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第5話 衣食住から始めよ

マリアのナンパ事件以外、通常登校1日目は特に異常は起こらなかった。

相変わらず九龍天珠のもとにはあらゆるクラスから人が訪れているが、そのおかげというべきか、ほとんどパンチとの接点はなかった。

他、小さな事件的には、


「パンチ?」

「まじで名前?」

「キラキラネームすぎん?」

「親、ヤバそう」


と、朝の自己紹介以後、ずっと噂され誰も近づいて来ないのと、昼休み以後、


()()()()()()の舎弟らしい、あいつ」

「昼休み、姉御っ!!って言いながら職員室にカチコミしたらしい」

「サッカー部で特待だった先輩をヤッちゃったらしい」


また違った毛色の噂に替わっていた。


「弁慶はもともと奥羽にゆかりあるでしょうが!中尊寺行けよ!奥羽じゃない弁慶なんて許しませんよ!!」


と、思いがけず突っ込んでしまったのも悪いらしい。


「論点そこ?」

「頭おかしい、、、」

「所持だと掴まるんだっけ?使用だと掴まるんだっけ?」


痛親疑惑が知らずのうちに成長して、いつの間にか犯罪行為の疑いをかけられてしまっていた。

その間、九龍天珠が自席から何か言いたそうにしていたが、


「あれ、逆パノプティコンだよな」


集団に囲まれた彼女に、口を開く余白など一(ごう)ほどもなさそうだった。


「逆パノプティコンは最早パノプティコンと言う必然性なくない?ただの集団監視じゃん」


と、弥々に真っ当な突っ込みを頂くほどには暇ではあったが。


▲▽


家に帰り、自分の城を満喫する。

まず、パンチは料理が好きだった。趣味と言っていい。

どんなに疲れていても、料理だけはむしろ回復効果を持っているとすら言えた。

指先の運動と、複数の手順の最適効率を考える頭の使い方がきっと脳に良いのだ。

今週は特進クラスに義務づけられた放課後の自学時間がない。

だから早めの夕食にすることにした。


「今日は~、ナスの煮びたしと~、土佐煮と~、水キムチと~、アジフライと~、ホウレンソウの味噌汁ぅ~~和風、和風、わっふぅぅぅうううううしゃぁあああああああああああああああごらぁあああああああああ!!!」


気合が入る。

新調した出刃包丁も握り心地が良く、手になじむ。

アジがするすると捌かれていく。

台所が低すぎて、前屈みになると自然、腰のあたりが濡れてしまうのが若干残念だったが、こればかりは致し方ない。


「高いだけあったな」


と、その美しい刃先を眺めていたときだった。


ガタン、バタン、ドシン、とお手本のような騒音が隣の部屋から聞こえてきた。

そして、


「きゃぁああああああああああああああああああ」


という悲鳴も、壁を突き抜けて聞こえてきた。

このマンションの防音の感じで聞こえてくるとしたら、よっぽどである。


____問題は払しょくされていない。


それでも、これを無視するわけにはいかなかった。

パンチは急いで玄関を出、隣の部屋の扉を叩く。


「おい!どうした!大丈夫か!?」


何度か繰り返しノックという名の殴打と、問いかけをした後、ゆっくりと扉が開かれた。


「た、助けて、、、パンチく、、、、、、ぎゃぁああああああああああタスケテェえええええええええええええええ殺されるうううううううううううううううううう!!!」


「なんだ、どうした!下着泥棒か?変質者か!?どうして俺から逃げる!?」


「ぎゃぁああああああああああああああああ血ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ包丁ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅコロされるぅぅぅぅうぅぅぅぅう!くまさぁあああああああああああああんん!!」


そこでパンチははたと思い至った。

血、、、アジのね。

包丁、、、持ったまま来ちゃったね。

くまさん、、、エプロンのね。


ごめんね。

どんな下着泥棒より、変質者より、血に塗れた包丁を持ったくまさんエプロンの隣人が一番怖いよね、そうに決まっている。


▲▽


誤解を解いて部屋に入ると汚部屋だった。部屋の底が埃で白くなっていた。肩に小蠅が止まった____。

パンチはそのあまりの衝撃的な光景に、日本文学史上屈指の冒頭を咄嗟にオマージュしてしまった。ごめんなさい、川端先生。


「な、、、んだ、、、これは、、、」


「え?何が?」


当の本人は全く疑問に思ってないらしい。

天使は堕天して、地獄ではなく汚部屋の管理人をさせられているのだった。


「汚すぎる、、、」


「え、そっかなぁ?ちょっと?ちょっとだけ、散らかってるけど、今は、今はね?」


「ちょっと、、、?」


「ちょっぴり?」


「ちょっぴり、、、?」


「ちょびっと?」


「ちょびっと、、、だ、、、ね」


「全然足の踏み場あるよ?」


「ないよ?脱いだ服の上を足場とは言わないよ?」


「だって濡れないよ?濡れなければ足場だよ?」


「濡れないよ、普通。リビングでは。液体はリビングに存在しない」


「え?消臭スプレーの中身が零れてたり、ペットボトルの飲み物とか、カップ麺の汁とか、、、存在するよね?」


「自然発生的に存在してるみたいな言い方やめてね、全部人為的に設置されてるから、それ」


引っ越してきて何日だろうか、とパンチは思案する。

長くて2~3週間だ。

それでこの有様。

行政代執行のニュースで見た汚部屋に成長するまで、あと何日もないように見える。


「一応聞くけど、何があったの?」


「アルファベット、1文字」


「おい、、、おいおいおい、嘘だろ、、、伝説のか?」


「うん」


「待てよ、ちょっと待ってくれよ、、、嘘だと言ってくれ、、、そんな、あり得ない、、、奴は東北に存在しない、霊獣、、、もとい霊虫だぞ?アニメで騒いでいるのを、ただの虫でこんなに騒ぐか?って他人事になるやつか?首都圏の降雪と奴だけなんだ、東北民が都会の人間を馬鹿にできるのは、、、」


