4.締め出し(ブロック・アウト)
――扉の開く音がした。
耳がぴくりと動く。誰か入ってきたんだろうか。薄目を開けた正面には、驚いて丸い目をしているアレフしか見えない。動くのも面倒と思ったところへ彼が呟き、すぐ正体が知れた。
「サッコ……どうして」
背後から近づく足音がたちまちレザージャケットの後ろ姿になり、らしからぬ素早さでアレフの手元にあるスイッチを切った。如才のない目をスクリーンに走らせ、中の面々が何事もなく作業を続けているのを確認して息をつく。
「取り敢えず、ほかのクルー達には知られたくないからね」
偉丈夫を見上げる団子っ鼻が悲しそうに微笑んだ。
「てっきり君が助けてくれると待っていたのに」
「あ、うん……いや、でも……」
困惑した青い瞳が、自分の肩あたりの丸顔の上を気まずそうにさまよう――ナニヤッテンノ、コイツ。
「ジローの『パンドラの箱』を勝手に開けたと聞かされて……」
「ああ、『パンドラの箱』」
サッコは苦笑し、大仰に両手を広げて肩をすくませてみせた。
「どっちの機械いじりの腕が上か、まあ子どもじみた競争心をジローに持ってしまってね。俺は単に開錠への挑戦をしただけだよ――まさかアレフ。この俺に不純な動機があったとでも?」
相手の顔をちらりと窺い、ドングリ眼を伏せて嘆息しながら首を振る。
「ゴメン。恨みに思うのは筋違いだね。船長は君の叔母上だし、知り合ったばかりの俺より信じるのは無理もないことさ」
「サッコ……ああ、サッコ! 謝らなくちゃならないのは、僕の方だ! 顔を上げてくれ!」
操縦士の大きな手が、小男の丸い両肩をがっしと掴んだ。
「僕がだらしなかったん! もっと君を信じて、ナツにはっきり言うべきだったよ!」
サッコは顔を輝かせて、肩にある相手の手に自分の手を重ねた。
「アレフ、わかってくれたね。やっぱり俺が思っていた通り、真っ直ぐな熱い宙航士魂を持った男だ」
重ねた手がするりと上がって、太い二の腕を軽く叩く。ナンダカ微妙デ怪シゲダ。
「加えてこんな短時間で目標到達なんて、たいした腕だよ――ほんと、運送船にはもったいない」
そこでアレフが小さくあっと声を上げ、意味ありげに深まる小男の笑み。
「あのこと……考えてくれたかい?」
「いや……その、冗談だと思ってたから」
偉丈夫は戸惑いながら苦笑すると、腕を取るサッコの手を握った。
「それより、君の濡れ衣を晴らさなくちゃ。心を尽くして話せば、船長やクルーも君がどんなにいい男か分かってくれるから、さあ」
馬鹿力で掴まれた手を引かれ、通信機の前まで運ばれたサッコが慌てて首を振った。
「ア、アレフ、それは無理……」
うん、アタシもそう思う。
「いや、今はまずいよ。大事な作業中だし」
そこへスピーカーから流れる苛立ったナツの声。
〈アレフ! ちょっと、そこにいるの? 返事をなさい!〉
映像はポッドの正面カメラが捉えていて、小惑星上の三人がこちらを見上げている。サッコがマイクスイッチを切ってから、監視作業がとんとお留守になっていたのだ。操縦士は急いで回線を開くと、向こうからは見えないスクリーンの船長に頭を下げた。
「すみません、ナ……船長! 何でしょう?」
〈何でしょうじゃない! 何のためにポッドをそこにスタンバイさせている!〉
「あ……あ、ブースターをすぐに設置するため」
〈そうだ! せっかく三人掛りの突貫で基礎を作ったんだ、急げ!〉
「アイアイ、マム」
アレフが操作盤にとびつき、遠隔操作でブースターを取り付けてあるポッドの作業アームを伸ばす。というところで、薄目の観察も飽きたアタシは体を起こして欠伸をした。前足を思い切り伸ばし、後ろ足を片足ずつ順に突っ張る。シートに爪がぱりぱりと立っちゃったのはご愛嬌。
その音でサッコがぎくりと振り向いた。毛皮の手入れをしているアタシに気づき、ホッと頬を緩めて笑みを浮かべる。『パンドラの箱』を開けた時と同じ、あのいやらしいひきつり笑い。
