猫になりたい
玄関を控え目に叩く音で目が覚めた。あくびしながら戸を開けるとどこかで見たような地味な女が立っていた。
「こんにちわー、ご無沙汰しておりますぅ。」
女が笑顔で言う。
「えーっと……看護師さん?」
以前入院した病院にいた地味な人だ。「って、あれ?」
「そうなんです。死んじゃいましたぁー。」
女は何故か笑いながらそう言った。こちらも半笑いになりながらとりあえず中に入るよう勧めた。台所でお湯を沸かしながら彼女について知っていることを考える。
名前は聞いた気がするが忘れた。年齢は若いってことしかわからない。職業は看護師。出身はこの辺らしくここらを村と呼んでいた。
…あと姉が、生きてる若い女とお近づきになりたいならこの娘しかいないとか言ってたような。死んじゃったよオイ。
お盆に急須と茶碗を載せて戻ると女はニコニコと俺を待っていた。なんだか随分前と雰囲気が違う気がする。
「うわー、おやま様にお茶を淹れて頂けるなんて、死んでみるもんてすねぇ!」
「…粗茶ですが。」
「ありがとうございまーす。頂きまーす。」
なんとなくヤケクソ気味な明るさだな。
「ところで…なんで死んだんです?」
「あ、早速聞いちゃいますぅ?実はぁー…セフレの嫁に刺されましたー!」
女はなにが楽しいのか一人でゲラゲラ笑った。
「…酒でも飲んでるの?」
「飲んでないでーす。死人ハイでーす。」
聞いたことない言葉だな。
「刺されてショックだったんだ?」
「そりゃそうてすよー。死ぬかと思いました。あ、死んだんだった。」
テヘッと笑う女に軽い殺意を覚える。あ、死んでるんだった。
「それで?心残りとかあるんですか?」
「そりゃあ一杯ありますよー。二十二で死ぬとか早すぎだし。」
「それはちょっと早いかもね。」
「もうちょっと色んなことしたかったですよねー。まともな恋愛とか。」
「まともな恋愛じゃなかったんだ?」
「恋愛としてはまともじゃないですね。なんていうか、欲と欲が一致したってだけなんで。なんか下世話な気がする。」
下世話ね…よくわからないのでノーコメント。
「正直ここに来ても恋愛はできないと思うけど、どうすんの?」
「えー?どうしよ。私も気がついたら宿の前に居ただけなんで、別になにがしたいって訳でもないんですけど。」
「じゃあ家に帰ったら?実家この辺なんでしょ?」
「いやーそれはちょっと…さすがに…ねえ?悲しんだり怒ったりしてるんじゃないですかねえ…その最中に帰るのはちょっと…」
「怒られたくないから帰らないの?」
「そうですね。泣かれるのもキツイですし…」
まあそれはそうかもしれない。女は少し落ち着いたのか黙ってお茶をすすりだした。
「…あ、あいつに様子見てきてもらおうかな。」
女がポツリと言った。
「あいつ、毎日ここに来てるんですよね?今日は来ました?」
「あいつって誰?」
「陽斗です。」
はるとって…甥か。
「甥は…毎日来てるの?」
「私もよく知りませんけど…ここの従業員ですよね?」
従業員だったんだ。へー。
「俺あんまり覚えて無くて…その従業員ってのはこの宿の?生きてる人間がくる宿もあるの?」
「ありますよ。一泊で数百万取るって噂ですよ。」
「なにそれ。ぼったくりが過ぎない?」
「霊験あらたかなありがたいお宿で、縁が無いと予約が取れないとか聞きますよ。」
いい商売してんなぁ。それで金持ちとか…悪徳宗教団体みたい。
「ふーん、陽斗はそこの従業員なんだ?」
「そうですね。ただめったにお客さんとらないみたいで、暇な時は農業してますよ。うちの畑も時々手伝ってくれてます。…まだ思い出せないです?」
女が探るような視線を向ける。俺の入院中も医者や看護師は時々こんな顔をした。死んだのにまだ仕事するのか。意外と真面目か。
「じゃあまあ、行ってみますか陽斗のところに。」
え?と女は急に慌てた顔をした。自分が言い出したことだろうに。
