あまねおの誕生(2009年)
⚫︎瀬戸内ナツ(32歳)
⚫︎瀬戸内カナメ(32歳)
⚫︎瀬戸内ウミネネ(4歳)
⚫︎瀬戸内コカゲ(4歳)
⚫︎萩尾弓子、ユーミ館長(50歳)
⚫︎佐藤順子(20歳)
⚫︎岩本清順(36歳)
⚫︎黒川哲也(36歳)
⚫︎それ、星の落とし子
⚫︎マハカメリア宮(?歳)
⚫︎雨多ノ島水族館
⚫︎あまねお
⚫︎リリジョン101
その日、コカゲとウミネネはまだ四歳になったばかりだった。二人とも母親にベッタリで、カナメは父親としてちょっとした嫉妬もありつつ、けれど内心ホッとしてもいた。
――父性について……果たしてこの世にそんなものがあるのか?
瀬戸内カナメは自分の父親が好きではなかった。父親は収入もなく何をやっているかわからない人で、たまに帰ってきては暴れて去って行くだけ。とはいえ完全に家庭から離れるほどの勇気もない人間だった。カナメは台風や津波のような災害と同じようなものだと認識していた。とにかく頭を下げて黙って過ぎ去るのを待つ。
やがてカナメの身長が父親を追い越す頃に来なくなった。どこぞで野垂れ死んでいてくれないかと思う。
――だから。
だから自分は「あるべき父親像」を持たないのだと思う。
「こうはなるまい」という反面教師があるだけで、「こうなりたい」というモデルケースなどなく。「殴られて育った子どもは、親になった時に我が子を殴ってしまう傾向がある」という話を聞いて戦慄した。
――だから。
だから父親として自然に振る舞うべきところを自分は躊躇ったりいちいち考え込んでしまったりしてしまうのだ。
反面、カナメは母親一人に育てられたようなものだったし、その恩と絆はマザコンを軽く飛び越え世間一般で母親と呼ばれるおよそ全てのものに――たとえTVで見たメスライオンの子育てであっても――敬意と信仰を持っていた。だから別に息子と娘がナツにばかりくっつくのも仕方ない、そういうものなんだろうと思っていた。こちらとしてもどう触れていいかわからないから楽だった。
二人の誕生日には何をプレゼントしたらいいか数日考えた挙句、一万円札をあげてナツに怒られた。
「あのねえ、そりゃお金は嬉しいわよ誰だって。でも四歳の子が万札の価値がわかるかってそりゃあ無理な話よ。コカゲはまだしもウミネネにわかるわけないやろ。モノよ、モノ。好きなもんをプレゼントされる嬉しさって、相手が自分のことをよく見てくれとるなって喜びもそこに含まれとるわけやん? カナちゃんのそういうところって本当ダメよダメダメ。今回は私が選んであげるけどさ、来年はちゃんとしてよ?」
――はい、すいません。
ナツの好きなものならまだなんとかわかるって程度だもんな、俺。
そもそも人の気持ちをよくわかってないところがあるんだよな、俺。
その日、カナメはナツに言われて、コカゲの好きな『シンケンジャー』と、ウミネネの好きな『フレッシュプリキュア』をつまらなそうにチェックし始めたばかりだった。
★★★★
一家が自動ドアを抜けると、佐藤順子とユーミ館長が待ち構えていた。
「こんにちは、ウミネネちゃんにコカゲくん? 大きくなったねー!」
「それにひきかえ佐藤さんは全然変わりませんね……究極生物か何かですか」
カナメが珍しく冗談を言った。
「おっ! するどいね! そのまさかさ!」
「いや……わかりません」
隣のユーミが微笑む。
