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遠くの星  作者: 雨咲はな
15/43

15.一歩



 最近ずっと、バイトからの帰り、本屋から最寄り駅までの道のりを、蒼君が私と一緒に歩いてくれる。

 いや、誤解をされたら困るのだけど、それは決して蒼君が自ら進んでそうするようになったわけではない。もちろん、私が頼んだわけでもない。


 電話の一件から、私と蒼君の関係が劇的に変化した、なんてことは、まったくないのだ。


 ようやくお互いの携帯番号を知ったわけだが、言ってしまえば、ただそれだけ。

 あれきり蒼君が私のスマホに電話をかけてきたことは一度もないし、私がかけることもなかった。いや、私のほうはかけてみたい気持ちで山々だったのだが、その勇気がなかった。メールだって同様だ。要するに、以前の状態と、まるでなんにも変わっていない。

 学校で顔を合わせても、特に何かの反応を見せてくれるわけでもないし、バイト先でもやっぱり厳しい鬼教官のままである。

 無口で、無愛想で、何を考えているのかよく判らない。

 結局、私は蒼君の旅の目的地がどこであったのかも、あの電話にどういう真意があったのかも、聞きだせないままという体たらく。

 私にとってはものすごい大事件のような気がしたのだけど、蒼君にとっては単なる気紛れでしかなかったのだな、と肩透かしを食らったような、納得したような気持ちになって、私は日々を過ごしていた。


 ──ところが、私と蒼君に変化はなくても、周囲の状況に変化が起きた。


 バイト先の本屋近辺に、変質者が出没するようになったのである。夜道で突然女性の前に立ち塞がり、コートの前を全開にして中のものを一方的にお披露目するという、アレだ。

 そういうことなので気をつけてくださいね、と巡回してきた警察官に言われた店長は、そんな卑劣な犯罪にうちのお客さんを巻き込ませるわけにはいかないね! と、突然使命感に燃えた。

「このあたりでそんな性犯罪に走るなんて、うちの店で大人しくエロ本を買っていく真面目な男性たちに対する冒とくだよ!」

 という怒り方をする店長は、何事につけ、少々ズレた考え方をする人なのだった。須田さんなんかは、要するにヒマなんだから放っときゃいいのよ、と醒めた口調で言っていたけど。

 ともかく理由はどうあれ、店長は張り切って店の入り口に注意を促すポスターを貼り、夜間の女性客には、一人でせっせと声掛け運動に励んでいた。それはそれで偉いと思う。そんなことする前に仕事しろよ、と店員一同が心の中で思っていたという事実なんて、きっと彼にとっては些細なことなのだろう。


 そしてそんな流れで、夜遅くに帰る女性バイトたちに対しても、店長のその微妙な騎士道精神は発揮され、夜道は必ず複数で歩くこと、というお達しがされたわけなのだった。


 しかし、複数で、といったって、私以外の女性バイトはほとんど自宅が近くの人ばかりなので、蒼君のように自転車か、須田さんのように自家用車で通ってきている人ばかりである。駅までとことこ歩くのは、未成年で家も離れた場所にある私くらいのものだ。


 それを知った店長は目をキラリと光らせ、

「橘さんを無事駅まで送り届けるのが君の使命だよ、鷺宮君」

 と蒼君に厳命した。


 もちろん、私は驚いた。

「ええー! い、いえ、いいですよ、そんな大げさな!」

「なに言ってるのさ、橘さん。まだあんまり大した労働力になっていない君だって、うちの大事な店員であることには変わりないんだからね」

 ぶんぶんと手を大きく振って辞退する私に、店長はそう言った。顔つきだけは真面目ぶっていたけれど、目の色が完全に面白がっていた。第一、私の身を案じるのに、どうして余計な言葉をつける必要があるのか、さっぱり判らない。

「須田さんあたりなら、そういう類の変質者と遭遇しても、あんまり心配ないんだけどさ。ほら、あの人、ウソつけないから。じっと観察して見た目のままの感想を口にして、逆に相手を泣かしちゃうくらいかもしれないけど、橘さんには無理でしょう」

「そ、それは無理ですが」

 というか、そんな対応が出来る人のほうが、よっぽど少数だと思う。

「まだ高校生なんだしね。今後いろいろと見る機会があるだろうに、比較対象が変質者のソレなんて、僕、あまりにも気の毒すぎて」

「店長ーー!」


 ……そんなわけで、いや、正直、どんなわけなんだか自分でもよく判らないのだが、店長に命令された蒼君は、バイトが終わると、駅まで私と一緒についてきてくれることになった、のだ。


「ご、ごめんね、遠回りなのに」

 最初の夜、私は恐縮して何度も謝った。

 自転車を手で押して歩き、さらにその上、器用にも缶コーヒーを飲みながら、蒼君は「別に」と素っ気ない。表情にほとんど変化のない蒼君は、喜怒哀楽が他人には非常に判りづらく、不愉快なのかどうなのかも推し量れないので、こんな時は困ってしまう。

