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遠くの星  作者: 雨咲はな
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6.自縛



 そりゃ行くしかないっしょ、と言ったのは、私の昔からの友人、季久子である。

 昼休み、彼女のいる二組にまで押しかけて、最近の状況を報告していたのだが、口にはしていない私の躊躇まで、季久子は敏感に嗅ぎ取ったらしい。じゅーっと紙パックの牛乳をストローで吸い上げながら、机に頬杖を突いた。

「なに迷ってんの?」

 と、不思議そうに訊ねられて、私は曖昧に首を傾げ、口を噤んだ。


 まったくだ。

 私は、なにを迷っているのだろう。


「獲物を見つけたら、素早く狩りに行かないと、他のやつに掠め取られるよ。これだ、と思ったら、前進あるのみ」

 力強く拳を握り、そう言い切る季久子の姿は雄々しいほどだ。

「そりゃー、キクちゃんは特攻しても討ち死にすることはないから、いいんだろうけどねえ……」

 私はため息交じりにそう言って、目の前に座る女の子を見た。

 平々凡々で十人並みの域を出ない顔立ちの私とは違い、季久子はどこもかしこも小づくりで、とても可愛らしい容貌をしている。


 ちっちゃな顔、ぱっちりとした目、形のいい鼻、ぽっちゃりした唇。もともと色素が薄いのか透き通るような白い肌をして、染めてもいないのに栗色の髪は綿菓子みたいにふわふわだ。

 全体的にお人形さんのような感じで、この顔でニッコリ笑いかけられれば、大抵の男は落ちるだろう。


 季久子はその可愛い顔に、ふっとシニカルな笑みを乗せた。

「なに言ってんのよ、あんた。いい男を捕まえるのに必要なものは気合と根性よ。可愛いからって微笑んで待ってるだけじゃ、カスみたいな男しか寄ってこないんだから。夏凛はそのあたり、どうにもやる気が感じられなくっていけないわ。ポーッと生きてるだけの女は、ポーッと流されるだけの人生しか送れないわよ。もっとガツガツ攻めて、幸福を両手で鷲掴みにしてやるくらいの気構えでいかないと」

「キクちゃん、男らしい……」

 鼻息も荒く力説する季久子に、つい惚れ惚れしそうになる。

 季久子は外見と性格がかなりそぐっていないので、男にモテるわりに、同性からあまり嫌われない。そして同じ理由で、男との付き合いもあまり長く続いたためしがない。

 季久子は私の小学校時代からの友人だが、昔からこういう性格だった。同じ中学、同じ高校と進み、普段は廊下で顔を合わせて手を振るくらいだけれど、時々こうしてどちらかの教室に行っては、べらべらとお喋りを続けるという、私にとっては幼馴染とも、親友とも呼べる相手だ。


 サッパリとした気性のため、彼女と話していると、私はいつも気分が軽くなる。


「まあ、あんたの男の好みはちっとも理解できないんだけど」

 私が唯一、蒼君のことを打ち明けているのも、この季久子だけである。季久子はそれまで、蒼君という存在自体を知らなかったのだが、私の話を聞いた後で、蒼君のいる二年四組に潜入し、表向きは他の男たちに愛想を振りまきながら、みっちり張り付くようにして観察を行ったのだそうだ。

 その結果、「理解できない」という感想に至ったようなのだが、とりあえず応援はしてくれるらしい。

 季久子はちょっと変なところもある人だけど、口は堅いので信頼できる。


「なにしろ、夏凛が誰かを好きになるって、あたしはじめて聞いたもんね。みんなが、誰それクンってカッコイイねー、なんてキャッキャッ盛り上がってる時でも、あんただけは困ったような顔で黙ってるしさ。もしかしたらこの子はいわゆる百合ってやつなのかな、って、あたしも実は一度ならずドキドキしたもんよ。いつあたしに告白してくるのかしらって」


