1.隔離(メディカル・ブロック)
気密扉のライトがオールグリーンになって、船外作業を終えた二人が作業ポッドから出てきた。制御盤棚の横で待っていたアタシが顔を上げると、ヘルメットを下ろしたモニカがにやりと笑う。
「やあ、シャスン。お待ちどうさま」
「現金なもんだよな。都合にいい時だけ愛想振りまいてさ」
ジローの仏頂面に構わずモニカはアタシを抱きあげ、大きな掌で頭を撫でてくれる。顎がガクガクするけど本人は可愛がっているつもりだし、こちらは目当てもあるので、アタシは精一杯可愛らしい声を上げた。
「そこがいいのさ。変に情が深いとうざいだろ?」
人間相手やめて猫でも飼おうかなと呟きながら、モニカは作業宇宙服を脱いだ。彼女の肩に乗せられ共住区に向かう途中、後ろを従うジローにアカンベーをされる。もちろん思い切り鼻皺を寄せて返してやったけどね。
「何、またトラブったの?」
休憩室の食料棚からモニカがドリンクキューブを取り出していると、ジローが訊いてきた。
「この間のステーション・リバティでさ、結構慣れた感じで後腐れなさそうだったのよ。それがとんだ眼鏡違い」
肩をすくめ、ふんとジェット気流のような鼻息。
「今回限りって約束が、まあ後のしつこいったら! ホテルも電話も突きとめられて、とんだストーカーだった訳。直ぐ出航で助かった」
「そりゃ、災難だったな。まあ、食われた相手にも多少同情を……」
操縦室へ向かいかけ、個室ドアの一つに身を寄せている大きな人影が目に入る。
「アレフ! 何やってんの!」
モニカの鋭い声に、弾かれて伸び上がった偉丈夫が振り返った。銀色のスペーススーツに包まれた見事な筋肉美は、操縦士のアレフだ。
「や、やあ、お疲れさん」
「操縦室から出たりして何を……」
そこでこのドアの部屋主に合点がいって、モニカは舌打ちした。
「サッコは部屋に隔離だって船長が言ったろ? ウィルスが他のクルーにうつらないよう、この仕事が終わるまで出すなってさ」
彼女に手首を掴まれたアレフは、顔をしかめながら情けない声で訴えた。
「で、でもモニカ! サッコはインフルエンザなんかじゃないんだ。あの咳は、埃を吸いこんだせいで持病の喘息がちょっと出ただけで……」
〈アレフの言う通りだ! 俺は伝染病持ちなんかじゃないぞ!〉
個室ドアの脇についているモニター画面で、必死の形相の小男がへばり付いて叫んでいる。
〈ちゃんとした検査を要求する! 船長の横暴だ! クルーの陰謀だ! 船員協同組合に訴えて――〉
「うるさい! あんたは大人しく引っ込んでろ!」
画面に食らいつくようなモニカの吼え声に、映像の男は後ろの床に転がった。
「で、アレフ、いつからここにいるのさ。操縦室に船長一人ってこと?」
そこで操縦士の顔がさっと青ざめ、しまったとか口の中でもごもご言うと、身を翻して走り去った。モニカもその後を早足で追いながら、仕事仲間を振り返る。
「ジロー、あたし達も急がなきゃ」
「ええ? いつもはドリンクで一服してからじゃないか」
口先を尖らせたジローは諦めて首を振ったけれど、今ばかりはアタシも彼と同じ気持ち。モニカの手にあるミルクキューブを見て、不満の鳴き声を洩らした。
「トイレに何時間かかってる!」
操縦室に入るや、予想通りの叱責が上がる。幅広い肩を丸めている操縦士の前には、腕を組んだ細身の女性がシートに腰掛け、柳眉を逆立てて睨みつけていた。彼女がこの運送船エン・ケラフ号の船長ナツ、アタシの飼い主。
「おまけに作業が完全に終わらないうちに、持ち場をおっぽり出して!」
「いや、その、我慢できなくて……格納扉が開いて作業ポッドも入り始めていたし」
「完全に中に入って安全を確認するまで目を離せないことぐらい、初歩の初歩だろうが!」
立ち上がりざま細い腕を伸ばして、下を向いている大づくりの鼻を指で挟んでギュッと捻る。
