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乾先生のフィールドワーク(2012年)

⚫︎ゑべす

⚫︎呑島神社

⚫︎乾より子(29歳)

⚫︎ワタワタリ

⚫︎雨多ノ島

 渡船のエンジンが足下でカワイイ音を立てている。それが、地元の人がポンポン船と呼ぶ理由。

 船が波を切って進む先には雨多ノ島が見える。閉鎖された水族館の廃墟は荒れに荒れ、夏の草木に――まるで津波の瞬間を切り取ったよう――呑み込まれている。

 生臭い潮風を頬に受けながら伸びをすると、肩の関節がポキリと鳴ってもう若くはない自分の歳と運動不足を痛感。えへ。でもまあそんなのは呑島(のと)神社の朽ちた鳥居を見た途端、宇宙の何処かへ飛んでいった。


★★★★


 古地図や名呑町史を図書館で調べていたら、数十年前に雨多ノ島にあったという「呑島(のと)神社」が戦火により焼失してしまっていることがわかった。軍需工場が狙われた結果、隣の神社まで焼けたという。よくある話だけれど、私の興味を引いたのは何気なく目を通した当時の新聞に――しれっと書いてあった――「呑島神社の人柱」についてだった。

 いいねいいね、えへ。

 呑島神社は成立した時期が古すぎてよくわかっていない。江戸時代に朝鮮通信使の残した記録によれば、海岸に突き出した崖に建てられていて、立派な塀も道場もあり、時には海亀が見えるほどの風雅な場所だったらしい。

 空襲が終わり、付近の人々は防空壕から戻ってきて嘆きの声をあげた。が、次の瞬間それは驚きの声に変わった。なんと崩れた神社の壁から人骨が顔を覗かせていたのだ。

 この人骨は両腕と両脚がない以外は完全な状態で壁に縦に埋め込まれていた。更に等間隔に二体見つかった。やはり二体とも四肢はなかったことから、埋められる際に人為的に切り取られたものだと思われる。頭蓋骨の上には古銭が置かれていたらしい。

 私としては呑島神社は人魚を祀っていた神社だし、人柱の四肢がないのは神話上のできそこなった神ヒルコ=蛭子を連想させて興味深い。それにこの町のゑべす像との関連もあるし。

 それから終戦を迎えて十数年後、本土側に新しく呑島神社が建てられ、それは今でも夏祭りなどで町民に親しまれている……。


★★★★


 というわけで記事を読んだ私はいてもたってもいられず呑島神社跡を見に来たのだった。

 ただし、もうほとんど神社の跡は無く瓦礫は伸び放題の雑草に覆われているし折れた鳥居が切なく佇んでいるだけだった。

 そこには役場が建てた立札が一つあるだけ。さすがに人柱の遺骨は供養して墓に埋められたらしいけれど、神社跡は特に保護もされていない。雨ざらしの野ざらし。全く価値の分からぬアホどもめ……えへ。

 多分この島の人々が人魚を祀っていたのは「(おそ)れ」から。恐ろしいものは敬して遠ざけるのが古くからの対処法。

 畏れ。

 ここらにはゑべすとか鱗族(いろくづ)とか呼ばれる人魚達の話が多く残っている。例えば「人魚の声」という名のこんな話……えへ。



 ある日、雨多ノ島のとある村の人々が昼な夜なと人魚の歌声に呼ばれた。頭の中に声がこだまする。どんな頑固者でも一度その声を聞けば海に行きたくてたまらなくなってしまった。

 数日後、隣村の男が心配してこの村に来てみたが、人っ子一人いなくなっていた。漁の道具も食事もそのまま残されている。どうも全員がもれなく海に身投げしてしまったらしかった。

 更に数日後、村人達は帰ってきたけれども、彼らは既に「わたをわたって」しまっていた。

 隣の村人達はその全員を埋めて供養してやったそうな。めでたしめでたし。



 ……というお話。

 ワタワタリ。出家という概念に近いけれど、どうもヒトがヒトらしいけれどもヒトではない何かになってしまうことらしい。フォースの暗黒面(ダークサイド)に堕ちるみたいな……えへ。

 そしてこのお話には苦い部分が抜けている。埋めて供養してやった……ということは「殺した」ということでは? 全員を、皆殺し?

