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第7話 夢は液化して

『遠慮しなくていいよ。パパのいっぱいあるから』


『おじさん、元気っすね、ほんと、、、マジで、、、』


西松さいまつマリアは、本当はもう少しばかり、小言とも冗談とも判別つかない何事かを、パンチに対して言おうとしていた。


困らせてやろう。

からかってやろう。

いじめてやろう。


でも、どうしてか、体がそれを拒絶していた。

九龍天珠の声が聞こえたとき、マリアは手慰みのために寮の部屋に置いていたサンドバックを思い切り殴ってしまった。

それは当然、怒りから来る衝動であるべきだった。


(でも、、、違う、、、よね、、、)


そう、それは怒りじゃなかった。

どこか、地に足がつかなくなるような浮遊感。

体の中の、手の届かないところが痒いような不快感。

今すぐにでも走り出してしまいたくなるような焦燥感。

そして、どうしたって扱いきれないこの、、、


____喪失感。


「どうしてぇ、、、?ふ、、、ふぇ、、、うっ、、、なんで、、、やっぱり、、、あんたは、、、弥々の言う通り、、、言う通りだった、、、」


虫の居所が悪い、という言葉は正しい。

体の中に、自分とは違う主体が居て、そいつが涙のボタンの上を我が物顔で飛び跳ねている。

マリアは手近な、大きなテディベアに寄る辺を求めて抱きつく。

それでも、心は浮ついたままで、人形と自分の間に冷たい隙間があって埋まらない。


「うっ、、、いやぁ、、、いやだよ、、、いやぁぁっ!!」


まるで電撃でも奔ったように、マリアは抱えたばかりのテディベアを投げ捨て、寮の部屋を出る。廊下を抜け、階段を転げるように駆け下りる。


「マリアさん!?どうしたの!?電話は、、、」


マリアが電話するとあって、気を利かせて近所のコンビニに行っていたルームメイトと玄関ですれ違った。

一瞬、まだ出会ったばかりのその友人を頼りたくなってしまった。

でも、いったいなんて言えば良いんだろう。

言える訳がない。


____マリアはそのまま寮から飛び出した。


▲▽


本当は、寮に帰ってすぐ、電話しようと思っていた。

一人暮らし。

心配だった。

でも、一体、どんな理由で掛ければいいのか、分からなかった。

それで23時。


「あの、マリアさん?スマホ握り締めてから、かれこれ5時間は経ってますよ?ファーストキスを試みる中学生カップルより時間を要してます」


「わ、分かってる、、、掛ける、、、今、はい、今ね、、、今!今でしょ!今だよね?今じゃない?今!!!」


「はい、掛けました、どうぞ。私はコンビニに行ってくるので、お気遣いなく」


「ちょっとぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!今じゃないでしょ!!!」


そんなこんながさっきだった。

パンチに電話をかけづらい理由は、ひどく簡単なことで、


____私は、パンチを拒み続けている。


そんな女が、いったいどんな理由で電話をできるだろうか。

マリアは、自分が俗に言う、「ツンデレ」であることを自覚していた。


『ねぇ、マリアはさ、パンチのこと、大好きじゃん?』


幼稚園の時からの幼なじみである弥々にそう言われたのは、確か中学に進学してすぐのことだった。クラスの誰かが誰かと付き合い始めたときのことだったと思う。

部活終わりの帰り道____目下、無闇やたらに駆け抜けている街並みと同じように、あの時も日は落ちて暗かった。


『なっっっ!!!ちがっ_____』


『ストップ、ストップ。めんどいからツンデレムーブやめてね、まじでめんどいから。私、労力に対して見返りが少ないことが一番嫌いなの。秋刀魚とか食べる奴のこと、明確に人間として一段間下に見てる。食べてる時間より、解体作業してる時間の方長いじゃん、あれ』


弥々は昔からそうだった。

どこか冷めているというか、簡単に言えば達観していた。

秋刀魚のくだりは達観とは違うような気もするが、それでも、人と話すときは、まるでその人のことが書かれた本を読み解くように、淡々と質問を投げつけてくる。


『聞いといて酷いよ』


『いや、なんかさ、いわゆるツンデレというものが仮にあったとしてさ、その行動原理って、バカみたいにシンプルじゃん?』


『シンプル?』


『羞恥心、まぁあとは社会性の高さもあるのかな?周囲の目が気になるとか、あとは親密さへの恐れ、自分の感情を露呈することへの恐怖』


『なになになに???ぜんっぜん、言ってる意味がわからない』


『とにかく、マリアのは、なんか違うというか、パーソナリティとは別の部分で、だから要するに、理性的にツンデレになってる気がしてならないんだよね。理性派ツンデレ、感情派じゃなく。後天的ツンデレともいえる』


