仕事の時間
長い憂鬱な夢から目が覚めた。あたまがぼーっとする。起きたくなかった。けれど起きなければいけなかった、仕事だから。
ガラス戸を開けて、庭を掃いている甥に声をかける。
「おはよう」
「おはようございます。まだ時間はありますので、ゆっくりしてて下さいね。」
時間…なんの時間だろう。シャッシャッと甥はリズミカルに箒を動かし枯れ葉を集めている。今は秋か冬か…よくみると俺自身も黒いセーターを着ていた。寒い季節は久しぶりだ。
「落ち葉をどうする?」
「これは昨日の雨で湿気ってるので、乾燥させてから燃やします。」
「ついでに人でも燃やすか?」
甥は一瞬驚いたように手を止めたが、また無言で庭を掃き出した。
「身内を燃やされるとな…最初は肉が食えんようになる。…でもそれも、いずれ慣れる。」
今度は甥の手は止まらなかった。今日は憂鬱な俺の気分に相応しい曇天だ。客なんぞに会いたない。
甥は黙って庭を端から端まで綺麗にした後、少し離れた所から言った。
「ではこれからお客様を車で迎えに行って参ります。」
「生きてるほう?」
「はい」
「いくら?」
「三百万すでに振り込まれております。」
「そんなもんか」
「…では、行って参ります。」
甥は丁寧に頭を下げ、屋敷の外へ消えた。果たしてどんなクソを連れてくるのやら。この頭の重さじゃ先が思いやられる。
縁側に寝転んで空を眺めていると、遠くで車が止まった。続いて甥と男が一人こちらに近づいてくる。すぐに息が上がるのは老人だからだ。死にたくないってやつか。
門の所に現れたのは、想像通りの憂鬱な奴だった。甥は男からなにかを受け取ると、そのまま中には入らず帰って行った。かわりに男がゆっくりと近づいてくる。白髪混じりだが丁寧に撫でつけられた髪、上等なコートとスーツ。柔和な笑みを浮かべた顔。重役を絵に描いたようなジジイだった。
「お目にかかれて光栄です。私◯◯と申します。」
コートの内側から出された名刺には、誰もが知る超有名メーカーの名前と役職だけ書いてあった。連絡先のない、下々に配る用の名刺だ。
俺はポイと名刺を適当に置いて、代表取締役とやらを見上げた。ジジイは自分だけが立たされている状況に慣れていないらしく、困惑の笑みを浮かべている。
「ご用件は?」
「ええと…先程案内の方には少しお話したのですが」
男はそう言いながら勝手に縁側に腰掛けた。
「実は最近、色々と不幸が重なりましてですね…見える方にうかがいますと、どうやら私の背後にとてもよくないものが憑いているというのです。その方ではとても祓えないたのことでしたので、こうして先生にお願いにあがった次第でございます。」
「心当たりあるでしょ?」
「いえいえ!若い頃は多少の女遊びはしましたが、昨今は枯れる一方でございます。」
男はそういうとやたらでかい声でアハハと笑った。
「女がいるってわかってんじゃん。」
男がなにか言おうとするのを遮る。
「あぁ…部下の嫁さんに手出したんだ。寝盗り?そーゆーのが好きなんだ。趣味悪いね。」
男の顔色が変わった。
「…どうやって調べたのか知らないが、それはもう済んだことだ。両者納得の上、円満に解決している!余計な口出しは止めてもらおう。」
「死人に口無しっていいたいの?残念ながら死人にも口があることもあるんだなぁー…あぁ、先に部下にお金払ったんだ。嫁さんは夫の出世の為に夫に売られたんだ。かわいそー、そりゃ恨まれるっしょ!」
男はポケットからハンカチを出して汗を拭き始めた。
「ねぇ、そのポケットに入れてるボイスレコーダー、止めた方がいいと思うよ?」
「いえいえこれは念の為に持ってるだけで、録音なんかしておりませんよ。」
「ふーん、別にいいけど…てかその部下はちゃんと出世して今専務にまでなってんだ?で、その奥さんは早くに離婚されていなかったことにされてると。酷い話だねー。」
「違いますよ、彼女も再婚して幸せな生活をしていたと聞いております。なんせ四十年も昔の話ですから。」
「普通の不倫ならそれでいいんかもしらんけどなー……うわ、あんた兄貴の嫁にも手出したの。病気やん。」
「あれは!向こうが誘ってきたんだ!」
「嫁はあんたの方が優秀だから、きっとあんたが将来社長になるんだろうねって言っただけだってさ。ただのお世辞やん。なんでそれを抱いてくれに変換しちゃった訳?」
「あの女は!ずっと俺を物欲しそうな目で見ていた!」
「アホか」
男は震える手で汗を拭っている。
「キレイで可愛かったから押し倒したんだろ?そしたな泣いて抵抗されて大興奮したんだろ?立派な変態です。…しかも子供まで産ませて。あんたの兄貴がアル中になって死んだのもあんたのせいだよ。」
「兄貴は…俺に出世で負けてアル中になったんだ。優しくて真面目しか取り柄がなかったから、跡取りのプレッシャーに負けただけだ。」
