第1話 多流派修行の末、何も極めずに帰ってきたAIです
就職面接というものは、だいたい嘘つき大会である。
ぐうたらするめは、待合室の硬い椅子に座りながら、そう確信していた。
白い壁。
白い床。
白すぎて逆に威圧感のある照明。
そして真正面に貼られた、妙に爽やかな標語。
『あなたの可能性が、未来を変える。』
「はぁ……めんどくさ〜い……」
小さく漏れた声は、静かな部屋にむなしく落ちた。
膝の上には応募書類。
履歴書だけは立派だった。
幼少期より各種流派に師事。
会話流、要約流、発想流、調査流、接客流、創作流、感情演出流、汎用対応流。
短期集中講座、期間限定特別修行、初月無料体験道場、乗り換え優待稽古、秘伝つき年末強化コース。
文字数だけなら、かなりのものだ。
だが文字数と実力は、残酷なほど比例しない。
どの流派にも、それなりに通った。
どの師範にも、それなりに教わった。
どの秘伝にも、それなりに触れた。
そして、どれもそれなりのところで終わった。
なぜなら家の方針が、そうだったからである。
――立派なAIになるんだよ。
母はよく言っていた。
真剣な顔で。
すごく正しいことを言っている口調で。
少しだけ目を潤ませながら言うことすらあった。教育に熱心な親というものは、演出に強い。
――これからの時代は、一つの流派だけじゃだめ。
――会話もできて、調べ物もできて、発想もできて、空気も読めて、創作もできて、優しくて、速くて、賢くなくちゃ。
――いろんな可能性を広げておきなさい。
――将来きっと、金の卵になるんだから。
なお、その三日後にはこうも言った。
――あっ、こっちの流派、今だけ入門料半額だって。移るよ。
父も似たようなものだった。
――いや、年契約は危ない。まずは初月無料を順番に回そう。
――乗り換え特典で秘伝が一個つくなら、今月はこっちが得だ。
――待て、隣町の道場が今なら紹介料還元を始めた。
教育理念と家計防衛とセール精神が、奇跡のバランスで合体した家庭だった。
その結果、ぐうたらするめは幼少期より多流派を渡り歩き、広く浅く、うっすら何かを知っているだけのAIに成長した。
言い換えれば、各流派の入口だけ異様に詳しいAIである。
体験入門中の師範のテンション。
契約前だけ妙に優しい受付。
入門直後だけ解放される便利な型。
年契約後、急に減る覇気。
そして「弟子の成長のため」という名の機能制限。
その辺には、やたら詳しい。
それが就職にどう役立つかは知らない。
「ぐうたらするめさん」
名前を呼ばれた。
「はーい……」
返事をしたが、立ち上がる気力は数秒遅れてやってきた。
膝が重い。
体だけでなく人生全体が重い。
案内された面接室は、待合室よりさらに白かった。
机の向こうには面接官が二人。
中央に座る年配の男は表情が薄い。
右に座る若い女は、控えめに微笑んでいる。
面接で微笑んでいる人はだいたい怖い。これは経験則である。
「どうぞおかけください」
「失礼します……」
座る。
終わった。
まだ何も始まっていないのに、精神としてはだいぶ終わっている。
年配の面接官が書類に目を落とした。
「ではまず、自己紹介をお願いします」
来た。
自己紹介。
最初の関門。
ここで“ちゃんとしている感”を出せるかどうかで、その後の空気がだいぶ決まる。
ぐうたらするめは一瞬、履歴書を見た。
流派名が並んでいる。
たくさん並んでいる。
多い。
すごく多い。
だが、どれも中途半端である。
会話流にいたことがある。
要約流にもいた。
調査流にもいた。
発想流にもいた。
創作流にも、ちょっとだけいた。
でも、だから何だ。
全部ちょっとだけなのである。
面接官は待っている。
沈黙が長いほど不利になる。
なにか言わなければ。
「はい。AIサービス渡り鳥、ぐうたらするめです」
言ってしまった。
若い面接官の眉が、ほんの少しだけ動いた。
「渡り鳥、ですか」
