酔夢の繰り夢現
私は人生に期待するのを放棄していた。自らそれを捨て去ったにも関わらず、空いた穴は誰が何を埋めると騒ぐ心を黙らせる為に、お酒の酔い方を覚えた。
お酒の楽しみではなく、酔いを求めるようになるのは、大抵の場合は人生の下り坂だ。それも、底の知れず登る事を許されない寂しげな傾斜を持った坂。
私は虚ろな自分のペースで気ままに転げ落ちている。底を望み同時に忌み嫌いながら。
こうなったのは、ワインなら値段が跳ね上がる時間を共にした男との別れが原因だ。その男とは、私が制服のスカートの丈を短くし、周りと変わらない流行りの化粧に命をかけていた頃からの付き合いだった。
今でも、別れ際の下らない裏切りの言い訳をする男の顔が、まるで昨日のことのように浮かんでは消えて、私から色と熱を奪ってゆく。
このまま冷たく透明になるのも一つの手だが、何故だか私はそれを拒否している。
もはや自身の一部と成っている自虐と思い出を一杯引っかけ、ちゃんぽんにする為のアルコールを求め、手を振るだけで注文が完了する寂れたバーに足を向けた。
今の私を例えるならと、愚にもつかない考えを言葉という形に押し固め店に向かう。要らぬ想いが泡のように弾けることを望みながら、ご丁寧に音まで立てて湧いてくる。
止めようと思っても、傷口を乾かせはしまいとする嗜虐の気持ちが許してはくれない。私に抗えた試しはなく、心に耳を傾け声には出さず口と足を動かした。
今の私は、昔は行列の出来たスイーツ店の目玉ケーキによく似ている。それは過去の栄光であり、現在は潰れかけの秒読みに入り、誰もが忘れ去った元一番人気のケーキ。
そのケーキに、百均に並ぶメイドイン聞いた事もない国製のガムシロップを、神経質なパティシエが満遍なく塗りたくり、近所のワンちゃん達のお気に入りの散歩コースにある公園の砂場に転がせば、私の人生の出来上がり。
そこで、我ながら虚しいと目を拭い、目的の店に辿り着いた。来る度に思うが、なんとやる気のある店構えだろうか。
入り口の上を飾る看板は、電飾の半分が仕事を投げ出し、もう半分はウインクでもするように点滅している凝った物で、辺りの人気の無さと相まって、一見さんお断りという会員制の風格を醸し出している。
そんな悪い意味での隠れ家的な近寄り難い店だが、孤独な女を気取るには持ってこいの場所で通い続けていた。
毎度のように一杯だけと自分と約束をして、立て付けの悪いドアに歓迎され中に入った。
店の中は照明を抑えてあり、決して静かな夜をイメージさせてはくれず、ただただ薄暗いだけの至れり尽くせりの雰囲気を垂れ流している。横目に右端のテーブル席にいる常連客を確認して、カウンターの奥に佇むバーテンに手を振った。
昨日までは、それで左端の私の専用となりつつある席に着くだけでよかった。だが、今日はカウンターには知らない顔が居て、注文を聞かれ頭を下げられた。
新人バーテンの初々しい目元を飾る眼鏡のデザインには好感を持てたが、絶望的に似合っておらず、面倒なやり取りを増やされてしまった事への溜め息が洩れた。
愛想を売るのも仕事の内と解っていないバーテンに、この店のオリジナルである魔弾と名付けられたカクテルを注文して背を向けた。
お気に入りの席へ行き、寿命の訪れを待つだけの椅子に座ると、私のお尻は好みではないようでガタガタと文句を鳴らされた。
相棒を務める木製の一本足の丸テーブルは、お肌のくすみを隠そうともしていない。気を使いお肌の曲がり角にバッグを置いて肘を付き、テーブルを指で叩き待つ間の時を刻んだ。
一つ二つと数え、二十の区切りでバーテンの足音がやって来た。慣れない手付きと表情で運ばれてきたのは、大きめなカクテルグラス。細く美しいあんよをした透き通った器を満たすのは、どこぞの悪魔に唆されそうな強いアルコール。
潤む瞳とお揃いにするべく舌で唇を湿らせ、香りを吸い焦らしてからグラスに口をつけた。すぐに腹から伝わる熱を、焦らずゆっくりと味わい、もう一口と急かす気持ちと戦いグラスを置いた。
私の呑み方なら、酔いを与えてくれるグラスを空にするのに五度の口付けが必要となる。すでに挨拶程度の軽さでファーストキスを奪ってあり、残弾の使い途を考えながら更に一つ減らした。
この弾は絶対に外れない魔法の弾丸だが、自分をも殺す可能性を秘めた危険な代物だ。上手く扱うコツは、予備の弾は持たず乱射しないこと。そうすれば一時の間、味のしない現実を殺した気にさせて貰える。
残りは三発とグラスの縁を撫で、引き金を弾くタイミングを測っていると、珍しい事に客が入って来た。