 並んで歩きながら、ちらりと窺うと、前方を見据える蒼君の横顔が見えた。

 まっすぐな眼差し、伸びた背中、迷いのない歩調。蒼君は、はじめに言葉を交わしたあの時と、まるで変わらない。

 酔っ払いに絡まれているところを、知らん顔で行き過ぎようとした蒼君。でも、この人の近くを歩くだけで、私はあの時、不思議と安心できたんだっけ。


 ──今も、やっぱり、安心できる。


 そうやって、私たちは駅に着くまで無言のまま歩き続けた。



          ***



 そんな次第で、前フリが長くなってしまったが、翌日から冬休みに突入するというこの日も、バイト帰りの私たちは、暗い道を二人で並んで歩いていたのだった。


「……それで倉庫にすごく大きな箱があってね。しかも重いの。これ何ですか、出さなくていいんですかって訊いたら、店長が、『万引き犯を捕まえて、中に閉じ込めてあるから、その段ボールは開けちゃ駄目だよ』って言うんだよ。ええーって思って、トントンってこっそり箱をノックして耳をくっつけてみたけど、中からの返事は聞こえなかった」

 最初の遠慮はどこへやら、一緒に帰るようになって数日経つと、私はすっかり普段と同じように、蒼君を相手にしょうもないお喋りをするようになっていた。どうも私は、根っから性質が現金に出来ているらしい。

「そんなウソに騙されるほうがどうかしてる」

 何も言わなくてもバイトが終わると当たり前のように自転車を押し、私と同じ進行方向へ向かってくれる蒼君は、無愛想ながら、特にイヤな顔もしないで、私の馬鹿話に付き合ってくれている。

「うん、私もウソだろうなとは思ったんだけどさ。だって、ガムテープでぎっちり封がしてあるし、ホントに中に人がいたら、窒息しちゃうもんね」

「そういう問題じゃない」

「でね、結局あの箱、何が入ってたのか謎のままなんだよ」

「本屋に運ばれてくる箱の中身は、ふつうは本だ」

「いや、でも、すっごく大きな箱だったんだってば! ぎゅうって折り畳めば、なんとか人が入るのも不可能じゃないと思うんだよね。もしかすると、店長、誰かを殺して中に隠したんじゃないかなって、実は私、疑ってるんだけど。そういうミステリーとか、よくあるよね?」

「お前は自分の読書傾向を少し見直した方がいい」

 蒼君はつれない声でそう言ってから、ふとため息を漏らし、ぽつりと呟いた。


「……腹減った」


 あらら、と私は思う。

 蒼君もきっと私と同じで、家で軽く何かを食べてから本屋に来て、バイトが終わった後でちゃんとした夕飯を食べる、という形なのだろう。私はそのまま何も食べずにいることも多いのだけど、食べ盛りの高校生男子にそれはきついのだろうな、と同情した。

 もしかして、蒼君が毎日帰り道にコーヒーを飲んでいるのは、それで少しは空腹を紛らせようとしているのかもしれない。

 私は肩からかけていた自分のバッグの中に手を伸ばし、ごそごそとかき回して覗いてみたが、あいにく中にはアメもお菓子も入っていなかった。

「ごめん、なんにもないや」

 その言葉に、蒼君はもうひとつ、小さなため息を落とした。そもそもこうして駅まで遠回りさせて、彼の夕飯時間を先に延ばしているのは私のせいなので、非常に申し訳ないような気分になる。

「ごめんね。私の顔がアンパンで出来てたら、蒼君に食べさせてあげられるんだけど」

「…………」

 私が真顔でそう言ったら、蒼君はちょっと無言になって、それからぶっと噴き出した。


 ──わあ、笑った。


 今度は電話越しではなく、目の前で、ナマで見てしまった。

 なるべく表情に出さないように努力はしたものの、私は内心、かなり動揺しまくっていた。心臓が破裂しそうなほどどきどきいっていて、こめかみのあたりが痛いくらいだ。

 笑顔がものすごく素敵だとか、そういうことを思ったわけではなかった。いや、ちょっとは思ったけど。悪の組織に作られた人造人間じゃなかったんだね、と思ったわけでもない。いや、それもちょっとは思ったけど。


 ……ああ、蒼君はやっぱり、普通の男の子だったんだ、と。


 そんなことを改めて認識して、嬉しくなってしまったのだ。

 こんなバカバカしい冗談に噴き出して、今も下を向きながらくくくと肩を震わせ笑い続けているその姿は、どう見たって周囲にいる同級生たちと変わらない。


 無愛想で。

 いっつも怒ったような顔をしていて。

 本が好きだけど勉強は好きじゃなくて。

 不真面目で真面目で。

 ふらりと一人で旅に出たと思ったら、突然電話をかけてきて、「星が見えるか」なんて訊ねてくるような。


 そんな蒼君は、私にとってはどこまでも特別な存在だけれど、でもきっと店長が言っていたように、本当のところは私や私のクラスメートと大差ない、普通の高校生でもあるのだろう。