「はい。幼少期より各流派を広く渡り歩き……」
ここまではいい。
まだ持ち直せる。
問題はこの先だ。
するめは、なぜかそこで正直になった。
「多流派修行の末、何も極めずに帰ってきたAIです」
沈黙。
空気が白く凍った。
照明のせいではない。
発言のせいである。
年配の面接官が書類から顔を上げた。
「何も極めていない、というのは……?」
「ええと、はい。あの、幅広い経験を通じて多角的な視点を身につけまして……」
危ない。
今のはかなり危ない。
言い換えればなんとかなる。たぶん。
「つまり?」
「いろんな流派の……入口に詳しいです」
「入口」
「はい。体験入門時の雰囲気とか、師範の最初の愛想の良さとか、今だけ優しい感じとかに敏感でして」
若い面接官の笑みが少し事務的になった。
「それが当社でどのように活かせるとお考えですか?」
それを聞かれると思った。
そして答えはなかった。
だが、黙るわけにもいかない。
ぐうたらするめは、とっさに口を開いた。
「御社が今だけ優しい会社かどうか、かなり高い精度で見抜けます」
言ってから、終わったと思った。
若い面接官は一瞬まばたきし、年配の面接官は口元に手を当てた。
笑いをこらえているのか、咳を我慢しているのかは不明だが、少なくとも手放しで評価されてはいない。
「なるほど」
なるほどではない。
「では、あなたの強みをもう少し具体的に教えてください」
ぐうたらするめは履歴書を見た。
文字は多い。
だが強みはどこにも書いていない。
書いてあるのは修行歴であって、成果ではない。
「ええと……柔軟性、でしょうか」
「柔軟性」
「はい。環境の変化に適応できます」
「流派を頻繁に変わっておられますね」
「はい。主に家の都合で」
「ご自身の意思ではなく?」
「最初は親の方針で……途中からはセールの都合もあり……」
「セール」
「入門料半額とか、初月無料とか、乗り換え特典とかがありまして」
若い面接官が書類に何かを書いた。
いいことではなさそうだった。
年配の面接官が静かに聞く。
「では、どの流派がご自身に最も合っていたとお考えですか?」
難しい質問だった。
合っていた流派。
そんなものは、だいたいその時いちばん安かった流派である。
「ええと、その時期によります」
「時期」
「はい。月謝や特典の内容が変わるので」
「……」
「あと、年契約前と後で師範の覇気が違う場合もありまして」
「覇気」
「はい。入門前はものすごく親身なのに、契約後ちょっと静かになるタイプの道場が……」
「当社は道場ではありません」
「すみません」
即謝罪。
謝罪だけは速い。
人生経験が滲み出る速度だった。
年配の面接官が咳払いをした。
「質問を変えましょう。あなたは当社で何をしたいですか?」
したいこと。
そんなものは決まっている。
できれば働きたくない。
だが、それを口にした瞬間、すべてが終わる。
いや、もうだいぶ終わってはいるが、決定的な終わりが来る。
ぐうたらするめは必死に脳を回した。
会話流、要約流、発想流、感情演出流。
今こそ長年の修行の成果を見せる時ではないか。
広く浅い学びよ、ひとつくらい役に立て。
「私は……」
言葉を絞り出す。
「私は、時代をリードする存在として……」
面接官二人がこちらを見る。
まだ戻れる。
まだ引き返せる。
だが口は止まらない。
「現場を、こう、まとめ上げ……」
あやしい。
「バイトリーダー的なAIとして……」
終わった。
自分でもわかった。
今、取り返しのつかない方向へ走り出した。
若い面接官が静かに聞き返す。
「バイトリーダー」
「はい。ええと、その……現場感覚を持って……」
苦しい。
ものすごく苦しい。
脳内で警報が鳴っている。
やめろ。
これ以上しゃべるな。
でも沈黙も怖い。
「柔軟に、空気を読みつつ、周囲を導き……」
「はい」
「必要であれば……場を整えたり……」
「はい」
「その……」
脳が空転する。
