※イケメンに限る
なにかの気配で目が覚めた。明るい天井、いつもの畳の部屋。あくびしながら体を起こす。ぼんやりと庭の方を見ると、半泣きの女が外からこちらを見ていた。
女は何かを叫びながらガラス戸を叩いている。外が明るくてよかった。夜中ならホラーだ。
「なにか…用ですか?」
恐る恐る戸を開けると女はその場にへたりこんだ。
「やっと…やっと、、出て来てくれたぁ。」
ぐずぐず鼻を鳴らしている女をこちらもしゃがんで眺める。若くもなく年寄りでもない女だ。黒くて真っ直ぐな髪と地味な服。道ですれ違っても全く記憶に残らないタイプだ。
「お待たせしました…お客さん、ですか?」
自分の質問に自分で首を傾げる。何か変だ。
「わかんないですけど…私、ここから出られないんです。」
女はそう言いながら立ち上がった。中肉中背、顔は可愛くもなく不細工でもない。
「出られない?…まぁとりあえずこちらへ」
どうぞと縁側を指差すと、女は会釈しながら座ろうとして…何かにぶつかった様に後ろへよろけた。
「え?」
慌てて女がぶつかったらしき空間へ手を伸ばす。だがそこには何もなかった。
「さっきから、こうなんてす。何もないのにここの敷地から出られなくなって。」
「あなた…どこから来たんです?」
「わからないです…気がついたら山に囲まれた野原みたいなとこにいて、なんとなく歩いてたらこの家があったんで、入ってみたら出られなくなって…」
女はまた泣きそうな顔をした。
「あなた、まだ生きてますね?」
「……一応、そのつもりです。」
泣いていた女の顔が一瞬で不審者をみる目つきに変わった。どっちかというと勝手に敷地に入ってくる方が不審者だと思う。
「えっと…玄関の横の看板見ました?」
「はい。宿なんですよね?」
「そうですね、ここは半死半生の宿といいまして、僕は管理人てす。でもここ、本来は死人が来るとこなんですよ。」
女の顔がみるみる青ざめた。
「えっ、じゃあ私…」
「あ、おねえさんはまだ死んでないと思います。だから不思議なんですよ、何しに来たんです?」
女の視線がふらふらと宙を泳ぐ。わからないらしい。
「…もうすぐ死ぬご予定で?」
「縁起でもないこと言わないで下さい!」
今度は怒った。表情がよく変わる人だ。
「あぁもう…疲れた…」
女はそう言って縁側の前にある沓脱石に座って俯いてしまった。
「…ここ、どこなんですか…?」
「あの世とこの世の境目辺りです。」
「やっぱり私、死ぬんですかね…」
知らんがな。こっちとしては死んでから来てほしい、ややこしいから。
「結婚したかったなぁ…いや、その前に彼氏の一人ぐらい作りたかった。この歳で誰とも付き合ったことないって、終わってますよね。」
「いくつなんです?」
「三十一歳…そうか、もういっそのこと来世に期待ってことでいいのかも。」
女は力なく笑った。
「諦めるには早い年齢だと思いますが。」
「平安時代なら老人ですよ…」
一瞬そんな昔の人なのかと思ったが、どうやら面倒くさい自虐らしい。
「理想が高いってやつですか?」
「それ皆に言われるんですけど、別に普通ですから。普通に働いてる優しい人って、そんなに難しいてすか?」
「そこに※イケメンに限るとか設定してるんじゃないてすかぁ?」
「してません!そういうのはアイドルで満足してます!」
「じゃあなんで俺を除外するんですか?」
女はまん丸な目で俺を見上げた。
「…えっ?」
「俺も三十歳、独身、彼女なしですけど。」
女はあっいやそのとかなんとか言いながらそっぽを向いた。少しだけ耳が赤い気がする。
「あの、管理人さんは…普通の人てすか?」