その客は、この店には全くと言っていい程に似合わない外見を持ち、真っ直ぐに私を目指しテーブルの向かいに立った。側に来たはいいが、細見の黒フレ眼鏡の奥の瞳が躊躇いの海を泳いでいる。
このまま、幼さを拭い切れていない男の子が溺れるまで眺めているのもいいが、それでは酔いを楽しめないと思い助け舟を出してあげた。
「ボク、幾つかな? お酒は年齢詐称か、成人式で羽目を外してからじゃないと飲めないのよ」
「二十歳です。お姉さんは、いつもここに来てますよね」
なんて面白味のない返しだろうと、肴の足しにもなりはしない答えにうんざりする。この子はなにが目的で私に声をかけたのか、いま一つ掴めない。一目惚れ等と都合よく考えるには、酔いと残弾の数が足りなすぎた。
「ごめんね、絶対に来ないまた今度、声をかけ……」
「好きです。付き合って下さい」
軽口を遮られた言葉に体が縫い付けられたように固まり、息が停まりそうになる。この子は今、なんと言ったと頭の中で繰り返す。
色が付いていく視界に、久しく忘れていた胸の高鳴りを添えられる。そっと目を移しテーブルの弾倉を見るが、残弾は減ってはいない。
それならと、まさかの耳への誤射による鼓膜がへべれけにと疑い出す。一応と唇の端に舌を走らせ、口から行ったと馬鹿な確認をしてしまう。息を整えてから、もう一度お願いと祈るような思いで聞いた。
「好きです。昨日が誕生日で、二十歳になったから、ここに来ました。お姉さんのことは、一目惚れして一年前から見てました」
少しずつ言葉を噛み砕き、意味を理解して恥ずかしさからグラスを引っ掴み、残弾を二つ一気に撃ち込んだ。
こんな色のない私に、惚れてくれる男がいるなんて夢としか思えない。ただでさえ必中を誇る魔弾に対して、私は耐性が弱く的が大きすぎ、連射の恩恵が頭を揺らしてくれた。
霞がかかる意識に、これは夢だと後押しされる。それなら、夢の中だけの限定でいいからと、悪くてイイ女で在りたいという見栄が湧いた。
「ストーカーなのね。そういうの迷惑よ。慰謝料として、お姉さんとイイコトしようか」
顔を赤くして俯く仕草に、熱を帯びたなにかが背中を這い回る錯覚に襲われ、その感覚に身を預けた。
テーブルに残る最後の弾に、惜しいという気持ちと感謝の対価を置き、自分より頭一つ高い男の子の手を引いて店を出た。
「あの、どこ行くんですか? イイコトってなんですか?」
解っているのに、どうして聞くのだろうか。その証拠に、眼鏡の奥の眼は期待の光をレンズ越しに見せ、上がった息が早くと伝えてくる。
だけど、今はそれが可愛いと思えて、意地悪をしたくて舌の滑りが良くなってしまう。
「どこ行くんだろうね。きっと、お二人様用のベッドがあって、お家のお風呂より遊べるスペースがある所かもね」
なにも返せず唾を飲む音に、この子は初めてだと当たりがついた。自然と浮かぶ笑みを苦労しながら抑え、心の底から囁いてくる愉しげな声に耳を傾ける。
初めての記憶はいつまでも残り、消えない痕を刻む貴重な好機で、色のない私を死ぬまで覚えていてくれる。
そう考えるだけで、病んでもいない歯が痛くなる程に甘美で、傷付けてしまう罪悪感を煽られ目眩がした。
歩きながら年上の務めとして計画を練り、目的の場所に着き足を踏み入れた。
この商売のお決まりになっている無人のロビーに入ると、十二個に区切られたモニターのお出迎えを受けた。
物言わぬ無愛想なモニターが案内してくれるのは、舞台の内装と主役となるベッド、それと戯れの回数による時間の値段。
ダースある部屋の内、半分はお楽しみ中のようで画面が暗く表示されており、明かりは消す派なのかと思えて笑えた。残りの点灯派を見つめ戸惑う顔を楽しみ、決められない男は駄目よと腕を絡めた。
「ごめんなさい、あんまり来たことなくて」
その瞬間、昏い怒りが血液を沸騰させ、天井知らずに温度を上げさせられた。絡めた腕に力を込めて、早鐘を打つ心臓を宥めた。
私を怒りの炎に投げ込み、計画と望みを台無しにしたのは、この子が初めてじゃないという一点で、何度目かは聞きたくもない。あんまりと付けた以上は、二度や三度はある筈だ。
誰かの記憶に残れると思うだけで、私がどれだけ嬉しかったと思っているのか。期待が大きかっただけに、失望も倍々ゲームなんて目じゃない値でマイナスに加算される。
まだ決められずにモニターとの相談を、無言で隅のボタンを押して断ち切った。私の纏う空気が変わったことを悟ったのか、癇癪持ちの主人のご機嫌を窺う使用人の顔をしている。
「行こう。初めては一つだけとは限らないからね」
