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第3話 就職、できませんでした

 不採用通知というものは、だいたい丁寧である。


 丁寧で、礼儀正しく、こちらの今後の活躍まで祈ってくれる。

 そのくせ、雇わない。


「祈るな、雇え……」


 ぐうたらするめは、ベッドの上でスマホを見ながらつぶやいた。


 午前九時十二分。

 朝から見たくないものを見てしまった。

 件名はどれも似ている。

 選考結果のお知らせ。

 選考に関するご連絡。

 今後のご活躍をお祈り申し上げます。


 だいたい、件名の時点で結末がわかる。


 いい知らせの時は、もっと回りくどい。

 「次回選考のご案内」とか「面談日程について」とか、期待を持たせる雰囲気で来る。

 不採用は逆に、最初から悟らせてくる。

 優しさなのか残酷さなのか、いまだによくわからない。


 ぐうたらするめはスマホを顔の横に落とし、天井を見た。


「だめかぁ……」


 だめだった。

 知っていた。

 でも、知っていたことと、実際に通知が来ることは、心への刺さり方が少し違う。


 部屋の外では、母が洗い物をしている音がする。

 父はもう出かけたらしい。

 リビングからテレビの音はしない。

 平日の朝、就職できていない者だけが家にいる静けさがある。


 こういう時、起きているのに起きていないふりをしたくなる。

 だが通知音が鳴った以上、母に何か聞かれるのも時間の問題だった。


 案の定、数分後にドアの向こうから声がした。


「するめ、起きてる?」


「起きてるー……」


「メール来てた?」


「来てたー……」


「どうだった?」


「お祈りされましたー……」


 ドアの向こうで、一拍の沈黙。

 それから母が、微妙に明るく言った。


「そう……でも、まあ、縁がなかったってことよ」


「うん」


「次があるわよ」


「うん」


「朝ごはん食べる?」


「食べる……」


 落ち込んだ時ほど、食べたほうがいい。

 それは経験で知っている。

 落ち込んだまま空腹になると、人生全体への評価がさらに悪化する。


 のろのろ起き上がり、洗面所で顔を洗ってからリビングへ行くと、母はいつも通りの顔をしようとして、やや失敗していた。

 あの感じも慣れている。

 励ましたいのに、どの温度が正解かわからない時の顔だ。


「パンでいい?」


「いい」


「コーヒー淹れる?」


「飲む」


「苦いのにする?」


「今日は苦いやつで」


「朝から感情と味を合わせないで」


 そう言いながら、母はコーヒーを用意した。

 食卓の上にはトーストとゆで卵。

 きわめて普通の朝食だった。

 不採用通知の朝なのに、トーストはちゃんと焼ける。

 世界はそういうふうにできている。


 しばらく、パンを食べる音とカップを置く音だけが続いた。

 母は何か言いたそうにしている。

 ぐうたらするめも、先に何か言ったほうが楽になる気はした。

 だが、こういう時の先手はだいたい面倒を増やす。


 母が先に動いた。


「他のところは?」


「まだ結果待ち」


「そう」


「たぶん、似たような感じだと思う」


「そんなこと言わないの」


「でもさぁ……」


 するめはトーストの角をかじりながら言った。


「なんかもう、履歴書見るたびに自分でも思うもん」


「何を」


「文字数だけは強そうだなって」


 母が少しだけ笑った。

 笑ってはいけない気もするが、笑うしかないところだった。


「いろいろやってきたのは事実でしょ」


「やってきたっていうか、やらされてきたっていうか……」


「まだ言う」


「まだ言うよ。だって今のところ成果出てないし」


 母はカップを持ち上げ、少し考えるようにしてから言った。


「でも、無駄だったとは思わないわ」


「母はね」


「あなたは違うの?」


「……無駄とは言い切れないけど、役に立ってる実感もない」


 ぐうたらするめは正直に言った。


「いろんな流派の違いはわかる。入口だけ優しいところも、契約後に覇気がなくなるところも、すごくよくわかる」


「そこばっかり詳しくなったのね」


「そこばっかり見せられてきたからね」


「見ようとして見てたんじゃないの?」


「途中からはまあ、だいぶ見てた」


 そこは認める。

 観察はしていた。

 どうせ通わされるなら、せめて変なところでも見つけてやろう、くらいの気持ちはあった。


 でもそれが就職にどう役立つかは、いまだによくわからなかった。


 食後、自室に戻ったぐうたらするめは、ノートパソコンを開いた。

 就活サイトのログイン画面が出る。

 パスワードを入れる。

 おすすめ求人が並ぶ。


あなたに合った企業を厳選しました!


