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遠くの星  作者: 雨咲はな
28/43

28.包囲



 私はトモ兄の強引なやり方に怖れを抱いてはいたが、それでもまだ、事態を楽観視しているところがあった。

 父や母がどんな想像をしているにしろ、そして私に対してどんな目で見ているにしろ、所詮、私はまだ高校二年生で、トモ兄だっていくら将来は有望でも現在は単なる一学生に過ぎない。


 たとえ相手がトモ兄でも、婚約、などというぶっとんだ申し出を、親たちがマトモに受け取ることは絶対にない、と思っていた。


 だからきちんと話をすればそれなりに通じるだろうと私は思い込んでいたし、信じてもいた。

 疑われたり、叱られたり、いろんなことを問い詰められたり邪推されたりすることはあるかもしれないが、私にそんなつもりはない、ということをしっかり伝えれば、もやもやとしたものは残ってもそれでこの件は解決がつくのだろうと。

 奈津の時代ならいざしらず、今の世の中で、十七歳で婚約なんて。

 そんな現実離れしたことを、まさか世間の常識にとらわれた大人たちが、易々と受け入れるわけがない、と、そう思っていたのだ。



          ***



「──は?」

 一夜明けて、無事に退院した私は、迎えに来た両親と一緒に家に帰り、そこではじめて、自分の認識が甘かったことを知った。

 リビングで父母と向かい合った格好は、昨日のそれとまったく同じだ。

 けれど、そこで言われた内容は、昨日とはまるで様相を変えてしまっていた。

「だからね、お母さん、昨日の夜、あんたを病院に置いてきてから、お姉さんとずーっと電話で話をしてね」

 一体どれだけ長いこと電話で喋り続けたのか、母の顔はかなり疲れているように見える。昨日のような興奮状態ではないのはまだしも幸いだったが、私はこの時点で、早くもイヤな予感で頭がはちきれそうだった。

 私のいないところで、この母とあの伯母がどんな会話を交わしていたのだろう。考えれば考えるほど、いい方向には転びそうにない。


「とりあえず、様子を見ようか、ってことになったのよ」

「……ちょっと、待った」


 私は強張った声で、制止をかける。この人、今、なんて言った?

「様子を見るって、どういうこと?」

「だから、あんたたちの意志がそうまで固いっていうなら、あんまり、やみくもに反対し続けてもねえ、ってことになったのよ。変に思い詰めて、駆け落ちとか、心中とか、そういうことをされても困るし」

「……お母さん、ちょっと、なに言ってんの?」

 唖然と問い返した。

 私が病院のベッドで眠っている間、一体全体、大人たちの間でどんなやり取りがあったのだ。そのやり取りの中で、いつの間に婚約云々の話は、「私とトモ兄の共通の意志」ということになってしまったのだ。駆け落ちだとか心中だとか、私とトモ兄の何をどうすれば、そんな発想が出てきてしまうのだ。

 慌てて母の隣の父を見ると、こちらはどこかしら釈然としない表情で煙草を吸っている。

 父は滅多に煙草は吸わない人で、たまーに吸う時も、壁紙が汚れるという母のうるさい小言を大人しく聞いて、必ず庭に出て吸っていたのに、今はそんなことも忘れてしまったようだった。