しばらくして女は上目遣いで聞いてきた。不安と期待がごちゃ混ぜになった目だ。
「なにをもってして普通というのかわかりませんが、自動車免許は持ってますよ。」
わざとはぐらかすと女は少し嬉しそうな顔をした。俺のなけなしの良心が痛んだ。
「…さて、一応管理人なんで出られないっていうのを確認させて下さい。あの門から入ってきたんてすよね?」
立ち上がって門に近づくと女は大人しく後をついてきた。
「この門から入ったけど出られなくなったと…」
女が頷くのを見てから俺は門を通り過ぎた。門といっても石の柱が二本、三メートルほどの間隔で置いてあるだけなので通行を遮るものなど何も無い。
「来られます?」
門の外から女を呼んだが、女は何も無い空中に手を当て首を振った。
「ここに壁みたいなのがあるんです。この宿の周りにぐるっと…どこにも隙間がなくなって。」
女はまた泣きそうな顔になった。その顔を見ながらゆっくり門の中に戻る。俺には壁なんて全く感じられない。
「ちなみに、宿の中に入ろうとは思わなかったんてすか?鍵かかってなかったと思いますけど。」
「え?全箇所鍵かかってましたよ。だから外から大騒ぎして管理人さんを呼んだんじゃないですか。もう全然起きてくれなくて泣きそうでしたよ。」
これは完全に招かれざる客ということか。本当、何しに来たんだろこの人。
することもないのでなんとなく二人で宿の周りを歩く。宿の横は車が何台も停められそうな空間があるが、今日は車は停まっていなかった。宿の裏にまわると山からの水を溜めたコンクリートの生簀がある。
「キレイな魚ですねー」
女が水の中を覗き込む。いつもこの生簀の中は川魚が数匹泳いでいるが、今日はやたらとギラギラした魚が泳いでいた。
「…なんか不味そうですね。」
「え、食べるんですか?」
「普段はもうちょっと美味しそうなので。…あ、この水飲めますけど、飲みます?」
「…こういう所のものって口にしていいんでしたっけ?なんか食べちゃダメなパターンと食べないとダメなパターンがあった気がしますけど。」
食べちゃダメなのは日本神話にあった気がするけど、ここは黄泉の国扱いなのか?
「死んだ妻を迎えに行ったのに既に黄泉の国のものを食べてたからダメだったっていう話ですか?誰か探しに来てくれる予定あるんですか?」
「ありませんけどー…」
女は不貞腐れた顔で水面を弾いた。
「確かに私は遠くまで迎えにきてくれるような彼氏も夫もいませんけどー、そういう言い方ってないんじゃないかと思います。」
「すみません」
「別にいいてすけどー…」
女はしゃがみこんだまま魚の前から動こうとしなかった。風で髪がなびいて揺れる。白い頬が光を受けてひかる。この人は、生きてるんだなぁ…
「そういえば、この宿は定期的に甥が来るんですよ。来たら送っていってもらうといいですよ。甥、イケメンだし。」
「別に今は顔どうでもいいてすけど、何時ぐらいにくるんです?」
女は自分の腕時計を見て「あ」と言った。
「時計停まってるの忘れて何回も見ちゃう…」
「電池切れですか?」
「どうなんでしょ?ここに来てからずっと九時前なんですよねー」
女はほらっと俺の目の前に手首を出した。赤いバンドのアナログ腕時計だ。八時五十七分ぐらいだった。秒針が見たくて軽く腕に手を添えると、触れた瞬間その場所が輝いた。
「え、なんか今、光りました?」
女は慌てた様子で腕を擦っている。なぁんだ、触れることもできないのか、つまんないの。
「やっぱ俺に出来ることは何もなさそうです。がんばって下さい。」
「えっ?…は?」
女に背を向けて宿の中に入ろうとすると女が叫んだ。
「ちょっと待って下さい!私、これからどうしたらいいんですか!?」