「腹痛だからとお前まで寝込まないでほしいね。ただでさえ、隔離者が出て人手不足なんだから」
脇を抜け船長席へ戻る背中を、鼻をさすりながらアレフのフガフガした声が追いかけた。
「でも、ナツ叔母さ」
「船長!」
「せ、船長! サッコの咳は埃にやられたためで」
「ウチの船は埃が立つほど不潔じゃないの」
優雅に手を振って、ナツがキャプテンシートに身を沈める。それを合図のようにモニカがアタシを床に下ろしたので、未練の一瞥をミルクキューブに送り船長の元へ駆け寄った。その膝に跳び乗ると、毛皮に触れる長い指先から彼女のイライラが伝わる。
「だけどサッコの言うことには、その時舞い上がった埃でシャスンも鼻水出してクシャミしていたと」
続くアレフの訴えに、首筋を撫で回す指の動きが止まった。見上げると、ナツの黒い半眼がまだ入り口に突っ立ったままだったジローへ向けられている。彼はそれに気づいたものの、素知らぬ顔でドリンクキューブのストローを引き出しながら歩を進め、計測士席に腰を落とした。その隣の通信席へモニカも大きな体を収めて、イヤフォンマイクを耳に突っ込む。
二人の背を暫く見詰めていたナツは小さく息をつき、再び甥の操縦士に顔を向けた。
「アレフ、もう知らないのはお前だけだからここで言うが、サッコはダメだ。いくら機関士A級持ちで、お前の推薦があっても使えない」
先日、アレフのA級宙航士ライセンス取得を機に、機関士だった爺さんが引退した。このライセンスには機関士A級もついているので船長と二人で補えるが、一人幾役もこなす零細運送船では一人の欠員も厳しい。ところが前もって手配していた次の搭乗員が、出航直前に急病のためキャンセルとなったのだ。急遽代替員を探したけれど、これがなかなか見つからない。これ以上は納期に関わるという日になって、アレフが連れて来たのがサッコだった。最後は補助看護士資格だけでも合格と諦めていた船長は、出航時刻が迫っていたのも相まって、ろくに履歴検索もせずに彼を船に乗せたのだ。
ところが――
「食事が不味い、生活備品が安物、通信士ががさつで無礼、猫の躾がなってない――と、まあ、この程度のクレームは我慢できるが」
アタシは我慢できない。団子のような若ハゲ男は、休憩室で寛いでいたアタシの尻尾を掴み、いきなりソファから引きずりおろしたのだ。あいつのレザージャケットで、ちょっと爪をといだだけなのにさ。船内に響き渡った悲鳴を聞き、血相変えて跳んできたナツが雷を落とすと思いきや、やんわり注意したのには驚いた。やっと見つけた乗務員に気を遣ったのかもしれないけど、アタシは不満タラタラ。
「奴は自分と他人の持ち物の区別がつかないようなのでね」
「それはどういう……」
間の抜けた目を瞬かせる甥に、ナツは肩をすくめた。
「ジローの『パンドラの箱』を開けた」
「あれを? なんで?」
信じられないとばかりに首を振ったアレフを、ジローがしかめっ面で睨みつける。
「『なんで』はないだろ。あれはマニアにとっちゃ垂涎の代物ばかりが入っている、凄い宝箱なんだぞ。俺は絶対開けるな、酷い目に遭うと警告しといたぜ」
「どうやらサッコには、『宝箱』の単語だけが頭に入ったようで、パンドラ嬢に倣って厄災を放ってしまった訳だ」
船長はそこでシートの中の身を反らし、操縦士に片眉を上げて見せた。
「他人の荷物を勝手に開ける輩を何と言うか知っているね」
アレフは何か言い返そうと口を開きかけたが、結局叶わず喉奥の唸りと共に力なく頷いた。項垂れた彼がシートにつき、アタシの頭の上でナツがパンと手を叩く。
「さあ、そろそろ打ち出しだ。しっかり記録したら次に向かうからね。手が足りないのは見ての通り、大車輪で働いてちょうだい」
