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異界Ⅰ

下手な戦闘描写にご注意ください。あと誤字にも

「なあ、忍」

「なあにー。紫苑」

 のっしのっしと二人で歩く。下り坂だがたまに木の根竹の根に躓いたり、湿った落ち葉でずるりと滑りそうになったりするので、速度はない。

「俺たち、町の中にいたよな?」

「せやねえ」

「それがなんで今山降ってんの?携帯圏外だし」

「僕らが孤高の人だからさね」

「すっげえハイキングちっくな孤高だな」

「あっイタドリ発見」

 そう言って忍は脇に生えていた虎杖を折った。ぽんと良い音が響く。確か良い音で折れる虎杖ほど美味という話である。忍は赤緑の竹のような皮を向いて口に含んだ。

「うえ~~~。酸っぱい」

「当たり前だ」

「昨日発掘した発酵された靴下みたいな味」

「イタドリに謝罪しろ。そして掃除をしろ。さらにいうなら靴下食うな」

「ごめんなさい」

 山林に迷いすでに一時間が経過していた。時間を気にしていなかった。時計をみるとすでに入学式が始まっている時間である。焦っても仕方がないし、下手したら、いや、下手しなくてもこれは遭難してしている。忍ではないが水分を補給したかった。

(たしかイタドリって初夏になるもんだよな)

 小学生の登下校のときの記憶を辿り紫苑はふとそう思った。少し季節が早い。まだ四月である。

「ってそうじゃねえよ!ここはどこなんだよ!」

「だから森じゃん。馬鹿なの?」

「それはわかっとるわ!どこの森だよ!どこの世界に路地裏の途中に森があるんだよ!」

「トンネルの向こうにある銭湯かな?」

「湯婆婆さん捜して殴るぞ。…まったく。この道で合ってると思うか?」

「一応この道、人が歩いてできたものっぽいけど」

「なんでだ?」

「落ち葉が少なくて、若い草が不自然にちぎれてるところが多い。それに、木も一つの方向に開けているしね」

 紫苑が視点を下に落としても、同じような落ち葉が周りの林同様に敷き詰められているようにしかみえない。前方も同様だ。

「…わからん」

「いや、無意識に分かってる。紫苑は。紫苑の方が半歩先導しているけれど、道から外れないもの」

「じゃあ、この先降りていけば、町に戻れるってことか?」

「そうだと考えたほうが気が楽だね」

「じゃあ、ちょっと俺が心配なこと言っていいか?」

「なに?」

「忍、今時計何時だ?」

「え?そろそろ入学式の長いスピーチ終わる頃だろうけど」

「ああああああ、初日遅刻とかああああああ」

「落ち着け紫苑」

「…そうだな。午前十時半辺りだ。でもな森の中だと気付きにくいが――日が紅い」

「それ、僕も気になってたけど、光の加減じゃない?朝日でも同じ現象起こるでしょたしか」

 朝焼けだっけ。と忍は言葉を切った。

「あのクソ親父に入れられたボーイスカウトのキャンプ経験が夕日だと囁いている。というか朝焼け起こるの日の出くらいだぞ」

「一ヶ月でやめたくせに」

「だまらっしゃい。つかお前初日でばっくれただろ。…おかしいことだらけだ。なんだ?路地途中でタイムマシンにも乗ったのか?」

「その話五度目だよ。それで、それだけじゃないでしょ?気付いたこと」

「ああ、日の沈むスピードがやけに早い。この一時間くらいでもうこの有様だ。もう、このペースだとすぐ辺りが暗くなる。こんなことあり得るのか?そもそも、どうやってここにきた?ここは町どころか平地ですらない」

「夢とか?」

 紫苑は忍の頬をつねる。それはもう引きちぎるように。

「ひひゃい(いたい)」

「現実だな。白昼夢にしちゃもう暗い」

「僕が夢の産物とは考えないの?」

「お前みたいなやつ、俺の脳味噌ごときじゃあ想像がおいつかねえよ」

「光栄だよ。兄貴」

「…歩くぞ」

 ともかく、日が暮れる前に人がいるところまで出なければならない。

「そういやさ紫苑。神隠しって知っている?」

 しばらく無言で山道を下っていたが、突然忍が口を開いた。

「あれか?銭湯で働かされて、名前を思い出さないと帰れないやつ?」

「あれはどっちかというと桃源郷の部類にはいるかな。簡単に言うと、理由も分からず人がふっといなくなること」

 なんとなくは紫苑も知っている。しかしそれは伝聞どころか、昔話の域をでないほどの知識だ。

 人がいなくなる。どこに行ってしまったのかすらわからない。そして、誰からも忘れ去られてしまう。

 その程度だ。

「神隠しの被害者には特徴があるんだ。だいたいの被害者は若い。そして、被害者は神隠しにあっていたときのことをなにも覚えていない。覚えていても証言がちぐはぐだったりする。」