「だからイケメンがくるから待ってたらいいんじゃないですか?」
「いつ来るんですか!?」
「知らないけど…その内来るでしょ。」
「さっきイケメンを待つなって言ったじゃないてすか!」
「甥はたまたま生きてるイケメンなだけで…大丈夫ですよ。」
「え?つまり管理人さんは、死んでるんですか?」
おっとそれはセンシティブな質問だ。それ以上はダメだ。
「…とにかく、俺に出来ることはもうないので。」
「待って下さい!」
女が至近距離まで近づいてきたので慌てて後ろに下がった。
「ここに来てからずっと一人で心細かったんです。お願いだから一緒にいて下さい!」
半泣きの顔はかわいいが、所詮※イケメンが来るまで、だしなぁ。
「別に俺がいたって…」
「お願いします!こんな、時間が止まったみたいな場所、一人でいられません…」
鼻をすする女に少し同情して考えていると、女は急に俺の腕を掴もうとしてきた。慌てて避けて二メートルの距離をとる。俺に触れると成仏するぜ?せっかくまだ生きてるのに。
「…もういいです。」
女は俺から離れて生簀の脇にしゃがみこんだ。すぐ座るやつだな。どんだけ体力ないねん。
女は一人だけ日陰に入ったように、急に光を失った。全体が灰色がかって動かなくなる。これはよくない。ここに来た死人は光に包まれて消えると成仏、闇に包まれて消えると闇堕ちして消えていく。生きてるのに闇堕ちはダメだろ。
しばらく離れて見てると女の陰はどんどん濃くなっていく。これはヤバい。ヤバいけどどうすりゃいい?いっそのこと成仏させる?
俺は迷いに迷ったあげく、台所から鍋を取ってきた。鍋に生簀の水を入れ、女の頭に投げかける。すると女が消えた。
え?
慌てて辺りを見回すが、あるのは濡れた地面だけで女の姿はない。は?水かけると消えるタイプ?水溶性だったの?
キョロキョロしていると、走る足音が聞こえて甥が宿の脇から登場した。遅い。
「あの…なにかありましたか?」
甥は真っ直ぐに生簀に近づいてしゃがみこんだ。俺をチラリと見た後、先程まで女がいた辺りに手を伸ばす。
「えっ?あっ…」
甥は伸ばした手をダラリと下げ、もう一度俺を見上げた。
「彼女、死んでる人でした?」
「俺の見立てではまだ生きてたけど。見えたの?」
「はい。悲鳴が聞こえて駆けつけたら、びしょ濡れの女の人がいたので…助け起こそうとしたら、変なこと言って消えました。」
「変なことって?」
「ほんとにイケメンだ…とかなんとか。」
結局それかよ。
「すみません、お邪魔してしまいましたか?僕生きてる人と死人の区別が時々つかなくて。」
なんか怖いこと言ってんな。
「…別にいいよ。ただの迷子だし。」
手にぶら下げている鍋がなんだか恥ずかしくなってきた。
「でもまぁ、可愛かっただろ?今の子。」
「そうですか…?」
不思議そうな甥の顔にもっと恥ずかしくなってきた。
「うん、まぁじゃあ、俺寝るから。」
まだ外は明るいが俺には関係ない。裏口から宿に入ろうとして、ふと思いついて聞いてみた。
「なぁ、今何時?」
「今ですか?…ちょうど九時です。」
止まった時間が動き出したから彼女は元の世界に戻れたんだろうか。よくわかんないけどまぁ、生きてたらいいな。生きてる方がいいからな。
甥に短く別れを告げ宿の中に戻った。世界から音が消える。校庭に犬が迷い込んできたみたいなイベントだったな。疲れた。
畳の部屋に寝転んで庭の方を見る。ついさっきあのガラス戸にへばりつく女を見た気がする。でも全部夢だったのかもしれない。知らんけど。
目を閉じて全てを忘れることにした。
ここは半死半生の宿、迷子たちがくるところ。