「ようこそ雨多ノ島水族館へ。とは言ってもいつも来てるから感慨はないでしょうけど」
休日、四人は雨多ノ島水族館に遊びにきていた。ウミネネはカナメの背中で寝息を立てている。コカゲは受付を過ぎるなりてけてけと走り出すが、すぐに転んでしまう。
「あらあらあらあら、大変ね」
先導していたユーミ館長が慌ててコカゲに駆け寄るが、ナツとカナメは慣れてしまって追わない。カーペットの敷いてある床はそれほど痛くなかったらしく、コカゲは座りこんでけらけらと笑う。
ナツが笑顔で館長に尋ねる。
「館長、ウチのこどもがなんでこけるかわかりますか」
「こどもは大人に比べて頭身が低いから、バランスがとりづらくて転ぶ。そうじゃなかったかしら」
以前テレビで見た知識をたぐり寄せてこたえる。ユーミはもうかなり白髪が進んでいるはずだが、明るいブラウンに染めて若く見えた。
「そう。ウチの子は特に頭が重いけん転ぶんです。なんで頭が重いかって、脳ミソが重くて頭が良いからなんですよ」
ねー、とナツとカナメは声を合わせた。それを見た息子は走ってユーミの後ろに隠れ、白衣の裾を掴む。
「ホラ、親バカ過ぎてこどもがひいちゃってんじゃないの」
返事をする代わりに、カナメは背中で眠っている娘を見せる。寄ってきたナツがそのぷくぷくした頬を指でそっとつつくと、うなりながら小さな手で払った。ナツは嬉しそうにニヤニヤしている。
「ナツなんかこの前、ワンピースを着たウミネネがあんまり可愛いからって、ほお擦りしすぎて鼻血出したんですよ」
「そりゃただのバカだわ」
ユーミの中に湧いていた若干のイラツキさえ笑いに変わる。
「今度の日曜にまたお買い物行くもんねー?」
「うう……? うん」
よくわからないくせに答えるので、ナツ達はドッと沸いた。
やがて途中の「関係者以外立入禁止」と書かれたドアを開けて通常ルートを逸れる。
「カナちゃんとナッちゃんがこの前見つけた、ヒトラシキから『それ』への過渡期みたいな、変わったタイプの『それ』だけど。あれやっぱり生きてたみたいだから、地下プールに入れてあるわ。こっち」
それまでの内装とはうってかわって、暗い室内に赤茶けた鉄の階段が続く。ホルマリン漬けにされた得体の知れない生物が並び、鼻をつく酢っぱい臭いが漂っている。
カナメはウミネネを背負いなおして、不満げに唇を尖らせた。しかしどことなく嬉しそうだ。
「前に『それ』がたくさん出た場所にもう一回行けって聞いた時は、この人どうかしてるんじゃないかと思いましたよ。しかも同じ装備で」
ユーミは予算をなかなか出さない政府に対する愚痴を吐き出して下りていく。が、彼女と手を繋いだコカゲが一段一段、まるで山くだりでもしている様子なので速度を緩める。
突然背中で眠っていたウミネネが泣き出した。ナツが近づく。
「大丈夫? きついん?」
「きつい。やだ。帰る!」
カナメが肩越しに心配そうな視線を送る。
「みんなでちょっと先に行っとって。ウチは休憩室でこの子を見とく」
ナツはウミネネを抱き、先に階段をリズミカルに下りていった。コカゲ以外の三人は後ろ姿を目で追った。
「何、大変なアレだったのかしら」
カナメがいやいや、と手を振った。
「ウミネネは生まれてから病気続きで。親としちゃ不安なんですよ。でも今のアレは仮病ですね。かまってちゃんなんです」
★★★★