 私の頬は引き攣った。

「うん、やめてくれる? そういう冗談。つーか、勝手にそういうありもしない疑惑を立てた上に、相手は自分だって決めつけるところからして、そもそもおかしいんだけど」

「あんたの周りで、恋愛対象になりそうな可愛い女って、あたし以外に誰がいるのよ。あたしにはそういう趣味はないけど、夏凛のことは嫌いじゃないし、キスくらいまでならいいかなって、真剣に悩んだんだから」

「悩まなくてよろしい」

 季久子の言葉はどこまでが冗談なのか判らなくて怖い。まったく冗談ではない場合も大いにありそうなところが、なお怖い。季久子は他人に対して辛辣な部分があるが、少なくとも私への友情は抱いてくれていることは判った。あまり深く考えないようにしよう。

 それから季久子が、ふいに思い出すように声を上げた。


「ああ、それともあれかな、パーフェクトな従兄のせいで、男に対する理想が高かった、とか」

「…………」


 からかい混じりにびしりと人差し指を突き付けて指摘され、私は思わず口を閉じる。

 口を閉じてから、しまったなと思った。ここは、そうかもねー、と笑い飛ばすところだったのに。

「キクちゃんはそういえば、トモ兄のこと、知ってたんだっけ」

 微妙に空いてしまった間を取りつくろうように、私は故意に軽い笑いを浮かべた。

 もしかしたら季久子は何かしらの違和感を持ったかもしれないのだが、表面上はまったく変わりなく、笑って同意した。こういうところ、間違いなく季久子の美点だな、と私は心の中でひそかに感謝した。


「知ってるよ。小学生の時にさあ、夏凛の家に遊びに行ったら、えらくカッコイイお兄さんがいてさ、あたしとも一緒に遊んでくれたじゃん。トモ兄は優しいし頭もいいんだって、別に自分の手柄でもないのにあんたがふんぞり返って自慢してさ。それをお兄さんがニコニコしながら聞いてて、いいなあー、こんなお兄ちゃんがいたらなあーって、あたしも羨ましくなっちゃったもんね」

「ああ、そんなこともあったねえ……」


 本気で遠い目になって呟く。小さな私とトモ兄のことは、こうして他人の口から出ると、非常に微笑ましい思い出話にしか聞こえない。あの頃はよかった、と年寄りじみた感想を抱き、しみじみとした。

「それでなくても、あんた、ブラコン丸出しで、よく従兄の話してたじゃない。トモ兄がどうしたこうしたって、嬉しそーにさ。そういえば、最近、全然その手の話をしないね」

「……うん、まあ、やっぱり私も大人になったってことかな」

 なんで人というのはこういう時、アルカイックスマイルを浮かべてしまうのだろう、と考えながら返事をした。ちょっと目が虚ろになっていきそうになる。


 気軽にトモ兄の話題を出せなくなったのは、私が大人になってきたからだ。嘘じゃないよな、確かに。


「そりゃそうだね、いつまでも従兄ベッタリではいられないよね」

 あはは、と季久子が笑い、トモ兄についての話はここでお終いになった。心底ほっとした。

「そんなことより、目の前の男よ。夏凛はそりゃあたしには劣るけど、見た目としてはまあまあのラインなんだから、『好き』と言われて悪い気がする男は、多少はいるかもしれないけど、そうはいないわ。いい? 押して押して押しまくるのよ。男は大概、それで落ちる」

「そんな簡単なもんかなあ……」

 いろいろと失礼なことを言われているような気もするが、いつものことなので私はあまり気にしない。季久子は男性女性に関わらず、人の容姿に対してシビアな見方をするものの、自分に対しても他人に対しても客観的な判断ができるという、女の子にしては稀有な才能を持っているのだ。客観的に判断して、「自分は可愛い」と言っているわけで、それはそれですごいのだけど。


