1-2 祥子
13時20分。ニューヨーク発成田着便。
「はぁ~、久しぶりの日本だ」
安城祥子(アジロ ショウコ)は12年ぶりに日本へ帰ってきた。
大学2年生の時に、何かを思い立ちアメリカへ留学した祥子。その先でボーイフレンドができてそのまま結婚してしまった。しばらくは夫婦仲良く生活していたが次第にすれ違いが続いて去年発覚した夫の浮気。離婚を考えている中、母親から1通のエアメールが届いた。
『父親が末期の癌だとわかった。余命半年らしい』
今まで実家にいることがほとんどなく好き勝手やっていた自分を積極的ではないが陰で支えてくれた両親。自分が最後にできることといえば会いに行くことだった。あまり時間がなかったため、慰謝料をもらえるだけ貰って離婚し、帰国した。
電車とバスを乗り継いで故郷へ戻ってきた。降りたバス停から見渡す風景はかつて中学高校時代に寮生活で休日を利用して帰ってきた時の感覚に似ていた。
懐かしい。草木の長さは変われど、周囲の家や受ける風の匂いは変わっていなかった。
祥子は少し軽くなった足で実家へ向かった。
向かうのだった。
だった。
だった、のだが。自分は馬鹿にでもなったのだろうか。この何も変わっていない自分が生まれ育った街で祥子は迷子になってしまった。
着いた時の感覚は似ていても中高と現在ではここから離れていた期間に差がありすぎた。大学も1人暮らしだった祥子が小学校卒業以降にこの街にいた期間は1年もなかっただろう。
女性に多い地図の弱さはあれど、さすがに自分の実家くらいはわかるものだと高をくくっていた。しかし突きつけられた現実。
「まいったなー。近所の人にも聞きにくいし……あっ」
すると前から自転車に乗った若い駐在が見えた。警察官になら道を尋ねても不自然ではない。まだツキに見放されたわけではないようだ。
ただ、自分の家の場所を聞くというのはとても恥ずかしい。そうだ、ここはぶりっ子でよそ者のふりをして……祥子は笑みを抑えながら聞くことにした。
「すいませーん、刑事さん」
「はい、どうかしましたか?」
「あのー、6丁目1193番地ってどこかわかりますー?」
「6丁目の1193番地? 6丁目ということはあの辺りだから……」
「えーっと、多分、安城さんという人が住んでいると思うんですけどー」
「ああ、1193は安城さんとこか。……あんた見慣れん顔だけど、安城さんところに何か用か?」
「え?」
全くの不意打ちだった。
「えーと、ちょっと、そのー、色々あってー」
この街で安城といえば膨大な土地を持ち、本家は昔から代々伝わっていますと言わんばかりの日本家屋に塀で囲まれた門付きの名家だ。そこにヒール含めて170cm越えの30過ぎの茶髪の肩を出した露出多めの服を着た女が一体どんな用があるのか。普通ならなかなか想像はしにくい。
ぶりっ子。それだけしか考えていなかった祥子に今適切なウソをつけるほどの余裕はなかった。果たして理由をうやむやにしてこの身体ですり寄れば教えてくれるだろうか。そんな事を考えていた祥子だったが。
「……身分を証明できるものはある?」
駐在のその一言には我慢できなかった。すり寄りプランもパーだ。
「ちょっと! 何で私が何もしてないのに身分を証明しなければいけないわけ? 道を聞いているんだからとっとと教えればいいでしょ! ふざけないでよ、だったらあんたから見せなさいよ!」
「何ぃ!?」
あまりの豹変ぶりに駐在もただ驚くことしかできなかった。
正悟の母・朝子は友人宅へ寄ってからスーパーへ行こうと出かけていた。
しばらく歩くと道の真ん中で警察官と1人の女性が言い争っていた。
警察官は地元の駐在。そして女性は一見するとこの街の人間ではなさそうな服装……と、全体を見渡して顔を確認したところでどこか見覚えがあることに気付いた。
「どうかしたんですか、平塚さん?」
朝子が駐在に声をかけながら近くで女性の顔を確認した。
「……あぁ、やっぱり」
「湯谷さん、ご存知ですか?」
「やっぱり祥子ちゃんでしょ。見たことある顔だと思ったら、帰ってきたのね」
口から出てきた答えは地元で知らない者はいない安城家の娘だが、小学生以降のほとんどを実家から離れている祥子の姿をしっかり覚えている者はあまりいない。
しかし湯谷家は地域のイベントを通じて祥子と知り合い、以降祥子が家に遊びに来るようになった。祥子自身あまり名家というものに関心が薄かったみたいだ。小さい頃の正悟の世話をお願いしたこともあった。
「……朝子おばさん、ですか? お久しぶりです! お元気ですか?」
祥子も地図は読めなくても、人の顔は忘れなかったようだ。
「こんなに立派になって。今帰ってきたの?」
「はい。あ、それより聞いてくださいよ。この人警察官のふりをした悪い人なんですよ!」
「平塚さんの事? 何言っているの、立派な巡査さんじゃない」
「え?」
母親から簡単に事情を聴いた正悟。
正悟は顎に手をやり少しだけ考え込む仕草をした。
「えっと、祥子さんは――」
「祥子お姉ちゃん!」
「……祥子お姉ちゃんはおまわりさんが偽者だと思っているわけなんだよね?」
「うん」
そんなことはないはずだ。正悟が物心ついた時からいたのだから、仮にそうだったら大問題だ。
「多分。多分だけど、きっとお姉ちゃんの勘違いだと思うよ。その原因は知らなかったからだと思うけど」
「知らなかったって何を?」
さて、問題です。
祥子の勘違いの原因は何でしょうか?
答えを出してから次へ読んでいただければより一層楽しんでいただけるかもしれません。