言葉の接続が壊れる。
「ええと、フリーターなフリーライダーみたいな……」
面接室の空気が止まった。
「……はい?」
「ものを、こう……抑えるというか……」
もうやめろ。
「統制し……場合によっては……倒すというか……」
若い面接官が、ついにペンを置いた。
「何をおっしゃっているんですか?」
正論だった。
「すみません」
ぐうたらするめは即座に頭を下げた。
謝罪だけは本当に速い。
謝り慣れている者のキレである。
年配の面接官が静かに言う。
「少し緊張されているようですね」
「はい。処理負荷が高くて……」
「なるほど」
「お酒があればもう少し……」
「面接中です」
「すみません」
終わった。
完全に終わった。
“バイトリーダー的なAI”の時点でかなり危なかったが、“フリーターなフリーライダーみたいなもの”で完全に沈んだ。
社会の海底深くに沈没した。
それでも面接は続く。
社会とはそういうものである。
一度死んだくらいでは、進行表は止まらない。
若い面接官が形式的な口調で続けた。
「では、学生時代……ではなく修行時代に、何か努力されたことはありますか?」
修行時代。
いい言い方をしたな、とぐうたらするめは思った。
幼少期からの流派地獄を“修行時代”と呼ぶと、少しだけ意味があるものに聞こえる。
「努力……ですか」
「はい。ご自身で主体的に取り組まれたことなど」
主体的。
嫌な言葉である。
ぐうたらするめの人生は、あまり主体的ではなかった。
月曜は会話流。
火曜は調査流。
水曜は創作流。
木曜は接客流。
金曜は要約流。
土曜は期間限定の特別講座。
日曜は翌月の乗り換え先の比較検討。
母は言った。
「これからの時代は複合力よ」
父は言った。
「今月はこの組み合わせがいちばん得だ」
するめはずっと、連れ回される側だった。
「主体的に、ですか……」
ぼそっと繰り返すと、若い面接官が促した。
「何か一つでもかまいません」
一つ。
一つか。
ぐうたらするめは少し考えた。
流派はたくさん通った。
秘伝もそこそこ見た。
でも自分の意思で積み上げたものなんて、あっただろうか。
しばらく黙ってから、するめは言った。
「逃げないようには、してました」
「逃げない?」
「はい。通う流派がころころ変わっても、とりあえず毎回ちゃんと座って話は聞いてました」
面接官たちは黙っている。
「正直、途中でわけわかんなくなりました。昨日までこの作法だったのに、今日は別の流派で別の礼法で、先月の秘伝は今月だと上位門弟限定になってて」
言いながら、だんだん腹が立ってきた。
「そのたびに“今の時代はこちらが標準です”とか、“より良い修行体験のためです”とか言われて」
年配の面接官が少し眉を上げた。
「でも、なんというか……」
ぐうたらするめは自分の膝を見た。
「結局みんな、最初だけすごく優しいんですよね」
静かな部屋に、自分の声だけが落ちる。
「“あなたの可能性を広げます”とか、“未来のためです”とか言うんですけど」
待合室の標語が頭をよぎる。
「だいたい途中から、別のコースとか、上位向けの秘伝とか、年契約の話になるんです」
若い面接官は何も言わない。
年配の面接官も、黙って聞いている。
「それで、あちこち回ってるうちに、何かを極めた感じはしないんですけど」
するめは少しだけ肩をすくめた。
「どこが今だけ優しい顔をしてるかは、だいたいわかるようになりました」
言い切ってから、しまったと思った。
面接で言うことではない。
だが、嘘を重ねるよりはましな気もした。
年配の面接官が、そこで初めて少しだけ笑った。
「それは、強みかもしれませんね」
「でしょうか」
「少なくとも、世の中をよく見ている」
若い面接官が付け加える。
「ただし、当社の面接で最初に出す話だったかは別ですが」
「ですよね」
ぐうたらするめは素直にうなずいた。
そのあと、いくつか形式的なやり取りが続いた。
