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内蓋(1990年) ※番外編1

⚫︎リリジョン101

⚫︎マハカメリア宮

⚫︎アマーニ

⚫︎城戸ユウキ

⚫︎蓮田ヒカリ

⚫︎ヒトラシキ

 名呑町の冬は意外と寒い。駅のホームには乱れたダイヤで待つことになった人々、名呑浜では雨多ノ島から流れついたヒトラシキの死骸に雪が積もっていた。

 名呑町裏名呑1-11コーポ名呑101号室ではどうか。

 コタツの上には、下から新聞紙・カセットコンロ・鍋の順におかれていた。

 それを囲むようにビールやチューハイの空き缶や烏龍茶のペットボトルや茶碗や荷物や猫や人間たちが散乱していた。

「提案があります」

 蓮田ヒカリは立ち上がって手を挙げた。みんな寝転がり本格的に寝息をたてはじめているものもいたが、ヒカリはとりあえず家主に目を向けた。

 ……が。

「ね、キムチ鍋はソーセージ入れると旨いんらよ」

 マハカメリア宮は横になって隣の屈強な男に話しかけていた。赤ら顔。まわりには酒類の空き瓶や空き缶が転がっている。

「おお、カメちゃん(マハカメリア宮)は『天使にラブソングを』に出てきた太めのシスターに似てるな。あっちは眼鏡をかけてないが」

 迷彩服を着た城戸ユウキはコップの焼酎を飲み干すと、わかるわかるというように頷いた。三十を過ぎているが、胸板には硬い筋肉があり腹筋も割れていた。

「そうそう。だから一本を三分割くらいにすると脂が溶けだしてダシになってうまいんだよ。脂って字は、肉を表すにくづきに旨いって書くのさ!」

「確かにややこしいよな。脂が多いシスターと少ないシスターがいたんだが、俺はもう名前すら覚えてない」

 決して交わることのない酔っ払いの会話が奇跡的に「脂」で結び付こうとしていたが、そこへヒカリが介入した。

「ハイみんな注目! シスターもソーセージもどうでもよいのです」

 二人はヒカリを見たが、まだ寝ている女がいた。ドレッドヘアが短く結われた頭、睫毛の長い二重、スベスベの黒い肌。

「アマーニ。アマーニ」

 起きる様子はなく、ヒカリはどうしたものかと迷う。それまで外国人の知り合いもおらず(もちろん教祖も元自衛隊員もいなかったが)、名呑町という田舎で育った彼女は、アマーニという存在にまだ違和感を覚えるのだった。

「おうい、ヒカリさんがなんか話があるってよぉ!」

 マハカメリア宮はアマーニの両腕を引っ張り、無理矢理体勢を起こした。更に傍にいた猫を頭に乗せる。猫さえあくびをして眠たそうだ。

「何ヨ、話って。私眠イ、ありがとございます」

 アマーニはうつらうつらとして、猫の分だけ重くなった頭を上下させた。

「提案は」

 ヒカリは毅然として言い放つ。注目が集まる。

「便座の内蓋――そうです、男の人が小をするときに上げるアレ――を使い終わったあと上げておくか下げておくか、そろそろ決めましょう。第一回リリジョン101便座の内蓋会議です」