「ちぐはぐ?」

「うん。天狗に会って諸国を飛んで回ったとか。うさぎを狩るため追って回っていたら、あるはずのない村に着いて世話になってたとか。ごちそうを食べていたらそれは狐に誑かされたとかね」

「…天狗、化け狐に、ウサギ狩りとか証言の背景がやたら古く感じるんだが」

「そりゃね、殆どが大正、昭和辺りの証言だし」

「最近のはないのか?」

「ないだろうね。今時行方不明者を「神隠しだ」とか言う人はいないでしょ?それに家出の言い訳が天狗にさらわれたって信じてもらえると思う?」

 なるほど、と紫苑は思った。

 治安が良い日本とはいっても年間の行方不明者は万を軽く超える。その中には家出も多く、後をたたないとニュースでもみたことがある。それに行方不明でもその届けが余りに多くまともに捜索されていない人たちも多い。

 それは恐らく昔の時代でも同じだっただろう。

「昔は捜査の技術も拙かっただろうし、見つかったときに子供が家出した理由をまともに言えるとも思えない」

「そこで天狗にさらわれた、か。アホらし」

「でも、当時の人たちはそれで信じざるをえなかったと思うよ。自然科学も浸透していなかった頃だろうし。神隠しに会う人は大体農村の人だから。教育も受けられない人が多かったんじゃないかな。むしろ、「天狗がいること」を教育されてたと思う」

「それが常識だったってことか」

「そゆこと」

「じゃあ、神隠しとか言われるものは全部嘘っぱちってことか?」

「いや、そうともいえないみたい」

「ん?」

「事件のいくつか。特に生きて帰ってこなかった事例には不可解な点が多いらしい」

「不可解?」

「大正末期の事件だったかな?ついさっきまで家にいた子供がふいにいなくなり、同じくらいの時刻に三里、つまり十二キロ離れた家の屋根にその子の草履が揃えて置かれていたとか。子供どころか大人でもなかなかいけるはずのない標高の山の山頂に子供の死体があったとか…ね」

「……」

「火のないところには煙は立たない。「そういうこと」はもしかしたら…」

「…で、俺らが神隠しにあっているかもしれないって言いたいわけか」

 ご明察、と忍はうなずいた。

「天狗はいないけどね。狐なら可能性、原子レベルで存在するんじゃない?」

 紫苑は周りをみた。雑木林には獣の気配どころか、虫の鳴き声もしない。それはそれで妙だ。

「こんこーん」忍が狐の鳴き声をしたが、そのどこか府抜けた声には何も帰ってこなかった。




 ついに夜になった。迷い込んでから三時間しか経っていないのに、すでに森は見通しが効かなくなっていた。気温も低い。

「はあ…。はあ…」

 紫苑も忍も、足場の悪い道を歩き続けていたため体力は底を付き掛けていた。

「ふう…。紫苑、一端休んだ方がいいと思う」

 地面の起伏に足を取られそうになりながら忍が言った。

「そう、だな」

 ちりんと鈴の音が聞こえた。ここ二週間にきてからずっと聞き続けていた音によくに似ていた。

 春?ついてきたのか?

