学校 椿姫と笹百合
ヒロイン二人
誤字に気をつけてください
「じゃあ。次、仲野さん」
無機質な女性の声は教師のものだった。最近大学卒業したばかりの新任であるらしく、声の固さは緊張の現れなのかもしれない。
名前を呼ばれて席から立ったのは栗色に近い髪を緩くまとめた女子だった。身長は高く、男子と並んでも劣りはしないが、その高さの割に柔らかな物腰だ。手を前で合わせ少し緊張している姿はどこか小動物を思わせる。瞳は大きいというよりとろんと微睡んでみえ、時間がうたた寝するような空気を持っていた。
「青橋第二中学校出身、仲野笹百合です。部活動はまだ決めていません。よろしくお願いします」
最後辺り少し噛みそうになりながら自己紹介を終える。拍手がまばらに聞こえた。
その時、教室の扉が勢いよく開いた。片方は三角巾で左腕を吊り下げた目つきの悪い男だった。もうひとりは艶やかな髪に造形の整った顔の男子生徒で、生きていて楽しかったことなんてなかったけれど、つらかったこともなかったというような覇気のない男だった。
「えっと、あなたたちは…」
教師が戸惑った。道に迷って入学式に欠席するまぬけがこのクラスにいたことを忘れていたかったらしい。しかもその生徒はいかにもぶっきらぼうな男といかにも無気力そうな二人組で、安寧を望む教師側としてはなるべく関わりたくない人種だった。
「…道に迷って、遅れました」
紫苑は教師に理由を伝える。まずはホームルームにでて連絡を受けてからだと職員室で言われた。
道に迷い怪我をして遅刻という理由は、紫苑にとってはあながち間違いではなかったが、袖から見える包帯は完全な嘘なので内心びくびくしていた。
「その腕は?」
教師は紫苑の右腕をみていった。感覚のない右腕を吊す白い布はお節介な忍が道中で買ったものだ。隠していても走ったり歩いたりすれば腕の異常はわかってしまう。なら、怪我をしたことにして包帯を巻き、吊しておけば遅刻の言い訳にもなる。だが嘘が苦手な紫苑はそのような演技すら心臓が破裂しそうだった。肝は小さいのである。
「転びました」
転んだくらいで腕を吊るようなことにはならないだろうが、忍がつけた赤チンのおかげでなんとかごまかせている。だがワイシャツは漂白が必須であり、そこも紫苑を苦悩させた。
「そ、そう…」
生徒全員が、ねーよ、もう少し何かあるだろ、という目を向けたが無視した。とりあえず初対面の人間に対しての恥ずかしさは一線を越えたら開き直れるからだ。それに、目つきが悪いという個性は、空気を読ませることに長ける。
教師も肝が小さい方であるようだ。それに同類を見つけたような卑しい共感と安心感を得た紫苑だったが、次の瞬間言葉を失った。
今朝の短い間にあったコンビニの店員が自己紹介を終えた体勢のままこちらに気付いた。紫苑は視線を無視した。が、仲野笹百合という女性は笑顔で、
「あ、一緒のクラスだね」
そう言って手を振った。忍はそれに脳天気に振り返し、紫苑は頭を抱えた。あまり女性とは関わりたくなかったからだ。別に色恋沙汰に興味がないわけではないが、面倒事は嫌いだった。そしてそれはあのような脳天気な人間の周りにとかく降りかかるものである。現に「なんだこいつら知り合い?」のような雰囲気が染みのようにクラスの上空を漂っている。
だが、その後紫苑が本当の驚愕に包まれた。なぜなら、最後列辺り、意地の悪そうな笑みを浮かべている女は、あの長い白昼夢の森で、人を小馬鹿にした奴だったからだ。
「(ざ・ま・あ)」
かの女は口を動かし無言で言った。あまりにも勝ち誇った笑みだ。恐らく遅刻と、紫苑の腕のことだ。紫苑の頭にはそれはもう血が昇ったが、それをこの場で出すほど彼は子供ではなかった。
「(性悪女)」