「近所だし…こっちに向かってるなら途中で会えるかもしれないし。」
「そ、そうですね…でも私、死んじゃったから、あいつには見えないかも。」
「別に見える必要ないでしょ。俺が喋ればいいし。実家の様子が聞きたいだけなんでしょ?なんならここで待ってても…」
「いえ、行きます!」
女は前髪を直しながら立ち上がった。別に俺はどっちでもいいんだけどなと思いながら、連れ立って玄関を出た。
「あ、猫。」
女が見ている方向に黒い尻尾が見えたが、すぐ木の陰に消えてしまった。
「あの猫、陽斗んちの猫ですよね?こんなとこまで来てるんですね。」
陽斗んちの猫というか、俺はあれを陽斗の母親だと認識しているが…ああ、あの世とこの世の境界線がわからない。今はいったいどっちなんだろう。
「猫はいいですよね…私次は猫になりたい。」
女は山道を下りながら言った。
「猫になって、すっごい可愛がられながら生きたい。猫って生きてるだけで愛されるんだもん、羨ましい。」
「別にすべての猫が愛されてるわけじゃないんじゃない?」
「んーでも今の日本だと保護団体も一杯いて、みんなでなんとかしようって身を削ってボランティアとかしてる人いるじゃないですか。ほんっと羨ましい。私も生きてるだけで褒められたかった。」
女は独り言のように話し続ける。
「私ね、溺愛されたかったんです。もうデロッデロに愛されて見たかった。でも現実的には難しいんですよねー、世の中にスパダリはいないし、いたとしても私なんか好きにならない。私は特に可愛くないし特に頭も良くない。頑張っても普通の上あたりをウロウロするだけ。だったらもう、割り切って若さを売りにしようかなーと思って。おっさんたちに媚び売ってみたんです。そしたらまー釣れるわ釣れるわ。笑っちゃいますよ。ちゃんと清潔感と小金があるおじさんに絞りましたけど、それでも選べましたから。しかもみんな若いってだけで褒めてくれるんですよ、肌がピチピチだねとか。まじキショイっての!」
女は虚空を見ながら笑った。
「でも優しいんですよ。抱きたいから、若い体を抱きたいから。甘い言葉もこれでもかってくらいくれる。まあ言葉はタダですからね。優しい言葉だけで実際はなんにもしてくれないけど…まあ気分はよかったですね。最後には殺されましたけどね。」
女はそれきり黙ってしまった。見事なメンヘラっぷりに俺も言葉がなかった。
しばらく耕作放棄地を歩くと陽斗の家が見える。居るのか居ないのか、いたとしてもなんと声をかければいいのか。考えながらゆっくりと歩いていたのに、女は急にやたらと早足になって家に近づいていった。インターホンもノックもせずに勝手に庭に入っていく。追いかけると甥は庭でスニーカーを洗っていた。
「やっほー」
女がひらひらと手を振りながら陽斗に近づく。陽斗は驚いたように顔を上げ女を”見た”。
「…なにしてんだよ…」
「えー、こっわ!なに?怒ってんの!?」
女は過剰に陽気な声で陽斗をからかう。
「怒ってるっていうか…いや本当、何してんだよ…」
陽斗は俯いて頭を掻いた。イケメンは何をしても絵になるなぁ。
「それどっちの意味?死んだこと?不倫してたこと?」
「どっちもだよ…」
ここ辺で俺は物陰に隠れた。なんだかすごく見てはいけないものを見ている気がしたからだ。面白そうだから隠れて聞くけど。
「別にあんたに関係ないじゃん。」
「じーさんが悲しんでた。」
「それはまぁ…ごめん。なんであんたに謝ってるかわかんないけど!」
「俺だって悲しんでるよ。」
「そうなんだ…なんで?私のこと好きなの?」
「そういうんじゃなくてさ、小さい頃から知ってる人間が死んだら悲しいだろ。」
そういうんじゃないんかーい!気づけよ甥っ子!そいつ絶対お前のこと好きだろ。
「ふーん、つまんないの。」
ほらみろ、女が泣きそうな声してるぞ。
「で、何しにきたの?おやま様まで引き連れて。」
バレてた。