四人は大きな地下プールに着く。強化ガラス越しに眺めた「それ」は確かに丁度ヒトラシキとの中間のようで、今まで謎だらけだった生態の解明が飛躍的に進みそうだ。
「そういえばあのニュース見た? クロマグロが減少しているから、今度はサバからマグロを産ませようとか。魚類にはそんなことさえできそうって」
饒舌になったユーミに、やはり身振り手振りを大きくして答えるカナメ。
「ああ、精原細胞をニジマスから抽出して、孵化直後のヤマメに移植すると雄のヤマメはニジマスの精子、雌は卵を作ったとかいう技術の応用ですよね」
ガラスの向こうを眺めながら、二人はいたずらを企んでいる悪ガキのような表情をしていた。
「ええ、魚類には複雑な生物に比べて互換性というか共通度の高いものが多い。たぶん『それ』みたいな存在が中間の超遺伝子塊を純度の高い――」
幼いコカゲに二人の会話は全くわからない。ただツルツルに溶けかけたヒトラシキが脈動し、ヒトとしての輪郭が消えていくのを見て怖がるだけだ。
従って、泣いた。
「おお、ごめんごめんコカゲ。なんか今日は二人ともダメだったなあ。連れてこない方がよかったかな」
ユーミは衿を掴み、乱れた白衣を直す。手をポケットから出し、ガラスを撫でる。反射したユーミの顔は困った笑みだ。
「すっかり父親が板についちゃって。ここでナッちゃんの裸を見て目を逸らしてたボウズはどこに行ったのかしら」
意地悪な顔をした。
カナメは改めて館長にはやはりシワが増えたと感じる。しかし、そのシワの奥に様々な歴史を隠しているのだろうとも思った。
「いやあ。ナツはいいやつなんスよね」
二人は示し合わせたように笑った。
★★★★
「ちょっと、困ります!」
その頃、受付ににこやかな団体客が現れた。彼らは当然のようにチケットを買わず入ってきた。全員リュックサックを背負い、奇妙に張り付いたスマイルを振り撒いた。
おもむろに拳銃を発砲して受付の女性を撃った。それをきっかけにわらわらと更十数人が突入して走っていき、水槽の中を確認して、破壊できるものは破壊していく。
「幹部の城戸が消えて助かるよ。うるさいからさ」
「アマーニもうるさいよね」
「ヒカリ様だって、やっぱりさ。マハカメリア宮様に直々に任されたんだから」
数人が笑顔で愚痴を言いながら関係者以外立入禁止の扉を開く。瞬時に一人が自動小銃を取られて後頭部を叩かれた。
「俺が銃の使い方もわからん馬鹿で良かったな。死ぬ可能性が減るぞ」
無精髭男、スタッフの黒川がゆらりと立っていた。柄の部分で殴ってもう一人倒す。残っているのはあと二人。
「さてどいつから……うお!」
黒川はすぐに逃げて鉄扉を閉めて階段を転げおちる。直前に見たのは手榴弾だった。
「ハリウッド映画か馬鹿野郎! 俺はブルース・ウィリスじゃねーんだよ!」
扉の向こうで爆発したときには、既に立ち上がり警報を鳴らし、他の者を逃がしに走っていた。
カナメとユーミは、他のスタッフ数人と階段を下りてくる黒川を見た。
「何があったの!」
「わけがわかりません、銃を持った野郎どもが押し入ってきてるんです! 裏口から逃げましょう」
小さな雨多ノ島水族館には、ユーミらを抜くとスタッフが十人もいない。裏口から逃げるだけなら容易かもしれないが、水槽や研究施設を守ることは難しい。もちろん新種の「それ」も。
カナメは自問自答する。
――諦めるか?
