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花奥恵のターニング・ポイント前夜(1994年・夏)

⚫︎花奥恵(16歳)

⚫︎マハカメリア宮(?歳)

⚫︎蓮田ヒカリ(18歳)

⚫︎アマーニ(5歳)

⚫︎城戸ユウキ(34歳)

 花奥恵は所々ペンキのついたジーンズにTシャツというラフな姿で、名呑駅の待合席にいた。内臓がなくなったような酷い空腹を感じながらも、何もする気が起きない。アイスが溶けるようにだらりと席にもたれ、特に乗るわけでもない電車が行き来するのを眺める。


 うごごごがるるるっ!


「猛獣か!?」

「ええっ、どこよどこ!」

「動物園から逃げ出してきたのか!?」

 獣の咆哮(ほうこう)のような腹の虫に周囲の者が騒ぎ始めていたが、言い訳も立ち去る気力もなかった。高校が夏休みに入り、恵は住んでいた美術室を追い出されてしまったのだ。しかしどうしても家に帰る気はしない。姿を消した父親、貧相な母親、彼女にいやみを言う祖母。

 自分が血の繋がっていることを思うと、胸クソが悪くなった。

 チョッ。

 舌打ちをした瞬間、目の前を横切る女の子がソフトクリームを落とした。自然に目が追ってしまう。まだ溶けきっていない、上の方なら食べられるかもしれない、甘い、冷たいバニラ。

 落とした女はコーンだけ拾いあげてゴミ箱に捨てた。正確な動きで、当然だがそこに迷いはない。周囲の光を吸い込んでいきそうな黒く長い髪が風に遊ぶ。

 恵の無意識の凝視に、突如、女が振り向いた。

「もしかして、お腹空いてますか」

 花奥はふてくされた様子で答える。

「なんかくれるの?」

「おいしい御飯処、知ってますよ」

 恵と同じ年頃に見える女は、薄桃色のワンピースをなびかせて歩き出した。


★★★★


「――で、連れてきたってわけかい」

 割烹着姿のマハカメリア宮は何か言いたげに恵を見た。

「お昼時だったからさあ」

 恵を先導した蓮田ヒカリは101号室に帰るなり、さっさと手を合わせると一人でそうめんを一気に啜った。

 丸いちゃぶ台を囲み、城戸とヒカリ、恵が座っていた。アマーニは下着姿のまま畳で静かに寝息を立てている。自慢の巻き髪は解かれ、冬ごもりしている小動物たちのように畳に散らかっている。

 台所のマハカメリア宮は新たに一束の乾麺を鍋に放り込んだ。

「とりあえず花奥さん――だっけ。メシ食いなよ」

 恵は頷き、麺をすくって手元の透明なグラス椀に盛った。特製だしに、ネギショウガゴマのり三ツ葉ミョウガシソ大根おろし玉子焼きを混ぜて食べる。

 様々な薬味の絡んだ麺はグッグッと咀嚼すると歯を弾く。細く力強い麺に、特製のつゆ。

 うまさに感動していると肩を叩かれた。

「美味しいでしょ。それ作ったのがカメちゃん。教祖」

 美味しいでしょ。

 それ作ったのがカメちゃん。

 教祖。

 何度考えても二番目から三番目への飛躍がわからない。どうやら教祖らしいマハカメリア宮の後ろ姿を見るが、丸っこい尻や割烹着は完全に食堂のおばちゃんだった。

「おい、ちゃんと説明しろよ。困ってんだろうが。自分は城戸だ。そのワンピースがヒカリ。その割烹着がマハカメリア宮。その下着で寝てるのがアマーニ」

 横から城戸が口を出した。助け船を出してくれたものの、恵にはやはりこの真夏に室内で暑苦しい迷彩服を着ている彼もよくわからなかった。

 マハカメリア宮が茹で上がった麺を持ってきた。

「実は宗教法人を目指してるんだよね、リリジョン101っていう」

 恵は名前だけは知っていた。数年前のヒトラシキ公害の反対運動で急に出てきた新興宗教という話だった。

「ああ」

 合点がいった。

 クラスメイトの噂話で、リリジョン101に入信した女が話していた。教祖は他人の心が読める。幹部は全員おかしな人々で、どこかのアパートでアットホームな共同生活を送っている。

「腹が膨れたら、ようやく次の話題だね。どうせ君も悩みがあるんだろう」

 マハカメリア宮は考える。食事における関係性について。例えば「ハイ、あーんして」と食べさせる場合。これは一見、食べている側が得しているようだが実は違う。心理的に食べさせている側が食べている側を制御している。

 マハカメリア宮が飯を振る舞う理由も同じ。制御して心を開かせるため。口が飯で塞がれていれば話を聞くしかないし、何かを口に運ぶ動作は同時に相手の言葉も聞き入れさせる。

「祖母が――」

 マハカメリア宮の視線が、話そうとした恵の意識を貫いた。途端に何も言えなくなる。

「失礼。怖かった? 話しづらいなら僕が話そう。君は小学生の時に、父親に逃げられたのかな。それから母親と二人暮しで、母親は君を虐待していた。けれどもまあなんとかさ、貧乏だけどつつましくささやかに生きてきた。君は父親に戻ってきてもらいたかったから、唯一得意だった美術を頑張ったんだ。それで有名になれば、お母さんも元に戻るし、お父さんと暮らしていけるってね。でも現実は違った。売れ出した君に近寄ってきたのは、知らない親戚たち――とりわけ父方の祖母だった。君から金を奪って母親を虐める祖母に嫌気がさして、学校で暮らすようになった。君は優しいから、君を虐待していた母親が虐められるのを見ても何も嬉しくはないわけだ。君の悩みって、 そういうことだよね?」