「ええっと…村はどうなってるかなって思って。やっぱ警察とかマスコミとか来た?」
「俺の知る限りじゃ来てない。ただおばさんがかなりまいっちゃってるから弔問とかはお断りするって言ってた。まあ村の人間はそれでも行ってたみたいだけど。俺は行ってないからわからん。」
「もうお葬式も終わってるんだ…」
「初七日も終わってるよ。ちょっとずつ元に戻り始めてるところ。」
「ふーん、私が死んでもその程度なんだねー。取るに足りない存在だったんだな…」
「いい加減にしろよ。」
陽斗の声に少し怒りが滲んだ。
「おじさんやおばさんにもあんな迷惑かけといて。」
「迷惑?」
「迷惑って言うか…娘が売女まがいのことしてるなんて、聞かされた方の身にもなってやれよ!」
「売女って…私お金なんか貰ってないけど。」
「でも人の旦那さんに手出したんだろ?そんな事するから刺されるんだよ。」
「別に私から口説いた訳じゃないし!」
「言い訳だよ。既婚者と付き合うなんてどうかしてるよ。」
「古いのよ陽斗は!私はちゃんと迷惑かけないように大人の付き合いを…」
「はいはい!ストーーーップ!!」
俺は大声を出しながら二人の間に割り込んだ。あまりにも不毛すぎる。
「あのねキミたち、これが最後の会話になるってことを考えて喋ってくれる?本当にこんな終わりでいいの?」
二人は目を反らして俯いた。
「じゃあ会話を整理するよ?まず陽斗は残された彼女の家族の為に怒ってるんだよね?」
陽斗は無言で頷いた。
「でもそれってもう言っても仕方ないよね?過去は取り消せないし、この子はもう死んでるんだからやり直すこともできない。そうでしょう?…あとキミ。。」
「ミエコです。」
「ミエコは陽斗に言いたいことあるんでしょ?不倫とかセフレとかどうでもいいから、昔から思ってることいいなさいよ。」
ミエコもちょっと不服そうな顔をして黙った。
「じゃあ俺行くから。終わったら宿に戻ってね。」
まるで世話焼きおばさんだなと思いながら二人を残して宿に戻った。告白して甘酸っぱくなって成仏すればいい。
俺は宿で仮眠をとろうとしたが、なぜか一向に眠れなかった。いつもなら目を瞑るだけですぐに意識がなくなるのに、今日はなんど寝返りをうっても眠れない。辛い。
「いっこちゃーん…」
姉の名を呼ぶと、チリンという鈴の音と共に黒猫が現れた。どこから出てきたとかは多分考えてはいけない。
「何?」
「いっこちゃん、眠れないよ…」
黒猫は盛大に鼻から息を吐いた。猫式のため息らしい。
「そりゃ客がまだいるんだから眠れる訳ないでしょ。」
「でも宿には今いないし。」
「関係ない。ってかあの子は広い目で見れば身内だし。」
「そうなの?」
「狭い村だからね。逆上ればだいたい親戚。」
「親戚だとなんなの?」
「あの世とこの世の境目を普通よりウロウロできる。」
「…それって怖い話?」
「そうね、この土地がどんたけ我々の先祖の血を吸ってるかってことだからね。」
ちょっと何言ってるのかわからないけど、多分すごく怖い話だ。
俺は眠るのを諦めて縁側で若い二人を待つことにした。猫もどうやら付き合ってくれるらしく、少し離れた所で毛づくろいを始めた。
「いっこちゃんは自分の息子が告られてる様子は気にならないの?」
「ならない」
「やっぱ昔からモテモテなんだ…」
「私あの子が中学の時に死んだからよく知らない。」
「早いね」
「まぁ寿命だったから。」
姉はそれだけ言って丸くなって眠り始めた。ズルい。
「もうちょっと喋ろうよ。暇なんだよ。」
「あんたの仕事でしょ。」
姉はそれきり返事もしてくれなくなった。猫はいいな、俺も猫になりたい。
ため息をついて空を見上げる。太陽の位置が少しずつずれているので時間が動いていることはわかる。でもあいつらがいつ来るのかはわからない。管理人って仕事も大変だ。やっとられんわ。
ここは半死半生の宿。迷子たちが来るところ。




