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第1話 天使とマリア

左近寺さこんじパンチの嫌いな人間、為人は明確に決まっている。

そしてそれは因果関係によって以下のように示される。


____自己肯定感の低い人間。


____自己肯定感が低いために、意志表示ができない人間。


____意思表示ができないために、他人の決定、評価に順々な人間。


____従順なために、表面上、優しい性格だと思われている人間。


こういう人間とは関わらないと決めている。

この類の人間は、傍目には可哀そうで、害のない人間に見える。

そこが罠なのだ。

彼らは、決して優しい訳ではない。

むしろ、他人のことなど何も考えていない場合がほとんどだ。

そして、往々にして、こういう輩はプライドだけは高く、周囲の目ばかりを気にして、自分では何らの努力もせず、称賛を得ようとする。


その最たる例が、左近寺パンチの母だった。


『きょうもパパ、かえってこないの?』


パンチの母、かおるは、満面の笑顔で答える。


『お仕事、頑張ってくれてるのよ、だから、パンチも良い子で待ってようね』


母はあたかもインスタ○ラムからそのまま飛び出してきたきたような、主婦(仮)のような姿だった。汚れのないブランド物のエプロンは花柄、濃すぎてほとんど病人のように見える白い顔、無害さとヘルシーさを表すような無地の白いブラウス。

それでいて「ズボラな主婦の家事メソッド」みたいな本を出版するような、そういう輩と瓜二つ。


『ちがうよ、パパ、おしごとちがうよ』


『いいえ、お仕事よ』


『だって、ママないてるよ、なんで?』


薫は目じりが切れるほど異様に瞳を大きくして笑っていたが、一筋、顎に向かって通いなれた道を通るように、すっと涙が流れていた。

子供ながらに、パンチはその涙に言い知れぬ恐怖を抱いた。


『お仕事、、、なのよ、、、おしごと、、、おしごとおしごとおしごとおしごとおしごと残業残業残業ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!』


薫は台所から洗い終わった食器を次から次にリビングに向かって投げた。

フローリングに弾けた陶器の欠片が、幼いパンチの頬を擦過して切りつける。

パンチは泣かなかった。

母のヒステリーはもう、聞きなれてしまっていて、耳になんの不快もなかった。


『はぁはぁ、、、はぁ、、、パンチはね、いい子、いい子だけど、いつも余計なことを言うね、いけないよ、駄目だよ、そんなんじゃ、パパに愛されないよ?立派な大人になれないよ?いけない子ね』


パパに愛されていないのは、いつだってママの方だ。

パパはいわゆるヤンキー卒、現場上がり社長だった。

仲間内と解体業社を立ち上げた、パンチから見れば、見た目は除きまぁまぁ立派な大人だった。

だが、母の薫は、「社長」としての現在の夫は誇っているが、「ヤンキー」であった過去は憎んでいたらしい。夫にスーツ以外の服を着ることは許さず、私服すらジャケットを強要し、パーカーなんて着ようものなら、ヒステリーでパンチの鼓膜が破れる勢いで金切り声を上げた。