「春?」

 紫苑が暗闇に呼びかけた。

「え、紫苑、春なんていないよ?」

「忍、鈴の音聞こえなかったのか」

「いや?」

 りん…。

 また聞こえた。

 紫苑は音の方を向いた。薄闇ではっきりとは見えなかったが、蕗が群生しているあたりだった。蕗独特の匂いが鼻についた。

 薄闇のせいでもあるが、何もいるようにはみえなかった。

「…紫苑ちょうどここは地面も平らだし、湿ってない。月明かりもまああるし。休も」

「そうだな。薪でもするか?」

 紫苑は腰を下ろした。落ち葉のせいか少し暖かく感じた。

「そうだね」そう言いながら忍は腰を下ろし、ポケットから煙草を取り出した。

「紫苑、火ちょうだい」

「…」紫苑は箱ごとそれを即座に奪い取り潰した。

「酷い」

「没収だ。そして廃棄」

「神隠し中だから法律には裁かれないよ」

「そういう問題じゃない。というか何で煙草を持っていて火は持っていない」

「それは紫苑が火を持っていない理由にはならない」

「なんだよその微妙な逆ギレは。というか俺も持ってねえよ」

 入学式にいくのになんでライター持っている必要があるのか。

 ちりん…。

 また聞こえた。

「忍。聞こえたか?」

「ん?なにが?」

 やはり、紫苑にのみ聞こえているようだった。

 ちりん。

 蕗の絨毯に足を向ける。

 ちりん。

 その音を頼りに蕗をかき分ける。

 ちりん。

 …そこには、白い小人がいた。

 小さな蕗の下、まるで木陰にたたずむように碧眼の小人がいた。服飾品はなく、生殖器もみあたらなかった。体型は子供のそれだったが生き物のような体温は感じなかった。小人は紫苑を見上げ、ぽかんとした表情を浮かべみつめあうそして。

「ボクチキュウジンデス、ナイストミートユー」(裏声)

「にーーーーーーーー!」

 驚くほど高い声で、鳴き声をあげた。

「お、俺は不審者じゃないぞ!」何を言っているのか。パニックである。

「紫苑なに?この声」

 忍も気付いたようだ。こちらに近づき、蕗の森をのぞき込んだ。その隙に白い小人は蕗の林に紛れてしまった。

「ま、待て!」

「ちょっと紫苑!」

 紫苑は蕗の葉をかき分けたが、どこにもその姿はなかった。

 そのとき、甲高い音があちこちから響いた。口笛のような、虫の羽音のような音が幾重にも重なり不協和音になった。複雑な音の出方だった。

 一際近くで音が鳴った。その音の方をみると鈍い毛並みのネズミに乗った小人が口笛を鳴らしていた。恐らく先ほどの人(?)である。

「メルヘン」

 ぽつりと忍が言った。そういう問題ではないと紫苑は思った。

 こちらに気付くと、鼠に乗った小人は森の奥へ消えた。

「追うぞ」

「なんで?」素っ頓狂な声を忍があげた。

「あれがなんなのかわからんが、ここから抜け出せる手掛かりかもしれん。この際常識は無視だ」

「危ないと思うなあ。明らかにあれUMAっていうか、沼地の鬼火とか、絶対見間違いかなにかだと、って待って紫苑!」

 紫苑は飛び出し、森の中を掛けた。折れた竹、突き出た植物と暗闇もあり、鼠を駆る小人とは差が縮まらなかった。

「くそっ!待て!」

 白亜の肌を持つ小人は、油気のない毛の鼠の背に揺られ駆けている。たまにこちらを振り返るが、少し恐怖を抱いているようで、青い瞳は揺れている。小人はそれ自身が仄かに淡い光を放っている為、見失うことはなかった。

 なるべく音を大きくして走った。足下はおぼつかなかったが、速度的には振り切られることはなさそうだし、忍とはぐれるわけには行かない。紫苑は頭は空っぽのだが勘と五感は優れている。森では音が聞こえにくいが、紫苑ならば追ってくるだろう。それに強く足を踏めば、明るくなって足跡を辿ることもできるかもしれない。

 ピィ!と短く鋭い笛を小人が吹いた。それに呼応するように、多方向から長い音が幾度も響く。不協和音特有の、ずれのある不快感が耳につく。

 (こいつら、笛で会話しているのか?)

 息を乱しながら紫苑は思った。不思議な抑揚がついた口笛の音は交互に響きあい、音楽的な旋律はどこにもない。

 差が縮まってきた。このままなら捕らえられる。

 焦ったのか、鼠がひときわ高く跳躍した。紅い瞳の小さな獣は侮蔑するようにこちらをみた…気がした。だが、それに気を止める間もないまま紫苑は鼠を駆る小人に飛びついた。

 瞬間、小人は頭上から落ちてきた小枝に足をかけ、空中からさらに夜空に跳躍した。

「な?」

 紫苑は驚きながら、腹から地面に着地しようとし、踏むべき大地が五メートルも下にあることに気がついた。

「なあああああああああああああああ!」

 刹那、空を睨んだ紫苑は、小馬鹿にしたような鼠の目と安心したような小人の目を同時に見た。

「このハムやろおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 賢しい鼠に対する罵倒であったはずだが、なぜハムスターになったのかは紫苑自身もわからなかった。上を見たせいで背中が下になった。

 ともあれ、紫苑は背中から見事に落ちた。

 浮遊感、そして衝撃。

 痛かった。声も出ないくらい痛くて五秒ほどひきつり、悶絶した。

「…っ!…っ!」

 本当に痛いと「いたい!」とか言えない。とてもじゃないが言えない。一回やってみたらわかる。衝撃で肺が揺さぶられて息ができないのだ。

 死ぬかと思った。というか頭痛くて本当に死にそうであった。

 どうやら背中の感触から察するにむき出しの堅い土である。ふざけんな。

 (何でここだけ草生えていないんだよ!)