ナツとウミネネの顔が浮かんだ。
――「それ」は諦めよう。
瞬時にカナメは判断した。コカゲを黒川に頼む。
「お父さん」
泣き出しそうになっている息子の顔に、深呼吸して語りかける。
「コカゲ、『それ』見たろ。怖かったろ。でも大丈夫、こんなところからはすぐ帰れる。このおっさんの言うことをよく聞いて隠れるんだ。俺はお母さんとウミネネをすぐ連れてくるからな。このおっさんは頼りになるからな!」
そう言って安心させるように軽くニッと笑った。少し引きつっていたが。
黒川は頷くと、コカゲを抱きあげて走り出した。ユーミとカナメは顔を見合わせる。
「目的はやっぱり新種の『それ』かしら」
「じゃないですかね。あからさまにおかしいですから。それ以外に突入してくる理由はないでしょう」
カナメは水族館に泊まらなくなってから長らく使っていない休憩室の位置を思い出す。
「それじゃ、カナちゃんはナッちゃんを助けに。私は『それ』を人質にしてなんとか交渉してみるから!」
二人が別方向に走り出した瞬間、地下施設一帯が爆発した。二人は吹き飛ばされ、気を失った。
★★★★
ナツは警報を聞き、休憩室でぐずるウミネネを残して様子を見る。銃声の聞こえてくるドアをこれ以上ないほど慎重に開くと、張り付いた笑顔の集団がいた。
聞き耳を立てる。
「『マハカメリア宮』は地下プールにいるようです。強化ガラスですので、爆破は影響しないかと」
「よし。『マハカメリア宮』に関する資料は全てプラスチック爆弾の近くに置いておけよ。PCも念入りに破壊しておけ……」
しばらくすると声が小さくなり足音が遠ざかっていった。ウミネネは母親の手を握って離さない。小さな手。ナツはその髪を撫で、背負って休憩室を出た。
事務室では書類が散らばった中に爆弾らしきものが目に入るが、どうしようもない。ナツには走って逃げるしか選択肢が思い浮かばない。横目でチラリと見るとタイマーがセットされていた。
「あと三十秒……」
一階に逃げるか、地下プールへ行くべきか。どちらにしろ三十秒では何もできなかった。そこにツナギが現れた。水槽を割られて行き場を無くしたツナギは、水を求めてさまよっていたのだ。
「神様ありがとう」
ナツはツナギをひっつかむと休憩室に戻って扉を閉めた。
「お母さん、お母さん?!」
ただならぬ様子に泣きだすウミネネを強引に床に寝かせる。急いで服を脱ぎ、ツナギを着て――。
「大丈夫よ、大丈夫だからね」
そのとき爆発が起こった。
★★★★
暗闇に水が滴る音が響いていた。静寂が全てを覆い尽くし、何もかもが息絶えたように黙っていた。
カナメは瓦礫の中で目を覚ます。周囲を見回すが電灯もなく、よくわからない。携帯を開くと、黒川や他のスタッフからの着信が数十件あった。そこに館長とナツの着信がないことにはまだ頭が回らない。
目が闇に慣れるにつれ、そこが地下のプールサイドだと気がついた。
「強化ガラスが爆発を抑えたのか」
何が起こるかわからないから、そこはシェルターレベルの頑丈さにしてあると館長が言っていた。
「そうだ、館長は……う」
瓦礫をどけると激痛が走った。右腕の骨は折れていた。左手で押さえて歩き出す。館長を呼ぶと、水面から「何か」が這い出てくる気配がした。
「館長、ですか……?」
先が見えない暗闇を、水の滴る音が近づいてくる。カナメは携帯のライトでそちらを照らす。
「うおっ眩しっ」
ボロボロになった館長がいた。爆発でプールに吹き飛ばされたらしく、全身がズブ濡れだった。力なく笑う。
「やっぱり新種の『それ』は持っていかれてるみたいだわ」
二人は地上を目指し階段を進む。道が塞がっているのを肩で押す。突然抵抗がなくなり二人は転んだ。上から瓦礫が持ち上げられ、夕暮れの暖かい光がさした。
「二人とも、無事ですか」
