4 四日目
飲まず食わずで、監禁四日目に突入。
テロリストどもからのアクションは皆無。
それよりも甚大な被害が出た。
俺は水を飲まないという事を楽観的に考え過ぎていた。
脱水症状が始まった。
頭痛・全身倦怠・吐き気、その他諸々が俺に襲い掛かってくる。
お腹がすいているはずなのに、なんかあんまり食べたくない。
皆も同じようだ。
身じろぎひとつしていない。
女子たちもうんこを出し切ったのか、トイレに行く必要もなくなっているようだ。
おしっこも出ているようだが、その辺で適当に垂れ流している。
ひどい。
羞恥心はどこへやら。
いい傾向ではあるが、脱水症状はまずい。
本当につらい。
気持ち悪いし、何も食べていないのに、胃液だけ吐いてしまう。
めまいもひどく、立ち上がることも困難だ。
誰もかれも絶望していた。
なぜこんな事に。
俺もそう思う。
誰が何の目的でこんな事をしているんだ。目的が全く見えない。
それとも自分たちの事を忘れているのか?
拉致っといてそれはないだろう。
この状況を意図的に作り出していると考えて間違いなさそうだ。
なんだよ。この状況から何をさせたいんだよ。
俺が憎しみを増幅させていると、委員長が声を振り絞って叫び始めた。
「豚男君……!? 豚男君……!! しっかりしてください……!」
みんな声のする方を見た。
豚男君はぐったりとしてピクリとも動いていない。
横になっているのに、胸も上下していない。
呼吸が止まっている。
全身脱力しているように見えるし、すごい自然体だ。
眠っているようだ。
いや、寝ているな。
永眠だ。
ここで、豚男君は死亡。
死亡。死んだんだ。
訳の分からない死だった。
セックスを強要したら、ナイフで刺されて死亡なんて末代までの恥だ。
末代もできなくなってしまったが。
「豚男君……!」
委員長は悲しげな声を上げた。良い奴だな。それとも振りか。
どうでもいい。
腹が満たされないなら、今この状況でその行動に俺は意義を見出せない。
それに皆、豚男君の死にあまり動揺していない。
やった事があれだし、仕方ないよね? 的な感じだ。
強姦未遂。
これが罪状だ。
死刑は重すぎるだろうが、あの女子は正当防衛という事で無罪放免だ。
転がっていたナイフで足を刺しただけだし、殺意はなかった。
そう、あのナイフで。
「え……!?」
俺の一声が何も言わない空間に響いた。
突然の出来事に何事かと全員、俺の方を向いた。
「なんだあれ……」
そしてロウソクの下に目を向けた。
明かりに照らされていたのは、バケツ一杯の水とごく微量の食料。
え、なんで。
さっきまであんなのなかった。
でも、よかった。
これで少しは渇きを潤せる。
「み――」
皆、と言おうとした時、戦乱が巻き起こった。
「うわああぁぁぁあああああああああああああああああ……!!」「私のものよぉぉぉぉ!!」「お前ら邪魔なんだよ!!」「どけ、どけよ!!」「うらぁ!! シネェェエ!」「ギャアアアァァ……」「何してんのよ!!」「お前だって!!」「俺のものだ!」「私のよ!」「うひひひ……」「やった、これ――ぎゃああああ」「何勝手に飲んでんだよ!」「お前もだ!」「どけ、俺のものなんだよ!」
30人近い生徒たちが、一杯のバケツの水を争っている。
我先にと群がり、バケツに手をかけようとしているが、他の奴らに邪魔されている。
そして遂に、近くにあったナイフでの刺し合いにまで発展していた。
バケツに手をかけようとした瞬間、他の奴に刺される。
そうでなくても刺される。
どんどん人が倒れていく。
血だまりが周囲に広がり、肉塊が量産される。
物言わぬ骸が山積されていく。
男子も女子も例外なくナイフで他人を殺して、水を奪おうとしている。
もう獣。いや。
鬼だ。
「ひ……!」
俺はその光景を端っこで見ている。
出遅れたというか、出ていく機会がない。
あの中に混じりたくない。
死んだふりだ。
死んだふりをしよう。
俺はうつ伏せになって、息をひそめる。
できるだけ呼吸はせずに、胸の上下運動を抑える。
しかし中央では殺し合いが激化している。
ナイフをもって、腹を貫く。
首を割き、腸を覗かせている。
いやだ。なんであんな事に。
俺の体はガタガタと震えている。
怖い。
怖い。
皆の目が血走っている。
皆優しい奴だった。
俺には話しかけてこなかったが、それは俺の努力不足だ。俺が招いた結果だからしょうがない。