 叩頭独特の痛みにより朦朧とした頭でそう思った。背の低い草か、乾いた落ち葉があればまだ衝撃がましだったはずだ。意識が遠くなる。

「あ、いたいた紫苑死んでるー?」

「…てめえが死ねぇ!」

 蘇生。

 脳天気な声への怒りにより、意識は瞬時に覚醒した。

 仰ぎ見ると急勾配という言葉すら甘いほどの坂の上に忍がいた。

 大地の断面のは様々な太さの根がひしめき合い、蛇の川が時をを止めているようだ。だが先程落ちた衝撃か、砂のような土が蛇の鱗である根の表面からさらさらと落ちてきた。

 忍は太い根に足を引っかけながら降りてきた。

「辛うじて生きてて残念だったね紫苑。で、あの小人さんたちはどちらに?」

「知るか。鼠にのって夜空に逃げやがった」

「詩的な小人さんだ。立てる?」

「起こしてくれ。まだ体中が痛い」

 忍が手を伸ばした。相も変わらずマネキンよりも白い手だ。美しいのだろうがまだ人形のほうが血色がいいだろう。それが神からのギフトか、呪いかは紫苑も預かり知らない。それは女性の手によく似ていて…。

「大丈夫だよ紫苑。これは僕の手だ」

「…余計なお世話だ」

 大理石よりも滑らかなその手を取り起きあがる。思った以上に腰を強打したらしく、支えになる腰は鈍い激痛を迸らせた。

「痛つ、くっそ、あれはなんだよ。捕まえてムツゴロウに送りつけてやろうか」

「だしぬれたくせにねえ」

「ああ?」

「まだまだ子供だ」

「うるせえ。…暗くてよくわからないけど、ここは開けたところみたいだな」

「みたいだね。地面もむき出しになって、あれ?これ」

「どうしたんだ?」

 問いかけても忍は答えず、腰を下ろして土を触った。乾いた土がほろほろと指の間を滑り落ちる。すると忍はこするように地面を払う。紫苑からみると暗くてその手元は定かではない。

「おいって!」

 紫苑は痺れを切らして軽く怒鳴った。忍はそれに反応しようとしたとき。

 ガシャリと、金属がこすれる音が響いた。

 闇夜の林は何もみえない。だが、ガシャリ、ガシャリという重く踏みしめる音が、何かが闇からやってくることを証明していた。そしてそれは限りなく人間の発する音に近かった。

 獣どころか虫すらほとんどみかけない(妙な生物はいたが)この山で、二足歩行をする霊長類だと初めて期待をよせた。

 汗の匂いか、鉄の匂いか、そういったものを引き連れ闇夜に浮かんだのは、冷たい漆の色をした翁の面だった。

 今度は紫苑も忍も、声がでなかった。月光を浴び姿を得ていくそれは、ガシャリと鎧をこすらせた。

 若草色の鎧だった。胴体の板のような部分に大きな切り傷があり、肩の部分も大きくえぐれている。足の足袋はほぼ茶色い素肌をさらしていた。兜はなく、長い髪が翁の面の後ろから流れ、古の妖怪のように、恐ろしげな艶をはらみつつ影に延びている。身長は目算で百六十センチくらいだろうか。右手には恐らく二メートルにも及ぶ槍、左の腰には二本刀剣らしきものが差されていた。翁の面の瞳には夜よりも深い黒があり、表情が読みとれなかった。

 コスプレ、とかいうものだろうか。だがそれにしては装飾が少ない。鎧も稲の茎のような色だ。誰かに見られるという前提は感じられないし、こんな山奥にいる意味がわからない。かといって、この鎧をきた変人が幽霊みたいなオカルトにもみえない。