そう言って黒川が目を閉じてさがった。青ざめた顔だった。裏口から地上へ出ると、数人のスタッフと一緒にコカゲがいた。カナメは折れていない腕で抱きしめた。
「おかしいんです。連絡したのに全然救助がこない。警察にも一応連絡したんですが、来たのは――こいつだけで」
眼鏡をかけた警察官の岩本がいた。夕陽が眩しいのか、帽子で目元を隠した。黒川とは顔見知りだったがお互いにそれほど話し掛けていなかった。
「警察は当てにしないでくださいね。味方じゃありません。上層部に連絡がいくのを少し止めたから、揉み消しは遅れると思います。その間に僕が自分の立場が危うくならない範囲で工作します」
いま死にそうになった直後の者に言うには、あまりにも急すぎた。カナメとユーミは口を開けて何か言おうとしたが、状況がよく理解できないせいで言葉が出てこなかった。
「それで、ナツは。ウミネネは」
誰もカナメの顔を見なかった。黒川の案内で別ルートから休憩室へ向かった。
途中、粉々になった水槽から流れでた魚たちの死骸が落ちていた。スタッフは葬儀に参列するように暗い顔で歩いていく。コカゲが父親に一つ一つ魚の名前を聞いていった。カナメが答えるたびに一人で盛り上がる。
「ちょっと、静かにしてような」
カナメはコカゲの頭を撫でた。ユーミはそれを見ないように先を行く。
「こんなのは初めて見るから、一切触れていませんが。おそらくツナギを着たナツとウミネネだと思います」
休憩室にあったのは、ゆで卵のように白く固まったツナギだった。床に厚く膜を張るように盛り上がり、中にウミネネらしき膨らみがある。ユーミがひとしきり観察して表面を撫でた。
「これは、ツナギのタンパク質が熱で変性したんだわ。タンパク質はおよそ60℃を越えると高次構造が壊れるから」
カナメが駆け寄って右腕の痛みを無視して膜を破る。ウミネネを取り出して傍に寝かせた。ユーミが軽く揺するとすぐに意識を取り戻し、泣き出した。
「お母さんが。お母さんが……!」
カナメが残った膜を掬っても、それはポロポロと手からこぼれ落ちていく。何度も何度も破片をかき集めるが、それらは融合することはない。元には戻らない。
「ナツは」
カナメの瞳がじっと自分の手を見つめた。またひたすらツナギの破片を集めてはこぼす。まるで小さな子どもが砂場で遊ぶように。
ユーミが深呼吸して、声をかける。
「カナちゃん。多分ナッちゃんはツナギと同化したまま変性したから」
「いや、そうじゃなくてナツは? いや、そうか?」
カナメは破片を集めるのをやめようとしない。何度も手で雪玉のように丸く押し固めてみるが、どうにもならない。
――なんでだ? もし今日水族館に来なかったらこんなことには。
――なんでだ? もし俺がナツと一緒に行動してたらこんなことには。
――なんでだ?
「これ、冗談だよな? ドラゴンボールみたいにこれ全部集めたらナツが帰ってくるんだろ」
そう言って今度はウミネネの顔に張り付いた破片の一つに手を伸ばす。ウミネネは泣き出した。それを見て突然カナメは激昂した。
「もしお前が仮病を――」
瞬間、ユーミが腹を蹴った。カナメは転がって壁に頭をぶつけて黙った。誰もそれまで館長がそんなことをするとは思っていなかった。
「今、何を言おうとしたの! ホラ、言ってみろ!」
黒川が、更に殴りかかろうとするユーミを羽交い締めにして、カナメに叫ぶ。
「しっかりしろよ馬鹿! 父親だろ!」
ウミネネとコカゲは怯えた目で父親を見ていた。カナメは目を逸らして立ち上がる。全員が怯んで後ずさった。焦点の合わない瞳でブツブツと呟く。
「変性したタンパク質を元の高次構造に戻してペプチド鎖完全に解いて再び畳み込む条件調整条件調整」
速過ぎて聞き取りにくいその言葉に、ユーミが反応する。
「タンパク質の再生をする気? でも残ってる設備だけじゃ……」
