第6話 コロイド粒子とグラスジョー
食卓につき、改めて九龍天珠の顔を正面に見る。
中学時分は荒れ放題の髪のせいで、その素顔はついぞ知ることがなかった。
まず、あまりにも顔が小さい。
パンチの掌に軽く収まるぐらいで、その分、首が長く見え、綺麗だ。
実際は160センチ後半、あっても170くらいの身長だが、その小顔によって、比較対象がないとマリアと同じくらいの頭身に見える。
そして、全体的に生気が感じられない。
色の白さ、毛量の少なさ、薄い唇。
病的と薄幸のグラデーションの間に、ぎりぎりのバランスで成立している美だ。
髪は当時と違い、きちんとカットされ、カラーもただのブラウンというよりはアッシュ系も混ざっているように見え、光沢がある。前髪はかっちりと切り揃えられ、後ろはウェーブもかかっており、一体あのゴミ屋敷の部屋の洗面台で朝、どのようにセットしているのか気になって仕方ない。
「ねぇねぇ、ナスの煮浸し、美味しい?」
天珠が、追加で作った豚コマの野菜炒めを食べながら言う。
「自分で言うのもなんだが、非常に美味い。生姜を十分に効かせたのがよかったな」
「ふ〜ん、ちょっともらうね」
「ナス、苦手なんじゃないのか?」
「だって美味しそうに食べるから、、、うぇぇぇぐにゅぐにゅ〜、やっぱいらない」
「おい!!食べかけ勝手に茶碗に乗せてくんじゃねぇ!!許可を取れよ!!」
「だって食べるでしょ?」
「、、、食べるけどさぁ、、、遠慮とか配慮とかもろもろないわけ?」
「な〜い、だってパンチくんだもん」
白米の上に投げ捨てられるように置かれた煮浸しを、パンチは愛を持って食べる。
「わ〜い、間接キッス〜〜〜」
「高校生にもなって、そんなことはいちいち意識せん。子供じゃあるまいし」
「ふ〜ん。なに?マリアちゃんといつもチュッチュしてるから?慣れちゃった?」
「______」
「え、顔真っ赤なんだけど、パンチくん。高校生にもなってチュッチュでそんな赤くなる?お子ちゃま〜〜〜」
「うるせぇ。スモールステップという言葉を知っているか?俺の目標は22歳でマリアと結婚することだ。逆算すればキスは高3ぐらいでいい」
「じゃぁ今はどの段階が目標なの?」
「、、、、毎日挨拶、、、か、、、な?」
「いや、小学生ですか?あいさつはしっかりしましょう、的な?ないわ〜」
パンチはなぜか自宅であるにもかかわらずいたたまれなくなって、リモコンに手を伸ばす。だが、その手は天珠の細い指が重ねられて静止させられた。
「ご飯のときは、テレビ見ない」
思いの外、その顔はさっきまでのからかうようなものではなく、真剣なものだった。
小学生を叱る親のようではなく、もっと痛烈な願いに感じた。
「お、おう。意外に真面目だな」
「うぇぇ、土佐煮も無理!なんで竹の子とか、地中に生まれる奴らってこう苦いの?にんじんとか、ごぼうとか、むりむり」
「だから!勝手に口つけて、勝手に人の茶碗に捨てんな!!」
「どうせ食べるんだからいいじゃ〜ん」
「お前な、、、御相伴に預かる奴の風上にもおけん」
その後も天珠は好き勝手に食卓を荒らし続けた。
あげく、「ふりかけ欲しい〜」と言われた時には、さすがのパンチも眉毛がぴくぴくと怒りで震えた。
これだけおかずを作ってなお、ふりかけが欲しいとは、よくぞ言えたものである。
離婚されても文句は言えない禁句だぞ、それは、、、いや、結婚してないが、と、パンチは変な自問自答をするはめになった。
▲▽
食後、パンチが食器を洗う間、天珠はテレビの前のソファでパズルゲームに勤しんでいた。
「お前、これ飲んだらそろそろ帰れよ」
「_____」
「おい、聞いてんのか?」
「____天珠」
「あ?」
「天珠」
スマホから全く目を離さず、背中で強い意志を天珠は示していた。
パンチは彼女がずうずうしくも発注したホットミルクをずいっと渡して、ソファの隣に座る。
「あぁ、名前な。天珠、11時近いぞもう。明日は実力試験だし」
「実力試験なんて成績に反映されないじゃん」
「変な成績取ったら、昨日得たばかりの天使の地位から失墜するぞ。3日天下か?光秀か?」
「天使ね。まぁ天珠、かわいいし。成績なんて関係ないよ〜ん」
「おぉ、奢りがすげぇ。メンタリティ女子アナかよ」
天珠はちびちびとコップに口をつけながら、その小さな白い湖面をじっと見て、