 マハカメリア宮はごろりと再び横になり、城戸は屁をこき、アマーニは起きてすらいなかった。

「いや大事な問題ですって。私、この前トイレ行ってお尻から落ちたんですよ! ハマッちゃって!」

 マハカメリア宮が、あったあったねこの前、と爆笑した。ヒカリが睨むとスッと目を逸らす。

 城戸が手を挙げた。

「そりゃヒカリちゃんが寝ぼけてたせいじゃないのか」

「でもさあ!」

 続きが思い浮かばず、何も言い返せない。ヒカリは髪をくるくると指に絡ませた。助けを求めてアマーニを揺すった。

「ウン、ウン大丈夫。アリガトごます」

 アマーニは顔を上げて話を聞き出した。気を取り直してヒカリは演説を始める。

「例えば父と母と兄と妹って構成の家族がいて、小用を足したとするでしょう」

「小用ってナニ?」

 アマーニが(比較的)静かな声で城戸とマハカメリア宮にきいた。

「小便だ」

「おしっこのことだよ。人によっては聖水とも言う」

 堂々とした物言いに、アマーニは「へー」「へー」とコタツを叩いて深く頷いている。雑な動きのせいで缶がからからと散らばる。ヒカリはうんざりした顔になった。

「続けますよ。それで父親が内蓋を上げたままにしてトイレを出たとする。次に使う可能性が高いのは、当然父親は除外して母・兄・妹。となると内蓋が上がってて得するのは、男の兄だけなんですよ。それに彼も大用を足したいかもしれない。女はどっちも内蓋を使う。男は片方だけ内蓋を使う。家族四人の小と大の二種類で八種類。これを分数にすると八分の六、つまり四分の三の確率で内蓋を使うんです。迷惑なんですよ、内蓋を上げられるのって」

 アマーニが「大用ってナニ?」と尋ねた。

「さっきのが小用で聖水。今度は大。応用問題だよ、アマーニ」

 酔ったマハカメリア宮とアマーニのせいで話が逸れていく。一人じっと腕を組んで聞いていた城戸が口を出す。

「それはちょっとおかしいと思うんだが」

「何が」

 ヒカリは高圧的に返事をする。実は心の底で不安要素を考えていたのだ。

 父親が中年を経て頻尿気味ですぐにトイレに戻るような場合だったらどうする?→それはハルンケアを使って下さい。

 あるいは母親が「立ちション健康法って言ってね、みのん(みのもんたの母オリジナルの愛称)がすすめてたのよ」とか言って立ってする趣味だったら→みのもんたはもう古いからやめて下さい。ミヤネ屋かえみちゃんねるにして下さい。

 もしくは妹が、もうこんな家族とトイレを共有するのは嫌だ、なんて思って家出して友達の家で暮らし始めたら。いや友達ならまだしも男の家とかで不良たちに無理矢理襲われてテゴメにされたりしたら目も当てられぬ家庭崩壊だ。兄が頑張って助けに行くが時既に遅く殺されている。兄は抑えきれない復讐心から暗黒面に堕ちヤクザとつるみ、不良を追い残忍な殺し方で消していく。しかし時折平和に皆がトイレを共有していたあの頃を思い出しては苦悩する→ああもうトイレ関係ねえ。

 ヒカリはそのようなことを散々考えていたが、まさかそんなところを突いてはくるまいとたかをくくっていた。

 城戸がクマのある目元から真剣な眼差しで、ゆっくりと口を開いた。

「カメちゃん、応用問題なんていうヒントくらいで小が聖水で、大が――なんて誰がわかるんだよ」

 マハカメリア宮は驚愕の表情で答えた。

「いや、アマーニ当てたよ! すごい、素質あるよ!」

「何のだよ」

 城戸は笑ってマハカメリア宮と戯れている。アマーニは得意げに「黄金、オウゴーン!」と叫んでいた。

 ヒカリの肩が震えていた。コタツの端を持つと、一気にひっくり返し大惨事になった。

「うおお話を聞けボケども!」

 マハカメリア宮も城戸もアマーニも唾を飲み込んで部屋の端にかたまった。

 落ち着いたところで全員で話し合いに戻った。

「――で、つまりこの部屋にいる構成はアマーニと私で女二人ね。男は城戸さん。で、カメちゃんは……あ」

 一斉にマハカメリア宮に視線が集中した。当の本人は恥ずかしそうに「何」と言う。

「カメちゃんって、トイレどんな風にするの。男式? 女式?」

 マハカメリア宮は渾身の爽やかな笑顔で言う。

「オムツさ」

 沈黙。心持ち、皆がマハカメリア宮から離れた。猫だけが変わらずに動かない。

「じゃあ女式ね」

「オムツって女式だったんだ……」

 ヒカリは無視する。

「多数決により以降は、男子は小用の後は101号室の便座の内蓋を下げておくことを決定します」

 まばらな拍手が起き、ヒカリがまた提案をした。

「次の議題。リリジョン101信者獲得を目指し、話し合いをしましょう」

 信者か――必要かなあ、と呟きマハカメリア宮は眼鏡をコタツの上に置き、再び寝る体勢に入った。猫がやって来て、その膨らんだ腹の上に丸くなった。

読んで頂きありがとうございます。

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