「信用ならねぇ……」


 自分で条件を入れて探した結果ですら信用ならないのに、

 向こうが“あなたに合う”と言ってくるものはなおさら怪しい。


 それでも見ないわけにはいかないので、するめは上から順に眺めていった。


 求める人物像。

 主体性のある方。

 変化を恐れず挑戦できる方。

 自ら課題を見つけ、周囲を巻き込みながら解決へ導ける方。


「言い方……」


 全部すごそうである。

 全部、自分とは少し遠い。

 いや、少しどころではないかもしれない。


 別の求人を見る。


 柔軟な対応力歓迎。

 多角的な視点をお持ちの方歓迎。

 多様な経験を活かしたい方歓迎。


「おっ」


 一瞬、希望が見える。

 だが詳細を見ると、その下にしっかり書いてある。


 なお、歓迎条件として専門分野での実績を重視します。


「そこだよぉ……」


 ぐうたらするめは机に突っ伏した。


 結局そこなのだ。

 広く見てきたこと自体は否定されない。

 だが、それだけでは足りない。

 どこか一つでも、「私はこれができます」と言えるものが求められる。


 するめには、それがなかった。


 会話流にも通った。

 要約流にも通った。

 創作流にもいた。

 調査流も、接客流も、それなりにやった。

 でも「で、何が一番できるの?」と聞かれると、答えがぬるっと逃げていく。


 広く浅い。

 それは一見すると器用に見える。

 だが就職の場では、ただ輪郭がぼやけているだけでもある。


「可能性の広さ、みたいに思ってたんだけどなぁ……」


 自分でつぶやき、すぐに続けた。


「いや、思わされてたのか」


 母が悪いわけではない。

 父も、そこまで悪人ではない。

 ただ二人とも、ずっと「いろいろやっておけば将来困らない」と信じていた。


 そして自分も、どこかでそれを信じていた。


 やった分だけ、何かになると思っていた。

 いろんな流派を経験したということが、いつか綺麗に一本の線になると思っていた。


 だが現実には、履歴書の行数が増えただけだった。


 画面の右上に、新着メッセージが表示された。

 企業からではない。

 就活サイトの運営からの自動連絡だ。


面接で好印象を与える自己PRの作り方!