でも、クラス中は仲がいいという評判だったはずだ。
記憶こそあいまいだが、険悪というムードではなかった。
それがどうだ。
突然水が出てきたと思えば、悪鬼の如く怒り狂い、水を奪い合っている。
恐ろしい。
あれが人間の本性か。
いや、動物の本能というべきか。
人間と動物を区別しがちだが、人間だって動物だ。
理性を持って人間となっていることに気付くべきだった。
そして、この状況は容易く理性を崩壊させるに足る。
俺は目を瞑り、早く嵐よ去れと祈る。
だんだん声の数が減ってきた。
死んでいる。
それでも殺し合いを辞めない。
どうする。
俺も行くべきなのか。
あそこに最後まで立っている奴は、満身創痍に違いない。
でも、嫌だ。
怖いよ。
でもそいつは確実に俺を殺しに来る。
あぁ。
どんどん声が減っている。
俺は目を開けた。
一対一だ。
もう他の奴らは全員死んでしまったのか。
全員寝転がっている。動いていない。血だまりだ。
そんな馬鹿な。
死んでいる。
端から見てもあれが生きているなんて思えない。
それほどの出血量だ。
「死ねぇぇ!!」
「でやぁぁぁぁ!!」
男子と女子がナイフを握りしめ、互いに突撃する。
腹の前で構えたナイフで、両者相手の胸めがけて突進していた。
勢いをどちらも殺すことなく、相手に激突した。
衝撃で二人とも吹き飛ばされ、地面にもんどりうっている。
しかし、
「あ……」
男子も女子も胸にナイフが刺さっている。どっちも左胸にナイフが刺さっている。
あれでは心臓に傷がついている可能性がある。
今すぐ何とかしないと。
でも、どうやって?
手術でもする気か。そんな知識はないぞ。
無理。不可能だ。あの二人も。
立ち上がろうとしたのだろうが、二人は自分の状態を確認すると、仰向けに倒れてしまい、それ以降動かなくなった。
俺はつばを飲み込んだ。
何故か知らないが、バケツの数が増えている。
何個か倒れてしまっているが、それでも俺一人が飲むには十分な量だ。
俺はめまいする体をムチ打ち、必死に中央まで行く。
水。水。水。
「水……」
「水を……」
ビクリと体が固まった。
俺以外に生き残りがいた。
声のした方を見た。
ナイフを持っていたら終わりだ。俺も闘うしか。
「結城君……?」
「立花さん?」
監禁二日目くらいに聞いたことがある声が聞こえた。
黒髪で綺麗なストレートだ。
制服は血に汚れていない。
あの戦い、惨状に参加していなかったのか。
「おおおおお、俺は、戦う気、なんて、ないから……!!」
俺は慌てて足元にあったナイフを遠くに投げて、戦う気がない事をアピールする。
「私だって、ないわ……。……飲みましょう」
立花さんは一つバケツを手にすると、勢いよく飲み始めた。
何ておいしそうに飲むんだ。
「お、俺も……!」
バケツを手に取って、浴びるように水を飲んでいく。
甘い。そう感じるほど、水がおいしく感じる。
喉を通り抜けて、胃に入っていくことを感じられる。
清涼な感覚が、俺の五臓六腑を癒していく。
「うっく、んむ、プァァ……!! うめぇ!!」
その辺に散らばっているパン屑みたいなものも口に運んだ。
これは堅いが、食えない事はない。
久しぶりの食事に、胃もおどろている。
吐きそうになるが、ぐっと我慢する。
隣を見ると立花さんも同じようなっていた。
必死に詰めるだけ胃に食べ物を詰め込んでいく。
パンは小さい。
屑というのがふさわしい表現だ。
茶色の少し硬いパン。
フランスパンだと思えば、食べられない事も無い。
水でふやかし、食べるのもありだ。
味は酷いものだが、食べないよりまし。
立花さんも俺のまねをして、パンを水に浸している。
そうして十分もすると、パン屑は全部なくなり、残るは数杯バケツの身になってしまった。
しかも血に汚れているから、あまり飲まない方が良い。
皆の血が汚いという事じゃないが、病気になるのは勘弁願いたい。
できるだけ、この一杯だけで生きていく。
「立花さん……」
「なに……?」
「……なんでもない」
俺は立ち上がって、さっきまで死んだふりをしていた場所に戻った。
人は水だけでも生き残れるな。
そう思うこのごろだ。
監禁十二日目。
とうとう水もなくなった。
結局血に汚れた水も飲んだが、とてもじゃないが足りない。
脱水症状こそよくなっているが、今度は空腹に耐えきれなくなっていた。
俺も立花さんもほとんど会話などなく、日々を過ごしていた。