「お父さん、私、婚約なんてしないよ」


 母に正しく私の気持ちが伝わるかどうか今ひとつ自信がなかったので、私はまっすぐ父のほうを向いて、きっぱり言った。

「……うん」

 父は私を見返し、吸っていた煙草を口から外して、灰皿に押し付けて潰した。灰皿に向けているのは、この煙草はものすごく苦い、というような顔だった。

「そうだな、もちろん、まだ二人とも学生なんだしな。正式に婚約といっても、何も結納を交わして、とまではいかなくてもいいだろうと思うんだ」

 ぼそぼそと言われた内容に、私は唖然を通り越して茫然とした。


 私とトモ兄に対して抱いていた父の疑問と疑念が、なぜか一足飛びに、「事実」として認定されていやしないか。


 父と母の二人が、突然降って湧いたこの衝撃の出来事を、一晩かけて、なんとか自分に納得できるように呑み下そうとしたのは判る。

 しかしまさか、私の思惑とはまったく見当はずれのそんな結論に辿り着いてしまうとは。

 こうなることが判っていたら、私は病院から這って脱出してでも、昨夜のうちに両親との話し合いを済ませていたものを。

「そういうことじゃなくて、私とトモ兄は、結婚なんてしない、ってことだよ。トモ兄のことは好きだけど、それはあくまで従兄のお兄さんとしてで」

「けど、知哉君は、夏凛と結婚の約束をしてる、とはっきり言ったぞ」

「それは……その」

 思わず口ごもった。

 父の認識は、すでに耳で聞いたのとは別の、勝手な解釈がされている。

 トモ兄は、彼にとっての「ナツと」結婚の約束をしている、と言ったのであって、「夏凛と」とは言っていないはずだ。

 しかしそう訂正したって、到底、納得はしてもらえまい。


「──ずうっと、昔のことなんだよ。トモ兄はただ、その昔の約束を実行しようとしてるだけなの。私とトモ兄は、恋人同士として付き合ってきたわけでも、なんでもない」


 父と母は、私の言葉に、当惑した表情で顔を見合わせた。

 私の言うことをすべて疑っているわけでもないようだが、かといって、まるまる信じてくれるというわけでもないようなのが、その交差した目つきから透けて見えた。

「昔って……子供の頃ってこと? 小学生くらいのあんたの『お嫁さんにして』なんて言葉を真に受けて、知哉君はこんなことを言い出したの?」

 母はどうしても、この件の責任は私にあるということにしたいらしい。

 母から見ると、トモ兄の後を追いかけていたのはいつでも私、なのであって、それ以外の図は多分、彼女の頭の中には存在しないのだ。

「いくらなんでもそんなこと……それとも、知哉君、何か最近、ものすごく精神的に疲れることでもあったのかしらね」

 「トモ兄ノイローゼ説」のほうが、母にとってはまだ理解が可能な範囲なのか、そう口にしてから、ははあ、という顔で頷いた。

 勉強とか、バイトとか、失恋とか、と一つ一つダメージを受けそうな要因を挙げていって、「それでちょっと自暴自棄になってるのかも」と言い放つ。どうでもいいが、その仮説でいくと、人生投げやりになって婚約したいと言い出した相手はあなたの娘ですよ、お母さん。

「まあ、その、確かに少し知哉君は疲れているのかもな。あるいは、夏凛が軽い気持ちで言ったことを、知哉君が真面目に受け止めてしまった、ということなのかもしれないが」

 父もやっぱり、この問題の根は私のほうにある、と思っているようだった。

 今さらながら、二人にとってトモ兄という人間は、どこまでも完璧で非の打ちどころのない親戚の子供であったのだ、と思い知る。

 トモ兄は今までずっと、そういう面しか私の両親に見せてこなかったからだ。


「問題はね、夏凛。今の知哉君が、まぎれもなく、本気だということなんだよ」

 父が正面から私を見て、重々しい声でそう言った。


 そうだ、トモ兄は本気だ。それは私だって、痛いほどよく判っている。

「だから、それは」

「なにしろ知哉君は、『ナツと婚約する』の一点張りで、伯父さんと伯母さんの言うことも、まったく耳に入れる気がないらしい。あの子のそんなところ、今まで一度も見たことがないって、二人ともほとほと困り果てているそうなんだ」

 真面目で素直で口答えなんてしたことのない優等生だっただけに、現在の伯父さんと伯母さんの苦悩は、反抗期の中学生を持った親よりも大きいだろう、ということくらいは私にだって想像できた。