――こいつ。
サッコはゆっくりアレフに視線を戻した。モニターと首っ引きで遠隔操作中の大きな背中を見つめながら、右手をレザージャケットのポケットに入れる。掴みだされたのは見覚えのある黒いもの。
「今、真上です」
〈進入角が微妙だから、もう少し上から狙ってごらん〉
「了解」
交信の間に小男が背後から一歩を踏み出す。
「ええと……このくら」
突然、銀色スーツの巨体がびくりと震え脱力した。操作卓からずるずると床へ落ちる。サッコがアレフの首筋に、手にある黒いものを押し当てたのだ。音もニオイもアタシの大嫌いなアレ――スタンガンを。
「君がいけないんだぜ。俺の誠意を冗談なんて言うから」
口調も悲しげに、サッコは横たわる体を見下ろした。でも、変わらない笑みの気色悪さと空気を漂う嫌な臭いとが、アタシの背中の毛をちりちり逆立てる。
〈行きすぎだ、アレフ! どうした? 応答しなさい!〉
再び途絶えた通信に、ナツが切羽詰った呼びかけを繰り返す。サッコはアタシをちらりと見て鼻を鳴らし、マイクへ首を伸ばした。
「こちら、エン・ケラフ号。ポッドをそちらに向けます」
その声を聞き、三人の顔がヘルメットの下で凍りついたのは間違いない。けれどナツの低い声は、この時を一瞬も無駄にしなかった。
〈サッコ……なぜ、あんたがそこにいる? アレフはどうした? 何をする気だ?〉
「ああ、的確な質問だな、船長。結構、答えてやるよ」
小男は操作盤に肘を付きながら、おかしそうに喉奥をひくつかせた。
「何の天恵か、共住区が一時停電になってドアが手動で開けられたのさ。たぶんレンジが故障した原因と同じだな。すぐに回復したが、この幸運をみすみす逃す間抜けでないのでね、俺は」
手に入れた工具でドア装置を細工し、手動に切り替えたという。
「さすがに通信士が飯だと来た時は焦ったが、あのがさつさに助けられたよ。で、その時食らい損なったスタンガンを、甥っ子へ替わりにご馳走してやったのさ」
歯軋りと唸り声は多分モニカだ。荒い息の合間にジローの「あうあう」という喘ぎ。ナツの声が一層低くなった。
〈これ以上あの子に手を出したら容赦しないよ〉
「容赦しない? 船長、今の状況をご存じで?」
サッコが操作桿を握ると、スクリーンの映像がぐるりと一回転する。作業ポッドを操ったのだ。
「エン・ケラフ号の乗員は作業を焦るあまり、ポッドの操作を誤ったという筋書きはどうだい?」
〈締め出すだけじゃないってことか。やっぱり、大層な毒持ちだったね。部屋の中で燻蒸してやれば良かった〉
「酷いな、害獣扱いだ。俺だってこの船に乗った時は、ここまでする気は無かったさ」
〈だろうよ、この船員泥棒が。アレフとジローをなんと言い絡めようとしたんだい〉
〈え、え! 俺ェ?〉
ジローが裏返った声を上げる。サッコも声音を固くした。
「ほう、やっぱりお見通しだったか。だが、今となっちゃどちらも諦めたよ。代わりにこの船を頂くさ」
三人を捉えていたポッドカメラの倍率が下げられたが、再びその姿が徐々に大きくなる。ポッドが小惑星めがけて動き始めたのだ。
「さあ、急がないとこっちもブロック入りだからな。あばよ」
スピーカーからモニカの叫びが出かかったところで、サッコは受信スイッチを切った。映像も本船からのカメラに切り替えられ、ジャガイモのような小惑星が右からの光を受けて真中に浮かぶ。手前から次第に近づいていく赤い点滅。
これはもしかして――危険が危ない?
作業ボッドのアラート音が金切り声を発し始める。
アタシは何かしなくちゃと腰を上げたけど、一体何をしていいのかわからない。ナツの座席の上でただウロウロするばかりなのが、我ながら情けない。ほとほと困って、顔なんて洗ってみる。ああ、こんなことしている場合じゃないのに!
