3.思い込み(メンタル・ブロック)
操縦室の扉が開いて、居住区へ簡易ミールを取りに行っていたモニカが戻ってきた。一つを船長に差し出しながら報告する。
「レンジの出力が上がらなくて十分暖まりません。さっきの通信の影響かもしれないです」
「ありがと。サッコの様子はどう?」
「食事を差し入れようとしたら、簡易ミールなんて不味いものは食えないとわめかれましてね。あんまりうるさいからスタンガンを食らわすぞと言ってやりました」
モニカの仏頂面に肩をすくめて、ナツは計測士へ声をかけた。
「ジロー、作業が終わったらレンジを直しておいて」
ところが返るは無言の沈黙。にやつく顔を計器に向けていたジローが、アレフにつつかれ慌てて背筋を伸ばして振り向いた。
「あ……はい。アイ、マム」
「ぼんやりしないで」
片眉を上げた船長は、ミールパックを開けながら再び手元のパネルに目を落とした。モニカが座席の二人にもパックを渡しがてら、計測士のぼさぼさ頭にポカリと拳骨をお見舞いする。
「とんま。少しぐらいお預けを食ったからといって、仕事中だろうに。我慢しな」
ジローが痛がる間に彼のイヤホンを片方引き抜き、自分の耳に当てて顔をしかめた。
「ナニコレ、ラップお経?」
「お、俺のマコちゃんの絶唱だ!」
イヤホンをひったくるように取り返したジローが珍しく抗議し、モニターの映像に未練の目を向けながら、しぶしぶスイッチを切った。先日手に入れたご秘蔵のデータを、我慢しきれずこっそり見ていたのだ。モニカが呆れたように肩を竦めて、通信席に上っていたアタシを抱き上げ腰を下ろす。
「なーにが『俺のマコちゃん』だよ。大昔の二次元アイドルに入れ込んだって不毛だろ。どう逆立ちしたって触ることもできないなんて」
「うう、俺達は清い仲でいいんだい」
「『俺達』って誰? 不毛なアイドル? それとも、あんた達?」
ジローの精一杯の返答が、モニカの冷笑を誘う。計測士と操縦士は互いに顔を見合わせ、げんなりと舌を出した。
まあアタシとしては、この宇宙船の男達は、多少気の毒とは思っているけどね。
元来、宇宙船乗りというのは、どんな小さな宇宙船の乗組員であろうと結構モテるのだ。数多ある資格の中でも、かなり難度が高いし(つまりそれだけカネとアタマとマトモな神経があるってこと)、身体だって弱くては務まらない。アレフに至っては、人混みの中を歩けば必ず妙齢な女性の視線が振り返るほどなのに、若い男にあるまじき品行方正、この年にして恋人の一人もいない。かたやジローも、この宇宙船に乗り込んだばかりの頃は、今ほどニジゲンに入れ込んでなかったと思う。
それというのも――
「はい、シャスンのも持ってきたよ」
アタシはモニカの膝から降りて、足元に置かれた容器に鼻を突っ込んだ。イワシと野菜のソテーは大好物なので、食べているうちに自然と喉が鳴ってくる。咀嚼しながら見上げると、モニカの両目が伏せた三日月型になっていた。
モニカは男と向こうを張れるほどの体格の上、鷹揚な性格は悪く言えば大雑把。女性らしい繊細さとは程遠いけど、男友達――つまり休暇中ずっと一緒にいるような相手――に苦労したことがない。先ほどの『ギャッさん』もその一人らしく、とにかく休暇中の彼女はいわゆる百戦錬磨のプレイガールなのだ。フィジカルな楽しみを最優先にしていて、その徹底ぶりが若い男達にショックを与えたみたい。今は表面的には慣れたようでも休暇後の武勇伝を聞くたび、いずれは女性に弄ばれるとの思い込みを刷り込まれ、彼らはこんなになったのではとアタシは踏んでいる。船長のナツといえば薄々感づいているものの、船内に面倒事が起こらなければご自由にと、船員達のプライベートにはいたって無関心だけどね。