「昨夜の電話で、伯母さんはずっと泣きどおしだった」

「…………」

 あの陽気でお喋りな伯母さんが、憔悴しきった様子で電話口で話しているところを頭に浮かべたら、それだけでたまらない気持ちになった。

 トモ兄の一方的な婚約宣言は、親戚中に投げ込まれた爆弾だ。いろんなところに破片をまき散らし、恐慌だけを生じさせる。


 ──本当は、その前にもっと、すべきことがあったはずなのに。


「それでね、夏凛」

 と、今度は母が口を開いた。少し窺うような眼差しを私に向ける。

「お姉さんに、とりあえず様子を見てもらえないか、って言われたのよ。ここで頭から押さえつけるような真似をしたら、かえって知哉君もムキになりかねないし。なんだか、今の知哉君には、下手をすると何をしでかすかわからないような雰囲気があるんだって」

「……ねえ、待ってよ」

 私の口から出る声は掠れ気味だった。

「その『様子を見る』っていうのは、もしかして、このまま何もしないで静観する、って意味じゃなく、トモ兄の言うとおり婚約を認める、って意味なの?」


 母がその問いに頷くのを見て、また眩暈がしそうになった。


「まあ、正式な婚約っていっても、なにしろあんたはまだ高校生だし。知哉君本人も、今すぐじゃないって言ってることだしね。本当に結婚するんだとしても、早くても三年か四年は先のことになるでしょ。その間に、冷静になって気が変わるんじゃないかと思うのよね。だからその時になって解消しても、二人に傷のつかないような形でね」

「バカなこと言わないで」

 滔々と話を続けていた母は、私の強い口調に途中でぶった切られて、驚いた顔をした。

 自分の顔が引き攣っているのが判る。


 つまり、伯父伯母も、父と母も、トモ兄のこれを、一時の気の迷い、としか考えていないわけだ。

 だから、トモ兄の頑固な態度に手をつけかねた挙句、ここはあの子の思うとおりにさせてやってもらえないかしら、と泣きついてきた伯母に、母も同情混じりに頷いてしまったのだ。


 確かにそれは、世間を知った「大人」としての判断なのかもしれない。

 そうやって、形式だけでも婚約させておけば、トモ兄は満足するだろうと。いずれそのうち、正気を取り戻して、この話はなかったことに、と自分から言い出すだろうと。それを見越して、「とりあえず」今は認めるということにしよう、と。

 ……でも、その場合、私の気持ちというものは、どこにあるのだ。

 くらりとした。

 やっと引いてきた熱が、また上がろうとしているのだろうか。目の前が、一瞬ぼやけた。



 なにしろ肝心の和人さんが、妻は奈津でないとダメだときっぱり主張していらっしゃるというのだもの。あの優しげな方が、周りが驚くほどに、強硬な態度だというじゃないか。

 目に入れても痛くないほど可愛がっている自慢の息子が言うのだから、ご両親だっていずれ折れざるを得ないに決まってる。



 頭の中を素早く過ぎっていったのは、夢の中で聞いた声だった。

 同じことが繰り返されている、という気がしてならなかった。背中を冷たいものが駆け抜けていく。

 ううん、前の世では、少なくとも奈津と和人さんは恋人同士だったはずで、私とトモ兄とは違うのだけど。いや、でも──じゃあどうして、奈津はあんなに悲しそうな顔をしていたのだろう?

「とにかく」

 混乱しかかる思考を一旦頭から追い出して、私はソファから立ち上がり、父と母に向かってはっきりと言った。

「私はトモ兄と婚約なんてしない。──私、好きな人がいるの」

 ぽかんとする両親にくるりと踵を返し、リビングを出る。

 足音荒く階段を上って自分の部屋に向かいながら、私は奈津とは違う、と呪文のように一心に、何度も何度も唱えていた。



          ***



 部屋に着いて、机の上に置いてあったスマホを見たら、着信が入っていた。

 そういえば昨日家に帰ってからというもの、スマホを確認するのは、もう昼近くになろうという今がはじめてである。現代に生きる女子高校生がこんなことでいいのだろうか。でも、実際、それどころじゃなかったんだよなあ。