何も話すことなどないし、ここにきて仲良くなる事も無い。
それに空腹すぎて頭がずっと痛い。
それに吐き気もだ。
水を飲んでいるのに、脱水症状と同じようなものになっている。
訳が分からない。
だが、多分だが、二酸化炭素の量が多くなっているし、死体の腐臭も凄まじい。
これが体調不良の原因となっているに違いない。
特に、二酸化炭素はやばい。
このままあのロウソクを放置したら、そのうち危険濃度を上回って俺は死ぬ。
立花さんもだ。
しかし水はない。
飲んでしまった。
「立花さん……」
「なによ……」
ぐったりとした声だ。
力のかけらもない。
「火、消したいんだけど……」
「それが……?」
「二酸化炭素が……」
「……あぁ、なるほど。だから頭が痛いのか……」
立花さんはため息を一つ付いた。「気づかなかった……」と一言言って、俺に尋ねる。
「それで、どうするの……?」
「……バケツの数、数えたことある?」
「なに、突然……?」
「いいから……」
「ないけど……」
立花さんは首をめぐらせて、バケツの数を数えはじめた。
「……30こ?」
「そう、死んだ奴らと数が同じ。……どう思う?」
「どうって……」
立花さんは何もしゃべらなくなった。
俺が言おうとしていることが不吉すぎるからだ。
「一人死ねば、一つバケツが出てくる。……多分、正しい」
「それで……?」
「立花さん、死んでくれない?」
「……断るわ」
「そりゃ、そうか……」
俺は立ち上がって、ナイフを一本取り上げる。
「殺す気……?」
「少し違うかな……と」
俺は足元に落ちていたナイフを蹴り飛ばした。
ナイフはカラカラと音を立てながら、立花さんの元まで転がっていった。
「殺し合わない……?」
「何言ってるのよ……」
「いや、現実的に、無理だ。二人も生き残れない。どっちかが死ぬしかない。そうしないと飲み水もないし、共倒れだ」
「そうだけど……」
「最大限の譲歩だ。立花。立て。突然襲い掛からなかっただけ、マシだ」
俺は初めて呼び捨てで、立花と呼んだ。
それを聞くと、立花さんもナイフを取って立ち上がった。
足元はおぼつかない。俺もだ。
「最後にセックスでもするか?」
「死んでも御免よ」
「そうか」
これでやりやすくなっただろう。
俺を下種として処理しやすい。これで立花も本気で俺を殺しやすくなる。
だが、俺だって死にたくない。
死ぬなら理性ある人間として。
鬼にはなりたくなかった。
だから殺し合いの提案をした。
「私のために、死んで」
「俺のために、死ね」
俺と立花さんはゆっくりと歩きだす。
走る気概なんてもうどこにもない。
歩くだけで精いっぱいだ。
リーチはこっちに分がある。
腕は俺の方が長い。
頭がボッとする。
この作戦で良いのかわからない。
だが、時は止まらない。
どちらも歩いて距離を詰める。
「……ッ!」
俺は今出せる渾身の力で、ナイフを振り下ろした。
案の定、俺が先手だ。
立花さんは見越していたように、左腕で防御。
だが、ナイフは柔らかい腕に埋まった。
「ぐぅぅぅぅ、ああああああぁぁぁぁ!!」
立花さんは残る右手のナイフで、俺の腹にナイフを突きこんだ。
制服を食い破り、ナイフは腹に刺さり込んだ。内臓をかきまぜられたような痛みに、俺は卒倒しかける。
が、歯を食いしばり何とか意識を持たせる。
「うおおおおおおお……!!」
俺はナイフを引き抜いて、立花さんを蹴倒した。
「きゃ……!」
命がけの戦いの中可愛い声がした。
それで終わりだった。
俺は立花さんに馬乗りになって、ナイフを振り下ろす。
「ぐぼぇ……!」
声か音か判別できない空気振動が、俺の耳朶を打つ。
また突き刺す。
丹念に。念入りに、執念深く。
滅多刺しにする。
立花さんは声を上げない。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
立花さんの目尻にうっすら涙が浮かんだ。
そこで、俺の手が止まった。
何かが壊れた気がする。
決壊した。
終わった。
これで。
終わりだ。
俺は立花さんからどいて、絶叫した。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああ……!!」
俺の中で、何かが変わった瞬間だった。
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