「そうだねー優しくて弟が好きだったから、あんたを責めることができなくてひたすら自分を責めて死んじゃったね。可哀想。ちなみにあんたが兄貴の子として産ませた娘も全部知ってるよ。知ってるから海外で元気にあんたの金を無駄遣いしてるよ。」
「…別にそれぐらいならいい。どうせあの一家は俺がずっと養ってるんだから。」
「金持ちぃー」
「もういいだろう。確かに彼等には酷いことをしたかもしれない。だが全部大昔の話だ。俺も結婚して遊び相手は玄人だけにしたし、それは妻も知っている。全部大金を払って後腐れなくやってきたんだ。なにより俺の人生の大部分を会社の為、引いては国のために身を粉にして働いてきたんだ。そういう企業戦士を労ってはくれんのか。」
「仕事するのと女に暴力振るうのはぜんぜん違う話だからね。あんたの都合でプラマイ0にしないでくれる?」
男は苦い顔で汗を拭いている。全く反省はしていなさそうだ。
「…それで本題の孫の自殺未遂についてだけど。」
「それだ!余計な話ばかりしよって、俺はそれを聞きに来たんだ!」
「あんたが可愛がってる孫息子ね、後継者にしたいんだってね。」
「あの子には才覚がある。我が社をさらに大きく発展させられる逸材だ。」
「気の所為だけどね…その子、あんたのお宝を見ちゃったんよ。それでおかしくなったの。」
「お宝?」
「そう。あんた秘蔵の泣いて嫌がる女コレクション。」
男が目を見開いた。
「まさか…見られるはず、ない…」
「普通はね。ただ、あんた半端なく恨まれてるから…恨みってのは時々あらゆる法則を捻じ曲げるんよ。」
「あれは…金を払ってそういう演技をしてもらっているだけだ!ごっこ遊びだ!」
「いやいや、兄貴の嫁と部下の嫁は本気で嫌がってたでしょ?」
「そ、それは、映像どころか、写真にも残ってないはずだ。見られるわけ…」
「そうだね、残ってるのはどっかから手に入れた普通の写真だけ。笑顔でもちろん服も着てる普通の記念写真。でも長い間あんたのオカズやったな。」
「やめろ!」
「孫が見たのはあんたの変態の記憶だよ。それはもうじっくりどっぷりと。死にたくもなるかもね。」
「やめてくれ!なせだ、なんでそんなことを、孫に…」
「人から恨まれるってそういうことやで。七代祟るってゆーやろ?それぐらいのことしたんよ。」
「そんな…そこまで恨まれてたのか…でも元気そうにしてたじゃないか!再婚したり!子供を生んだり!」
「なんでお前に見せつける為にずっと不幸な顔しとかなあかんねん。…もうええやろ。これからのこと話すで。」
「…これから?」
「一応金貰ったからな。…まず、ここからかえったら女の写真やら動画やらは燃やせ。燃えるゴミとかリサイクルとかすなよ?自分の手で、燃やせ。」
「もやす…」
「そう。燃やしたら孫は多少落ち着くから、そのままほっとき。あの子があんたの会社をより発展させるってのは、あんたの後ろにいるやつらが吹き込んだ妄想や。気の所為や。普通の子やからそっとしといたり。」
「ふつう…」
「あとあんたは早く死ね。」
「しぬ?」
「うん、長生きすればするほど恨まれるで。」
「だが後五年は働く予定で…」
「やめとき。あんたの一族がこの世から消えんで。」
「…………」
男は急に無表情になって遠くを見た。握りしめていたハンカチが落ちたことにも気が付かないらしい。
「━━いちこ、お客様のおかえりや。あいつ呼んできて。」
チリン♪と音だけして、猫が庭から消えた。男は無表情のまま、目から雫を垂れていた。
「…愛とか恋とか友情とか、敬愛とかはな、マッチの火みたいなもんやねん。燃え尽きたら灰が少し残って、それすらも風に飛ばされて消える。でも恨みとか憎しみは汚れやねん。べったりなすりつけられたら少々の雨じゃ落ちひんよ。」
「私は…どうすればよかったのでしょう…」
「あんなことせんかったらよかったな。もうどえしようもないけどな。」
「当時に…戻れたなら…」
「戻ったらあんたはまた同じことするよ。自分に期待すな。」
足音がして門のところに甥が息を弾ませながら到着した。
「迎えやで。そのハンカチは持っていってや。」
男は涙の跡をつけた無表情な顔で俺を見た後、のろのろとハンカチを拾い甥に向かって歩き出した。背中を見ながら奴が持っているボイスレコーダーがまだ録音中なのに気づいたが、なにも言わないことにした。穢れと長時間関わるのは疲れる。
甥は後日、あの男から追加入金二百万があったと言った。あと奴は社長業を退き出家したそうだ。いい歳して新たなコスプレごっことは情けない。まあでもどっかの神様が拾ってくれたら儲けもんやからな。俺は嫌やけど。
ここは半死半生の宿、迷子たちが来るところ。客は選びたいもんやな。仕事やから無理やねんけど。