『おい、薫。今日も遅くなるけど、いいのか?』


いいのか。

という聞き方に、無論、幼いパンチは言語的な違和は感じなかった。

だが、パパが欲している言葉は分かった。


_____いかないで。

_____早く帰ってきて。


5歳児でも分かったその父の欲求に、母は気づいても答えられない。


『え、、、えぇ、、、大丈夫よ。いつもお仕事、お疲れ様。あなたのおかげで、私もパンチも、おいしいご飯が食べられるんだもの、感謝しかないわ。無理だけはしないでね』


成長するまで、パンチには母の当時の言動が理解できなかった。

父の服には猛烈に意見を言うのに、なぜそういうときは何も言えないのか。


『そうか、、、あぁ、わりぃが、あとでオレの書斎、掃除しといてくれ』


『えぇ、もちろん。捨てるものがあったら、メールしてね。書類とかは勝手に処分できないから』


そうして玄関で見送ったのが、パンチが見た最後の父の姿だった。

どうやら、パパの捨てたかったものは、ママだったらしい。

幼稚園からバスで帰ってくると、いつも外で待っているはずのママがいない。

先生がインターホンを鳴らしても返事がなく、ただ玄関の鍵は開いていた。


『左近寺さ~ん』


と、先生が呼びかけると、


『すみませ~ん。手が離せないので、入れちゃってくださ~い』


と、遠くから返事があった。

パンチは先生に「さようなら」と母の分まで頭を下げ、廊下を行く。


『ママ?どこ?』


パンチはリビングを覗いたが、そこに母の姿はない。

トイレにも、和室にもいなかった。


『_____ママ?』


『あら、お帰りぃ、ぱんちぃ、、、』


『ママ、、、?』


ママはパパの書斎で天井を仰いでまた笑っていた。

両手で離婚届を広げ、まるで表彰でも受けたようにそれを掲げ、透かし見ながら。

書類やら、家具が散らばった山の真ん中で、哄笑がいつまでも響く。


後年、パンチはその姿を友人の弥々(やや)にこう述懐した。


『あれは、いわばミレイのオフィーリアへのアンチテーゼだと思うんだよね。狂乱は、あんなに美しいものであるはずがない、あってはならないっていう』


『実の母親で芸術鑑賞会みたいなコメントしないでね?』


とにかく、その時、薫はパンチの方を見ずに、こう言った。


『パパがお家にいて欲しいっていうから、専業主婦になったの。本当はもっと働きたかったのに。でも、パパは自立した女性の方が良いんだって、それっておかしいよね?パパのせいでママはこうなったのに、おかしい話だよね?それにね、ママは人の気持ちが分からないんだって、自分のことしか考えていないって。それもおかしいよね?こんなにパパとパンチのことだけ考えて、狭苦しい家の中に押し込められて、頑張っているのに、一番、他人のこと考えて生きているのに、、、パパ、おかしくなっちゃったのかな?所詮あんなやつ、やっぱりヤンキーのクズの低能だったんだね、、、やっぱりそう。最低の夫、なんであんな男を選んだんだろう。パンチはどう思う?ママ、駄目じゃないよね?頑張ってるよね?ねぇ!ねぇねぇねぇねぇッ!!!』


パンチはその一瞬で判断した。

この「女」は、否定した瞬間に死ぬ、と。


『ママは、がんばってるよ。パパが、おかしいよ』


『そうだよね!!あんな男、私たちの、ママたちの敵だよね!?そうだよね?』


『うん、敵。ガンバランカーキックで倒してあげるよ』


『ありがとう。でも暴力は駄目。いつからパンチはそんなに悪い子になったの?あなたはいい大学を出て、いい会社に入って、それから独立して、パパより稼いでね?それでパパを見返してね?ママを幸せにしてね?いい子でいてね?』


『ごめんなさい、いい子でいます』


これが左近寺パンチの他人の評価基準を醸成した一切合切のストーリーである。


▲▽


「ねぇ、あんた」


「____。」


東北の三月。

木に葉はなく、清閑として乾いた空気が、胸のコサージュを震わせる。


「あんたってばっ!!」


「_____。」


パンチの中学最後の仕事は、卒業生代表として答辞を読むことだった。

国語の先生から、


『あなたね、文章能力はあるけど、字がねぇ、字が汚すぎる。まぁ、むしろ欠点がそれしかないことに、大人としては若干の不安はあるけど』


『自分で読めればいいと思うのですが?』


『そうもいかないのよ。答辞の原稿って、学校で保管する決まりになってるの』


『それ、なんの意味が?読み返す人います?』


『さぁ?来年の代表とかだと思うけど。とにかく、代筆頼んどくから』


『代筆?あぁ、ならなんだっけ、名前、、、出てこないな、、、えっと、変な名前の、、、あ、天珠てんじゅ、九龍天珠。不登校の』


『九龍さん?なんでまた』


『ほら、俺ずっと、顧問の滝沢先生に九龍のことなんとかしてくれって頼まれてたけど、結局学校に連れてこれなかったし。卒業式もどうせ来ないだろ?だから、なんらかの形で参加できたらって』