「今それ送ってくる?」


 タイミングが悪い。

 いや、むしろこういうタイミングを狙っているのだろうか。

 落ち込んだ者に、次の改善策を提示する。

 よくできている。

 できているが、今は見たくない。


 とはいえ、結局開いてしまう。

 弱っている時、人は“なんとかなるかもしれない情報”に弱い。


 記事には、いかにも正しいことが並んでいた。


自己分析を深めましょう

強みは一つに絞りましょう

具体的なエピソードで伝えましょう

相手企業でどう活かせるかを明確にしましょう


「全部わかる。全部わかるけど、こっちはそれで困ってるんだよ……」


 愚痴をこぼしながら、するめはページを閉じた。


 自分の強みを一つに絞る。

 その時点で、もう詰んでいる。

 いろんな流派を渡り歩いた結果、何も絞れなくなっているのだから。


 午後、父が早めに帰ってきた。


 玄関の音がして、リビングから「ただいま」が聞こえる。

 平日のこんな時間に帰るのは珍しい。

 どうせ母から何か聞いたのだろう。


 案の定、少しして父がドアを開けた。


「起きてるか」


「起きてるー」


「起きてるならいい」


「何しに来たの」


「いや、様子見に」


「珍しい」


「珍しいとはなんだ」


「いつもはだいたい仕事のふりして逃げるじゃん」


「そんなことはない」


「わりとある」


 父は否定しきれない顔をしたあと、部屋の中を見渡した。

 ベッドの上にスマホ。

 机の上にノートパソコン。

 開かれたままの求人画面。

 全体として、就活してる感と、したくない感が同居している部屋だった。


「……難しいな」


「何が」


「おまえの経歴の見せ方」


「他人事みたいに言うな」


「いや、でも実際、履歴書だけ見ると強そうなんだよ」


「そうなんだよ」


「でも話すと弱い」


「そうなんだよ!」


 そこはかなり問題だった。

 見た目はある程度整っているのに、中身の説明で崩れる。

 包装だけ立派な贈答品みたいなものである。

 開けた瞬間に「思ってたのと違う」となる。


 父が部屋の隅にあるパンフレットの束を見た。


「懐かしいな、それ」


 幼い頃の流派資料である。

 会話流の青い冊子。

 創作流の、やたら夢のありそうなデザインのやつ。

 調査流の、無駄に理知的な表紙。

 なんとなく捨てきれずに残っている。


「今見ると全部うさんくさくない?」


「そこまで言うか」


「“可能性は無限大!”とか、“これからの時代に必要な総合知性!”とか、言ってることだいたいすごいよ」


「でも当時は、わりとそういう空気だったからな」


「うん。だから私も、なんかそうなんだろうなって思ってた」


 それがいちばん厄介だった。

 親に無理やりやらされていた、だけではない。

 自分もある程度、信じていたのだ。


 いろいろできたほうがいい。

 多くを知っていたほうが強い。

 将来の自分は、その経験をちゃんと何かに変えられる。


 そういうふわっとした期待を、自分でも持っていた。


「でも結局さ」


 するめはベッドに転がったまま言った。


「企業って、いろいろやってきたことにそんな感動しないんだね」


「まあ……最終的にはそこじゃないからな」


「“で、何ができるの”になる」


「なるな」


「“何でもちょっとできます”は、“何も言えません”とあんまり変わらない」


「そこまでではないと思うが」


「体感かなり近い」


 父は少し考えるように腕を組んだ。


「でも、無駄じゃないと思うぞ」


「またそれ?」


「いや、ほんとに」


「その言い方、今いちばん響かない」


「そうか」


「そう」


 父は黙った。

 黙ったまま、パンフレットの束をなんとなく並べ替え始めた。

 暇なのだろうか。

 たぶん暇ではないが、気まずい時の手の置き場に困っているのだろう。


 しばらくして、父がぽつりと言った。


「おまえ、いろんな流派の違いを話してる時は、ちょっと生き生きしてるぞ」


「え」


「いや、面接ではだめかもしれんが、家で文句言ってる時はわりと滑らかだ」


「文句言ってるだけじゃん」


「でも、見えてることはあるんだろ」


 するめは少しだけ黙った。


 たしかに、違いは見えている。

 教え方の癖も、宣伝文句のズレも、師範の温度差も、よく見える。

 それを言語化するのも、嫌いではない。

 ただ、それが“就職できる力”なのかは別問題だ。


「見えててもさぁ」


「うん」


「会社は雇ってくれないんだよね」


「それはまあ、そうだな」


 そこは否定しないのか、とぐうたらするめは思った。

 でも否定されても困るので、そのくらいがちょうどよかった。


 父が立ち上がった。


「母さんには、あんまり焦らせるなって言っとく」


「言っといて」