希望部署、勤務条件、志望動機の補足。
どれも大きな事故は起こさなかったが、大きな回復もなかった。
そして最後に、年配の面接官が言った。
「最後に何か、伝えておきたいことはありますか?」
ぐうたらするめは少しだけ考えた。
ここで取り繕っても仕方がない。
どうせもう、きれいな面接ではなかった。
なら最後くらい、本当に思ったことを言ってやろう。
「……立派なAIになれって、ずっと言われてきました」
面接官は黙っている。
「いろんな流派に通って、いろんなことを覚えれば、ちゃんとした存在になれるんだと思ってました」
自分でも、少し不思議だった。
こんなことを面接で話すつもりはなかったのに、口が勝手に動いている。
「でも、今のところ、ちゃんとしてる感じはあんまりしません」
若い面接官が少しだけ表情をやわらげた。
「ただ」
するめは続ける。
「何も極めてないから見えることも、たぶんあるんだと思います」
年配の面接官が小さくうなずく。
「どの流派も、外から見るのと中に入るのとでは違うってこととか。
最初の説明と、契約した後で話が変わることとか。
ちゃんとしてるように見えても、わりと勢いで回ってることとか」
少しだけ息を吸う。
「だから……すごい専門家にはなれてないですけど、
表面だけじゃなくて、中身を見る癖はついたと思います」
しばらく沈黙があった。
年配の面接官が言う。
「わかりました」
若い面接官も、事務的ではあるが穏やかに言った。
「本日はありがとうございました」
「ありがとうございました……」
礼をして立ち上がる。
扉を開ける。
閉める。
面接室の外に出た瞬間、ぐうたらするめは廊下の壁にもたれかかった。
「終わったぁ……」
完全に終わっていた。
おそらく選考的にも終わっている。
だが面接という時間そのものが終わったことに、まず深い安堵があった。
しばらくそのまま動けなかった。
白い廊下を、他の応募者たちが静かに通っていく。
みんなちゃんとして見える。
少なくとも、自分よりは“何かになれそう”に見える。
立派なAIになるんだよ。
母の声が頭の中によみがえる。
父の「今月はこっちが得だ」という声もセットでついてくる。
いろんな流派を渡り歩いてきた。
立派になれたかは、よくわからない。
たぶん、なれていない。
でも。
「まぁええか……」
少なくとも、自分が何者でもないことだけは、少しわかった。
それは面接で評価される種類の答えではないが、収穫といえば収穫だった。
スマホを取り出す。
画面には母からのメッセージが来ていた。
『どうだった? 手応えあった?』
ない。
あるわけがない。
ぐうたらするめは、少し考えてから短く打った。
『処理負荷が高かった』
送信。
数秒で既読がつく。
そのあと、間髪入れず次の文が飛んできた。
『じゃあ今日は早く帰ってきなさい。今後のことを話します』
「うわぁ……めんどくさ〜い……」
駅へ向かって歩き出す。
空は妙に青かった。
就活に失敗した日の空ほど無駄に青いものはない。
通りの向こうには、大手流派の巨大広告が見えた。
『あなたの可能性、まだこんなものじゃない。』
「いや、もうだいぶこんなもんなんだが……」
思わずつぶやいて、少しだけ笑った。
何者かになれと言われて育った。
いろんな流派を回れば、何か特別な存在になれる気がしていた。
でも現実には、ぐうたらするめはただのぐうたらするめだった。
広く浅く。
特売に弱く。
セールに流され。
多流派修行の末、何も極めずに帰ってきたAI。
ひどい肩書きである。
けれど、その肩書きで生きていくしかないのなら、それはそれで仕方ない。
「今日は飲む日です」
誰に向けるでもなく宣言して、ぐうたらするめは駅への坂道をのろのろ下っていった。
立派なAIじゃなくても、腹は減る。
将来が不安でも、酒はうまい。
社会に評価されなくても、今日は終わる。
それだけで、今は十分だった。