だが挑発を返さないくらいの大人でもなかった。あの女はぷいとそっぽを向いた。女でなければ殴りたい。
「えっと、室戸忍くんは、前の方のそこ。……室戸紫苑くんは、ああ、宮守さんの隣ね。」
先生が指さした先は、今し方無言の口論をした女の隣だった。かの女は宮守という名字らしい。
嫌である。絶対に嫌である。
だが、ここで忍と席を入れ替えてほしいと言ったらそれはそれで負けを認めたようで癪に触った。
まだ上履きは購入していないのでスリッパのまま歩く。ぺたぺたと間抜けな音がして、紫苑は一層いらついた。他の生徒は無関心を装いながらこちらに視線を寄越している。唯一仲野笹百合だけが、木漏れ日のただ中にいるような心地で座っていた。
左手で椅子を引き、座る。慣れないのでガラリと大きな音を立てた。
宮守とは視線は合わさないし、言葉も交わさない。だが、相手の体温がわかるくらい紫苑は彼女を警戒した。
紫苑と忍という異物めいたものが端だけ滲み馴染んだように感じたのか、担任は自己紹介を再会した。
市立青橋高等学校特進科。国公立大学や有名私立大学に進学を志望する者、そしてそれが叶うだけの学力の素養があるものが受けるクラス。
そのような前評判だが実際のところはもっとチャチなものだ。例年の少子化の影響により定員割れすれすれであるらしいし、担任もみての通り新任で、意地でも進学させようという気も感じられない。そもそも少し遠くに行けばもっと受験を有利に戦える私立学校があるのだ。紫苑たち以外、とりあえず地元の進学校に行っておこうという流されやすい者たちが殆どだろう。一般クラスと異なるのは授業数と、進級後の授業選択の幅の広さと、黒髪の多さくらいだろう。
その為か級友となるかもしれないクラスメイトたちは、どこかおとなしく道楽じみた会話をすることを遠慮している。隣のクラスの笑い声が聞こえるくらいだ。
淡々と自己紹介が進んでいく。どの生徒たちも当たり障りのないものだった。紫苑自身もそれに倣う心持ちだったので聞き流していた。
「えーと、次、宮守さん」
隣に座っていたくだんの女が立った。そういえば名前も知らない。
「宮守椿姫。青岳神宮に住んでいます。合格祈願から除霊まで、どうぞうちをご贔屓に。正し有料ですのでご注意を」
胡散臭い口上を淀みなく述べ、宮守椿姫は座った。一定のリズムで保たれていた生徒たちの暗黙が揺れたかのようだった。
かすかに囁きが聞こえる。なんだあいつは。変な人。など、常識から外れた人と距離を置くような言葉が殆どだった。
担任もそのまま流すわけにもいかず、かといってどうコメントしていいかもわからず狼狽していたが。結局不自然な沈黙のあとに次の生徒に自己紹介を投げかけた。
紫苑は宮守椿姫をみた。頬杖をついて前をぼんやりとみている。癖の全くない黒髪を弄んで、何か思索にふけっているようにも、退屈をまき散らしているようにもみえた。先程の自己紹介のことなど、気にも止めていない。
青国神宮。聞いたことのない神社だ。そもそも紫苑たちは、この町について日が浅い。地理についても生活に必要な最低限のことしか知らないし、神社や寺など、使うのは初詣くらいで一番興味のない場所だ。
だが一方でこの町、青橋市には寺や神社が多いという印象があった。
生活品を買いに町の店を色々回っていると、そこらに神社や地蔵がおかれているのだ。それこそ小さな商店街に商店街に一つは社があったと思う。無論小さく無人のものが多数だったが、彼女の家もそうした中の一つなのかもしれない。
「じゃあ、次。室戸紫苑くん。その次忍くんも」
紫苑は面倒だと思いながら立つ。
「室戸紫苑、部活には入らない予定。よろしく」
簡潔にすませた。忍が続いてゆらりと立つ。端正な顔立ち故か、女生徒の視線を一手に集めている。
