第3話 ごせいちゅくにっっ!!
入学早々、最初に訪れる教室が保健室になるとは、左近寺パンチも夢にすら思っていなかった。今後の学園生活が不穏になるスタートである。
____いや、むしろ不良っぽくていいのか?
人が敷いたレールから逸脱して、己の信念を貫いて生きるのが不良だ。
不良という字の、「良」は何を意味しているか。
それは、社会の大多数にとっての「良」である。
それもまた良し。
だが、俺は他人の評価を気にしない。
俺が「良」だと思うことを貫く。
それで社会から逸脱するなら、それもまた良し。
不良というのは、古くは古事記にも出てくる。
____今吾所 生之子不良
何が良で、何が不良か、絶対的に決定できる神がいるならいい。
そんな世界では不良は川に流されるだけだ。
だが、神は死んだのだ。
自分の人生の物差しは、自分で見つけなければならない。
不良のスタートが教室でなく、保健室だって別に構わない。
そこに、俺がどんな意味を付与するか、それが重要なのだ、、、。
_____。
「あなた、左近寺くん、だっけ。何かぶつぶつ言っているけど、さっさと入学式に出なさい」
保健室の先生_____検校美晴先生がパンチの肩を叩いて言う。
将来日本を背負って立つスポーツ選手の多いこの学校だからか、どこか普通の保健の先生よりも威圧感があった。不機嫌だが端的に事実を告げる、そういった優秀な医者を目の前にした患者の心持だ。あるいは単純に美人だからかもしれない。
すぐに立ち上がろうとしたパンチだったが、何かに突っ張ったように、制服が引っ張られる。
「_____あっ!、、、えっと、、、ごめんなさい、、、」
見れば、九龍天珠の手が、パンチの制服の裾を掴んでいた。
そう、天珠だ。
中学の三年間、あの部屋からついぞ出ることのなかった彼女が、目の前にいる。今の彼女の姿と、過去のそれが重なったとき、パンチの胸に一つの感情が擦過していった。
(これは、、、そうか、無力感か、、、)
白い掛け布団に半分顔を隠した彼女を見下ろすパンチの目が、少しだけ冷めたものになる。
(結構、頑張ったんだけどな)
天珠はぱっと手を離し、ついには顔を完全に隠してしまった。
「それじゃ、よろしくお願いします、先生」
「えぇ、任されたわ」
美晴先生はそれだけ言って、興味なさげに記録のようなものを書き始めた。
▲▽
養護教諭というものは、医療従事者ではない。
あくまで学校の先生だ。
ゆえに、職務内容は病気を診ることではない。児童・生徒を診ることが本当であって、ここを勘違いしている人も多い。
だが、こと検校美晴という人物においては、あながち間違いでもなかった。
彼女は医師免許を持っていた。
そして、いわゆる教員免許も持っている。
非常に稀有な経歴を持つ人物だった。
しかし、ここはあくまで学校の保健室である。
養護教諭としての本質的な業務に従事しなければならない。
そうっ!!!!!!