「すみません。ここは一体どこですか?、それにその格好…」

 とりあえず紫苑は訊ねた。

 鎧の男は言葉には答えなかった。代わりに、槍から手を離し、右手を刀の柄にかけ一気に抜きはなった

。鈍い色彩を放つ切っ先をこちらにむけてピタリと止めた。




 まずいと本能的に危機を感じ、一瞬早く紫苑が動く。

 それに呼応するように鎧の切っ先が…ブレた。

 土が深く沈む音とともに二メートルあった距離が一瞬にして詰められる。構えは上段、振り下ろす先は忍。閃きのような刃の残像、空気の擦音。

「忍!」

 紫苑は忍を体当たりで突き飛ばした。忍はぎりぎり刃の軌道からはずれる。忍は理解の追いついていない顔だった。だがその後、驚愕に染まった。

 なぜなら上段から振り下ろされた一閃はかわし損ねた紫苑の右腕を根元からを両断したのである。

「紫苑!」

 その光景をみた忍が絶叫を上げる。

 紫苑はまるで刀身が溶け、液体となって腕を通過していくような、そんな気味の悪い感覚を感じた。

「なん…」

 驚愕する間もなく、地面に振り下ろされた刀が切り返しのもつれなくそのまま紫苑の顔面に跳ね上がる。紫苑は恐怖心そのままに両足に力を込めそれをかわし、鎧の男と距離をとった。

(腕!俺の腕!)

 学生服の黒い生地が覆う腕は、なにごともなかったかのように、繋がっていた。

(ある!ついている!)

 安心感と疑念が同時に起こったが、それを考察する余裕はない。それくらい焦燥が身を包んでいた。

「なにすんだてめえ!」

「……」

 紫苑は罵倒を返した。が武者は何も言葉を返さず、再び刃を構えた。

「なにすんだって聞いてんだ!ぶん殴るぞこの映画村野郎!」

 目の前にいる鎧武者は寸分の揺れもなく鋭い切っ先を向け対峙している。そこには露ほどの動揺も、気負いも、憂いもない。ただ純粋な害意だけがそこにあった。幾度も経験を重ねたかのように、刃に馴染んだ殺意だ。

 なんだよこのコスプレ野郎!

 紫苑の頭の中には理不尽な暴力に対する怒りが渦巻いていた。

「…紫苑、話が通じないし、こいつ、やばい。逃げるよ。頭を冷やして」

 それを察したのか。忍が言った。

「ここまでこけにされて黙ってろってか?」

「この状況でその考え方できるのは紫苑だけだろうね。だけどやりあうのは悪手だよ」

「俺の腕は無事だ。斬られても大丈夫みたいだぜ?」

「見間違えかもしれない。とにかく逃げるよ」

 その言葉は正しい。刃が体を通り抜けるなど、普通はないことだ。勘違いである可能性も高い。それに武者はこちらに害意を持っていて話も通じない。

 だが先ほどのこの武者の脚力は常人離れしていた。背を向け、逃げ出したところでその間に距離を詰められるだろう。忍の言うとおり逃げ切れる確率は低い。

 ならば、確率を上げればいい。

「そうだな。上手く逃げろ。忍」

「え…紫苑?」

 危険を背負うのは、自分がやるべきことだ。自分の命はさほど重くないものだから。少なくとも忍よりは。

「後ろの崖を登れ!なんだか知らないがこいつは一回ぶん殴る!」

 紫苑は忍に叫んで、武者に距離を詰める。武者の刃は最小限の動きで刃を伸ばす。冷たく早い突き。かわせるわけがない。

 だが、先ほどの出来事が本当ならば。

 氷のような感触が心臓を貫く。肉を断ち血を冷やす、しかしそれには痛みはない。そのまま真下に薙がれる。左胸の端から左の骨盤の脇まで。血はでない。だが、上半身左半分から、ごっそりと何かをごっそりぬきとられた感触があった。