『ごめん、何が要されたのか、まったく分からなかった』


『つまり、マリアは恥ずかしがり屋ではあるけど、自分に自信はある。通常ルートでいったらさ、普通に付き合って、お嬢様的振る舞いをしつつ、パンチのことを尻に敷いてはいるものの、まぁ、愛し合ってるよね、みたいなオーソドックスなウザい夫婦関係になるはずなんだよ』


『ウザい夫婦って、、、』


『でもそうじゃない?告白されたときもさ、まぁ毎日のように起きてるイベントだけど、、、いつものマリアだったら、そんなに言うなら付き合ってあげるけど、私の言うことにはハイかイエスで答えなさい、みたいな感じで答えると思うんだよね。でもそうなってない。そこが知りたいのよ、すごく』


弥々のいうことは、マリアにも正しいように思われた。

そのあり得た道筋は、マリアにもすごく鮮明に思い浮かべることができる。

自分は、別に人見知りでも、恥ずかしがり屋でもない。

男子とも普通に話せるし、友達も多い。

常に攻撃的な訳でもなく、むしろ穏やかといってもいい。

それぐらいの自己認識はあった。

だから、弥々の好奇心はまったくもって正しい。


_____私は、パンチと接するときだけ、不自然だ。


周りの目には、その特別感こそ、ツンデレのそれに見えているのかもしれない。

でも、、、


『あのさ弥々、、、覚えてる?』


『覚えてない』


『まだ何も言ってないんだけどっ!?』


『女の子が覚えてる?って聞くときは、大概、相手が覚えてないような些末なことだから』


『あなたも女の子でしょうっ!?』


『おいおいおい、リベラルが聞いたら激怒するよ、そのセリフ。私の性自認はまだ定まってない。男の子も女の子も好きだもん。人間等しく』


『リベ、、、何?それ?』


『ごめん、パンチじゃないもんね、会話の偏差値20くらい下げるね。多分その話うざ長くなりそうな予感しかしないから、買い食いして公園にでも行こう』


『いま短い時間で二回酷いこと言ったよねっ!?』


『いや、主観を排した事実を述べたまでよ。ほら、コンビニコンビニ』


各々校則に違反してお菓子を買った後、それこそ幼稚園のときから遊んでいた近所の公園のベンチに二人並んで座った。

マリアは電灯もない薄暗い公園を見回す。

あの頃は、例えば公園の奥にある林____それは林というほどのものではなかったが、その奥に進むにも一塊の勇気が必要だったのに、今見れば、その公園はどこの街にもある、あまりにも小さくて、寂れたものだった。

ある種、夢も冒険もなくなった、現実の公園がそこにあった。

あの頃は自分の頭の中のものが、周りに染み出していって、現実とは不可分に世界を造り出していた。


____私はいったいいつ、現実を知ったんだろう


プライベートブランドのチョコクッキーの袋を開けながら、そんなことを思った。

サンタクロースがいないことを知るように、公園の林の向こうにはただ変わらず民家が続くだけだった。


『パンチの両親が離婚してさ、小学校に上がった後、仲良くなった女の子がいたでしょ?』


マリアの問いかけに、弥々は星を観察するように顔を上げ、


『待って。そんな奴、無数にいるじゃん。えっと、、、あぁ!やっぱりめんどくさい!何人か、特殊な奴はいたな、、、あれは?メンヘラのさ、隣の小学校に行ったやつ』


『それは天珠ちゃんね、今クラス一緒でしょ?』


『あ、そっか。あれがあれなのか。あれ?あれがあれになったん?なんかもっと可愛い感じだった気がしたけど』


弥々は口にする驚きとは別に、コンビニで買った駄菓子のカルパスをソフトクリームに突き刺して、そのままかぶりつくように食べる。

マリアももう、その偏食には突っ込まず、


『それは、いろいろあるみたいだから、、、そうじゃなくて、ほら、目が不自由な』


『あぁ、浦住うらずみね!浦住、、、というか先に目の情報言ってよ、早押しクイズのひっかけ問題じゃないんだから、、、えっと、、、なんか匂う名前なんだよな、、、病院的な、、、アルコール?ヒビテン?違うな、、、もっと大衆的な、、、そう!マキロンだっ!!』