「なんかさ、男子連中が言ってた。天珠って、千年に1度というより、ビックバンが生み出した奇跡らしいよ。ちなみに今年の1年は奇跡の年だってもう言われてるんだって。私でしょ、あとマリアちゃん、それから伊久間ちゃんって子と、弥々ちゃん。天珠はどうせならブラウン運動のやつがいいな」
「それでいうなら俺もビックバンが生み出した奇跡だ。といより、全ての因果関係は全てビックバンに帰結するだろ、馬鹿なのか?日本経済が悪いのもビックバンのせいで、お前の部屋が地獄のように汚いのもビックバンのせいだ。それから、奇跡の年って別にそういう意味じゃないだろ。アインシュタイン先生は関係ない」
「えぇ〜ちょうど4人だし。コロイド粒子、好きなのに」
「コロイド粒子が好きな女子高生なんて存在しないよ?牛乳とか見て、あぁ、ブラウン運動の白濁〜ってならないよ?」
「なってるじゃん、今、ホットミルク」
「なってるの?」
「うん。あぁ、ブラウン運動リアコ〜〜〜ってなってる」
「恋しちゃってるじゃん」
「恋しちゃってるし、摂取しちゃってる」
会話の着陸地点をほとんど見失い始めていたパンチだったが、その時、スマホがけたたましく鳴った。
一瞬、母かと思ってどきりとしたが、
「こんな時間に、、、マリアか」
「マリアちゃん?出なよ」
「いや、さすがに_____おいっ!!」
天珠が身を乗り出して、スマホの画面を指ですいっとスライドさせた。
「ば、馬鹿っ!!!」
『、、、開口一番、馬鹿なんて、いい度胸してるね?』
マリアの絶対零度の声が受話器から聞こえてくる。
パンチは目で天珠を睨みつけながら、
『いえ、違います。聞き間違いです』
『じゃぁなんて?』
『バ、、、バカ、、、バカラのグラスでワインが飲めるようになったら、あなたをお嫁に迎えに行きます?』
『行きます?じゃねーよ。聞いてくんな、そして来んな』
『ご、ご用件は?』
『あん?誤魔化すんじゃねぇよ。用なんてないし』
いつもより言葉遣いがさらに荒い。
これはかなり怒っているに違いなかった。
ただ、パンチは心拍が一つ、高くなって、
『え、嬉しいんだけど。用がないのに電話くれたの?』
『_____』
『マリア?』
『間違いました。用あります、めちゃくちゃありました。むしろ用しかない。報連相は大事でしょ。これだから新卒は。違う!?あたしが言ってること間違ってる?』
『間違ってないっす。大事っすね、確かに。新卒じゃねぇけど。で、用って?』
おじさん絡みだろうか、と予測を立てるが、マリアは電話口の先で何やらもごもごとしながら、
『あ、、、えっと、、、なんだろ、、、あっ!わ、私って、グラスジョーじゃん?でもパパはインファイター以外認めないって言ってて。でも、高校ではもっとヒットアンドアウェイで戦わないと厳しいと思うんだけど、でも、でも、スラッガー的な、一撃で決めるみたいなのにも当然まだ憧れはあって____』
立て板に水でまくし立てるマリアに、
『待て、落ち着け。報連相は大事だが、もっと大事なのは誰にするかだぞ?お前は誰に何を言っている?』
『グラスジョー』
『顎が弱いことな』
『インファイター』
『接近戦の殴り合い大好きな奴ね』
『スラッガー』
『一発のパンチが重い奴な』
『分かってんじゃん、意地悪言わないでよ』
『分かってはいるよ?お前の試合、散々見てきたからね?でもね、アドバイスはできませんよ?なぜなら、いつも私の目には、試合開始、バコーン、終了。これしか見てないので。正月にテレビで総合格闘技とか見ると、あぁ、これが試合というものかぁってなるぐらいには、お前のは試合になってない。あれは事故、砲撃、惨禍。ゆえにアドバイスもない。俺はいつも、お前のかわりに相手の無事を祈るためだけに観覧していたといっても過言ではない』
『それでも聞きたいの!客観的な意見が!それにいつも手を握り合わせて目を瞑ってたのは私の無事と勝利を願ってだと思ってたんですけどっ!?』
そんな訳ないだろうと、パンチは言わなかった。
マリアの勝利→確定事項。
マリアの無事→確定事項。
試合前の条件がこうなのだから、あとは相手が無事でスポーツとして成立することだけを祈るしか選択肢が残されていないのだ。
それは才能だけではない、マリアの日々の努力を知っているがゆえの安心感でもあった。