カナメはしまわれていたゴミ袋を取り出し、その中にツナギの破片をかき入れた。袋を持って最も深い地下施設まで向かった。ユーミもその後を追い走っていく。
カナメは予備電源を使い、いくつか残った設備のスイッチをぱちんぱちんと入れていく。
「まだ間に合う。まだ」
袋の中身を台上にぶちまけた。
「ツナギを再生するだけじゃない。再構成のためにナツのメモリをプールしておく場所から――」
ユーミと黒川が扉を開けて部屋に入ってきた。無言で手伝う。ユーミはかつてツナギが生まれた時のことを思い出していた。
双子は扉の前で父親が出てくるのを泣きながら待っていた。それもやがて力尽きて静かになる。
その他のスタッフたちは、水族館の重要な書類回収や死体の確認に向かった。
「うう、うううううううううう!」
数時間後、三人は手を下ろして佇んでいた。中心の台上には白濁した半透明の「塊」がいた。ツナギの破片ではない。しかしナツとは似ても似つかない姿だった。
「なんのための研究だよ。なんのための生物学だ! なんのための遺伝子学だ」
カナメは台上の機器ごと「塊」ごと全てを払い捨て、外へ出ていった。階段でウミネネは泣き疲れて眠っていた。コカゲはびくんと起きたが、父親の血走った目に声をかけることができなかった。
「殺そう。殺さなきゃ。ああ、ああ、あああいつら骨も残らないように」
カナメが階段を上がっていくと、逃げ遅れ爆発に巻き込まれた者がいた。それはリュックサックを背負い、突入してきた奴らの一人だった。瓦礫の下で助けを求めている。カナメは虚ろな瞳でじっとそれを眺める。
近くの手頃な瓦礫をゆらりと持ち上げる。この重さが頭に落ちたなら、死ぬだろう。
「……お父さん、いかんよ」
階段を上がってきたコカゲが言った。その傍には眠ったウミネネを取り込んだ「塊」が触手を使って這うようにヌルヌルと動いている。
触手は自動で動き、瓦礫から彼を引きずり出した。
カナメは振り返って双子を見つめる。「塊」はガムテープを剥がすような音で鳴いた。
「オカアサン、オカアサン」
カナメは瓦礫を捨てて二人を抱き上げた。「塊」は糸を引いてぬるりと腕に絡み付いた。
「ごめんな。ごめん。母さんは再生できなかった。悪い。あんなにバラバラにしてくっつけたり切り刻んだりしたのに、できなかった。ごめん。ごめん、ごめん……」
ようやくカナメに右腕の痛みが戻ってきた。
★★★★
それから地下施設を残して水族館は閉鎖した。館長のユーミが政府側に働きかけたが、全て答えは「何も起こっていない」だった。
ユーミによって「塊」にはあまねおという名前がつけられた。由来は名呑町に伝わる古い女神からだった。昔、母親から聞いたその母神のイメージが、ナツと重なったのだった。カナメはそれを特に何も言わずに受け入れた。
襲ってきた集団が何だったのか。助け出した者と岩本から聞き出すと、「リリジョン101」と言った。助け出した者は入院したが、一晩経つと自殺してしまった。同じ部屋に入院している者の話では、眠っては悪夢に起きるということを繰り返していたらしかった。
しかしそれよりもカナメが怖かったのは、テレビのどの局もあの大惨事を放送していないことだった。
当初はウェブでも何処かで誰かが見ていたのか――画像つきで紹介されていたが、ガセだと触れ回る者が登場し、本当だとしていた者のブログ更新は途絶えて閉鎖し、やがてあからさまに加工された画像が出回り、その加工されている箇所を指して「だからガセだ」という者が出現し、事実は限りなくフィクションに近づいた。事件は誰も見向きもしなくなった。
アマネオは時々、カナメたちの家に近い砂浜にやってくる。カナメは、双子がそれと戯れるのを眺める。
「父さーん」
父親は複雑な表情で手を振りかえした。
お読み頂きありがとうございます。