カウントダウンの数値が0を示した時、船窓の真ん中に白い光が灯り、ゆっくり左へ動き出す。それはすぐに小さくなって星間に消えたけれど、レーダーモニターにはひとつの光点が、ゆるいカーヴを描く緑のベルトの上を滑っていく。モニカとジローの作業は、今度も首尾良くいったようだ。
エン・ケラフ号は、小惑星帯から発掘される資源の運送船。といっても鉱石は直接運搬しない。調査船のデータをもとに指定された小惑星を探し出し、ロケットブースターを取り付けて採掘エリアへ打ち出す作業が主な仕事だ。だから気を遣う貨物もなく、核家族スケールの船員で身軽に宇宙空間を飛び回る。この宇宙船になぜ猫が乗っているのかというと、魔除けなんだそうだ。まあ、船長が質問者の面食らう顔が見たいがための冗談だけど、アタシはこの理由が結構気に入っている。
今回この宇宙船は小惑星帯のマッサリア族とかいうあたりを、請け負った岩塊を求めて渡っていた。いつもなら次を見つけるのに数日かかるが、今回はどうやら数時間で済んだようだ。
「目標補足、シートパネルに転送します。r2052から5007へ移動中」
レーダーモニターに身を乗り出していたジローが、眉を潜めて振り返る。
「……て、船長、ヤバかないすか? このままだと立入禁止区域に入っちゃいますって」
目当ての小惑星には調査船による発信機がつけられ、回収運送船が送る特別な信号を受けると作動して位置を知らせてくる。
アタシは首を伸ばし、船長席の脇にあるパネルを覗き込んだ。画面には幾つかの黒い点が散らばり、その中を赤い点滅がゆっくり黄色く仕切られた四角い部分へ移動している。見ている内に前脚がむずむずしてきて、思わず赤点を叩いたけれど、つるつるしたつまらない感触が肉球に触れただけ――分かってはいるんだけどさ。伸びたあたしの前脚をナツが軽く掴み、肉球をくりくりいじりながら溜息をつく。
「ゴタゴタで多少の余裕も失くなったね。出てくるのを待っていたら納期切れだ。アレフ、速度をあげて。お前の腕の見せどころだよ」
口端を一杯に上げたナツの笑みを送られ、今まで消沈していた操縦士の顔がぱあっと輝く。
「アイアイ、マム」
再びコンソールに向かった背中が見るからに一回り大きくなって、素早く動く手はまるで超絶技巧の曲を演奏しているかのよう。あたしの耳にははっきり聞こえる船のエンジン音もトーンを上げた。それと同時に星々を臨んでいた船窓に、瞼のようなガードが降りてくる。高速航行での安全のためらしい。
「このまま進んで到着するのが約三時間後、で、目標が立入禁止区域に入るのが大体五時間後。とりあえずはそこへ入る軌道を外すしかない。その後でもう一度、正確にセッティングだ」
船長の作業計画を聞かされ、ジローが小さく唸った。長時間の作業になりそうだと知って、うんざりしたのに違いない。モニターの黄色い部分へ恨みを向けながら、ぶつぶつと文句を言う。
「でも、これって、なんで立入禁止なんだろ。教習校でアンタッチャブルな区域だとは習ったけど、何故だか理由を聞いたことが無いぜ」
「あたしは『出る』んだって噂しか知らないな」
ジローの疑問へ、横のモニカが答える。
「出る?」
怪訝な問いに返るおどろな低い声。
「だから……人外魔境的なナニか」
しばしの間ジローは固まっていたが、乾いた笑いと共に「脅かすない」と呟いた。そこへ船長の言葉がかぶさる。
「出るよ」
「え、ええ! そりゃゴメンです! 俺ァ、そういうのダメ……」
身を竦ませ泣き言を漏らしたジローに、ナツは眉を寄せた。
「何言ってるの。私も作業に出るってことさ。装備と小惑星の詳しい資料を送ってちょうだい、モニカ。少しでもあんた達をアシストできるよう、頭に叩き込んでおく」
「ああ……ああ、助かります。船長」
とは言うものの、ナツはこの仕事全てに関してのスペシャリストだ。三人で当たれば作業時間は大幅に短縮されるが、ジローの不満はそれだけではないみたい。