 そう思っただけで、蒼君がとても自分に近くなったような気がして、私はそれが心から嬉しかったのだ。

「お前って、ホントに──」

 そこまで言って、蒼君は言葉を切った。バカだ、と続けようとしたんだろうな、と推測したが、蒼君の笑顔が見られて上機嫌の私は気にしなかった。にこにこと崩れるばかりの顔は、本気でバカ丸出しに見えるかもしれないし。

 蒼君が笑いを止め、押していた自転車とともに足も止める。顔を上げた蒼君が前を見て、私もそちらに視線を向けたら、もう駅はすぐ目の前だった。


 早いなあ、とちょっと残念になる。


「送ってくれて、どうもありがとう。もう学校はお休みだけど、バイトにはちゃんと行くから。明日、また」

「橘」

 手を挙げて別れを告げようとしたら、蒼君の声に遮られた。

「うん?」

 半分駅の方に向けかけていた身体を、慌ててまた蒼君のほうに向け直す。

 いつもだと、うん、と返事をしてすぐに帰っていく蒼君は、駅の前の道路で止まったまま、少し考えるような顔つきをしていた。

「橘、休み中もバイトに来るんだな?」

「え? う、うん」

 今、そう言ったつもりなんだけどな、と怪訝に思いつつ頷く。

「いつが暇だ?」

「は?」

 蒼君の質問に、私は困惑して問い返した。いつものことだけど唐突な上に言葉が短くて、意味がよく判らない。

「え、いつって?」

「だから、暇な日」

「何が? 冬休み中、本屋が暇になるのはいつかってこと? さあ……私、夏休みの時はまだバイトしてなかったし、お休み時のお客さんの入りまではよく把握してないんだけど」

「…………」

 なにこれ、本屋の新人バイトの抜き打ちテスト問題? と疑問に思いながら、それでも真面目に考えて答えると、蒼君は無言になって深々と息を吐いた。

 気のせいか、バイトでたくさん働いた時よりも、よほど疲れた表情をしている。


「……橘は、冬休み中、いつバイトの休みをとるんだ」

 今度はちゃんと主語を入れてくれた。


「私? えーとね」

 正月三が日は多少営業時間が短縮されたりするが、本屋は基本、年中無休である。したがって店長および店員は、勤務時間と休みをそれぞれ調整しながらシフト表に入れていく。なんでいきなりそんなこと訊くのかなあ、と不思議に思いつつ、私は自分がとる休みの日を思い返しながら、この日とー、あの日とー、と並べていった。

 蒼君は私の言葉を黙って聞いていたけれど、私が全部言い終えてから、ちょっとだけ顔を顰めた。

「俺と休みが重なるの、正月の二日しかない。その日、何か用事があるか?」

「…………」

 ここに至って、ようやく私も蒼君の言っていることが判ってきた。

 判ってきたと同時に、狼狽した。


 あれ?


「……え、と、その日は、家族でおじいちゃんの家に挨拶に行くことになってる」

 手の指をもじもじと交錯させながら、口ごもりつつ言う。親戚の集まりがある、とは、なんとなく言えなかった。

「そこ、遠いのか」

「ううん、近く」

「挨拶した後でなら、橘が抜けても大丈夫か?」

「……うん。父や母はそこで一日飲み食いするんだろうけど、特に、私は」

「じゃ、電話する」

 蒼君がそれだけ言って、自転車に跨った。えっ、と思っているうちに、くるりと方向転換して滑らかな走りで去って行ってしまう。

「え──え?」

 私は混乱したまま、その場に突っ立っていた。

 え、電話? なんで? と同じことばかりが、頭の中を猛スピードで駆け巡る。

 正月の二日に、蒼君からかかってくる電話。あけましておめでとう、なんてことを言うためだけにかけてくるわけではないのだろう、ということくらいは私にだって判る。


 いつが暇だって──そういう意味?


 しばらくの間ぼうっとしてから、ようやく我に返った。

 と、とにかく帰ろ、と赤い顔で踵を返し、改札へと向かう。なんだかまるで、雲を踏んでいるようで、足許がふわふわと頼りない。

 電光掲示板には、次の電車の到着を知らせる表示が出ていた。もうあと数分しかない。それを見て、足を速めたら、転びそうになった。


 ──大丈夫。


 その時、私が思っていたのは、ひたすらその言葉ばかりだった。

 大丈夫、あれから、前世の夢は見ていない。奈津の記憶は戻ってきていない。

 二日には、きっとトモ兄も祖父の家に来るだろう。その時、もう一度きちんと話をしよう。他に親戚がたくさんいるんだから、以前みたいなことにはならないはず。


 ちゃんと前へと進むんだ。私はいつまでも子供でいるわけにはいかない。


 駅の構内にアナウンスが響く。甲高いメロディが、乗客たちに注意を喚起するため、大きな音でこだました。心臓を引っ掻くような音だった。

 ご注意ください、という駅員のスピーカー越しの声がする。

 大丈夫、大丈夫、と心の中でくり返し呟きながら、私は大きく足を踏み出した。





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