 それにしても、私の周りには、なんだってこう、口の悪い人たちばかりが揃っているのだろう。

 実の母しかり、須田さんしかり、季久子しかり。もちろん、蒼君もだ。

 私はそんなに、「こいつなら何を言ってもいい」と思いたくなるような顔をしているのだろうか。


「なに言ってんのよ、男を落とすのなんて簡単よ。難しいのは、続けていくことよ」

「実感がこもってるね、キクちゃん」

 そういえば、最近別れた彼氏とは、一カ月しか続かなかったらしいもんなあ。

「せっかく、夏凛、なんていう可愛らしい名前を持ってることだし」

「名前はあんまり関係ないと思うな」

 中身はさておき天使のような外観をしている季久子だが、彼女のコンプレックスは、その名前なのだという。本人は宝塚的な名前に憧れがあるようで、私の名前が宝塚的であるかどうかはともかく、昔から非常に羨ましがっている。抒情的な響きがある、らしい。よく判らないけど。


 私は自分の名前をあれこれ思ったことはそんなにないのだが、せめて平仮名か、別の漢字だったらよかったな、と思うことは時々ある。

 それなら、どうやっても、「ナツ」とは呼べないからだ。


「まずはとにかく、『好意を持っています』という意思表示とアプローチね」

「うーん……」

 唸りながら、なんとなく指で髪の先をいじる。肩の下まで伸びてきたことに気づいて、「そろそろ美容院に行かないとなあ……」と呟いた。

 それは独り言のつもりだったのだけど、季久子の耳にはしっかり届いたようで、長い睫毛を一度ぱちりと瞬いてきょとんとした。

 そういう顔をすると、本当に可愛い。私が季久子ほど可愛かったら、もっと自信を持って蒼君に近寄っていけるのかな、といじましいことを少し思う。

 思ってから、いや違うなと考え直した。


 ──多分、そういう問題じゃない。


「夏凛って、少し伸びてくると、すぐ切っちゃうよね。たまには髪の毛伸ばせばいいのに。セミでもいいけど、夏凛はロングのほうが似合うんじゃないかな。あたしは天パで細いから、すぐ枝毛ができちゃうけど、夏凛の髪は直毛だし丈夫でしょ? 艶もあるし、上手に伸ばせば、綺麗なロングヘアになると思う。ていうか、中学の頃までは、ずっと長かったよね? 中学は校則で束ねなきゃいけなかったけど、今はそんなことする必要もないし」

 屈託なくそんなことを言って、最近流行りのヘアスタイルについてや、美容院についてを語りはじめた季久子に、私はあやふやに笑いながら相槌を打った。

 もう一度、指でするりと髪の先っぽを梳く。

 この長さでは、それはほんの一瞬の感触を指先に残しただけだった。



          ***



 放課後、校門を出たところで、背筋の伸びた男の子の後ろ姿を見つけた。

「蒼君」

 駆け寄って声をかけると、蒼君がちらりと振り向いた。「ああ」と返事なんだか挨拶なんだか判らない一言だけを発して、また前を向く。歩くのを止めてくれないので、早足になって強引に隣に並んだ。

 ふうふう息を弾ませて、なんとか蒼君と歩幅を合わせようと四苦八苦する私を、またちらっと見る。

「足が短い」

 と、まるで何かの文章を読み上げるように淡々と言われ、私はつまずいて転びそうになった。

「え、なに、その『事実をそのまま口に出してみました』的なセリフ」

「そんなんじゃ、歩くのも苦労するだろうと思って」

「普通だよ! そんな無表情で言われると傷つくよ! 言いたかないけど、蒼君の足が長いんだよ! ていうか、苦労してるように見えるなら、私に合わせてちょっとゆっくり歩いてくれればいいんじゃないかな?!」

「橘に合わせると、朝になっても駅に着かない」

「そんなわけないでしょ!」

 ぷんぷん怒ってみたが、蒼君の歩調はやっぱり緩むことはない。とはいえ、それ以上早くなることもない。鞄を肩に担ぎ、前を向いて歩く彼の足取りは、いつもどおりまっすぐで迷いがなかった。