____思春期に振り回される少年少女のいたいけな心を、言葉という包帯でつつみ、優しく未来へ送り出すこと!!!
____時に大人の女性としての魅力を醸し出し、
____時に母親のような母性を降り注ぐ。
____それこそが養護教諭としてのプロフェッショナリズム!!!
____見せてあげよう、養護教諭の本領とやらをっ!!!
美晴は咳払いを一つしてから、
「____九龍天珠さん、あなた天使のような顔をしているのね」
「近頃はよく言われます」
天珠は、先ほどまでとは打って変わって、温度のない声でそう答えた。
「でもね、さっきみたいなやり方は、良くないと思うよ。いずれ誰も、あなたの味方をしなくなる」
「さっき?」
「媚態、嫉妬、奸計、エトセトラ」
天珠の大きな瞳が鈍色に光り、美晴の唇を睨めつける。
「_____大人の女性にはお見通しってことですか?」
「違うわね、賢い女性には、ってとこかしら」
「パンチくんを手に入れられるなら、堕天したってかまいませんもの」
「あら、あなた知らない?」
「何をですか?」
「堕天使はね、あらゆる説や宗教間での違いを包括的にまとめれば、神を嫌い、そして人間をも嫌う、そんな可哀そうな存在なの。神を崇拝するがゆえに、人間に嫉妬し、人間より優れていると思いなす。そして、己よりも人間を愛する神をも嫌う。自己を誇りながら、みんな大嫌いだと叫ぶ、そんな存在」
「私もそうなると?」
「さぁ?あなたが本当に天使なら、そうなんでしょう。賢いあなたなら分かるはずよ。要するにね、神聖は比較の母だ、ということね」
「じゃぁどうすれば良いんですか?」
「簡単よ、ズレること。比較から相対へ、神聖から卑俗へ、それから重力によるスイングバイ、それが幸せに生きるためにあなたに必要なこと」
「意味が、分かりません」
「_____分かるときが来るわ、あなた賢いもの」
そう言って、美晴は「決まった」と、天井を仰ぎ見、つまようじを口に咥える。
本当は煙草が良かった。
でも、それ以外、完璧だ。
完璧にこの少女の心の柔らかい部分に突き刺さる、エスプリとウィットに富んだ、ペダンチックで衒学的なセリフを言い放ってやった。
これでこそ夢にまで見た養護教諭だ。
なぜか大衆娯楽に多い、底が見えない、不思議な雰囲気を纏う美人な保健室の先生。
決して主軸の話には絡まず、要所で煌めく脇役。
それになりたくて、医者を辞めてまでここに来たのだ。
(き、、、きもちぇぇぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!!!)
ぶっちゃけ、中学校在籍時に不登校だったことぐらいしか事前情報のない少女だったが、なんかこっちの会話の湿度に合わせてきやがった。
(堕天って、、、堕天ってっっ、、、くっくっくっ、、、こじらせっ!!)
堕天なんて言葉が出た瞬間、頭蓋骨のつなぎ目から脳汁噴き出してしまったよ。
(いくぞ、しかけるぞ、もういっちょ。さぁ来いっっ堕天、、、ぷっ、、、くっくっ堕天使よっ!!!)
「_____さぁ、ここは病人のための部屋よ、ほら、出ていった出ていった」
天珠はさきほどまでの様子が嘘のようにすっと立ち上がり、流し目で、
「仮病も心の病ですよ、先生」
「そうね、でも生憎、私は養護教諭なの、治療行為はできないわ」
「そうでしたね、ヤブの先生」
九龍天珠は、なんでもないかのようにすっと立って、保健室を出ていった。
美晴に快感だけを残して。
(い、、、逸材だわ彼女、、、きもてぃぃぃぃぃぃぃぃこれっ!!!)
▲▽
入学式にはぎりぎり間に合った。
だが、式の次第が進む最中、パンチの頭はこれからの高校生活の未来ではなく、すでに卒業した中学生活の過去に思いが飛んでいた。
最初は、美術部の顧問に呼び出されて、その存在を知った。
中1の秋ごろだったと思う。
丁度、生徒会書記に任命されたころだった。
『九龍天珠という生徒を知っているか』
と、談話室でそう言われた。
『九龍、、、?あぁ、イジメがどうとか問題になった』
いじめ偽造事件。
他のクラスの奴に聞いた限りでは、まず九龍天珠という生徒が入学以後、ひどい虐めにあっていたらしい。カバンが切り刻まれたとか、机に花瓶とか、落書きとか、そういうテンプレではあるが重めの虐めだったという。
だが、後になってそれが自作自演なのではないか、という噂が流れ始めた。
____教師が誰も犯人捜しをしない。
女子たちの内輪では、制服が汚いとか、フケがすごいとか、髪が油ギッシュとか、そういう類の忌避感はあったみたいだが、誰も直接的な手は出していなかったという。
パンチもその言葉は信用に足ると思った。
なぜなら、九龍天珠のいたクラスには、マリアが居た。
あいつは、イジメなんてものを許さないだろう。
