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半死半生

 犬の鳴き声で目が覚めた。

 起き上がって庭を見ると、金色の犬と黒猫がじゃれている。それはそれは互いに嬉しそうで、声をかけるのも躊躇うほどだった。ガラス戸越しに苦笑しながら眺めていると、二匹の体が金色に光りだしたので慌てて戸を開けて叫んだ。

「いちこ!褒美や!」

 黒猫は一瞬こちらを見たが、何を言う間もなく光の中に消えていった。

 犬を次は人間に生まれるようにしといたけど、まぁええか…場所とか時期とか性別とかは知らんしな。縁があったら会えるやろ。

 さて、客は勝手に帰ったことやしもう一度寝ようと横になったがどうにも寝つけそうになかった。仕方なく起き上がり靴を履いて宿をでた。この靴は履くとなんだかフワフワする。どうやらいいクッションの高い靴らしい。雲の上には行ったことがないが、きっとこんな歩き心地なのだと思う。

 高い靴で踊りながら歩く。どうやらまだ夜明け前らしく近くに人の気配はない。地面には所々雪が残っていて、きっと冬の終わりだ。

「起きろ!陽斗!」

 戸締まりをしていない玄関を開けて叫んだ。二階からなにやら大きな音が聞こえ、すぐに若い男が転がるように階段を降りてきた。

「おは、おはよう、ございます。」

 陽斗はまだ起ききっていないぼんやりした顔で言った。

「うん。酒でも飲もうや。」

 そう言って靴を脱いで上がりこむと、後ろからパチパチという音が聞こえた。振り返ると陽斗が自分の頬を叩いていた。笑って勝手に居間のコタツに入る。前にここに来たのはいつだったか。まだ野々宮のじいさんが生きてた頃か。

 しばらくコタツで待っていると陽斗が盆に日本酒とコップを載せてきた。

「熱燗のほうがよかったでしょうか…」

「どっちでもいいよ。」

 そう言ってコップに酒を注いでもらう。まだちょっと寝ぼけている寝巻きの陽斗がなんだかかわいかった。

「すみません、着替えてきますね…」

 陽斗はそういうと二階へ戻っていった。それを待ちながらちびちびと酒を飲む。この家の居間は四方を襖や戸で囲まれている。外が見えないというのもこれはこれで落ちついていいものだ。

「先ほどはお見苦しいところをお見せし申し訳ございません。」

 陽斗はそう言って熱燗をコタツの上に置いた。顔を洗ったのか髪が少し濡れている。

「猫がさ、あっちにいったよ。」

 俺の言葉を甥は無表情に聞き流した。この男があの猫をなんだと思っていたのかは知らない。だが共に悲しんでくれる気はないようだ。

「……まあ、悲しむことでもないからな。」

 陽斗は何も言わず俺が手にしたお猪口に酒をついだ。熱燗もいい。酒はいいな。

「なぁ陽斗、いつ結婚するん?」

 陽斗の無表情が少し崩れた。

「結婚…は、考えておりません。生涯独身のままおやま様に尽くす所存です。」

「いや、お前俺より先に死ぬやん。困んねんけど。」

「そういう…ものですか?」

「うん。まあ俺に嫁がくればそれでもいいんやけど。誰かおる?」

 陽斗は心底困った顔をして宙を見上げた。おらんらしい。

「ちょっと遠くの町でも行って一人二人攫ってくる?」

「そういうのはちょっと…」

「上手いことやるで?」

「そういうのは無理です…可哀想です。」

「…陽斗は今どれぐらい親族おるん?」

「僕ですか?父と…父方の方は祖父母も健在ですし割といますよ。叔父叔母いとこですね。あんまり会いませんけど。」

「そいつら全員殺せる?」

「…………必要があれば。」

 陽斗は険しい表情で答えたが、それは嘘だ。そう答えるように教えられただけ。

「あんな、あいつが淋しいって泣きよんよ。」

「あいつ、とは?」

「シスコンが過ぎるやろって思うねんけど、親の記憶がないからもう姉が全てになってんねやろうな。可哀想やからな、そろそろ全部食うてやろうかと思ってな。」

「…そうですか。」

「だからな、最後にちょっと遠出しようかと思って。ついでに嫁見つけてきたら一石二鳥やん?」

「お嫁様は、その辺に落ちてるものではないと思いますが。」

「そこはイケメンがなんとかしてーや。」

 陽斗は嫌そうな顔を隠すように俯いた。

「野々宮のじいさんは独身やったけど、お前の母親がお前を産んだから問題なかってん。お前に兄弟はおらんやろ?」

「はい」

「みんな『おやま様』の為に生きた。口先だけで俺を制御できると思うなよ?」

「申し訳ございません。」

 陽斗が頭を下げる。だが今欲しいのは謝罪ではなく嫁だ。

「じゃ、今から行こか。」

「…どちらへ?」

「こいつがいってた学校?とかいう坊さんが一杯おるところ。」

「…かなり無茶苦茶遠いのですが。」

「車で行こーや。」

「数百キロですよ?!」

「がんばりや」

 笑って酒を煽ると、陽斗は頭を掻きむしった。そして覚悟を決めたように居間を出ていった。陽斗がドタバタと準備をしてるらしき音を聞きながら酒を飲む。

 あんまり泣くなや、元から死んでる女やんけ。そういうことちゃうの?あっそう。俺が新しい女見つけたるからさ、それで我慢しとき。それもまたちゃうの?でも興味はあんねんな。正直でよろし。

