7-2 パラドックスは防虫剤ではありません。
祥子は長座布団の上で斜め座りを、テーブルを挟んで正悟は座布団の上で胡坐をかいていた。
「かっこいい正ちゃんを見たいとは言っても、家の中だとこうした問題しかなかったんだけど……。確率の問題よ」
「確率って……知っているとは思うけど、学校ではたいした事も習ってないからね? 高校受験のような問題出されても解けないよ」
「大丈夫。ただの算数クイズだから気軽に答えて頂戴」
「気軽にって……」
そうはいっても、これほどの前置きがあるわけだから正解率100%の問題が出てくるわけではあるまい。祥子が再びバッグから何かを取り出そうとしている様子をぼんやりと見ていた。
祥子はテーブルに同じモノを3つ置いた。それは正悟も見覚えのある、サイコロの形をしたキャラメルの箱だった。
「キャラメルの箱?」
「うん。まだ売っていたんだねー。懐かしくて買っちゃった」
「それでこのキャラメルの箱がどうしたの?」
「ここに同じキャラメルの箱が3つあります。正ちゃんにはこの中で当たりの箱を見つけてもらいます」
「……ヒントは?」
「ノーヒントよ。ただしヘルプが1回使えます。例えば正ちゃんがどれか1つを選んだとして、残る2つのうち私が1つハズレの箱を取り除きます。そしてその状況で再度選び直しても構いません」
「……つまり最初が確率が3分の1なのに対して、ヘルプで2分の1にできるって事か……だったら、最初から2択にすればいいと思うけど?」
「うふふ。さて、問題です。これらのシステムを使って、当たる確率の高い解答をしてください」
「確率の高い? つまり100%は不可能だから、実際に外れてもいいから、理論上で当たる確率が高い解答をしろ、ということ?」
「そうね」
しばし正悟はフリーズをした。この問題の意図がわからない。そしてこの問題の正解が存在しないであろうと考えたからだ。
「え、ちょっと待って。最初にどれか1つを選ぶ。つまりは当たる確率は3分の1だよね。それでお姉ちゃんが1つハズレを取り除いて2つが残る。そこでどちらを選ぼうとしても確率は2分の1……じゃないの?」
「それはファイナルアンサー?」
「えっ、違う、の、かな……。いや、今のは取り消し! こんな問題を出すくらいだから、普通すぎる答えじゃないと思う。どこか考え方が違うはずだよ」
「そう。じゃあ、頑張ってね」
祥子はテーブルに腕と重たい2つのものを置いて正悟の観察に努めた。頭の中で整理することに限界を感じたその観察対象は一度席を外し、裏が白い広告とボールペンを持ってきた。
実は祥子が用意した問題はネットで広まっている問題だったりする。パラドックスという、理論(計算や現実)とフィーリングで感じられる答えとの差があることの有名な問題なのだ。
正悟が考えた理論はまさしく単純に考えればそうであろう一種のフィーリング的答えであり、計算上の答えは異なる。
仮にA・B・Cの3つの中でAを選んだとする。当然当たる確率は3分の1であり、外れる確率は3分の2である。この場合の外れる確率というのはBかCが当たりである確率である。さて、そこで少なくともBかCのどちらかは外れであるから1つを取った場合、残った片方が当たりである確率はいかに。
さらに増やしてA~Zの26個で考えると分かりやすい。Aが正解である確率は26分の1。それ以外が当たりである確率は26分の25。そこで外れであるC~Zを取り除いた場合、Bにかかる当たる確率はいくつか。そしてその場合はAが当たる確率が26分の1から2分の1に繰り上がるのだろうか。
上記の2つの例は同じ意味合いを持つ。
つまり、祥子の問題の場合では、最初に選んだものが当たりである確率は3分の1であり、選ばなかった2つの中で1つを取り除いた場合では、2つ分の期待値がかかるため、最初に選んでないものでない方(つまりは『答えを変更する』)が当たりである確率は3分の2なのだ。これが正解である。
30分が経過した。
正悟は相変わらず問題と格闘していた。広告の裏は既に文字が書ける余裕がないほど黒で埋まっていた。
「ちなみにだけど、降参でもいいからね」
「しないよ!」
「そう。……ちなみにだけど、最初の答えが間違いだって言ってはないからね」
「でも絶対間違いなのはわかるよ。普通に考えたらそうなるんだから、そんな問題出すわけがないじゃん!」
「そう。……でも、そろそろ答えを出してほしいかな。さっきから正ちゃんが悩んでいる顔しか見てないし」
「ごめんね、期待に応えられなくて」
「!」
しばしの間があって、視線はそのままでぶっきらぼうに言い放った正悟。そんな言葉が返ってくるとはまさか思っていなかった祥子が小さく驚いた。所詮はクイズだが、されどクイズだと真剣に取り組んでいる正悟に対してこれ以上茶化すようなことはできなかった。ここはひたすら待つしかない。
さらに10分ほどが経過して正悟の口が開いた。
「お姉ちゃん」
「何?」
「ごめんね」
「え、突然どうしたの?」
「さっき、ちょっと、八つ当たりしちゃった」
それが先ほどの発言であることをすぐに思い出した。
「いいよ。別に気にしてなんかないから」
「ちょっと難しくて。それでピリピリしてて、だから頑張って挑戦してるけど、でもやっぱりわからないんだ」
「そっか。じゃあ……とりあえず、最初に言ったやつが正ちゃんの正式な答えでいいかな?」
「うん」
「……残念ながら不正解です」
その言葉に正悟は悔しいような安心したような複雑な表情をした。そして祥子の解説を小さく頷きながら聞き入った。
「……なんだか説明を聞いてわかったけど、いまいち納得できない部分もあるね」
「私だって理論上は理解していてもモヤモヤする気持ちはあるよ。こういうのをパラドックスって言うんだって」
「へー、そうなんだ。お姉ちゃんは数学とか好きなの?」
「理系だけどけど……はあんまり好きじゃないかな。なのにこんな問題出してごめんね」
苦笑いの祥子に既に思いの矛先もそれ自身も失くしていた正悟はとても柔らかかった。
「ううん。こうやって説明聞けば小学生でも解ける問題であるのはわかるし、やはり解くことができない僕がそれ以下だったまでだよ。お姉ちゃんの期待に応えられなくてごめんね」
「そんな! 私が一方的に問題出したわけだから正ちゃんが負い目を感じなくていいんだって。それに、問題出しておいてこんなこと言うのも変だけど、正ちゃんの賢さって数字相手じゃなくて、別の所で発揮できると思うの」
「別の所って?」
「推理といえば推理なんだけど、たとえばひとつの事実があって、それを様々な視点でとらえられる……というか、色々な情報を元に、真の道筋を示せるというか……」
「……それって何だか『うみがめのスープ』みたいだね」
正悟のこの言葉に祥子は、
「え、何それ?」
ハテナマークをつけて返した。




