海岸通りのヒトラシキ(1990年)
⚫︎名呑浜
⚫︎ヒトラシキ
⚫︎雨多ノ島
――隣の家のお姉さんが、船の上で手を振っていた。その耳には可愛いイヤリング。ぴかぴか光っている。船がどんどん小さくなっても、ぴかぴか、ぴかぴか。
海沿いの私の町。
穏やかな内海を挟んだ向かいの雨多ノ島に見えるのは、新しい大きな工場。大人たちの話だと、国からお金をもらっているらしいけれど、何を作っているか誰も知らない。それでもあの煙突から出る白い煙はこの町の空気に少しずつ少しずつ溶け込んで、見えなくなってもずっと残っているような気がする。
働き口のなかった町の人はみんな喜んでそこに就職したけれど、帰ってこない。そこはすごくいいところだから誰も帰ってこないのだと、就職に失敗したお父さんは顔を赤くして言った。
私にはまだよくわからない。
ただその工場ができてから、こちらの海岸にはヒトラシキが流れ着くようになった。
ヒトラシキはぷるぷる溶けかけた肉に海藻が絡み付いた、人型の何か。死体みたいだけど脈打って生きている。形は色々あって、普通は人型だけど、時々腕も足もない肌色のボールみたいになっているのもある。煮ても焼いても食べられないそれは、図鑑にも載っていない新種のいきもの。にんげんの姿と似ているが知能は低い。学校の先生やテレビはそう言っていた。
私は今日も砂浜で友達と一緒にヒトラシキで遊ぶ。小さなカニやフナムシが人型ヒトラシキにびっしり群がっている。
私はその脂身だらけの豚足みたいな二の腕を木の棒で突く。蝿が一斉に飛び去って、皮が弾けて鼻水みたいな汁が流れ出る。すっぱいにおいがする。友達と、気持ち悪いねって、笑う。
「――あ」
ヒトラシキはイヤリングを付けていた。私はそれを耳からちぎり取ると、そっとポケットに忍ばせた。
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