 紫苑を突き刺した武者に動揺はない。翁の面の眼孔は夜よりなお暗いままだ。本当にその奥に眼球があるのかすら疑わしい。

 体から抜かれた刃が再び振るわれる。だが今度は頭部に峰打ちを与えられた。

 脳天が揺れ視界がぶれる。そのまま紫苑は倒れた。それで武者は満足したのか、紫苑を無視し忍を追う、紫苑は安心していた。今の時間稼ぎで忍は逃がせたはずだ。

 だが忍は逃げ出していなかった。

「馬鹿野郎!早く逃げろ!」

「そんなことできるか馬鹿兄貴!」

 そのまま横に刃が振るわれる。その一閃は忍の眼前すれすれをかすめた。そのまま忍は後ろに尻餅をついた。

 足元がおぼつかないのを強引に無視し武者に抱きつくように掴み掛った。さすがに驚いたのか武者の動きが止まり、抜け出そうともがいている。

 忍になにか叫ぼうしたとき、紫苑は右手にあたる何か細長いものを感じた。

 武者のもう一本の刀だ。

 咄嗟にその柄を掴み無理やり引き抜く。鎧は狙いに一瞬遅く気付き、刀を奪おうとする紫苑の腕に拳を振り下ろす、が紫苑のほうがわずかに早かった。

 空いた左手で武者を後ろに突き飛ばす。武者は少し体勢を崩しながらも即座に立て直し刀を奪った紫苑と向かい合う。紫苑も同じように見よう見まねで構えて威嚇する。

二振り目の刀が本来とは違う主に構えられる。覚悟していたよりは重くはない。が、振るうことは難しい重さだ。

 ただ、紫苑もこれで戦おうとは思わない。相手の出足を躊躇わせるだけでいい。鎧は青眼にかまえながら体重を少し後ろに乗せていた。牽制にはなっている。

「いけ!忍!俺もすぐ行く!」

 その言葉には納得したのか、忍は即座に後ろに走り、崖に生えている根に手をかける。仮面武者の目線がそちらに向いた。わずかな隙ができた。

 紫苑はそれを見逃さず、自分も崖に走った。本でみた程度の知識だが日本の鎧というのは重い。垂直に近い木根の崖など登るのは難しいはずだ。登れるにしても生身のみよりは労するのは間違いないだろう。出足さえ止めてしまえば利はこちらにある。忍はすでに崖の上あたりだ。

木の根に右手をかける。一気に二メートルほど上った。

 鎧武者は、背を向ける。紫苑はあきらめたのかと思い安堵しつつさらに上の根を掴もうとした。細い根だ。

「紫苑!急いで!」

 切迫した忍の声が上から響く。あり得ないほどの悪寒を覚えつつ後ろを向くと。そこには二メートルもある槍を片手で肩に掛けていた。

(…投擲!)

 確信したとき戦慄した。昔美術館でみた槍を投げる勇者の石像を思い出した。

 紫苑は一刻も早く崖を上ろうとした。だが、そこで違和感に気付く。

 ――右腕が上がらない。

 まさに、先程突かれ薙ぎ払われた部分が神経の命令をを全く無視していた。いや、その感覚がどんどんそがれていく。服が肌を触れる感触はあるのに、筋肉が動かない。

 あの刀は、肉を切り裂かず腕の神経そのものを斬ったとでもいうのか。 

 動けない、このままでは狙い撃ちだ。あの投げられる槍に貫かれればどうなるのだろう。

 心臓?あるいは頭部?それらの全てが右腕と同じように活動が止められるのだろうか。

 興奮状態で無視されていた恐怖が全身を襲う。吸った息がうまく肺に入らない。

 右腕が動かず上手く登れない。槍を構える方からすれば、脚を失った兎も同然だろう。

 槍がうなりをあげて投擲される。刀を持つ左手は根は届かない。槍は空中で何回かしなり、六メートルもの距離を即座に詰めたそれは、

 ――寸前で何かにぶつかり軌道をわずかに変えた。

 それは鳥のように感じた。だが形が明らかに生物ではなかった。

 紫苑の顔の隣に槍が突き刺さる。その穂先には、美しい花が描かれた扇が射抜かれていた。

 真っ白な、椿だ。

「まったく。鈍臭いたらありゃしない。月の兎でももう少し素早いよ」

 森の奥、乾いた土を敷き詰めた広場のさらに奥から女の声が響く。それは甘く、それでいてどこまでも通るような凛とした美しさを持ったものだった。

 森の帳から現れたのは制服を着た女の子だった。今朝会ったあの脳天気なコンビニ店員が着ていたのと同じ紫苑の学校の制服だ。

 身長はそれほど高くない。鎧をきた男よりさらに低い。月夜を移す艶の髪をうなじの上に上げ編んでまとめた髪。高校生の割には起伏の少ない体。だがにじみ出る余裕は、凶器を持つ武者に対しての優位を誇示していた。華奢なその姿ではハッタリもいいところだ。

「………」

 しかし、件の鎧武者は、その女に対しこれ以上ない警戒と敵意を向けていた。

「やる?」

 屈託なく少女は武者に問うた。それはこの状況が自分に対し勝利しかもたらさないことを確信している様子だった。自分の害意が、武者の害意を凌駕することを疑っていなかった。