 花奥恵は部屋の出口を確認すると、立ち上がった。足が震え、よろけたところをマハカメリア宮が支えた。しかし余計に震えがひどくなり、結局ふらふらと倒れてしまった。

「なんでテレビのインタビューにも答えてないことを、あなたはわかるの」

 マハカメリア宮は口角をぐいっと上げて笑った。妙な寂しさが漂う笑顔。

「教祖だからね」

「じゃあ、私はどうすればいいかわかるの!」

 恵は両手を振り、声を荒げて詰問する。

「そりゃあ祖母、花奥葉子さんを殺せばいいんじゃないかな」

 マハカメリア宮の実に穏やかな即答。

 恵は台を叩いた。心の中を言い当てられた気がした。しかし。

「そんなことやっていいわけないし」

「うん、そりゃあダメだ。たとえ僕が法律より上位の存在だとしても、それはオススメしないね」

 恵は額を押さえて溜息を吐く。

「普通の親子ってどういうものなんだろ。母親は子どもを守るものなのに。私の家は親子三代……」

 マハカメリア宮はそうめんをぞるぞると啜った。きちんと咀嚼し、ごくんと飲み込む。何故か周囲の者は大人しくそれを見守らざるをえない雰囲気だった。

「進化生物学者のドーキンスは知ってる? 彼は言ったよ。『生物は遺伝子を残すことのみを考える』ってね。生物の利他的に見える行動ってよく『わくわく動物ランド』……『動物奇想天外』になるんだっけ? まあそういう動物番組なんかでよくあるだろう――例えば母鳥が雛を身を挺して天敵から守るとか、下っ端の蜂たちが犠牲となって女王蜂とその子を守るとか。人間はそこに勝手にナレーションをつけて情感たっぷりに愛を見出すけれども、生物ってのはそういうことじゃないんだ。子どもを作るということは、『自分の遺伝子』つまり『自分』を残したいからそうしている。ただそうするように遺伝子に命令されているからそうしているだけ、そこに愛は存在しない。そこで翻って君の母親を考えるに、ある意味人間らしいと言えるだろう。人間は自我を持つ。君の母親は『自分』が嫌いなんだろうさ。だから君のことも嫌いなんだ」

「じゃあ何故私は生まれたの……」

「男がいたから。好きな男との子どもなら好きになれるかも、と思った。でも駄目だった。男は去った。子どもは親を選べない。血の繋がりってのは面倒だね。自分の好き嫌いと関係なく関わってくるから」

 恵は、マハカメリア宮の視線が自分ではなくどこか遠くを見ていることに気づく。

「あなたも親なんかで苦労してるの?」

 身を乗り出して、彼女は仲間を探す。同じ境遇で、自分をわかってくれるだれかを。

「いや、僕に親はいない。そういう設定だ」

 恵は怪訝な顔をした。先程から黙って聞いていた城戸とヒカリも、初耳だったようで反応して顔を上げた。

「僕は誰でもない。誰からも生まれてないし、ただ流れていくだけなんだよ。だからたまには誰かに必要とされたいし、君の役に立ちたい」

「でも悩みは解決してないわよ」

 恵は口先をとがらせて、マハカメリア宮を軽く牽制する。

「じゃあ君の答えを代弁しよう。面倒な『血の繋がり』より、『見えない繋がり』を重視することだ。ここは楽しい何かに繋がってる。みんなと暮らせばいい。家に帰りたくないなら帰らなければいいんだ」

「――タダで飯が食べられるならたまにはここにいてもいいけど」

 恵はマハカメリア宮から目を逸らして、そうめんを見た。

「そうかい。じゃあ入信決定ね。もういいか。さっきまでの君の情報を言い当てたのは、全部コールドリーディング。インチキだ。僕はなんとしても君をリリジョン101に引き込みたかった。美少女芸術家というキャッチーな人間が加わるのはイメージが良くなるしね。そのために君の周辺情報を信者たちに集めさせ、あらかじめ覚えておいた。そうして駅で偶然を装って連れてくる。全ては仕組まれてたんだ」

 マハカメリア宮はけらけらと笑った。

「カメちゃんはおかしいんだもん。ズルして、ズルしてるって言っちゃうからね」

 ヒカリが口を出したが、城戸がそれを止めた。唇に指を当て、し、と言った。

「なんでコレをばらすのか。君は、もうこのおもしろおかしなリリジョン101に入りたくてたまらなくなっているからだ」

 恵は笑顔になった。あたたかな日差しが降り注ぐ丘に咲く向日葵のように。

 何一つ解決していないが、気分だけは明るくなった。

「じゃあ超能力はないの」

「やってほしいのかな」

 恵はこくりと頷いた。

「じゃあ調べてないことを当てよう。よく思い出して。君は先月、体調を崩しただろう」

 そういえば気分が悪くなった時があったような気がした。

「君は死ぬよ」

 真顔で言った。

 恵の表情が凍りついた。

 途端にマハカメリア宮は破顔一笑(はがんいっしょう)

「女の子相手ならたいてい生理があるから体調は悪いって言えば当たるし、ヒトはいつか死ぬ。人らしき何かでもなければね」

 全員が頷いた。

 マハカメリア宮はいつものように、何か言いたげな様子を押し殺して微笑んでいた。

読んでいただきありがとうございます。

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