と、いきなり派手な激突音が上がって、アタシのびっくりが耳から尻尾まで一直線に走った。操作盤上には、サッコの替りに銀色スーツの上体がしがみついている。その手がスイッチをひとなでし、再びスクリーンに近づく小惑星の地表が映し出された。右上端に遠ざかろうとする宇宙服の三人。
が、あっという間にその画像は右上へ流れ、気分が悪くなるほど上下に激しくぶれだす。
途端に暗転。瞬時に変わった画面は、暗闇に浮かぶ巨大なジャガイモだ。と、左下の闇の部分からぱあっと光が輝いた。
「ナツ!」
操作桿を握るアレフが叫び、室内中に響いていたアラート音が消えた。と、別の警報音が今度は座標スクリーン内の激しい点滅とともに響き出す。小惑星を表す光点が黄色の直方体の中へ入っていく。
「……直撃は避けたが、中へ押し入れちまったな」
いつの間にか通信席の下でひっくり返っていたサッコが、よろよろと立ち上がり、またも例のスタンガンを構えた。
「信じられないぜ、なんてタフなんだ」
喉を唸らせ、アレフは一歩を踏み出しかけた。が、途中でくるりと背を向け、宇宙船のコンソールに取り付く。遠くで大きく高鳴る船のエンジン音。スクリーンの遠い星々に変化はなかったが、小さくなるばかりだった小惑星が、今度はだんだん膨らみだした。
「お前……!」
サッコが驚愕に喘ぐ。
「やめろ! この船も入っちまうじゃないか!」
スタンガンを突き出して襲いかかるが、偉丈夫の棍棒のような腕のひと振りを受けて、懲りもせずにまた吹っ飛んだ。危険が迫る音は重なり合って一層けたたましい。
座標スクリーンの二つの光点は、ほぼ同時に黄色い直方体に吸い込まれた。たちまちトーンダウンする警告音。そこでやにわに座席から転げ落ちそうになり、慌ててシートへ爪を立てた。どうやらアレフが逆噴射をかけたみたい。革張りに長々ついた引っかき傷を見て一瞬ナツの怒る顔が浮かび、怒られる日がまた来るのだろうかと心配になった。
宇宙船は小惑星のすぐそばに寄り、船外カメラがデコボコした地表を間近に映している。左下半分は土煙で覆われていたが、激突直前に彼らが向かった逆の方へとカメラが回った。
「ナツ、モニカ、ジロー……」
半泣きで呟くアレフが、画面の隅々へ食い入るように目を走らせる。人影は見えない。もとよりセンサーも反応しない。よく見ようとアタシも体を伸ばす。
そこへ、いきなり後ろから首根っこを掴まれた。たちまち体の自由が利かなくなり、突っ張った格好のまま持ち上げられた。
「おい、アレフ! こっちを見ろ!」
上から降ってくるサッコの声。大嫌いなスタンガンを鼻先に突きつけられ、背中が硬直する。振り返った操縦士が青い目を激しく瞬かせた。
「お前は平気でも、猫はどうなるかわかんないぜ」
なんてことだ! こんな男の猫質になるなんて、あんまりな不甲斐なさ!
困惑したアレフが首を振りながら、か細い声を漏らした。
「シャスンはナツの猫だ……」
「そうとも、船長ご寵愛のお猫様だ。こいつをおシャカにしたくなければ、早くエンジンをかけろ! ここを出るんだ!」
サッコの脅しにもアレフは眉を八の字にして、なかなかに頷く気配がない。
え? ちょっと……あんた、アタシを見捨てる気?
思わず前足を泳がせたら力任せに揺さぶられ、口から哀れっぽい鳴き声が漏れてしまう。みっともなかったが、それが功を奏したようだ。
「わ、わかったから、よせ!」
アレフは慌ててコンソールに向き直り、エンジンスイッチに手を伸ばした。
ああ、驚かさないでよ。アタシだって大事なクルーなんだからね!
けれど、いつまでたっても耳慣れた音は上がって来ない。
「おい! 何をしている!」
「い、いや、エンジンがかからなくて」
返事の頼りなさにサッコは舌打ちすると、乱暴にアタシを宙へ放り出した。空中回転! なんとか床に着地し、急いで通信席の下へ潜り込む。とりあえず助かった!
操縦席ではアレフを押しのけたサッコが、必死に始動スイッチと格闘していた。
「畜生! どうなってんだ!」
幾度試みてもウンともスンとも反応がない。彼の口汚い罵りが次第に悲鳴へと変わっていき、側に突っ立つアレフも為す術がない。
と、スピーカーからまさかの声が流れ出た。
〈サッコ! シャスンを質に捕るなんて、お笑いもんだね!〉
腹底に響くモニカの声。我に返ったアレフは、顔に驚きと喜びを浮かべて再び画面に向かった。
「モニカ、どこにいる! ナツは? ジローは?」
〈三人とも一緒だ。船長は送信機が故障した。エン・ケラフ号が視認できる距離で浮遊中。それより、これに気付かないの!〉
「これ? いや、君達の姿もスクリーンに見当たらない、どこだ?」
アレフの戸惑う問いに、モニカの怪訝な声が返る。
〈こんなに近くにいて、船外カメラが反応しないはずないだろう! 見ろ、こんな……〉
そこで言葉が途切れ、はい、はいと小声の了解。
〈アレフ、船長が船窓ガードを開けろと〉
停止作業中にも覆われたままの船窓に、ああ、と自分の失念を悔やみながら、操縦士が急いでスイッチを押した。
駆動音が船壁を伝い、強化ガラス向こうのガードが徐々に上がる。操縦席の照明も次第に暗くなり、宇宙空間の暗闇の中に計器のグリーンライトが浮かび上がる――はずだった。
ナニコレ!