乾先生の民話探究(2010年)
⚫︎乾より子(27歳)
⚫︎名呑浜
⚫︎それ
⚫︎雨多ノ島
⚫︎ワタワタリ
⚫︎ゑべす
んん、珍しく授業時間が余っちゃったわね……えへ。
それじゃ、みんな眠そうだし、ちょっとは歴史に興味が出るようなお話でもしようかな。これは試験には出ない話ですからノートもとらなくていいよ。眠たい人は寝ててもいいです……えへ。
さてみなさんにはこの教科書の通りに日本史を教えていますが、もちろん歴史というのは歴史学者の現状わかるところまでしかわからないわけで。
歴史はなんとか手に入れたスクラップを切り貼りして一冊の本に仕立て上げるようなもの……えへ。一冊の本。だから歴史は一つの真実ではなく物語なの。
ではそれを書いてきた人は誰か。現代では歴史学者かな。でも昔はそんなものいないの。いても、時の権力者の都合に従う書記にすぎない――おっとそれはもしかしたら今もだけど……えへ。
征伐、虐殺、出兵、平定、支配、統治、同じことを指していても様々な言葉の選び方で物事は印象も意味合いも変わるわ。それが意識的であれ無意識的であれ。
いい?
書かれたもの、語られたものには必ずなんらかのベクトルがかかっているのよ。これはネットも同じこと……えへ。
それでも私が大好きな民話というのは、ある種の真実を内包していると思っているの。なんの意味もなく神話や民話は残らない……えへ。
よく民話に登場する鬼が出ようが人魚が出ようが、昔に語った者にとってはそれが真実だったかもしれないわね。
でも現代に鬼も人魚もいない。
この齟齬をどう説明する?
昔の人が見たのはいったいなんだったのか?
ここ名呑町での古い神社の伝説では、はるか昔の名呑内海で悪い人魚たちが暴れていたから日本神話の天津神が来て「退治」したという話も残っている。
実際には何があったのか……えへ。
そしてもう一つ。
名呑町の民話にはどういうわけか独特の「ワタワタリ」という行為がよく見られるのよ。出てきてもほとんど説明がなかったり話と関係なかったり、たぶん「出家」に近い概念なんだけど、まだちょっとよくわからないのよね。でもオラ、ワクワクしてきたぞって感じ?
ワタワタリの出てくる民話には、例えばこういうものがあるの。名呑町の名産の蛸のお話……えへ。
★★★★
むかしむかし、名呑浜に漁師の父子が暮らしていました。母親はゑべす様の言うとおりにわたわたりをしていたので、もういませんでした。
しかし母もおらず貧しい生活ながら、父親は小さな息子に魚とりを教えながら共に働いて一生懸命暮らしていたそうな。
ある晩、息子が父に「とお、どの魚が一番うまいのか」と尋ねました。
父は少し考えて、
「タコってのが一番うまいぞ、坊」
「どんな生き物なの」
「足が八本あって、頭がでかい。うまいから、あれがとれるようになったら一人前だ」
翌日、息子が父親を呼びに小舟で渡っていると、暗礁の岩にタコがいるのを見つけました。
父親の言っていたとおり、それは足が八本、頭がでかい、息子の体ほどもある大きなタコでした。
ようし獲ってやろうと近づくと、タコは逃げる様子もなくおとなしく捕まり、腕の中にやってきます。胸や手に絡みつくのがくすぐったいので息子は笑いました。
そのまま持って舟に戻り、膝の上で静かにしているタコを見ました。
息子は晩ごはんのことを考えると、タコの頭を撫でました。
「よしよし、いい子だ」
するとタコは少年の首に絡みつきながら「よしよし、いい子だ」と。
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