それは確信に近かった。
そしてパンチも、その生徒には見覚えがあった。
前髪が長く、自分で散髪でもしているのか、あちこちガタついた髪型で、いつも前屈みで歩いていた。身長もまぁまぁあったから、余計に目立っていたように思う。
どこか亡霊のように廊下を彷徨っている姿を何度か見た。
直感、あれは虐めの対象にはなりづらいだろうと思った。
言い方は悪いが、虐めの対象には、多少なりともほどよい丈夫さが必要だ。
すぐに壊れるサンドバックなんて、誰も使わない。
無論、言い方は悪いが、、、。
「それでな、もちろん、先生たちも訪問するが、左近寺にもお願いしたいんだ」
美術部の顧問は、よくいる優しそうなおじいちゃんとか、おばあちゃんではなかった。むしろ体育の教師より体育会系の、いつもジャージに身を包んだ、生徒指導担当の教員だった。むしろ生徒指導が忙しすぎて、暇な美術部の顧問を美術教師と一緒にしている、というのが正解だろう。
「なんで俺、、、私、ですか?」
「お前は学年を引っ張っていく存在だろう。それに社会に出てからも、リーダーになっていく資質がある。その練習だと思え」
「いや、、、関係も薄いですし、、、」
「はぁ、、、お前、見損なったよ。お前を生徒会に推薦したのは俺の間違いだったのか?」
違うだろう、と言いたかった。
誰もやりたがらないから、一番無難で、扱いやすい奴を指名しただけだ、とパンチは思ったが、この生き方を選んだのは自分自身だ。
「分かりました、定期的に訪問すればいいんですか?」
「あぁ、まぁ週に1度くらい、プリントとか届けてくれ」
それが、パンチと天珠の出会いのきっかけだった。
あれを出会いと言うならば、の話だが。
▲▽
そこまで過去を振り返って、ここまで滞りなく進んでいた式次第が、若干の停滞を見せた。それでパンチもはたと現実に戻った。
一人の教員が、司会をしている教員に耳打ちをして、それから引き連れてきた一人の学生に目線を配る。
「新入生代表の言葉、新入生代表、九龍天珠」
「はい!」
本来は新入生が座る席から立ち上がる予定だったのかもしれないが、彼女は教員が並ぶ列の後ろで手を上げ、壇上に上がっていた。
(あれが首席か?)
(でも首席って意味ないらしいぜ、特進コースの半分は特待で入ってるから)
(普通科の一位の方が、特進の下の奴らより頭良いらしいしな)
(でも、かわいくね?)
(かわいいというか、やばくね、あれ)
(顔採用だろ、パンフレット用とかの)
(確かに、芸能人みてぇに頭小せぇ)
(背ぇ高けぇ、胸でけぇ、女神じゃん)
(いいなぁ、特進コースの奴)
(大丈夫だって、特進の奴らなんてガリベンしかいないんだから、相手にされねぇって)
(天使だ、、、)
(天使だ、、、)
(天使だ、、、)
講堂の中がざわつく。
教員たちもそのざわめきの理由が分かっているのか、若干溜息をついているようにも見える。
だが、あれは仕方ないと、パンチも思う。
あまりにも現実味のない、幽玄的な美しさが、彼女にはある。
ざわめきが収まらないのを見て、司会の教員がマイクに近づいたときだった。
「しぃ~~~~~~ね?」
九龍天珠が、その薄い桃色の唇に人差し指を立て、それからちょっとだけ首を傾げ、にこりと笑った。
それだけだった。
それだけで、彼女はこの場で、誰が強者かを思い知らせた。
全てが相対化した世界の中で、唯一、絶対の基準を持ちうるもの。
それは、
____美、だ。
そして、一転して、
「あれ、あれれ、最初の挨拶、ってどうするんだっけ?ペコリで良いのかな?あれ、緊張して忘れちゃった、すみませんすみません、かっこつかなくて、あぁ!校章に礼するんだった!」
と、慌てて台から降りて、くるりと背を向き、一礼する。
「ははは、ドジっ子かよ」
「天使だ、、、」
「あざとー」
「天使が降臨した」
「でもかわいいから許す」
「天使様のご高説を記憶に留めなくては!!」
「綺麗系かと思いきや、可愛い系でござった」
「天使系でござった」
「あれで頭良いとか、ギャップ・オブ・ギャップだろ」
「グレート・アドミラブル・パーフェクト、、、エンジェル!!略してGAPE、英語で口を茫然と開けて見蕩れることを意味します!!」
「特進って部活できるのか?マネージャーに欲しすぎる」
「人間をマネージメントする高位存在、そうそれこそ天使!」
「特進は部活NGだろ」
一つ一つのひそひそ声は小さくとも、集まればうねりとなる。
「あぁ!また!しぃ~~~ですよ、しぃ~~~!天珠がこれから話しますよ!ごせいちゅくに!!あっ、、、ご、静粛に、、、」
「噛んだ」
「噛んだな」
「ごせいちゅく」
「ごせいちゅく」
「ごせいちゅく」
入学式はそんなこともあって、予定よりも10分ほど遅れて閉幕となった。




