5.立入禁止区域(イエロー・ブロック)
暗黒のはずの空間から差し込んできたのは、光の洪水だった。
しかも極彩色。
加えて、渦のように回転していて、光のトンネルが遥か彼方に伸びている。
紫と黄色の帯が二重螺旋を描き、ところどころ蛍光色のフラッシュが飛んで、網膜に残像をびしばし刻んでいく。これに比べたら、『ギャッさん』のラブラブ通信なんて可愛いものだ。だいたいスケールが違う。エン・ケラフ号がオモチャみたいに感じるほどの巨大なトンネル空間なのだ。
「モ、モニカ……これ、ナニ? ここ、ドコ?」
アレフが上ずった声でようやく口を開く。
〈ナニかはわからないけど、ここは立入禁止区域の内側だよ。入った途端に宇宙がこんなになっちゃったんだ〉
〈おまけに、このでっかいキ印トンネルは、ずうううっとこっちからあっちへ続いてんだぜ……え、えええ?〉
モニカに続いたジローの声が、激しい息遣いの中に掻き消える。瞬く光の間にちまちまと動く三つの小さな影が見えたが、問題はその向こうだった。
トンネルの彼方、渦の中心に輝く白球が現れた。渦の動きに合わせて、それはみるみる大きくなっていく。球の内側からは光芒が放たれていて、それはこの光の中でもはっきりとわかる幾本もの黄金の筋だ。
〈な、ななな、なにアレ? くるよ、くるくる!〉
〈うわあ……派手な人外魔境だわ、こりゃ……〉
初めは口をついていた彼らの呟きも、その白球が迫るにつれ言葉を失っていく。それはもう自分で光る満月がのし掛ってくるようだ。太陽のような熱さはないが、ひたすら光が圧倒する。
と、黄金の筋の一本がこちらに真っ直ぐ伸びてきた。窓の外の三人の影が光に飲み込まれたと思う間に、船窓を素通りして操縦室を眩さが満たしていく。
そしてアタシは気がついた。光の中に何かがいる。アレフとサッコも気味悪そうに、周囲を窺っている。目の端をちらりと瞬きがかすめた。ヒゲ先が揺れた気がして、アタシは急いで隣の計測士席の下へ移動した。
ふと瞬膜がかかった目に、なにやら輝く影。人型に似ているけど、それにしてはおかしな形――後ろについているのはなんだろう。ゆらりゆらりと揺れるたびに光の風がおこる。
「わ!」
突然声をあげたのはアレフだ。
「やめろ!」
サッコが悲鳴と共に、両腕を振り回した。アタシの全身の毛はとっくに逆立っていて、一本一本の先から正体不明の感覚が伝わってくる。ぼんやりした何かはアレフとサッコの上を覆い、耳を寝かせ尻尾を膨らませたアタシの方にも近づいてきた。
威嚇の鳴き声を放つ。向こうが怯んだ隙に、座席の上に飛び乗り身構えた。気配は一旦退いたが――尻尾! 爪を立てた前足を後ろに一閃させるや、手応えは十分。
そう思うも束の間、怒号と共にサッコがアタシの上へ倒れこんできた。鼻先を掠めて何かが目の前に落ち、バチッと音を立てる。
スタンガン!
恐怖が暴走する。
逃げることで頭がいっぱいになり、闇雲にジャンプした。着地した所はやたらと不安定で、あちこち踏み直してやっと気づく。肉球に当たるこの感触は――計器スイッチ、計測機器盤の上!