アタシが食後の顔の手入れを終えた頃には、エン・ケラフ号は目標を映像確認できる距離に近づいていた。座標スクリーンには黄色い直方体の際を、小惑星と船を表す光点が点滅している。小惑星の軌道は直方体を貫いていて、この立入禁止区域に入ってしまえば突っ切って出てくるのを待つしかない。その前になんとか作業を終わらせようと、乗組員全員の緊張がぴりぴりと感じられる。
ナツが船に残るアレフと入念な打ち合わせをし、作業に携わるほかの二人、モニカ、ジローと共に席を立った。アタシは彼女に抱かれて、作業ポットの格納庫まで見送りだ。機材の入ったカプセルとブースターをポッドに取り付けると、三人は手馴れた動作で作業宇宙服を着込んでいく。アタシの頭を軽くなでたナツはヘルメットをかぶり、格納庫の気密扉を抜けて作業ポットに乗り込んだ。自動で点いた制御盤のモニターにポット内の三人の姿が映し出され、音声がスピーカーから流れてくる。シートベルトを装着し、それぞれ計器確認をして操縦室へ準備完了の報告。
〈作業ポッド1号機、離船します〉
ナツの声が上がり、船壁伝いに格納庫の外扉が開く音が響いた。
モニター画面が船外カメラに移り、目標めがけて発進したポッドの後ろ姿に変わる。さあ、これで見送りもおしまい。操縦室へ戻るために制御盤の棚から飛び降りた。食後の昼寝をするには、ここはちょっと居心地が良くないし、やっぱり一人ぼっちは淋しい。
抱かれて通った通路を逆にたどって居住区を横切った時だった。一瞬ライトが点いてすぐに消える。アタシでは自動ライトが点く筈もなく、変だなと思って薄暗い休憩室を見回した。瞳孔を開き耳をそばだてれば、今は船のエンジン音もなく、非常灯の中で空調の音だけが静かに流れている。そろりと足を忍ばせて、ソファの陰やキッチン台の下を覗いてみたが、これといっておかしな所は見つからない。
気のせいだったかしらん。深く考えるもの面倒臭くなり、その場を離れた。海上を走るホントの船だったら楽しい玩具がいるらしいけど、この辺が宇宙船の物足りないところよね。まあナツが船長だったら、どんな船でも徹底的に燻蒸されちゃうだろうな。
操縦室扉の下の猫口から中に入ると、先程のモニターと同じ映像が壁スクリーンに映り、スピーカーからの会話を留守番のアレフが聞き入っている。船長席に飛び乗ったアタシは、軽く身繕いを始めた。ここでは一番いい椅子のせいもあるけど、やっぱりナツの匂いがあれば安心して心地よく寝られるのだ。体を落ち着く形に丸めて前足に顎を乗せると、操縦室に流れる音声が耳を通り過ぎていく。
〈ええ、マジにヤバいじゃないっすか! 入った人間は全員行方不明って、なんすかソレ!〉
素っ頓狂な声はジローだ。ナツの落ち着いた声がそれに続く。
〈無人探査では全く異常無いのに、人間様が入るとオカルト事件になると当時は大騒ぎになったが、まあ、サッパリ原因が分からなくてね。結局、宇宙は広いのだからここに入らなければいいわけと立入禁止区域にしたのさ〉
〈入らなければって、入っちゃいそうじゃあ〉
〈グダグダうるさい!〉
一喝は言わずと知れたモニカ。
〈喚いている暇があったら、手順を頭の中でおさらいだ。ぐずぐずしてたら、とんでもないのに食われちゃうよ〉
閉じた瞼の裏でモニカに食われているジローの姿が浮かび、おかしくなって喉が鳴った。そのあとは彼らの応答の声を彼方に聞きながら、うとうととした半睡の幸せがアタシを包んでいく。このところゴタゴタで、こんなにのんびりするのは久しぶり――朝時間以来かな。乗組員達にはこれからが正念場だが、彼らは勤勉でないと生きていけないのだから仕方がない。ご苦労様と思いつつ、猫族を称えながら眠りの深みに入った。