 えへ。

「おや、どうされましたかな」

 気がつくと背後にお爺さんが立っていた。簡単なものではあるけれど着物で、その服装から神主さんらしい。


★★★★


 数十分後、私は新しい方の呑島神社への長い長い石段を登っていた。

「ゼェゼェ。ハァハァ。そのお話、初めて――ハア――聞きました。詳しく、教えてもらえませんか」

「ほっほっほ。まだお若いのに年寄りに負けちゃいかんぞ」

 お年を召した神主さんだったが、息ひとつ切らさずに登っていく。

「ええ、全く、恥ずかしながら」

 手すりに掴まって一休み。

「何事も体力は役立ちますからな。子供を産むのにも」

 顔を上げると、神主さんのニコニコした笑顔は逆光であまり良くは見えない。

「ええ、まあ――ハァハァ――はい」

 私は生返事で、太ももを一度一度あげるたび「痩せるかも」と思うことにした。

 滲んだ汗が額からポタリと落ちて境内の砂利に吸い込まれていった。顔を上げると、もう登り切っていることに気づく。振り向くと名呑町と内海と雨多ノ島が一望でき、風が頬を撫でていった。

「こっちですよ」

 神主さんに案内されるまま、本堂の裏にある一回り小さな建物に入る。

「これが旧呑島神社の時から伝わる、人魚の首です」

 紙で作られた結界の中心に奉納されていたのは、人魚族「ゑべす」の首だと言われている干し首。

「遠い昔、まだ名呑内海が狭く、本土側の土地が今より少し広かった頃のことです。この辺りの海には人魚(ゑべす)が沢山住んでいたそうです。それは人間よりも人魚の方が多いほどでした。ある時、人魚の肉を喰らえば不老不死になるという噂が広まり、人間たちが人魚を乱獲したそうです。その後近隣の島々では人魚の呪いで奇形児が大量に生まれ全て捨てられたそうで、今はまた別のお寺で供養されております。最後にひとり生き残った人魚は涙を七日七晩流し続け、その涙で増水した内海は津波を起こし、やがて大洪水となりました。人間たちは波に飲まれ、里や村は海中に没し、なんとか生き残った二人の兄妹が逃げ出して子供を作った。それが今の人間の始まりだそうです」

 ここから日本神話の始まりに繋がる……? 後付け? それともこの伝説から、人魚や洪水部分が抜け落ちたものが今の日本神話ということ? いや、意図的に消された? 私、もしかしてとんでもない話を聞いてる……? それにしても人魚ってこの時点で絶滅したのに、この後でまた討伐されてる話があるということは、生き残ってたのかしらそれとも。もしくは繁殖とかではなくて、人魚は分裂なんかで簡単に増えるのかしらそれとも。

 えへ。

 えへへ。

「その最後の人魚は、やがてやってきた子孫の人間たちによって征伐され、残された首だけが呑島神社で供養され伝わることになった、というわけです」

 なるほど人魚がねー。

 聞きながら、私はさっきから人魚の干し首を見ている。ちょっと目が合っている。大抵はこんなものオカルト。河童のミイラは猿と魚を縫い合わせただけのもの。そんな大昔の干し首なんて普通ないでしょ。でも。

 ああ、私、とんでもないこと思いついちゃってる。あらぬこと考えちゃってる。馬鹿馬鹿しいこと本気で考え始めちゃってる。

 人魚の干し首。

 そう聞いた時に、違和感を持つべきだった。

 それにはどこにも人魚らしさはなかった。顔が鱗で覆われているわけでもない。別に魚面(さかなづら)ってわけでもないのだ。

 ……えへ。

 本当に人魚なのかわからない。だって人魚が人魚たるべき魚の下半身なんて、首だけじゃわからないから。

 これ、人間じゃないんですか。

 そう口にしたかったけれど、神主さんの笑顔に封じ込められる。

 でも考えは止まらない。

 人間としか見えない人魚の首。

 何度絶滅しても生き残る人魚。

 そして私はここに「ワタワタリ」を結びつけてしまう。

 深海の声に呼ばれて「わたをわたった」人間が、人魚なのだという仮説。

 えへ。

 あ、私、ゾクゾクしてる。

読んで頂きありがとうございます。

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