 意外に早く陽斗は居間に戻ってきた。

「連絡とかは途中でしますんで、行きましょう。明るいうちに着きたいてすから。」

 そう言われ急かされるように軽自動車に詰め込まれた。持って行こうとした酒は勘弁して下さいと取り上げられた。

 流れる景色を眺めているのは楽しかった。だが同時に少し息苦しかった。

「━━あの週刊誌の男どうなった?」

「えっと…自分の家の近くで倒れている所を発見されました。怪我もなく、本人が飲み過ぎたと言ったため特に事件にはなっていません。あれ以来ライターの仕事はしておらず、最近実家に戻ったそうです。例のことを口外する様子もないため、調査は打ち切ると先方から連絡がありました。」

 俺は無言で窓の外に目をやった。なんて都合がいい穴だろう。イライラする。

 途中で渋滞につかまり、現地に着いたのは夜だった。だだっ広い駐車場に車を停めると微かに線香の匂いがした。門の所には袈裟を着た四人の坊主と神官の服を着た男が一人待っていた。少ない。その内神官が一人、前に進み出て言った。

「遠路はるばるようおこしやすー。」

「変な言葉使うなや気持ち悪い。」

「いきなり来るって言ったきり何時間待たせるんですか、こっちだって暇じゃないんですよ。」

「えらい口のきき方やんけ。」

「私には宮山くんに見えてますからね。とにかくどうぞ。疲れたでしょう…運転。」

 神官は陽斗に優しく声をかけた。陽斗はペコペコと頭を下げている。

「━━センセイ?ちょっと話あるからきて。あと他の奴は坊さん百人集めといて。」

「どういうことですか?」

「穴を塞ぎたいねん。」

「…伺いましょう。」

「あ、あと嫁も欲しいんやけど。」

「そっちは聞かなかったことにします。」

 なんでやねん。どっちも真剣やぞ。

 勝手に敷地奥の寺の本堂に入る。かつて無茶苦茶掃除させられた場所だ。陽斗と他の坊主はどこか別の場所へ行ったようだ。暗く静かなお堂は沈黙が耳に刺さるようだった。

「暗いで」

 そう言うと先生は文句を言いながらろうそくをつけた。空気が少し柔らかくなる。先生が持ってきた座布団に座り向かいあった。釣り上がった狐目を眼鏡と笑顔で隠している男、五十ぐらいのはずだがずいぶんと若く見える。

「お久しぶりですね」

 先生が笑うと奴の情緒が乱れた。やりにくい。

「そんでな、穴やねんけどな」

「はい」

「知ってる?うちの裏山に穴空いたん。」

「いえ…それは霊的なものですか?」

「霊的かなんかは知らんけど、四次元ポケット風味やわ。」

 先生は腕を組んで考え始めた。知らんらしい。

「…たぶんあんたんとこの神様がやってん。」

「うちですか!?…それは、なぜ?」

「嫌がらせやろ。」

 それを聞いた先生はひどく困った顔で笑った。納得すんな、ボケ。

「もっと修行を積んで神格を上げろっちゅーことやろ?放っといてくれへん?」

「私に言われましても…」

「とにかく嫌やねん。閉じてや。」

「その為に、百人祷祀を行いたいと?それはさすがに儀式の私物化ですよ。」

「あかんの?」

「…力関係的にも無理でしょう。わかってるくせに。」

 まあな、でもほんまに嫌やねんけど。文句ぐらいは言いたい。

「じゃあ嫁ちょーだい。」

「…うちでは取り扱ってございません。ここは女人禁制ですよ。理由は教えましたね、宮山くん。」

 知ってる。出入り商人の娘を取り合って殺し合いが起きたり、よその寺から預かった大事な一人息子が駆け落ちで消えたりしたからだ。ここに修行にくるのは将来を期待されている奴が多い。それか俺みたいな神様系統か。

「宮山くん、なにかあったんですか?」

「…一人ぼっちに、なりました。」

「それは、淋しいですね。」

 返事をすると涙が出そうだったので、俺は無言で頷いた。

「お疲れのようですから、今日はもう寝なさい。」

 先生はそう言って立ち上がろうとしたが、俺は体が動かなかった。

「せんせぇ…俺はもう、失いたくないです。」

 俯くだけで涙がこぼれた。お堂のろうそくの灯が消えた。

「それはもう選べないんですよ。」

「いっこちゃんを、忘れたくない…」

「私が覚えています。強い人でしたね。」

 喪服を着た姉の強張った横顔を思い出す。姉はあの時、俺の姉であることをやめたんだろう。でも八歳の俺には、よくわからなくて。ずっと家族四人で暮らしたかった。まだ子供でいたかった。

「今日はもう寝なさい。疲れてるんですよ。ご飯は食べましたか?歯磨きセットは持ってきましたか?お風呂にも入らないといけませんよ。替えのパンツはありますか?」

 暗い中で目をゴシゴシとこする。そうか、この腹に力が入らない感じは、お腹が空いてるのか。

「なんでお腹、空くの…?」

「あなたはまだ半分人間だからです。自分の敷地をでたらただの中年男性ですよ。」

 中年…そうか、俺もう三十なんだっけ。

 暗がりの中にぼんやりと自分の手が見えた。八歳の俺の幻が消えて行く。

「まったくあなたの神様は優しいですね。まぁ優しいだけが取り柄ですもんね。」

「喧嘩売っとんのか、こらぁ!」

 先生はくすくす笑いながら立ち上がり、お堂を出て行った。俺は一人暗がりに残った。

 おやま様、長い間ごめんなさい。こちらから頼んで来てもらったのに。

 別にええよ。しゃーないやん、俺らは二人とも未熟過ぎたんよ。

 神の器としてこの身を捧げたはずなのに自我を捨てきれなかった俺と、優し過ぎて人間を乗っ取れなかった神様。

 哀れな迷子たち。




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