 これから駅に到着したら、それぞれ電車に乗って一旦家に帰り、着替えてバイト先の本屋に向かうのだ。蒼君は自転車、私はもう一度電車で。


 働くのが楽しいとトモ兄に言ったのはもちろん嘘ではないが、それ以上に楽しいのは、駅で別れても、それからまた蒼君に会える、と思えることだった。


「今日はいろいろ発売日も重なってるし、忙しそうだね」

「いちばん忙しいのは朝だけど」

「戦場みたいなんだってね」

「本の詰まった段ボールがどっと来るからな」

「ああ、あれ、重いよね。須田さんが、毎日腰が痛いってコボしてるよ」

「俺がバイトに入った時から言ってる。あの人がそう言わない時は、体調の悪い時だ」

「私は若いから平気です、って言ったら、首を絞められた」

「俺は『腰痛になれ』って呪いをかけられたことがある」

 毒にも薬にもならない会話とお思いでしょうが、いいのである。蒼君がこんな風にまともにお喋りしてくれるようになったのは、本当に最近のことなのだ。相変わらず、顔はニコリともしないのだけど。


 こうやって中味のない話をして、隣同士で歩いたりするのは、これ以上なくワクワクする。

 共通の出来事や誰かのことを語ると、それだけで、蒼君に少し近づいたような気になるのは不思議だなと思う。

 もちろん、そんな考え、都合のいい錯覚でしかないのかもしれないことは判っているけれど、それでも、胸がふわふわと上擦るくらいに幸福なことだった。

 このまま駅になんて着かないといいのに、と願う。


 ……これが、「好き」っていうことなのかな。


 そう思い、私はちょっと口を結んで目線を下に落とす。

 他のクラスメートたちが明るく笑いさざめきながら、アイドルに向けてでも、同級生や先輩の男の子に向けてでも、軽い気持ちで口に出せるこの言葉が、どうして私にとってはこんなにも重いものになってしまうのだろう。

 好きと言われて男は悪い気はしない、と季久子は言っていたけれど、それを言うことによって決定的に変わってしまう何かがある以上、簡単に一歩を踏み出せるはずがないではないか。


 拒絶されるにしろ、受け入れられるにしろ。


「……あの、さ」

 少しの無言の後、ちいさな声を出した。蒼君は返事をしなかったけど、私のほうに顔を向けた。

「あの……蒼君は、前世、とかって信じる?」

「…………」

 私の投げかけた質問に、返ってきたのは非常になんともいえない沈黙のみだった。

 その場に微妙な無言と空気が満ちて、私は一瞬のうちに、そんなことを口走ったのを後悔した。

「すみません、今のことは忘れてください」

 即座にそう言ったのに、蒼君はまだ黙っている。私はその顔を見られなかった。痛い子に向ける冷たい眼差しに気づきたくはない。時間よ戻れ、一分前でいいから、と痛切に念じた。


「信じてないけど」


 しばらくして言われた口調が、特に変化のないことにほっとした。電波系か、というレッテルは貼られてしまったかもしれないが、少なくとも露骨な嫌悪を向けられないだけよかった。

 私はものすごく白々しく笑った。

「あ、そう、そうだよね。あのさ、最近読んだ小説に、そういう設定があってさ。それでちょっと、聞いてみたんだよね。あはは、は」

 言い訳しながら、「なんてタイトルの本?」と訊かれませんように、と祈った。蒼君はあんまり勉強はしないのに、本はよく読むらしいことは知っている。

 しかし、そんなことはまったくの杞憂だった。


「俺はそういう本は好きじゃない。前世なんて、くだらない」


 蒼君はそれだけ言うと、また前を向いてしまったからだ。

 それっきり、このことについて、興味を失ったようだった。


「……うん」

 と返事をして、口許におかしな形をした笑みを残しながら、私はさらに下を向く。少し足を動かす動作が鈍くなって、蒼君との距離が広がった。

「そうだね。……くだらないね」

 その言葉は、多分、蒼君の耳には届かなかっただろう。

 私は手を動かし、少し伸びてきた自分の髪に触れた。


 奈津は、腰のあたりまで長く髪を伸ばした娘だった。

 ──だから私は、髪を伸ばすのをやめた。


 前世に囚われて、縛られているのは、トモ兄か、それとも私か。





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