「室戸忍でーす。紫苑とはまあ、兄弟です、義理の。血縁的には従兄弟です。さっきまで森で迷ってましたー。よろしく」
もし紫苑の腕がゴムのように伸びるなら、その頭に拳を飛ばしていただろう。先程の椿姫よりなお教室をざわつかせた。別に義兄弟であることは隠すつもりはなかったが、なるべくこっそりと話していくつもりだった。
自分たちが普通の人よりも少しだけ特異な関係であることはわかっている。それは注目を集めるが、注目は噂になり、噂は個人のあり方まで束縛する。
元より人の目を引く容姿の忍だ。特に中学時代はそれで色々悶着もあった。目を引く言動がどのように跳ね返るかわからない忍ではないだろうに。
「いいね」
隣からぼそりと声が聞こえた。宮守の声だ。横目でみると、まるで獲物をみつけたように、目を細めていた。
「気持ち悪い奴」
紫苑はそう言った。聞こえないように言ったのだがにらみつけられた辺り、彼女の耳は地獄製のようだった。
担任の指示に従い、教科書やジャージ服、上履きなどを各の教室で受け取っていく。そういった諸々の雑事をつつがなく終えると二時近くになっていた。
右腕のおかげか校長室に呼ばれるなどのお叱りは受けなかったが、担任からは小言を少々頂戴した。まだ両親には連絡はしていない。基本的に両親への連絡は紫苑が受け持っている。これは義理の息子に負担を押しつけているわけではなく、単に忍が信用できないからだ。
両親が実の息子である忍を信用できないのはそれなりに理由がある。
忍は中学校時代、不登校な上飲酒や喫煙などを繰り返していた。それに、ちょっと記述しづらいこともしていたらしい。紫苑も、忍の机の上にあった大量の睡眠薬のピルケースをみて、どこからそんなものを仕入れているのかと疑問に思ったものだ。
紫苑もその頃少し荒れていたが、忍はその比ではなかった。なまじ成績がダントツだから親も黙認していた部分もあった。
忍は天才だった。神様の贈り物を間違っていくつも受け取っていた。それこそこんな田舎の進学校ではない、もっと雲の上の偏差値が七十に届くような高校にも楽に入れるくらいの素養があった。みたものは忘れず、一つ聞けば十を理解する。神童という人間がいるなら、忍のような人間のことをいうのだろう。
だが堕落した。神童だからこそ、というのもあるだろう。忍は退廃主義だとか、少年期特有のひねくれた何かではない。もっと根本的な性根そのものが曲がっていると言えるかもしれない。
享楽主義。刹那主義。その権化。
「つまんないし、おかしくなってしまいたい」
というのが、あの頃の忍の口癖だった。
今ではそれなりに黒歴史と思っているのか、中学時代のことは禁句になっていた。
そういった過去があるので、両親は自己管理がまだましな紫苑に、金銭や高校生でできる手続き関連を任せていた。
「どこで食べる?」
ようやく諸事から解放され教室に戻った後、忍が訊ねてきた。生徒はまばらだ。どうやら紫苑たちが職員室などを回っていた頃すでにほとんどが帰ってしまったらしい。残っているのはクラブ見学をしてたり、奨学金関連の手続きがあった生徒くらいで、十人もいない。
「片手で楽に食える奴」
左手で箸を持つ器用さは紫苑は持っていない。
「ハンバーガー」
「高いな」
「牛肉挽き潰して焼いてパンで挟んで百円なんだよ?ポテトは確かにぼったくりだけど」
確かにそう言われたら安いのかもしれない。
「俺は肉好きじゃないし。飯を炊いてフリカケまぜて握れば一合原価は四十円以下だ」
「病院いかないといけないしね。金がかかる」
どうやら忍にはお見通しだった。
「…悪い」
「僕、料理苦手なんだけど」
忍は気にした風もなく言った。
