンサ・岩男・バジリスク。名前の後のバジリスクが示すように見たものを石に変える能力を持ったヌンサだ」
バジリスク。確か前世の知識でゲームでモンスターとして出ていたヨーロッパの想像上の生き物だ。蛇の王と呼ばれていてギリシャ神話の英雄ペルセウスに倒された怪物メデューサの血から生まれた魔物で、親譲りの視線で見たものを石化する力を持っていたはず。
言葉と照らし合わせてみても長老が石になっていたのはそういうことだろう。
「俺は他のヌンサと違って鱗が岩でな。生まれたとき長老がそれを見て岩男と名前をつけたんだが、直後に開いた目で長老を石にしてしまって。続けてバジリスクってつけられたんだ。岩男って名前安直過ぎると思わないか?」
「分かります。俺の名前もツッコミを示す合いの手を捩ったものなんですよ」
長老の名づけ方のセンスの酷さには共感してしまう。
「そのつけ方も酷いな」
お互いに苦笑する。
「そういえば何で長老は今頃になって俺を紹介しようとしたんだ?」
「ああ。実は私が泳げないヌンサがいると聞いたのが原因なんですよ」
なるほど、と岩男さんが納得の声を上げる。
「見てのとおり。俺はこの鱗のせいで水に浮かないから泳げないんだ。あと他にも似たような感じで水と相性が悪いせいで泳げないヌンサはいるな。ま、ヌンサもいろいろいるってことさ」
すっと手を差し出してくる。その意味に気が着いて手を握って握手する。
「よおろしくな。アッシュ」
「なんというか・・・・・岩男さんみたいなまともなヌンサがいて安心しました」
思わず出てしまった言葉に岩男さんが苦笑した。
会話「」が続かない場合、行間開けるようにしてましたが、ページ数が増えすぎるので少し行間のあけかた変えてみました。