いっこちゃん
空から雪が落ちてくる。きっと今夜は積もるんだろう。俺は縁側でそれを見ながら言った。
「いっこちゃん、なんで俺にあんなことさせたの?」
いっこちゃんが起こさなければ、俺はあのライターとやらに会わずに過ごせたはずだ。なぜわざわざ。
「そりゃ、モラトリアムの終焉を告げる為よ。」
背後からチリンと鈴をならし黒猫が現れた。もう死んだらしい俺の姉。
「なんかカッコイイ感じで言えば誤魔化せると思ってない?」
「まさか、私は生まれながらにカッコイイのよ。」
二人で縁側に並び空を見上げた。暗くも明るくもない冬の昼間だ。
「いっこちゃんてさぁ…」
「そのいっこちゃんっていうの、なんでだったか覚えてる?」
「え?いっこちゃんはいっこちゃんでしよ?」
「お姉ちゃんです。あんたは何回言っても覚えなかった。」
「そんな昔のこと言われても…」
「そういう、昔話をしとこうか。たぶん、これが最後だから。」
姉の静かな声になぜか泣きそうになった。聞きたくないと思いながら無言で頷く。
「両親のこと、どれぐらい覚えてる?」
「何も」
「そっか…母はね、占い師で、父はその付き人だったよ。」
センチメンタルな気分が少し飛んだ。
「それは…思ったよりアナーキーな感じですね。」
「そう?顧客は首相経験もある大物政治家の先生。母はそのお抱え占い師だった。でもまあ…わかるでしょ?占いなんかじゃないの。だから母の言う事は全部当たった。だからその大先生は母を大事にしたし、あんまり質問もしなかったみたい。定期的に呼び出されて、大先生の奥様と一緒に四人でご飯を食べるだけ。たまについでみたいに写真見せられて『明日こいつと会うんだけど何しにくると思う?』とかね。母は『うーんこの人の頭の中は船でいっぱいですねー』なんて言うだけでお金もらってたみたいよ。私は毎回の豪華なお土産が楽しみだった。」
「それ俺がいくつの時の話?」
「私が生まれる前から…あんたが八歳の時までかな。事故で二人とも死んだから。大先生との食事の帰り道にね、車ごと海に落ちたの。まあ事故かどうか今も不明なんだけど。お葬式で大先生の若い秘書が教えてくれたんだ、母はあの日、初めて占いを外したんだって。」
「葬式の日に言うことかね。」
「そうね。でも事故ってことにして保険金が出るようにしてくれたのは大先生。私はそれなりに感謝してるわよ。今の宿がやっていけるのもその頃の伝手のお陰だし。」
「いっこちゃんはその時いくつだったの?」
「十八。大先生に母さんの跡を継げないかって聞かれたけど私にそんな力なかったから、普通に就職した。それで夫に出会って、結婚して、陽斗産んで、死んだ。」
「それはいくつの時?」
「死んだのは三十三歳…生き急いだよね。」
「俺はその時いくつ?いっこちゃんが死んだのは知らされてた?」
「あんたは二十三かな、十歳違いだから。あんたが私の葬式に来たかはわかんない。陽斗は知ってるんじゃないかな。」
「なんで死んだの?」
「病気。まぁ元々長生きできないことはわかってたから。」
「なんで」
「それはまぁ…宿命ってやつ?両親が死んで跡を継ぐのはあんただってわかった。私にできるのは世話役を生むことだけ。血に従うってそういうことだから。」
「なんで」
「なんでなんでってねぇ…そういうものなの!」
「なんで今は猫なの?」
「それはまぁ、モラトリアムというか、ささやかな反抗というかちょっとした休暇的な?楽しかったわよ、猫。魂の恋人にも出会えたし。」
「なにそれ」
「ふふふ…ゴルデンレトリバーのニコちやんです!」
「犬と猫?交尾できんの?」
「…あのさぁ」
なぜか急に気温が下がった気がした。
「あ、あれだろ!ここに一回ふらっと来てふらふら帰ってったでっかい犬。」
「かわいかったでしょ?あれはねぇ、私の思慕が漏れ出過ぎちゃって呼び寄せちゃったのよねー。さすがに私だけ死んでるのは寂しいから、ここで待ってんの。…ちなみにあの子もメスよ。」
口から出そうになった言葉を慌てて飲み込む。弟は姉を怒らせてはいけない、たとえ挑発されていても。
「そのこに会うと、いっこちゃんのモラトリアム期が終わるの?」
「そう。次はまたどっかの神様のために生きることになる。」
「その…恋人とはどうなるの?」
「たぶん次は会えないんじゃないかな。相当何回も生まれ変わらないと。」
姉の声に悲しみはなかった。ずっと前に覚悟を決めた横顔だった。
「俺の、モラトリアムって…」
「あぁそうそう。話したかったのはね、あんたが…一歳ぐらいの時だったかな?私を指差して『いっこ』って言ったのよ。母さんが私をいちこって呼ぶのを真似したんでしょうね。私も十一歳だからさ、ムキになって『いちこだ!』って怒ったんだけど、あんたは何回教えてもいっこってゆうのよ。でまあ、私も諦めて最終的にはいっこちゃんで手を打ったんだけどさ…そういうのを、母さんと父さんは笑って見てた。年齢的にも覚えてなくて当然なんだけど、どうしてもあんたに伝えたかった。私たち、家族四人で幸せに暮らしてた時期があったんだよ。」
落ちてくる雪を見上げながら想像してみる。顔のわからない両親と幼い姉が赤ん坊の俺を囲んで笑っている…
「へへ、顔がないとちょっとホラーだな。両親てどんな人だったの?」
「母は…明るくてなに考えてるかわかんない人だった。この村で生まれ育って弟が一人いた。両親…私たちからみたら祖父母は私が生まれる前に死んでるからよく知らない。」
「父さんは?」
「ここより北の、ここと同じぐらい田舎の出身で天涯孤独だって言ってた。母にナンパされて結婚したみたい。無口でなに考えてるかわかんない人だった。」
「うーん、ぜんぜん両親像が固まらない。」
「あんたは母親似、私は父親似。顔の話ね。」
胸の中の家族の肖像にぼんやりと明かりが灯った。そうか、俺は人から生まれて、愛されていたときがあったのか。
「…ありがとね、いっこちゃん。ちょっと元気でた。」
「よかったね」
「うん」
そのまま黙ってしばらく雪を眺めた。
ここは半死半生の宿、迷子たちがくるところ。そしてどこかへ旅立つところ。