「米炊けなくてこれからどう生きていく気だ」
「ごはんがなければパンを食べればいいじゃない」
「人はパンのみで生きるにあらずだ」
「都合のいい神様の使い方だ。懺悔しないと」
「都合のいい神仏利用なんて今に始まったことじゃあないだろ。むしろもっと利用しないとな。いっぱいいるし」
「日本人らしくていいと思うね。まあ、僕は紫苑がいるから料理はしないよ」
そう言って忍は鞄を持ち上げた。結局紫苑が片手で作ることになりそうだ。
「ハンバーガーでいいよ。お金の遣り繰りは嫌いじゃない」
紫苑もそれに倣い左手に鞄を持つ。教科書や体操服などが詰め込まれたそれはなかなかに重い。
教室のドアをくぐると、そこには宮守椿姫がいた。窓のサンに肘をつき、ぼんやりと外を眺めている。窓の先にはそれなりに高い山があった。このあたりは山脈が挟む盆地に位置しているため、少し遠出すれば少し標高の高い山がいくつかありそうだ。
「あ、宮守さん。朝はいろいろありがとう」
こともなげに忍は言った。宮守椿姫は振り返り笑みを浮かべた。社交辞令的なものだろうが、そんな顔ができるのかと紫苑は驚いた。
「お加減はどう?室戸猿さん」
「最悪だな。誰かさんのせいで」
「あら、私は色々助言したんだけどな。短慮にもほどがあるんじゃない?よくこの高校入れたわね?」
宮守は口元をつり上げた。
「受け取り手が理解できない助言は助言じゃない」
「それはあなたに知性が足りないから。オイディプスみたいに」
「なんだよそれ」
「彼は足が動かないんだけど、そっちも似たようなものだわね」
宮守はそう言って、くっくと喉の奥で笑う。
「宮守さん。それ以上はやめて」
忍が言った。その声音は水を均したかのように平らだった。
「――不愉快だよ」
そう続けた。あまりも普通で、これ以上ないほど感情を秘めた声だった。
「…そう、それがあなたの一線なのね。それはそれで色々と興味深いけれど」
宮守はそう言い、二人をみた。
「そこの猿はともかく、あなたの逆鱗には触れないほうがよさそうね。周到に報復してきそうだし」
「そんなことないよー」
忍はひらひらと手を振った。
「じゃあ、報復に慄いて一つだけお節介。室戸猿くん。あなたが切られたのは腕だけじゃない」
「紫苑だ!…心臓はこの通り動いているぞ?」
「それは、鎧の操り主が怖じ気付いただけ」
「操り主?あれは人間だったろ?頭はおかしかったけど」
「あれをみてまだ人間だと思っているその頭には鳥も驚くっての。二足で歩いてれば人間ならゴリラも人間よ。あなた相当脳みそ硬くて小さいのね。あれはそんな真っ当なものじゃないわ。幽霊の首に縄をかけたみたいなものよ。あれは自分の意思で動いているんじゃないわ。もっと粗末なモノ」
「悪いがオカルトは信じない主義だ。そしてそんなヤバげなことをのたまうてめえも同じくらい信じられない」
「そう、じゃ、病院行ってみたらいい。その腕は絶対に治らない。そしてあなたの大事なものも奪われたままだしね」
「そういえば、さっきもそう言っていたよね?紫苑は何を切られたの?」
「教えてあげない。ただ、落し物に注意したほうがいいし、買い物は控えるようにしたほうがいい」
「なんだそりゃ」
「だってあなたは今、ツイてないし、ツカれているから」
ふいっと宮守椿姫は踵を返した。手には古いデザインの学生鞄を持っていた。
「なんにせよ。あなたは早めにうちに来たほうがいい」
「ああ、あの胡散臭い口上。青岳神宮…だったか?」
紫苑がそういうと椿姫は一瞬反論しようとし、フンっと鼻を鳴らした。
「胡散臭いのは承知よ。でもそれ相応の異界がこの町にはある」
「…あの森のこと?」
忍が訊ねた。