『なるほどね、検討してみるわ。あなた、本当に、、、教師より教師らしいじゃない』


『よく言われます』


『褒めてないのよ、全然』


____。


結局、今日の今日まで原稿の清書は届かず、自分の下書きで予行練習などをこなす羽目になった。

だが、本番の当日になってようやく手渡された本原稿。

練習通り登壇し、堂々と読み進める。

チラリと目の端、保護者席の中に見えた、母の誇らしげな顔が、パンチの心に澱となった不快な感情をざくりとかき混ぜたときだった。


_____好きです。

_____大好きです。

_____こんな駄目な私でも、それでも、

_____あなたの傍に一生、私を居させてください。


蛇腹になった用紙、その最後。

ぱっと開いたそこに、そんな衝撃的なことが書かれていた。

保護者のための嘘泣きが、一瞬、その文字が飛び込んできたときに止まった。


____あれは、、、なんだ、、、?

____意味がわからない。

____いたずら?


「_____無視すんなっっっ!!このクソ野郎っ!!」


頭に衝撃が奔る。

思い切りグーで殴られた。

中学の思い出すべて吹っ飛ぶかのような威力だった。

さっきから誰か話かけてきているとは思っていたが____


「あぁ、、、マリアか」


「あぁ、じゃないのよ!耳腐ってんの?鼓膜ないの?耳石砕けてんの!?」


「耳石が寄与してるのは平衡感覚だ。聴力じゃない。そして砕けてるとしたらお前のせいだ」


「なによっインテリぶって!私に壊されるぐらいの耳石ならない方がマシだわ」


「脊髄反射で返答するなよ。言っている意味が全く分からん。壊すな。そしていかなる場合でもあった方がマシだ」


「私に叩かれてあなたも幸運ねって意味よ!!」


「あぁ、それはそうだ。幸運だ。叩かれるためならすべての耳石を差し出しても良い。前言撤回しよう」


「でしょ、、、で、、、しょ?」


「なんだ?」


「し、、、知らないっ!!叩かれて幸運なんて、あんた猫のお尻なの!?」


「まぁ、そうだな。端的に言えば性的興奮を覚える」


パンチは、「ほら、もっと叩け」とでもいうように頭をマリアの胸に押し付ける。


「きっ、、、!!!!き、気持ちわりぃんだよぉおぉ!!」


今度は回し蹴りの踵が蟀谷にクリーンヒットした。

さすが、公道最強の喧嘩師を父に持ち、あらゆる格闘技をその身に修めているだけある。

女版岡〇准〇みたいなものだ。

いつも授業中、暇になると見えない敵と格闘している。

なんか顔にたかるハエを必死に追い払うみたいな、奇怪な動きだ。

それに厄介なのは、男版よりも体格が良いことだ。

中学生にして、180センチ近い身長。

華奢ではあるが、しなやかな強さを持つ骨と筋肉。

真っ赤に染めた髪は長くして、左耳の上には星型のコーンロウ。

いわく、


『死スター・マリア』


巷ではそう呼ばれているらしい。

でも、パンチは知っていた。

自分の名前が父の愛するパンチパーマから名付けられたように、彼女の名前は聖母ではなく、平成の歌姫の名曲に由来していることを。


▲▽


マリア~~愛すべき~~人がいて~~


爆音と揺れで目覚める。

なんとなく嗅ぎなれた匂いがするのは、マリアの父のアル〇ァードに乗せられているからだ。


「おぉ!!パゥンチャァ!起きたかこの野郎!マリアにのされたんだってな」


マリアの父は、パンチのことを「パゥンチャァ!」と呼ぶ。

ちなみに、パンチの父いわく、それがネイティブな発音らしい。

運転席から、バックミラー越しにサングラスが光る。


「おじさん、ありがとう」


「えぇえぇ!お前の勝鬨かちどき、震えたで」


「勝鬨?」


「答辞のことでしょ」


三列目、パンチの後ろで外を見ているマリアが、興味なさそうにフォローする。

スモークガラスで何も見えなさそうではあるが。


「男たるもの、一番にならなあかん。中学でアタマ張ったのは、さすがあきら先輩の息子や。オレ、周りの親に言いつけてやったわ。アレが、ウチん娘の男やってな」


知っている。

マリアの父は、マリアよりもさらにデカく、200センチ、160キロの巨漢だ。

ほとんどアメフト選手といっても過言ではない。むしろアメフト選手よりデカい。

壇上から見えていたし、サングラスの縁から滝のように涙が流れているのも見えていた。

実の母の誇らしげな顔には不快を抱いたはずなのに、マリアのパパが自慢してくれたことはとても嬉しい。心というものは、複雑だ。


「恐縮っす、娘さんを僕にください」


「あぁ!?」


パンチは後ろから首根っこを掴まれ強制的に首を回転させられた。

そして、マリアに額をこすり付けられる。


「マリアァ!!チョーパ、、、あ、これ差別用語か。メンチ切んじゃねぇ!」


メンチ切るのは駄目で、回し蹴りでオトすのは良いのだろうか。

判断基準が分からない。

あと、本当に首がもげそう。


「パゥンチャァ!!いいか、単車の免許だけは取れ。単車に乗れない男を男とは認めん」


パンチはなんとか気道だけは確保して、


「か、かはぁああああああああ!!はぁ、はぁ、はぁ、はい!!高校に入って、6月の誕生日になったらすぐに普通二輪の免許を取り、18になったら大型を取ります!」


「ならいい!!くれてやる!!」


まるで、大学はどこに行き、就職はどこにします、みたいなことを言ってしまった。


「くれてやる、じゃないっ!!誰がっ!こいつのっ!嫁にっ!なるかよっ!!」


一言ごとにパンチの頭上にグーパンが振り下ろされる。


「あぁ、幸せ、、、、」


パンチはしかし、恍惚に浸っていた。


「ご褒美になってるっ!!?_____というか、、、ねぇ、、、その、、、あんた、、、、私のどこが、、、どこを、、、そんなに、、、す、、、す、、、す、、、、、、好いとーの?」


