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ゴートゥホーム!(1989年・夏)

⚫︎マハカメリア宮(?歳)

⚫︎城戸ユウキ(29歳)

⚫︎名呑駅

 改札口を抜けたホームには、中央に「なのみ」と大きな字で書かれた立て札があった。下には小さく「←ひだりなのみ」「みぎなのみ→」とある。

 その年は向かいのホームが揺らぐほどの猛暑だった。電車が行き来する度にドアから爽やかな冷気が出る。中性的な顔立ちの人間が一人ベンチに座り、突風に長髪が靡き汗が冷えるのを楽しんでいた。薄手のYシャツにはオレンジ色のストライプが入っている。

 マハカメリア宮である。

 雑事で右名呑(みぎなのみ)駅の先、大右名呑(だいみぎなのみ)駅に行かなければならず、しかもそこは一日に十本もない私鉄に乗り換えなければならなかった。

 先は長い。適当に持ち出した文庫本の『フルメタル・ジャケット』を開く。どうにもジャングルの戦争は暑苦しく臨場感が溢れすぎていて、読むそばから汗が落ちていく。明らかに選択を間違えている。

 すぐに閉じた。

「面白いのか、それ」

 低く大きな声が横から丸太のように押し出された。顔を上げたマハカメリア宮は気圧される。迷彩ズボンを履いた男がいた。だらだらと汗をたらし、上着の下にチラリと見える鍛えられた大胸筋は今この場にある全ての中で最も暑苦しかった。三十歳前後に見える。しかしニキビができている。

「……面白いんでしょうね、多分。ただ暑苦しくて今は読めやしませんけど」

 マハカメリア宮は皮肉めいた調子で笑った。しかし男の顔は一切変わらなかった。思い詰めた表情で髪も髭も伸び放題、目の下には濃いクマがあった。マハカメリア宮はあまり関わりたくないと思った。この暑さで汗をかいているくせに厚手の上着は脱がず、一ミリも笑わないが隣の他人には話しかけるような人間。

「あのな、話をしていいか。自分は」

 ――ほら始まった、何でいつも僕なんだ。

 マハカメリア宮は心中で独り言をたれた。お決まりの「偏見」で先読みする。

「あなた、もしかしてアレでしょう。多分あなたはPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされて眠れず、二週間ほど前にどこかの軍隊を抜け出てきたんだ。でも親とは家出同然に別れたままで家にも帰れない。だから家から最寄の、この駅に留まってる。後にも先にも向かえない。そして誰でもいいから話を聞いて欲しくて僕に――よりにもよってこの僕に――話しかけた」

 男は目を丸くして、マハカメリア宮をまじまじと見つめた。

「なんでわかるんだ」

 ――なんで? パターン入ってるからだよ。軍隊くずれなんて何人に呼び止められたことか。

「一応、正式ではないけど教祖なんで。スピリチュアル・スキル的なものだと思って下さい」

 マハカメリア宮の「当たる偏見」。

 ――シワ一つない服。姿勢が良すぎる。軍隊や刑務所から出てきた人間は大体そうだ。そして筋骨隆々。軍人じゃなきゃ知るか。加えて鞄一つ持たずにいるのは着の身着のまま逃げ出したから。

 クマがあって時々震えがくるのは重度のPTSD症状の一つ。何かしらフラッシュバックでもして電車に飛び込まれたら厄介だな。

それでも妙に落ち着いているのは、実家に近いこの駅に馴染みがあるからだ。だから逃げ出すのも難しい。かといってホームを出ないのも帰れないからだ。親への反発で飛び出した奴は、自分自身の武器に頼らざるをえない。ただし普通の軍隊に入ったくらいじゃ、こんなシルベスター・スタローンじみた筋肉はできない。ということは彼の武器、彼のアイデンティティはそこにあるんだろう。ニキビがあるのはステロイドを使いすぎたせいか? もっと多様な副作用があるはずだから、それが親に会えない本当の理由か?