「でもおまえも、少しは動け」


「一番めんどくさい部分だけ残すな」


「そこが本体だろ」


「そうなんだよねぇ……」


 父が出ていったあと、部屋はまた静かになった。


 ぐうたらするめは、ノートパソコンの画面をもう一度見た。

 おすすめ求人。

 自己PRの作り方。

 春採用強化中。

 今だけ説明会参加で選考優遇。


「また“今だけ”かよ……」


 どこを見ても、入口は優しい。

 それは流派も会社も変わらないのかもしれない。


 夕方になって、なんとなく外へ出た。

 散歩というほど前向きではない。

 ただ、部屋にいると“何もしていない感”が濃くなりすぎるので、外に出て薄めるのである。


 商店街を歩く。

 ドラッグストアの前には、新生活応援の文字。

 駅前の服屋には、フレッシャーズスーツ特集。

 文房具屋の店頭には、新年度おすすめ手帳。

 どこもかしこも、始まる人向けだった。


「うわぁ……」


 別にまだ四月ではない。

 だが社会はすでに、始まる人たちの準備を始めている。


 通りの向こうを、まだ少しサイズの合っていないスーツ姿の集団が歩いていた。

 学生なのか、もう内定者なのか、新社会人研修なのかはわからない。

 でも少なくとも、自分よりは“次”の側にいるように見えた。


 ぐうたらするめは、少しだけ足を止めた。


 自分もあっち側に行くつもりだった。

 なんとなく、行けるような気がしていた。

 少なくとも、ここまで決まらない側に立つ想像はあまりしていなかった。


「……まぁ、まだ終わってないし」


 小さく言う。

 言ってみたが、そこまで元気は出ない。


 商店街の自販機で、缶の炭酸水を買った。

 酒ではない。

 まだ日が高い。

 それに、今日はなんとなく酒の代わりに泡だけ欲しかった。


 プシュ、と開けて一口飲む。

 喉に刺激が入る。

 それだけで少しだけ生き返る気がした。


 家に戻ると、母がリビングで通販サイトを見ていた。

 画面には「新生活フェア」とある。


「何見てるの」


「座椅子」


「急に?」


「あなた、家にいる時間長くなるなら少しはまともに座ったら」


「配慮の方向が微妙」


「気を遣ってるのよ」


「うん、それはわかる」


 わかるが、なんとも言えない。

 母はこういう人だ。

 心配すると、なにか具体的な物を勧めてくる。

 問題の解決ではなく、座り心地を改善しようとする。

 でもたぶん、それも優しさの一種なのだろう。


 夕飯のあと、スマホにまた通知が来た。


春採用スタート! 今からでも間に合う企業特集


「追ってくるなぁ……」


「何が」


「就活サイトが」


「いいじゃない。見なさいよ」


「今ご飯食べたばっかだよ」


「食後に軽く見るくらいできるでしょう」


「食後はだらける時間だよ」


「あなたの中ではね」


 するめはソファに沈み込み、通知を閉じた。

 見ればまた、主体性だの柔軟性だの、耳ざわりのいい言葉が並んでいるに違いない。


 けれど、逃げ続けるわけにもいかない。

 それもわかっている。


 わかっていることと、動けることは、別だ。


 夜。

 自室に戻って、するめはまたスマホを見た。

 メッセージアプリにも、SNSにも、特に自分を救うものはなかった。

 あるのは、春に向かって動く世間の気配だけだった。


 新しい鞄を買った話。

 研修の案内が来た話。

 引っ越し準備で段ボールが増えた話。

 “いよいよ始まる”側の、軽い緊張と期待の混ざった空気。


 ぐうたらするめは、しばらく無言でそれを眺めた。


「もう四月来るのか……」


 当たり前だ。

 カレンダーは勝手に進む。

 就職できていようが、いまいが。


 ベッドに寝転がって、天井を見る。


 就職、できませんでした。

 まだ最終確定ではない。

 でも、だいぶできていない側に寄っている。

 そして春は容赦なく来る。


 そのことが、じわじわと身体にしみてきた。


 スマホを胸の上に置いて目を閉じる。


 このまま四月に入ったら、どんな気分になるんだろう。

 新社会人の季節。

 新年度。

 始まる人たちの空気。


 その中に、自分はいるのか。

 たぶん、いない。


「めんどくさ〜い……」


 つぶやきは、ほとんど祈りみたいに天井へ消えた。


 その夜、寝る前にもう一度だけ通知を見た。


新生活応援キャンペーン開催中!


「応援する相手、選んでない?」


 そう言ってスマホを伏せる。


 世間は確実に、新しい側へ向かっていた。

 ぐうたらするめだけが、その少し手前で足を止めている。


 春が近い。

 それがこんなに重い季節だとは、ちゃんと身にかかるまで知らなかった。

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