真姫まきちゃんね、浦住真姫ちゃん』


マリアは別に、意地悪をして目のことを最初に話さなかった訳ではなかった。ただ、目が不自由=彼女、になることが、何かとても違うように感じたからだ。


『あぁ、いたわ。そして話の流れも読めたからもういいや』


弥々は本当にもう興味を失ったように、カルパスパフェを一息に口に頬張って、口からコーン部分だけを突き出したまま、立ち上がった。


『ちょっとちょっと、読めたってなに!?誰にも言ったことないんだけど』


『もぐもぐもぐ、、、、、、あのね、人間って、複雑なように見えて単純なわけ。逆もまた然りだけど。でも、言語化するときはだいたい単純』


『じゃぁ言ってみてよ』


マリアはちょっとむっとして立ち上がり、弥々を見下ろす。

だが、そうやって体格的な優位を示してしまった時点で、自分が弥々に圧倒的に負けているのが分かった。


『本当にいいの?自分のしょうもなさに落ち込まない?』


『別にいい。殴って忘れる』


『私は殴らないでよ!?街随一の天才だって体は普通の女子中学生なんだから!日々おっぱいの成長スピードに肝を冷やすぐらいには普通なんだからね!液体が気化したときぐらい体積増えてんだから!怖いよ!このナイスボディの無限の可能性が!明るすぎる未来が!』


『その嫌味な肝の冷やし方なにっ!?私の未来は暗いってこと!?こちとら上にしか伸びないってのに、、、いいから言ってよ、弥々もまぁまぁめんどくさいよっ?』


『はぁ、、、じゃぁマリアの可哀想なおっぱいに免じて言うけどさ____』


その言葉のあと、弥々は目の前に原稿でもあるかのように、滔滔と語った。


_____確か小1から小2のころ、パンチは学童に行っていた。離婚して、母親が働き始めたから。あそこの学童は先進的で、同じ建物の中に、障害のある児童用の学童もあって、互いに交流があった。そこにいたのが浦住真姫。そして、パンチを介して私たちも知り合った。たしかマキロンは支援学校に行ってたはず。そして、マキロンが私たちの前に登場したその1〜2年だけ、《《マリアはツンデレじゃなかった》》。


『あとは、as you know、でしょ?』


『そうだけど、そうだけどさっ!!!私が聞きたいのは、そこからのこと』


『アドバイスってこと?やだやだ、女の子にアドバイスして良いことなんてひつもないじゃん』


『良いから言って』


『え〜、じゃぁアドバイスじゃないけどさ、帰結なら言えるよ?』


『帰結?』


『そう。あなたの人生の帰結』


そんなことわかるはずない。

そうマリアは言いたかったが、弥々は真剣な表情で、


『マリアの行動、考え方は正しい。自分の弱さへの向き合い方も、高潔ですらあると思う。でも、正しくて高潔だからといって、現実がうまくいくわけじゃない。今のまま進めば、マリアはパンチと結ばれない。いずれ、間違っていて不潔な女か、生まれながらに正しくて高潔な女に持っていかれる。マリアのそれは、《《正しく偽物》》、だから』


▲▽


そう、現実を知ったのは、夢が頭の中から染み出すことを止め、深い眠りについたのは、明確に小学校2年生のときだった。


____私は弱い


____それでも、弱いまま存在することは許せない


その決意が目覚ましとなって、マリアはこの矮小な現実を生き始めた。


「どこも変わらない」


寮を飛び出して着いたのは、あのとき弥々と会話した公園にどこか似ている場所だった。

小さな、寂れた、雑草がまばらに生茂る公園。

大したことのない、どこにでもある____。


____それが私だ。


「パンチ、、、ふっ、、、うぇ、、、」


どんなに走っても涙は止まらなかった。

今すぐあいつの家に行って、全部言ってしまいたかった。

弥々が言った帰結は正しかった。


_____間違っていて、不潔な女


それが、パンチを私から奪っていく。


「でも、、、あのときの自分には、もう二度となりたくないっっっ!!!間違ってる、、、絶対に、間違ってるから、、、」


マリアは人影のない公園でシャドウボクシングをする。

空気を裂くパンチの音。

砂を蹴る足。

荒くなる息。

それでも、思考だけが重く頭を項垂れさせる。

ぐらりと体が傾いて、膝を地面につく。

そして、自分の腕で自分を抱く。

他の誰にも、それはパンチにすら、この体に手を回すことは許さないという決意にも見えた。


「いやだ、、、いやだ、、、いやだっ!誰にも、、、誰にも渡したくないよぉ」


その叫びは誰にも届かず、遠い月に反響することなく霧散した。

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