 ため息をつきながら着信履歴を表示させると、出てきたのは須田さんの番号でびっくりした。


 緊急用、ということで私や蒼君などのバイト店員は、携帯の番号を、店長よりも信頼の厚い須田さんに教えてあるのだが、今までに向こうからかかってきたことはない。

 時間は二時間ほど前だ。私はその頃、まだ病院にいた。

 今日のバイト、私は午後からシフトが入っている。この状態で行って、また倒れたり風邪を移したりしたら申し訳ないので、休もうかな、と思っていたのだけど、何かあったのだろうか。今日は忙しいから早めに来い、と須田さんに命令されたら、絶対に逆らえそうにない。

 ちょっと迷ってから、須田さんの番号にかけてみた。

 勤務中だろうけど、須田さんの携帯は緊急用だから持ち歩くことが許されている。それもこれもすべて、店長が頼りにならないからだ。

 呼び出し音は、けっこう長いこと続いた。当然音は出ないようにしているのだろうし、接客中かもしれない。かけ直した方がいいかな、と考えたところで、相手が出た。

「橘?」

「あ、はい。すみません、電話をもらったみたいなんですけど、出られなくて。何か、急ぎの用事でもありましたか」

「急ぎの用事っつーかね」

 須田さんの声は相変わらず素っ気ない。


「あんた、バイト辞めんの?」


「はあ?」

 いきなりの質問に、私は素っ頓狂な大声を出してしまった。

 大声を出してから、もしかしてこれはクビ宣告なのかと青くなった。え、私、何かやったっけ? 思い当たることがありすぎて咄嗟には思いつかないのだが。それとも今日のバイトの入り時間、午後からっていうのは私の勘違いで、ホントは朝からだったっけ?

「すみません、私、何をやらかしましたか」

 ビクビクしながら訊ねると、須田さんは「やらかしてんのはしょっちゅうだけどね」と冷たく言ってから、少しだけ声を低くした。


「……今日、バイトを辞めさせてもらう、って電話があってね」


「は?」

 意味が判らなくて、私は眉を寄せた。

「私、そんな電話してませんけど」

「ああ、うん、あんたじゃない。あんたの身内、って名乗る人間から」

「…………」

 すーっと、胸のあたりに、氷の塊みたいなものが落ちていく気がした。

「……それ、って」

 口から出る声が、まるで自分のものじゃないように、ぎくしゃくしている。

「もしかして、若い、男の人ですか」

「らしいね。店の電話にかかってきてさ、出たのは店長なんだけど。とりあえずあんたの父親、って感じではなかったみたいだよ。詳しく聞こうとしても、『身内です』って答えるだけだったんだって」