東北民にもかかわらず、なぜか福岡的な言い回しになっているマリアだ。

その顔は髪と同じ真っ赤に染まっている。


「気が強いとこ。意志がはっきりしているところ。自分に自信があるところ」


「回答はやっ!!!______そ、そっっかぁ、、、ふぅん、でも、結婚なんてしてあげない。第一、あんた私より弱いし。私は私より強くて、イケメンで、頼りがいがある男が良いの。あんたみたいなガリベンスプラウトじゃ話にならないから、勘違いしないでよね!高校でも話しかけないでね、ぜったいっ!仲いいと思われて、他の男が寄ってこなくなるとか、願い下げだから」


「それは無理。お前以外、考えられない。マリア」


「んぅっっっっっ!!!!______ば、馬鹿言ってんじゃないわよ、、、ほんと、、、最悪、、、」


~~マリア~~愛すべき~~人がいて~~


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~。


そして、高校入学から2か月。

六月の誕生日を迎えたパンチは_____。


「どうちた?どうちたの?天珠ちゃん、そんなに泣いて」


「ううん、、、なんでもないの、、、なんでも、、、だから、、、大丈夫」


「大丈夫じゃないよ、何がそんなに天珠ちゃんを傷つけてるの?」


「あのね、、、天珠ね、、、悪い子になっちゃったの、、、だから、パンチ君に嫌われちゃうの、、、それがね、、、あのね、、、悲しくてね、、、」


「嫌ったりなんかしないよっ!!絶対、絶対、嫌いになんてならない!天珠ちゃん以外、考えられないよ!だから、教えて」


「あ、、、あのね。天珠、、、ね。絶対に、パンチ君に怪我して欲しくないの。ご、ごめんっ!わがままだって、私の勝手だって、分かってるけど、、、でも、、、でもね、、、やなの、、、だから、、、ね、、、バイクの免許、、、取らないで欲しいな、、、って、、、ごめん!!!わがまま、天珠の勝手だよね、、、パンチ君のしたいこと、応援したいのに、、、こんなんじゃ、嫌われちゃう、、、マリアちゃんに取られちゃうっ!!!」


パンチは手に持っていた自動車教習所のパンフレットを盛大に引きちぎった。


「そうか、天珠ちゃんを泣かせていたのは、俺だったんだね、ごめんね、気づかなくて。大丈夫、免許、取らないよ。どうか、こんな愚鈍な俺を、殴って欲しい」


「殴るなんて、、、できないよ、、、じゃぁ、、、代わりに、ちゅ、、、チューして欲しいなっって、、、きゃぁっ!言っちゃったっ♡」


パンチと九龍天珠の濃厚なキスシーンは、クラスメイトの目に、それぞれのモザイクをかける。


「く、くそっ、、、俺らの天使が、、、あんなキスを、、、」

「お前、泣いてるぞ」

「お、、、お前だって、、、」

「ずるい、ずるすぎるぞパンチ、、、怒りで目の血管切れたわ、景色が赤く染まっていく」

「ああ、俺もだ、まるで夕焼けのようだよ」


これが男側の反応。

そして、


「、、、、、、キスの前、天珠ちゃん、明らかにマリアさんの方を見て笑ったよね」

「私、怖くてもう見れない、女なのに、女の怖さが怖い」

「ねぇ、これなに?霧?」

「違うよ、マリアさんの殺気、というか汗が蒸発したもの」

「スーパーサイ○人みたい、、、」

「マリアさん、どうしたの?なんでそんなマエ〇ン体操みたいな動きしているの?」

「なに体操?」

「マエ〇ン、元カープの」

「ちょっとマリア邪魔、腕の回転早すぎて、キスシーンがコマ送りに見えるんだけど。あと、他人のクラスでフィリピン武術の練習やらないでね」


女子側は怒りとは別の、不思議な恐怖に支配されてた。

そんなこともしらない渦中の二人は、


「天珠、頑張って高校に来て、良かったよ、、、きっと、またパンチ君と出会うためだったんだね」


「あぁ、運命だよ。きっと」


「ふんふんふんふんふんふんふんんんんんんんんんんんんんぅぅぅ!!」


この時、パンチは知らなかった。

これから始まる高校生活が、自分の思いとは裏腹に、まるで竜巻に囚われた葉のように、周囲の抗えない力によって無慈悲に運ばれていくことなぞ。


「おぉ、、、美しい、、、これが武の極み、か_____」


ボクシング部顧問かつ、次の授業の担当の先生が、教室に入るなり、そう呟いた。


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