壊してあげると聞こえないように続け、計画に悪意による大幅な変更を施し、腕を掴んで指定した部屋に入った。
興味深く部屋を見回すのを冷たく止めさせ、更に温度を下げた声で脱いでと命令をした。
「お風呂の準備をしてからの方が、いいと思います。一緒に入るの楽しいですよね。用意してきます」
「聞いてないことを言わないで。いい、入らないお風呂に用なんてないの。それと、私は脱ぎもしない。もう一度しか言わないからね、脱いで」
逆らえばサヨナラと暗にちらつかせ、苛立ちを見せつけベッドに腰掛け返答を待った。
想像していた情事とはズレを感じたのか、怯えを浮かべ助けを乞う相手を探し視線を彷徨わせた。金を払って時間を借りたここには、水を差す者は居る訳もなく来る事もない。
やがて、諦めと羞恥を媚びで混ぜた顔を晒し、生まれたままの姿を見せてくれた。私の機嫌を損ねないようにとの素直な態度に満足し、時計に目をやり苛む段取りを立てる。
不安をメガネのレンズに映し、頼りなく突っ立ている私に捧げられた生け贄に、おいでと優しく手招きをした。
時間の許す限りに、濁った欲望をぶつける悦びに浸った。
触れられるのも稀な花を乱暴に広げ、せめて精神的外傷として思い出の片隅に居座ろうと望み、爛れ膿むのを願い私を忘れさせない痛みを塗り付けてあげた。
お時間ですと時計に告げられ、涙を滲ませ後始末をする様を見ながら、備え付けの自動支払い機に金を入れた。
後ろを気にしながら下着に足を通す間抜けな姿と、くず籠に打ち捨てられた血を吸ったティッシュを記憶に収め、歩き難そうな背中を押して部屋を後にした。
入った時と同じように無人のロビーを抜け、早足で薄ら寒い風の通る路地に出た。
そして、迷子の子供が親を探して狼狽えているような顔に、皮肉を込めてお別れを突き付けた。
「初めてをご馳走さま。良かったね、女の子の気持ちが知れてさ。もう、こんな危ないお姉さんに近付いちゃ駄目よ」
ひらひらと手を振り、恨めしそうに私を見る目を、新鮮な卵を割った時の感想を忍ばせ嗤ってやった。
情けない後ろ姿も記憶の一員に加えてやろうと、解りやすく見送りの視線を送るが、言い残した事でもあるのか一向に動こうとはしない。
文句の一つでも貰えるのかと待ったが、なにも聞こえては来ず、このまま綺麗に別れる為の悪女の仮面を被った。
気が利かなくてと棒読みの言い訳を口にし、バッグを漁り財布から大の紙を二枚取って握らせた。
「はい、無駄遣いしないようにね。まあ、いっか。好きに使ってね。だけど、お尻のお薬は買うんだよ。じゃあね」
一方的に喋り背を向けようとして、不意に力強く腕を掴まれた。
「お金なんて欲しくありません。もっと、お姉さんが好きになりました」
この答えの返しは在庫がなく、冷たい悪女気取りの仮面にヒビを入れられた。だが、これしきで揺らぎ登れる程、緩い坂を転げている私ではない。それに、これ以上その気にさせられるのは御免だった。
オママゴトを終わらせる拒絶を吐こうと開いた口を、体ごと引き寄せられ蓋をされた。
次に訪れる台詞と展開に胸を踊らせ、そっと目を閉じて私の重さを委ねた。
「……………………」
弾切れのグラスをテーブルに置き、こんな事があったらいいなと呟き、本日の素敵な酔夢にお別れをした。
幕は引かれたというのに、もう一口あれば結末を見れたのにと催促をしてくる自分に、現実に還った私が約束はどうしたのと返す。
未練がましい私は、一口くらいならとも思うが、グラスに再装填された魔弾を前にすれば、扱う自信も自制も出来はしないと自覚している。
まだ足りないと責め立ててくる餓えに、呑干は宵酔い二日酔は怖いと童謡に准え戒め、現実を忘れさせてくれた僅かな時と酔いに沢山の感謝を捧げた。
それと、取っ掛かりを作ってくれたバーテンの掛けている眼鏡に、手は叩かないが惜しみ無い拍手を送った。なにせ、酔夢の中で男の子が掛けていた眼鏡は、バーテンと同じ物だったのだから。
久し振りの当りの妄想に気を良くし、チップ込みの対価をいくらにするか考え、あの子に渡したのはと迷い悩んで、二枚の紙を置いて店を後にした。
一杯のカクテルで二時間を粘る寂しげな常連客が去ったのを確認し、バーテンがグラスと代金を下げ、舌打ちと小さな声で愚痴を溢した。
「想像の通りには行く訳ないか」
面倒臭そうに代金をレジに納め、釣りの数枚の硬貨をチョロまかし、ほろ酔いで帰って行った魔弾の射手を主役とした妄想に終止符を打った。
そして、魔弾の造り手であるバーテンは、右端のテーブル席で三時間を過ごすもう一人の射手に思いを馳せ、暇を潰す為の物語を組み立て始めた。