「…………」

 私はぐらぐらする頭をなんとかまっすぐ保つので精一杯だった。須田さんの声が終始落ち着いているのが、せめてもの救いだ。

「心当たりがあるんだね?」

「……はい」

「で、あれはあんたのストーカーなの? 嫌がらせ? それとも、本当に身内の誰か?」

「…………」

 なんと答えるべきなのか迷う。

「身内、といえば身内ですけど、父や兄じゃありません」

「ふん」

 須田さんは鼻から息を吐くような声を出した。相槌なのか呆れているのか、よく判らない。

「それも面倒だね。まったくの他人なら一蹴してやるところなんだけど」

 須田さんの蹴りはいかにも鋭そうだ、とどうでもいいことを考える。

 そんなくだらないことでも考えていないと、頭が破裂しそうだった。

「まあ、その電話自体は、店長がのらりくらりと対応して、適当に濁して切ったらしいんだけどね。あの人、そういうの得意だからね。……なんか、揉めてんの?」

 そう訊ねる須田さんの声には、少しばかり、慮る色が乗せられているような気がする。

 一度も聞いたことのなかった須田さんのそんな声に、喉の奥がぐっと詰まった。

「……はい。すみません、こんなことに、巻き込んで」


 トモ兄は、ひどく性急に、そして着実に、私を囲む檻を狭めようとしている。

 自分の親、私の親、そして蒼君のいるバイト先。

 ……すべて、私の意志を汲み取ることも、確認することもしないやり方で。


「そんなことはいいんだけどね」

 須田さんはあっさりと言った。そんなもんは、屁でもない、とでも言いたげに。

「それよりも、あんた自身はどうなの。バイトを辞めるの? 辞めないの?」

 はじめて私の意志を真っ向から問いかけてくれたのが、父でもなく母でもなく、赤の他人の須田さんであるとは皮肉な話だ。

「辞めません」

 震える声で、でも、はっきりと告げた。「あっそ」と応える須田さんの口調はいつもと何も変わらない。

「じゃあ、店長とも話したんだけどね。あんた、その揉め事を片付けるまで、バイトは休みな」

「え」

 休む?

「……で、でも」

 反論しようとしたら、その前に、

「言っておくけど、迷惑だから、とかそんな理由で言ってんじゃないよ」

 と須田さんに遮られた。


「あのね、橘。あんたはまだ高校生だからね、もしも本当に保護者からそういう電話があったら、店長としては、ああそうですか、って了承するしかないんだよ。どんなことか知らないけど、バイト先に電話をしてくるってことは、揉め事の種がここにあるからなんでしょ。いくらあんたに辞める気がなくたって、ゴタゴタをこじらせた挙句、今度はあんたの父親か母親が出てきちゃったら、その時こそこっちはお手上げなの。そうならないように、とりあえずバイトは休みってことにして、その間に問題を解決しなよ」


「…………」

 暫くの無言の後で、はい、と唇を噛みしめて返事をするしかなかった。

 確かに、この状態でバイトを続けたとして、トモ兄がどんな行動に出るのか予測ができない。

 そこに蒼君がいる限り、トモ兄は私があのバイトを続けることを、決してよしとはしないだろう。


 ……ここでも「とりあえず」、なのだ。


 ずっと一人で、どうすればいいのかと何度も考えて悩んで迷ってきた。

 泣いて、困って、怒ったりもした。

 ただ単にみっともなくジタバタと足掻いているだけだったかもしれないけれど、トモ兄に私の気持ちを判ってもらおうと、自分なりにずっと必死でやってきた。

 ──でも、今に至るまで、物事は何ひとつとして、好転していない。

 グズな私の代わりに大人たちが決める「とりあえず」は、私にとって、どれもこれもつらいことばかりだ。

「ちゃんと給料ドロボーの枠は残して待っててやるからさ」

 須田さんは最後に、聞きようによっては温かみのある声でそう言って、電話を切った。

 私もスマホの通話を切った。気づいたら、指先がぶるぶる震えていた。

「……トモ兄」


 悔しくて、悲しくて、腹立たしい。

 私は、働くのが嫌いじゃなかった。

 時給のわりに重労働で、グズだの役立たずだのと罵られ、失敗も数えきれないほどたくさんした。ヘコんだこともあるし、腕が筋肉痛になってぶうぶう言ったこともある。

 けど、私はあのバイト先が好きだった。蒼君がいるから、という理由ばかりじゃない。ぺらぺらと薄っぺらい店長だって、おっかない須田さんだって、他のバイトの人たちだって、みんな好きだった。

 穏やかに店内を流れる空気も、独特の紙の匂いも、エロ本を恥ずかしそうに買っていく男の子たちも、探していた本が見つかったと喜ぶお客さんの笑顔も、私にとってはとても大事なものばかりだったのに。

 小さくても、あの場所は、私が作り出したかけがえのない私の世界だったのに。


 ──それを取り上げる権利がトモ兄にあるの?


 私は、ぐっと強く唇を引き結び、手に持っていたスマホに、また指を当てた。

 新しい番号を呼び出し、もしもしー? と可愛い声で出た相手に向かって口を開く。

「……もしもし、キクちゃん? あのね、ちょっと話があるんだけど、会えないかな? うん、今から」

 私には、味方が必要だ、と痛感していた。

 奈津に、お清ちゃんがいたように。





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