『少なくとも俺に分かるのは、お前の顎が、仮に弁慶の泣き所だとして、、、いや、むしろ竜の逆鱗だと思うのですが、一体誰がそこに触れられるのか?と思うわけですよ。スラッガーとか言いつつ、あなた誰よりもフットワーク速いじゃないですか、それに両利きとかいう器用さもあって、、、今のあなたの質問は、熊が人間を襲うに際して、先に脚を折った方がいいか?みたいな愚問に聞こえるわけですよ。大丈夫ですからね?シュッ、バン、終了。ヒット・アンド・エンド。これだけですから。化け物に戦略なんてはなから必要ないんですよ。あなたの前では、戦略とは弱者の詭弁でしかない』
一息に話し終わったその瞬間、パンチは自分の失言に気づいた。
それと同時に、ぷつりと、何かの糸が切れたような音が幻聴として届く。
『熊、、、化け物、、、?ふ〜ん、そう、あなたには私のことが毛むくじゃらの獣に見えているのね。じゃぁ何かしら、あなたと回転寿司にでも行ったら、ほら、サーモン食えよ、サーモン。うわぁ、本当に食ったよ。きっと北海道の人はこの姿を見て木彫りの熊を掘ったんだぜ、って言われて、お土産の代表格みたいになって、ふるさと納税の返礼品になって、誰もそんなのいらないから町の税収が下がって、在庫も余って、兵馬俑みたいに地中に埋葬処理されて、それで遠い未来で不可思議な遺跡として発掘されればいいと思ってるんだ?それで教科書に載れと?』
被害妄想がすごい。
それにあなたはメダリストとかで普通に体育の資料集とかに載ると思うので安心して欲しい。それに存外、簡単に竜の逆鱗に触れることができたらしい。マリアの怒りは指数関数的に上昇していっている。
その時、ほとんど存在を忘れかけていた天珠が、体を寄せてスマホをこちらに見せてきた。
そこには、
_____イチャイチャしてる
パンチは天珠のスマホに、続けて打ち込み、
_____してない。さっさと帰れ
_____やだ。お客様をちゃんともてなしなさい
_____もう十分もてなしただろうが。いいから帰れ
戻されたスマホの文字をじっと見て、それから天珠は花が開くような緩慢な速度で悪辣な笑みを咲かせた。
教室にいるときとはまるで違う、それはそれは心からの笑顔に見えた。
パンチは天珠のスマホを奪い取り、
____待て、お前何を____
天珠はそんなパンチの焦りなどどこ吹く風といった様子で、すっとソファから立ちあがり、パンチの背中に回り込みすぅっと静かに息を吸った。それは放たれた弓が空気を裂く音に似ていて、ひどく美しい音色のようにパンチには聞こえた。
あ、あ、うんっ、とまさに放送開始前の女子アナのように声を整え、
『パンチくぅ〜〜ん。バルタオルどこぉ〜〜?あと、髪、一緒に乾かしてほしいなっ♡あ、でもぉ、、、乾かすのはお楽しみの後でもいっか?どうせまた汗で濡れちゃうしぃ〜♡』
『_____』
『あ、ごっめ〜ん。誰かと電話中だった?気づかなかったよ、恥ずかしいなぁ、もう』
『_____』
沈黙が耳に痛い。
カエルが池に飛び込んだ後の静寂が俳句になるなら、この静寂は辞世の句になるだろう。まぁ、詠むだけの時間が自分に残されていればの話だが。
誤解しないで欲しいのは、別にマリアが嫉妬で怒るなんて夢を抱いている訳ではないということである。単純に、自分のことを好き好き大好き、と普段から喧伝して歩いている奴が、他の女とイチャコラしている。そんな不義理をマリアは許すはずがない。嫉妬ではなく、道義としての怒り。それがあるからこそ、マリアは良い女なのだ。
電話口の先で、手榴弾でも爆発したとしか思えない、「バコーン」という漫画みたいな効果音が聞こえて、1秒、2秒、、、。
『_____避妊はしなよ。ないなら届けようか?今から。今なら送料無料でいいよ?』
『あ、、、いえ、結構です。すんません、ほんと、すんません』
『遠慮しなくていいよ。パパのいっぱいあるから』
『おじさん、元気っすね、ほんと、、、マジで、、、』
ぷつん。
と、そこで電話は切れた。
パンチは耳にスマホを当てたまま、
「頼む、天珠。俺の顎に思いっきり右フックをお見舞いしてくれ」
『いいよぉ〜、ぺちぃぃぃぃぃぃ♡』
頬を撫でるような、甘いビンタが、今のパンチにとっては腹立たしいことこの上なかった。
『なめてんのかてめぇぇぇぇぇぇ!!!思い切りって俺が言ったら思いっきりやれやぁ!!!殺すぞゴラっ!!!』
パンチの怒声に、天珠は「きゃぁぁぁ♡」とさらに怒りを逆撫でするような嬌声を上げてそのまま部屋から出て行った。