「出た」


「そうか、、、お前はどうする?」


「避難したいです。できればそちらの家に」


「おう、そうか、、、鍵は開いてる、、、紅茶でも飲んでてくれ、、、俺は、、、戦う、戦ってみたい、霊虫と」


「任せます」


「_____おう」


▲▽


「ゴキブリじゃねぇじゃねぇか!!!」


マスクと手袋で完全防備したパンチが、自分の部屋に戻るなり、そう叫んだ。

時刻はすでに21時前になっている。

おおよそ3時間の格闘だった。

無論、Gとではない。部屋とだ。


「え、違いました?」


九龍天珠は、本当に紅茶を飲んでいた。あまつさえ、非常時用に買っておいたカップラーメンまで食べている。

そして、すでに使用済みのティーパックを食卓の上に裸で置きやがっている。

なんで?

せめてカップラーメンの取ったフタの上に置けない?

あぁ、そうか、先に紅茶を飲んだのね。

飲んだのねっ!!!

じゃあ仕方ないねっ!!


「ちげぇよ!なんかよくわからんちっちゃい虫だよ!むしろ元凶がこれかも断定できねぇよ!推定無罪ですらあるよ!むしろ無量大数的に存在する小蠅にビビれよ!!」


「掃除もしてくれたの?」


「したよ!しなきゃこんな雑魚、見つけらんねぇよ!むしろよく見つけたよ!恥ずかしいよ!やったぁ、人生で初めてG見れるぅって浮きたっていた俺が!!」


「ありがとう!やっぱり大好き!パンチくんっ!!」


「あの、良くその台詞言えますね。汚部屋見られたばかりですよ?恥じなさいよ」


「パンチくんならいいもんっ!だってパンチくんは天珠の味方だから」


「味方じゃないよ?キレてるよ?」


「味方だよ_____だって、ほら、掃除しなさい、ってパンチくんは1回も天珠に言ってない。掃除もできない愚図とか、ごく潰しとか、言わないでしょ?天珠が、パンチくんが掃除している間に紅茶を飲んでても、カップラーメン食べてても、怒らない、ね?だから味方。本気では説教しない、パパみたいな人だから、味方だよ」


違う。

そうじゃない。

興味がないから、叱る意味もない。

これがマリアの部屋だったら、きっと、掃除しろと開口一番、怒っていただろう。

マリアの部屋はもちろん、いつも綺麗だが、ああみえて綺麗好きなのだ、彼女は。

でも、天珠にはその意味がない、義理もない。

興味がないからだ。

そう、ただ、それだけだ。


「はぁ、、、そうだよ、味方だよ。だから次からは綺麗に使ってくれ、味方としての助言だ」


「はぁ~い!善処します!ねぇ、お腹空いた!なんか食べたい!!」


天珠が抱き着いて懇願してくる。

その豊満な胸が押し付けられる。

上目遣いでパンチを見上げれば、お互いの顔は10センチも離れていない。

ただ、パンチは動揺せず、


「カップラーメン食ったんだろうが!それに汚れるぞ、お前まで」


「足りないですぅ、、、なんか準備してたんでしょ?あ、でも、ナスとたけのこは嫌い、アジフライは好き!あとお肉食べたいっ!!しょっぱめの!」


「居酒屋じゃねぇんだぞ、ここは」


「パンチ食堂、お~ぷんっ!!」


天珠がパンチの腕を取って、台所に運んで行く。

甘やかな匂いが、パンチの記憶をまさぐる。

料理をパンチに教えてくれたのは、母だった。


『うん、上手だけどね、ママが言ったのとは違うね?』

『お皿洗ってくれるのは嬉しいけど、、、ちゃんと拭いてからね?』

『はぁ、、、ありがとうね。でもね、揚げ物した後の油は、綺麗にしてね?前も言ったよ?』

『料理ぐらいちゃんと作れないと、他の人に何言われるか分からないからね、勉強も、ね』


ちゃんと、か。

パンチは天珠の絡まる腕を外し、


「お前も一緒に作ってみるか?料理」


そう聞くが、


「えぇ、、、パンチくんみたいにちゃんと作れないし、天珠はいいよ。待ってる」


「別にちゃんとじゃなくてもいいじゃんか。二人で作った方が楽しいだろ?どんなものでもさ」


そう言うと、天珠の顔から一気に血の気が引いていき、


「やだよ、おいしいのじゃないと。適材適所でしょ、そういうのは。天珠、ちゃんと食べてたよ、あの時も。だから一緒に作るのは嫌」


それから、天珠はまるで世界に興味でも失ったかのように、食卓の椅子に体育座りして、スマホでパズルゲームを始めたのだった。

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