しまったと思ったのと同時に、大音響が鳴り響いた。3D大スクリーンが勝手に動き、何かのコンサート映像を映し出す。ステージのバンド、熱狂する観客、疾走する曲、中心で身を躍らせる歌姫は、まだうら若い――うさぎ耳の二次元少女。
〈マコちゃああああああああん!〉
スピーカーからジローの絶叫が爆発した。
どうやらセットしたままの御秘蔵データを、サイズ、音量共最大で再生発信してしまったらしい。
と、室内の怪しげな光が弱まった。窓の外を見ると、黄金の筋が見る間に縮んで白球の中に吸い込まれていく。極彩色の中に浮かぶ三人も無事に見える。けれど、何か変だ。それが周囲の渦の向きが反対になったせいと気づいた時には、現れた場面を逆回しにしたように、輝く月モドキが遠ざかっていく。しかもその姿が消えた途端、渦の回転が早まり、光のそれぞれの色は交じり合って急速に輝きが失せていった。
やがて、薄闇に沈む周囲に気づく。耳を聾するばかりのニジゲン音楽は相変わらずスピーカーを震わせていたが、窓の外には、星々の散らばる沈黙の宇宙が広がっていた。
* * *
この後、アレフはせっせと働いた。自分のスタンガンで気絶したサッコをがっちり拘束して、船外の三人を回収する。操縦室に戻ったナツが床に転がるサッコを見るや、燻蒸だと殺虫剤を持ち出すひと騒ぎがあった。船内点検の結果、エンジン不調の原因は単なる燃料切れと判明したが、予備タンクまで空とあっては相当な異常事態に違いない。
それに船は依然立入禁止区域内にあり、遭難信号を発信したものの、この中へわざわざ入ってくる奇特な宇宙船などあるのだろうか。
ところが、だ。モニカが、今時そんな肝が座った、あたし好みの男なんかいないよねと大きな溜息をついた矢先、なんと救助信号が入ったのだ。彼女を諦めきれない『ギャッさん』だった。彼はエン・ケラフ号の航跡を追い続け、目標が立入禁止区域へ消えても、船員の制止を振り切って中へ飛び込んだのだ。そこですぐにこちらの信号を受信したというから、彼らはあの極彩色のトンネルを見なかったらしい。
もちろん船長以下、操縦士、計測士は彼を大歓迎し、お大事の通信士を熨斗をつけて差し出した。当のモニカは不満顔だったけど、出てきた時には春風のような鼻息が吹いたので、少しは『ギャッさん』を見直したかな。
燃料を分けてもらっての帰り道、乗組員達は立入禁止区域での出来事を、宇宙保安庁へどう報告するか大いに悩んだ。いったいあそこで何があったのか、なぜ元に戻れたのか。
「光がこうぶわぁっときて、目やら鼻やら口から体ん中入って、ついでに頭の中まであのビカビカが炸裂して、気を失いそうになったとき、マコちゃんの絶唱で正気に戻ったんだ!」
ジローが、命の恩人とばかりに例のデータチップを撫で回す。他の面々は肩をすくめていたが、体験したことは皆同じようだ。ただアレフの呟きに、その場の空気が凍った。
「ちらっとだけど……背中に付いてた」
そうして、ひらつかせた左右の両手。
しばしの後、とにかく洗いざらいを話すしかないねとナツが言い、みんなは神妙に頷いた。
「――以上が、立入禁止区域でエン・ケラフ号の乗務員が体験した出来事である」
船長室でナツが報告書を口述するのを聞きながら、アタシはバンクの上で四肢を伸ばした。毛並みの手入れをしている所へ、ナツが手を伸ばしてくる。その指先を舐めてあげるとナツは喉奥で笑い、そのままレコーダーを手に、アタシを抱きながらバンクに横になった。その腕を枕がわりに目を閉じ、耳に続く彼女の低い声。
「このように『彼ら』は未だ、接触を望んでいない様子である。しかしその原因は、もしかしたら今回の遭遇から解明されるかもしれない――」
『彼ら』――あれが何か知っているようなナツの口振りだがーーあの時、アタシの逆立つ毛先が確かに捉えていたのは、言葉にすると、こんな感じ。
――R指定だ。ブロックしろ!
思い起こした途端、大欠伸がでた。
愛するクルー達のどこのあたりが指定対象か気になるが、今は眠くてしようがない。身を寄せるナツの胸は、なんて気持ちがいいんだろう。ボリュームではモニカに負けるけどね。とにかく無事に帰れたのだ、これで十分じゃないか。
R指定上等、ブロック万々歳。
[完]
初稿は時間が足りなくなり、多少心残りがありましたので、改めて手を加えてみました。
これで、すっきりとはいきませんでしょうが、これが只今できる限りのことです。
お読みくださり、ありがとうございます。
念のため、投稿時の内容も以下に載せておきます。2012年10月12日以前に頂いた感想は、これをもとにしたものです。
5.立入禁止区域
暗黒のはずの空間から差し込んできたのは、光の洪水だった。
しかも極彩色。
加えて、渦のように回転していて、光のトンネルが遥か彼方に伸びている。
紫と黄色の帯が二重螺旋を描き、ところどころ蛍光ピンク、オレンジ、ライトグリーンのフラッシュが飛んで、網膜に残像をびしばし刻んでいく。これに比べたら、『ギャっさん』のラブラブ通信なんて可愛いものだ。だいたいスケールが違う。エン・ケラフ号がオモチャみたいに感じるほどの巨大なトンネル空間なのだ。
「モ、モニカ……これ、ナニ? ここ、ドコ?」
アレフが上ずった声でようやく口を開く。
〈ナニかはわからないけど、ここは立入禁止区域の内側だよ。入った途端に宇宙がこんなになっちゃったんだ〉
〈おまけに、このでっかいキ印トンネルは、ずうううっとこっちからあっちへ続いてんだぜ……え、えええ?〉
モニカに続いたジローの声が、激しい息遣いの中に掻き消える。瞬く光の間にちまちまと動く三つの小さな影が見えたが、問題はその向こうだった。
トンネルの彼方、渦の中心に輝く白球が現れた。渦の動きに合わせて、それはみるみる大きくなっていく。球の内側からは光芒が放たれていて、それはこの光の中でもはっきりとわかる幾本もの黄金の筋だ。
〈な、ななな、なにアレ? くるよ、くるくる!〉
〈うわあ……派手な人外魔境だわ、こりゃ……〉
初めは口をついていた彼らの呟きも、その白球が迫るにつれ言葉を失っていく。それはもう自分で光る満月が伸し掛ってくるようだ。太陽のような熱さはない。ただひたすら光が圧倒する。
と、黄金の筋の一本がこちらに真っ直ぐ伸びてきた。窓の外の三人の影が光に飲み込まれたと思う間に、船窓を素通りして操縦室を眩さが満たしていく。
そしてアタシは気がついた。光の中に何かがいる。アレフとサッコも気味悪そうに、周囲を窺っている。目の端をちらりと瞬きがかすめた。ヒゲ先が揺れた気がして、アタシは急いで隣の計測士席の下へ移動した。
「わ!」
声をあげたのはアレフだ。
「やめろ!」
サッコが悲鳴と共に、両腕を振り回した。アタシの全身の毛はとっくに逆立っていて、一本一本の先から正体不明の感覚が伝わってくる。
尻尾! 爪を立てた前足を後ろに一閃させるや、座席の上に飛び乗り身構えた。手応えは十分――そう思った矢先、怒号と共に、サッコがアタシの上へ倒れこんでくる。鼻先を掠めて何かが目の前に落ち、バチッと音を立てた。
スタンガン!