 事実、鎧武者は蹴落とされている。凶器は勿論、得物すらない単なる丸腰の女にだ。鋼でできた得物を手にし、その切っ先をまっすぐ向けているのにも関わらず。

 だが腹を決めたのか、中段にかまえたまま女に対し歩を詰める。

 パァンと、女は手を強く打ち鳴らした。

 それは瑞々しい花が茎からすとんと落ちるのに似た音だった。

 鎧から力が抜け、崩れるように膝を突いた。刀をたて脱力し、女に対し頭を垂れる。

「降りてきて」

 女は、鎧をみながら言葉を発した。それは森に吸い込まれる。

「お前のこと。そこのお猿さん」

 そういい、紫苑を睨んだ。体を動かさず首だけで振り返っていたため、さらに眼光がきつくなっていた。

 その言葉に紫苑は頭にきた。手を離した。

「急にでてきて人を猿呼ばわりとは、とんだお姫様だな?」

 紫苑の明らかに血の上った発言に女は顔をしかめた。

「へえ、あの槍に貫かれるのがご所望だったの?私はそれでもいいけれど」

「あんたに助けられなくても避けられた」

「あとからならなんとでも言えるね」

 紫苑は地面に降りた。女は半身紫苑に向けた。

 美しい女だった。それは容姿がということではない。確かにそれも美しいが常軌を逸した美貌ではない。たたずまいだ。もし限りなく透明な氷柱が立っているならばこの女のような清涼さだろう。清廉された雰囲気、古風で凛とした何かだ。

 ただその潔癖に近い美しさは、紫苑は嫌悪した。それよりも怒りが先立った。

「どちらにしろ、俺は生きてたはずだ」

「いいえ。どうせお前は、切られても大丈夫だとたかをくくって突っ込んだんでしょう」

 その通りだったので、紫苑は言葉を詰まらせる。

「派手に切られたのね。馬鹿なの?」

 蔑むような目を女は向ける。隠すことない心からの侮蔑だ。紫苑の体には傷のようなものはなかったが、左腕は相変わらず動かなかった。

「俺は馬鹿じゃない」

「無知と馬鹿は同義よ。そしてそれすら理解できない人も大馬鹿」

「ばかばかうるせえな」

「阿呆、ど阿呆」

 子供の喧嘩だ、と降りてきた忍は呟いた。

「助けてくれてありがとう。どうやら、同じ学校みたいだけれど」

 忍は礼を言った。女は嘗めるように忍をみた。それは忍の容貌にみとれてるというよりも値踏みするような視線だった。

「ええ。今日入学式ね」

 女のリボンも薄緋色だった。

「もう終わっているだろう」紫苑が言った。

「やっぱり馬鹿じゃない。まだ始まってすらいない」

 女はそう言った。どちらが馬鹿だと紫苑は思った。もうすでに空は三日月と星が統べている。夜だろう。

「ここは、どこなの?」忍が訊ねた。

「山よ」

「そんなことわかっているっての!」

「そうなの?びっくり」

「喧嘩売ってるのかてめえ」

「まあまあ…、そうじゃなくて、「どういう」山なの?この年で神隠しにあえるとは思わなかったけれど」

「…なるほど、迷いこんだわけね。どんな感じで狐に化かされたの?」

 忍が経緯を説明した。たまに紫苑が補足を入れたがその度に女と口論になり、その度に忍に諫められた。女は質問をわかりやすくなおかつ鋭く訊ねてきたが、怒りに対しては挑発で返し、挑発にも挑発を返した。沸点が低い紫苑にも原因はあるが、会話が長く激しく弾んだのは間違いなくこの棘しかない花みたいな女のせいだ。

「そう、あの店の近くでね…」

 大まかに経緯を語り終えると、女は考え込んだ。輪郭のはっきりした顔と微かに睨んでいるような目だから、腕を組み思考にふける様子はサマになっていたが、身長が少し低めのため、意気地な幼子のような印象があった。