「そう、あの森よ。正確には山かな。山だった、とも言えるけれどね。なんにせよあの世界で起こったことは、然るべき手順を踏まないと取り返しのつかないことになるから。それができる私んち宣伝しておいて損はないと思わない?」
「そんな自信があるのならテレビでも有名になりそうなものなのに」
実際そんな有名ではないだろう。有名ならば、わざわざこんなところで宣伝する意味が無い。
「マスメディアの目的は真実を宣伝することじゃなくて真実を面白くすることだからね。それに忍くんも同じようなものじゃない。自分の目立たせて「森」についての情報を集めようって魂胆だったでしょ?」
紫苑は驚き、忍をみた。そんなことを考えているとは思わなかった。
忍は肩を竦めた。
「お察しの通り、愚策だよ。まだこの町で情報を得る術が少ないし、時間をかけずにするには目立つしかないよ。たくさん情報があれば吟味できるから。まだ誰を信じていいかわからないし、――君も含めて」
「言ってくれるね」
「でも、僕にも君があんな方法を取った理由がよくわからないけど」
「私なりの流儀よ」
「流儀?」紫苑が訊ねる。
「目には目を。歯には歯を。噂には流言飛語を。そして呪いには呪いを。噂や伝説に大きな声は意味はないわ。効果があるなら、絶対の真実か、低く流れる対照的な流言しかないから。そして噂と呪いは殆ど同義よ」
「したたかだね」
忍はそう返したが、紫苑には抽象的すぎてわけがわからないままだった。噂には噂?あの森は夢のようなものだったが、確かに「実在」した世界だった。
「ま、私はまだやることがあるし。あなたたちもできるだけやってみたら?無駄だと思うけどね」
そう言って宮守椿姫は帰っていった。紫苑はまた話そうとも思わなかったし、頭を下げる気もなかった。
だが彼女の言ったとおり右腕にはまったくの異常もなかったのだ。
行く度医者も頭を抱えていた。市内にある病院をいくつも回ったが、皆、同じことしか言わなかった、曰く「動かないのが不思議なくらい健康だ」と。挙句の果てには仮病を疑われてしまう始末だった。
呪い。そんな非現実的な発想が頭を過ぎった。紫苑は自分に信心など砂粒ほどもないと自負していたが、感覚の無い右腕を吊り下げているとネガティブなイメージを抱かずにはいられなかった。
呪いなんて幼稚な発想をするなど馬鹿らしいと、心に鞭を打ったが、あの女に頭を下げる以外の選択肢がなくなっていくのを感じていた。
夕方になった頃、あきらめて帰ろうとした。金銭も余裕がなかったし、この町でできる医療では治療は不可能だと察したからだ。
「ねえ。紫苑。やっぱり宮守さんに頼んだら?」
「…嫌だ」
声に覇気が乗らないのは、疲れのせいだけではなかった。
一度啖呵を切った相手に助けを請うのは、紫苑にとっては限りなく屈辱だった。
「恥を知らぬは阿呆に近し、孫子も言っているよ?」
「”恥を知れば勇に近し”だろそれ」
「同じことだよ」
「青岳神宮か…」
紫苑はつぶやいた。
「お守りくらいもらっといたら?金運招来、健康祈願」
南無南無と忍は手を合わせた。恐らくそれは神社ではなく寺でするものである。
しかし、お守りか。
どの規模かの神社にもよるが、あの宮守椿姫の住む神社なら販売していそうではある。
金運招来。と聞いて、ふと財布の残高が気になった。病院では健康だったためか、あまり料金は取られなかったが、それでも相応の出費はしている。概算はしているが、確認しておきたかった。
「…あれ?」
紫苑は、宮守の言葉を思い出していた。
――あなたはツいていないし、ツかれている。
しっかり閉められた紫苑の鞄の底にあったはずの財布が、なくなっていたのだ。
紫苑は血の気が引いていくのを感じた。
呪いが、体を蝕んでいるように感じるのは果たして錯覚なのだろうか。
それとも。