 ……とにかく、筋トレ好きは自己愛性症候群(ナルシスティックシンドローム)。その辺りを褒めると、喜ぶかもしれない。

 逆にプライドは高いから、他人への相談はなかなかできない。じゃあ僕が先取りして言わなければ相談なんかしなかったのかもしれない、くそ。

 ……というのは全部偏見に偏見を上塗りしただけだから、結果奇跡的に当たっても本人には言うべきじゃないよね。

「じゃあ、聞いてくれ。PTSDってのか知らんが、トラウマがあるんだ」

 マハカメリア宮は更に知ろうと近寄って彼の目を覗きこむ。彼は唇をきつく結んでのけぞり、マハカメリア宮を押し退けた。

「何するんですか」

 目の動きには、怯えと怒りがない混ぜにされた感情が出ていた。

「お前、女なのか」

 マハカメリア宮はキョトンとした表情で自分の姿を確認する。どちらともとれない。笑った。

「さて、確かめてみる?」

 近寄ると、お互いの汗の匂いがわかる。男は目を背けた。マハカメリア宮はトラウマは女関係だな、と見当をつける。さらに身を寄せていく。艶やかな長髪の先が彼の身体に触れた。

 風船のような破裂音がした。

 マハカメリア宮の耳の横数ミリ、髪が吹っ飛んだ。硝煙と髪の焦げた臭いが立ち込める。

 男は銃を撃っていた。昼下がりのホームで。マハカメリア宮はぼんやりとした頭で「ある国の軍隊から9mm拳銃を持って逃げ出した者がいる」というニュースを見たことを思い出した。

 今、そこにある危機。老人たちがじろじろと二人を眺めた。マハカメリア宮はできるだけすまなそうな顔で彼らに頭を下げた。

「あ、すいません。間違えて花火に火ィついちゃって。おもちゃの鉄砲型の花火。今晩やろうと思ってたんですけど、困っちゃいますよねアハハ」

 まだ見ている者もいたが、とりあえず人々は関わり合いになるのを避け、見なかったことにして去って行った。

「銃とかアホか!」

 マハカメリア宮は小声で怒鳴るという器用な技を見せた。

「悪い、実は」

 男は静かに話し始めた。

「ある野営訓練の時だったんだ。月も隠れて明かり一つない暗闇、自分はアサルトライフルを持って匍匐(ほふく)前進してた。停止地点まで来た時、目の前に黒くうごめくものがあることに気づいた。それは手の平サイズで、よく見ると白い部分も点々とあった。鼻先にそんなものを見据えながら、同じ姿勢でひたすら見張りをすることになったんだが、酷い臭いなんだ。この世のモノとは思えないような。自分は頭を近づけて見てみた。そこで上官が『よそ見するな!』って頭を踏んできた。自分はそれにダイレクトに突っ込んだ。何だったかっていうと、多分かなり前に食糧 班が落としていったらしい肉だったんだ。それが腐って蝿やら白いウジやら!」

 ――なんの話だ。

 彼は奇声をあげると、また銃を構えた。マハカメリア宮は慌ててそれを取りあげる。

「まだ女が出てないけど」

「いや、自分のトラウマはそれ以来虫がダメになったってことだ」

 マハカメリア宮は珍しく当たらなかった偏見に笑いが込み上げてきた。

「じゃあ女は」

「ただ苦手なだけだな。男ばっかりだったからな」

 マハカメリア宮はいよいよ盛大に笑った。人々はいぶかしげに、ホームに寝転がっている二人を見ながら電車に乗る。

 ――アッハハハハハ……ハァ。

「苦手なくらいで撃つなバカ!」

「だから悪いって言っただろ。ああ、そうだ頼みがあるんだが」

 マハカメリア宮は何も聞かないうちに行こうと思ったが、気付けばもう乗る電車が行ってしまっていた。

「教祖やってるんだろ。じゃあ泊まれるところくらいあるよな」

「リリジョン101の信者だけです」

 男はマハカメリア宮の腕を掴んだ。

「じゃあ入信する」

 考えること数秒。

 彼は金はあるんだと言い、懐から数百万ほどの札束を取り出した。逃げる前におろしてきたらしい。

「名前は」

城戸(キド)ユウキだ」

「あんまり宗教をなめるんじゃないよ」

 マハカメリア宮は厳格な態度で立ち上がった。ありがたいお言葉をスラスラと話す。

 さて今晩はいい肉で豚しゃぶでもやるかと考え始めた。

読んで頂きありがとうございます。

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