「それで、君はどこから来たの?もし本当に入学式がまだなら、遅刻したくはないんだけどなあ」

 忍は言った。ただその声は嘘をわざと信じるような色があった。夜も更けた今、メダカの学校すらあいていないだろう。

「そうねえ。厳密にいうなら、私の入った道はなくなっているんだけど、出口教えてあげてもいい」

「どういうこと」

「日本は資本主義の国で、私はそれを全うしようと思っている」

 つまり、対価を寄越せということか。

「僕ら、苦学生なんだけど」

 忍は肩を竦めた。

 事実、背負っている鞄は中学のもので、制服の上着以外は、知り合いのお下がりだ。

「別にお金はいいわ。いうじゃない、お金で買えないものがある」

「そんなの本当はないと思う。そんな価値のもの、僕らはもっと持っていない」

「そこの猿の持っている刀」

 ズビシと指さした人差し指は紫苑を向いていた。まだ紫苑の右手にはあの武者から奪った刀を握っていた。

「それくれたら教えてあげる。出口も他のことも」

「嫌だ」紫苑は即答した。

 主導権がどちらにあるか、わからない紫苑ではない。だがこの女にリスクをとった末に手に入れたものを渡したくはなかった。

「あら、猿が片腕で生きていくのはきついんじゃない?」

「人間には医学がある」

「治せない病があるのも人間」

 ぴしゃりと皮肉で返される。

「自力で治してやる。これくらい」

 はあ、と忍がため息をつく。

「で、どうして君はこの刀を?」

「高く売れそうじゃない」

 女は、きっぱりといった。紫苑は改めて鎧武者から奪った刀をみる。まじまじみると確かに価値はありそうだと思った。よく時代劇でみるような刀と違い、柄の部分には何も撒かれておらず黒い塗料に装飾された木のみでつくられている。柄の端には黒鉄の輪がつけられていた。鍔にも装飾はなく、ただその刀身のみが鈍く月光を映している。

「そういや、君はなんでこの森に?」

 忍が口論を避けるためか話題を変えた。

「最近、子供が行方不明になっているでしょう?」

「ニュースでもやってたやつか」

「馬鹿はメディアにすぐ飛びつく」

 あまりにも刺々しい言葉に紫苑は一回りして毒気を抜かれた。

「その子がこの森に迷い込んでるの?」

「うーん。そうかもしれないってだけ。もしかしたら違うかもしれないし。でももし迷い込んでいたのなら、家出よりももっとまずい」

「この森何なんだよ」

「簡単に言うなら、白昼夢の森かな」

 こともなげに、女はそんなことを言った。

「で、その僕たちが白昼夢から抜け出すにはどうしたらいい?」

「それは誠意次第ね」

「…槍じゃあだめ?」

「駄目ね」

「うちの相棒はすごく頑固なんだ」

「猿ならお腹を出して平伏するところだけど」

「傲慢で生意気な女にみせる腹はねえよ」

 その言葉に女はかちんと来たようだった。蔑むように顔を歪ませる。

「じゃあ死ぬまで隻腕で生きていけばいい。私は知らない」

 そう吐き捨てて踵を返した。その先は道すらない森の入り口。

「あ、ちょっと待ってよ!」

 忍は引き留めようとした。

「一つ、警告よ」

 女はこちらを睨んだ。

「その鎧はまだ死んでいない。「繋がり」を一時的に切っただけだから、すぐ動き出すわ。助かりたかったらものわかりのいい人の道を進むことね。お猿さん」

 女はそのまま、森に消えた。すぐに追ったがまるで夢のように姿はかき消えていた。

「なんだよあの女!」

 紫苑は右手に持っていた刀で雑草を薙いだ。振り方が悪いのか切れなかった。

「いや、親切な人だよ。意外とね」

 忍が言った。

「どこがだ?」

「人の道を行けばいい。つまり、人為的に作られた道を行けばいい」

「?」

「さっきの広場、たぶん、土の下が石畳になっている」

「本当か?」

「うん。中途半端に落ち葉が分解されていて、水はけが悪い。それで軽く擦ってみたら案の定、加工断面の荒い石が見えてた」

 あの女の言葉を信じるなら、その石畳を行けばいいということ、なのだろうか?

「じゃあ、なんであの女はこっちに入ったんだ?」

「それは紫苑が怒らせたからだよ」

「あっちがさきに挑発してきた」

 やれやれと忍は肩を竦ませた。

「急ごう。もう鎧武者とはやり合いたくない」

 紫苑はそう言った。広場に戻り、水はけの悪い落ち葉の道を探し走った。左腕は感覚のないままぶらぶら揺れ、右手に刀を持っていた。

 リン。と音が響く。あの小人の鈴だろうか。朝日が昇ってきているようで視界が段々と白くなっていく。

 目を細め、開けたとき、そこには安い木板で仕切られた路地に立っていた。

 右腕はやはり動かなかった。口で無理矢理左の袖をめくり三千円の腕時計を確認する。

 時計は十時半を差していた。丁度入学式の途中のはずだ。つまり。

「一時間しか、経っていないのか?」

 携帯を確認すると、学校から何度も着信があった。慌ててそれにかけ直す。忍は基本的に携帯にでない。

 急いで学校に向かうことを告げ、走り出す。もう鈴の音は聞こえなかった。

 刀はすでに手にはなかった。まるで幻のようだったが、小さな手の中に小さな細長い鉄の板があった。それには文字が刻まれていた。磨耗し、文字自体崩れていたが、上部分はかろうじて読めた。

 「筑前国三笠」


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