食事にだけは動く
タグに宇宙的恐怖がどうとか書いてますが、正気度は減りません。エッセンス程度です。書いている本人も、物凄く詳しいわけではないので間違いがあったらこっそり教えて頂けると嬉しいです…
「なぎー、なぎー? なあ、なぎー、おきろー」
「……ああもう、なあに、もふ様」
朝起きたら、でっかいの――もふもふだからもふ様だ。が私の寝室の前で鳴いていた。
ぱたたたた、と軽い音がするのは、恐らくちっさいのが扉の下の方を叩いている音だろう。枕もとの時計を見れば、朝の六時。今日は土曜だし、朝食を作るにも早すぎる時間だ。
防音はそれなりにしっかりしているからいいけど、扉の前でなあなあと鳴かれてはおちおち二度寝も出来やしない。
しょうがないか、とあくびをしながら扉を開けると、もふん、ともふ様の腹に顔が埋まった。
「いよう、凪。なあなあ、これ作れるか?」
「とりあえず、もうちょっと後ろに下がってくれない……?」
高級なカーペットみたいなとろけるような肌触りはいいけど、毛足が長すぎて窒息しそうだ。
気を取り直してリビングのストーブを付け、暖かいお茶をもふ様とちっこいのに配る。ちっこいのはおもちゃ屋さんで売っていたおままごと用のカップだ。あちあちしながら飲む姿が妙に和む。
「これー、食べてみたいんだよー。なー?」
「はあ。ホットドッグ。またジャンクなもんを」
「えー? 健康に悪そうなのがいいんだって」
なー? と小首……首? を傾げるもふ様に、同意するようにちっこいのが全身でふんふん頷く。もでっ。とリビングを半分占拠して横になるもふ様の手には、「全百件! 今本当に美味いホットドッグ特集!」と赤字ででかでかと書かれた雑誌が納まっていた。
ああ、読んでて食いたくなったのか。
「てか、それどこから」
「え? 普通に買いに行ったけど」
「……その姿で」
「うんにゃ。普通にこう、なんかいい感じになって。ちまいのが」
「ああ、そう」
どんなんだよ、とは、なんとなく本能が危険を叫んだので聞かない。どうにかするツテでもあるんだろう。
図太い神経が余計太さを増していくような気がしつつ、なあなあ煩い癖に一向に動かないもふ様の腹辺りをもふんもふんと撫で回した。
「なんかいい感じ、で買いに行ってくればいいじゃない。ホットドッグも」
「えー? たりぃ。それに、凪の作ったのが食いたいのー」
「はあ?」
「凪の作ったのの方が絶対美味いもん」
唐突に何を言うのか。この毛玉は。
思わず力いっぱい毛玉の毛を握り締めて、痛い痛い! と抗議された。驚きと照れがいっしょくたになって、じんわりと頬が熱くなる。
「店の、やつにかなうわけないじゃない……」
「お? めずらしー、照れてる。凪、お前驚くこともあるんだなー」
「うっさい毛玉」
ふへへへ、とその短めな手で頭をぐしぐしされて、余計顔が歪んだ。周りでなんか微笑ましげに両手を叩くちっこいのに、癒されると同時にイラッとする。
断じて絆された訳ではないけど、私は頭の上をさ迷う手を叩いて立ち上がった。
「おー? どこ行くんだ?」
「電話。暇ならパンぐらい出してよ」
「たりぃのに……」
文句を言いつつ台所にのそのそと歩き出したもふ様とちまいのを見送って、私は携帯を手に取る。断じて絆されてなどいない。私が食べたいだけだ。
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近所の小さいけど美味しいパン屋さんで買ってきたバゲットに、なにかの土産でもらったドイツソーセージとキャベツ、冷蔵庫の隅にあったチーズを少し。
綺麗に並んだ沢山のそれを、もふ様が楽しげに切っているアルミホイルで包んで、ちっこいのが支えているちょっと前からゴミ出しを忘れていた牛乳パックに一つずつ入れれば準備完了だ。
「じゃあ、中庭行こう」
「おー」
玄関で靴を履いて、とんでもなく面倒くさがりのもふ様が珍しく素直な返事をしたところで、はたと気付く。
もふもふ《これ》をそのまま外に出していいのか?
「ちょ、と、もふ様、待っ――」
「んー? どうした、凪? 早く行こうぜ。なにすんだか知らねーけど」
「も、ふ様?」
振り返った私の目の前にいたのは、もふもふじゃなかった。
私の頭より二つは大きい背はそのままに、見たこともない美しい顔がその上から私を見ている。少し癖のある茶色の髪はあちこち跳ねて、病的に白い肌を彩っていた。
ぽんやりと半分閉じられて糸のように細くなった涼しげな一重の瞳。形のいい鼻と、機嫌よさそうに緩んだ少し厚めの唇がその下に寸分の狂いもなく収まっている。
すらりとした肢体は威圧感すらある真っ黒な服に包まれているけど、その眠たげな表情と牛乳パックが沢山入った両手の袋のおかげで、凍てつく氷のような美貌に違和感しかない。
「なぎ、どーしたー?」
「あの、誰?」
「んー? ああ、ほれ、言ったろ。なんかいい感じにして、って」
「なんかいい感じ……? そのかっこが……?」
「もー、なんでもいいから早く行こうぜー。俺腹減った……」
眠いし。なんてお腹の下辺りに響くいい声で紡がれるのは、気の抜けるいつものもふ様の物言いだ。
ぼやーっと間延びしたその喋り方と相反する顔面に気をとられて、またもや驚くのを忘れたことを思い出したのは、そのひんやりとした手に自分のものを取られて、中庭に着いてからだった。
「大家さんには許可取ったし、まだみんな寝てるから問題なさそうだね。ほい、着火ー」
「おー?」
こてん。と小首を傾げて、渡したライターで牛乳パックの淵に火をつけるもふ様(人間)。もう深く考えるのは止めた。考えれば考えるほど、多分ドツボにはまると思うからだ。
相変わらず燃えるパックにしか興味が無いらしいこの謎の生き物に、警戒心を持ち続けるのは私の心がささくれ立つばかりな気がする。
「たまにひっくり返して燃やせる限界まで燃やしてね」
「おおー。なんかこれ、楽しいなー?」
「それなら良かった。牛乳パック燃え尽きたら食べていいよ」
ご機嫌な美形を眺めていると、なんとなく体から力が抜けた。有り合わせの材料、しかもホットドッグなんてどうやって手の込んだものを作ればいいのかさっぱりだったけど、この反応ならそれなりに美味しく食べてくれるだろう。
子供のときになんでか毎年参加させられていたキャンプで教わった知識が、まさか人外?に受けるとは思わなかった。
早速焼けた一つ目を前に妙な喜びの舞を踊っているもふ様の、寒気のする美形台無しな様子になんかもう最早色々がどうでもよくなる。
「なぎー……持てない……」
「はい、軍手」
涙目で地面に横たわるアルミホイルの塊を指差したもふ様に、これまた似合わないお徳用軍手を差し出して、私は小さく苦笑した。
細く煙の上がっていく空を見上げれば、目の端に自室のベランダでぴょこぴょこ跳ねる小さい毛玉が映る。
後であっちにもおこぼれを持っていかないといけない。
「凪! 凪! これ美味い!」
「はいはい。ヨカッタネ」
無邪気に笑うもふ様におざなりな返事をしつつ、私も熱々の朝ごはんにかぶりついた。
非常識ではあるけれど、私もそれなりにこの同居人を気に入っている。