恐怖が暴走する。
逃げることで頭がいっぱいになり、闇雲にジャンプした。着地した所はやたらと不安定で、あちこち踏み直してやっと気づく。肉球に当たるこの感触は――計器スイッチ、計測機器盤の上!
しまったと思ったのと同時に、大音響が鳴り響いた。3D大スクリーンが勝手に動き、何かのコンサート映像を映し出す。ステージのバンド、熱狂する観客、疾走する曲、中心で身を躍らせる歌姫は、まだうら若い――うさぎ耳の二次元少女。
〈マコちゃああああああああん!〉
スピーカーからジローの絶叫が爆発した。
どうやらセットしたままの御秘蔵データを、サイズ、音量共最大で再生発信してしまったらしい。
と、室内の怪しげな光が弱まった。窓の外を見ると、黄金の筋が見る間に縮んで白球の中に吸い込まれていく。極彩色の中に浮かぶ三人も無事に見える。けれど、何か変だ。それが周囲の渦の向きが反対になったせいと気づいた時には、現れた場面を逆回しにしたように、輝く月もどきが遠ざかっていく。しかもその姿が消えた途端、渦の回転が早まり、光のそれぞれの色は交じり合って急速に輝きが失せていった。
やがて、薄闇に沈む周囲に気づく。耳を聾するばかりのニジゲン音楽は相変わらずスピーカーを震わせていたが、窓の外には、星々の散らばる沈黙の宇宙が広がっていた。
* * *
この後、アレフはせっせと働いた。自分のスタンガンで気絶したサッコをがっちり拘束して、船外の三人を回収する。操縦室に戻ったナツが床に転がるサッコを見るや、燻蒸だと殺虫剤を持ち出すひと騒ぎがあった。船内点検の結果、エンジン不調の原因は単なる燃料切れと判明したが、予備タンクまで空とあっては相当な異常事態に違いない。
それに船は依然立入禁止区域内にあり、救難信号を発信したものの、この中へわざわざ入ってくる奇特な宇宙船などあるのだろうか。
ところが、だ。今時そんな肝が座ったあたし好みの男なんかいないよねと、大きな溜息をついたモニカが言ったそばへ、なんと救助を知らせる信号が入ったのだ。彼女を諦めきれない『ギャッさん』だった。彼はエン・ケラフ号の航跡を追い続け、目標が立入禁止区域へ消えても、船員が止めるのも聞かず中へ飛び込んだ。そこですぐに救難信号を受信したというから、彼らはあの極彩色のトンネルを見なかったらしい。
もちろん船長以下、操縦士、計測士は彼を大歓迎し、お大事の通信士を熨斗をつけて差し出した。当のモニカは不満顔だったけど、出てきた時には春風のような鼻息が吹いたので、『ギャッさん』を多少は見直したのかな。
燃料を分けてもらっての帰り道、乗組員達は立入禁止区域での出来事を、宇宙保安庁へどう報告するか悩んでいる。いったいあそこで何があったのか、なぜ元に戻れたのか。とにかくキラキラの事を話すしかないねとナツが言って、みんなは神妙に頷いた。
でもあの時、アタシの逆立つ毛先が思いもよらないモノを捉えていたのだ。言葉にすると、こんな感じ。
――R指定だ。ブロックしろ!
愛するクルー達のどのあたりが指定対象なのかしらんと首をひねって、考えるのをやめた。
ナツの膝の上はなんて気持ちがいいんだろう。とにかく無事に帰れたのだ。
R指定万歳、ブロック万歳。
[完]