ボール
夜中寝ている最中に体を揺さぶられ起こされた。
「すみません…あの、こんなところで寝ちゃダメです。起きてください。」
渋々目を開けると、暗闇に坊主頭の男が座っていた。誰やねん。
「あ、寝ないで…あの、こんなとこ勝手に入っちゃダメですよ。」
ここは夕方着いた宗教施設の寮だ。ここの先生からこの狭い二段ベッドの下で寝ろと案内されたのだから、文句を言われる筋合いはない。
「勝手やない。先生に聞いて。」
「どの先生ですか?」
「あの…ハゲた先生。」
「ここにおられる方はほとんど剃髪されてます。」
「やなくて。宮司の。」
「竹田先生は現在入院中です。」
男の声の警戒度が上がった。完全に不審者を見る目で俺を見ている。騒がれそうなので俺は仕方なく体を起こした。暗がりに慣れた目で見ると、男は案外若そうだった。生徒か?
「そんなんゆわれてもさっきおったし。帰ってきてたんちゃう?」
「それはありません。」
「あんたには内緒やったんかもよ?」
軽い気持ちで言ったが少年は俯いてしまった。なんらかの地雷を踏んだらしい。なんやねん…
「自分、神様系の生徒?」
少年は黙って頷いた。ここの宗教施設は特殊で寺と神社が同じ敷地内にある。とはいえ九割方が寺の組織なので、神様系は少人数で固まっているのが常だ。つまり…
「ハミゴか」
少年は一瞬顔を上げたがまた俯いてしまった。暗闇の中で唇を噛み締めているのがわかる。面倒なことに関わってしまった。俺、寝てたのに。
どうしたもんかと考えていると、少年の首の後ろから白くて丸い物が現れた。ふわふわと動いてまた少年の背後に消えた。
「なにそれ?」
少年はやっと顔を上げたが何も答えなかった。
「それ、丸くて白いの。」
「あぁ…見えるんですね。さすがですね。」
少年はどことなく投げやりに言うと、手の平に白い物を載せてこちらに差し出した。野球ボールぐらいの白い塊だ。掴もうとするとするりと逃げて少年の背後に隠れた。
「…なんなん?」
「なんでしょうね。生まれた時から一緒にいるんですけど。」
「神様…?とまではいかんのか。お化け?」
「わかりません。…お客様も、お嫌いですか?」
「いや別に…」
興味はあるけど今のところ好きでも嫌いでもない。
「うちの実家の神様はこいつが嫌いでした。ここにいる神様も、こいつが嫌いみたいです。」
うつむく少年の肩に白い塊が飛び乗って、そのまま首筋にぴたりと寄り添った。え、可愛いやん…
「害のない生き物に見えるけど。」
「害はないですよ。ただ僕の周りをふわふわしてるだけです。小さい頃は本当にただのボールだと思ってました。どこに投げても勝手に戻ってくる便利なボールだと。」
白い塊は肩から腕へと滑り落ち、少年の手の中に収まった。
「可愛いやん」
そう言うと少年は初めてはにかむように笑った。
「悪い奴じゃ、ないです。」
「神様に嫌われるってなんなん?そいつ自体にはなんの力もないやろ?」
「神様のお考えは僕にはわかりません。ただ…うちはそれなりに歴史ある神社だったんですが、僕がお宮に近づくと神様が怒るから来るなって言われてました。」
「あー、それでここ来たんや。」
「はい」
ここに十代のうちから修行にくるのはだいたい訳ありだ。神様系は特に地元じゃどうにもならなくなった問題児が集まる。かつての俺がそうだったように。
「狭量な神様やな。」
「…わかりません。ただ、こちらの神様にも嫌われたとなると、もう、私が悪いとしか…」
うつむく少年の手の中で白い塊はもさもさと動いている。いいな、俺もそれ欲しい。
「ここの神さんは偉そうやからな。あいつ多分俺のことも嫌いやで。」
「偉そうじゃなくて偉いんですよ。」
少年は少し笑った。
「それ、いらんのやったら貰ったろか?」
「…子供の頃、ボールがしばらく居なくなったことがあるんです。それまで寝る時には必ずそばにいたのに、あまりにも不自然で両親に聞いた所、祖父が隠してたらしいんです。怒っても全然聞いてもらえなかったんですけど、一週間後にボールは戻って来ました。どうやら実家の神様の封印を破ったみたいです。だから、たぶんこいつは何をしても僕の所に戻ってくるんだと思います。」
「なんか約束でもしたん?」
「どうでしょう…母親曰く赤ん坊の時から握りしめてたらしいですよ。たまに齧ってたって。」
「生まれる前からか」
「わかりません。母は僕が見えないものと遊んでるのを見て最初は心配したらしいんですが、あまりにも楽しそうなので見守ることにしたと言ってました。」
少年は両手で白いボールをコロコロと移動させている。
「それ、触っていい?」
そう聞いた途端、少年の手からボールが消えた。
「…嫌みたいですね。」
少年が辺りを見回しながら言った。
「あーやっぱり女やな。」
「何がです?」
「そのボール。前世の添い遂げられへんかった彼女やろ。神様の為に死んだから願いを一つ叶えてもらった的な?」
少年は複雑な顔をして固まった。うら若き少年には彼女が白いボールというのは受け止め難いのだろう。
「一応神聖なもんやけど、俗っぽさが抜けてへんから偉い神様は嫌いなんやろな。」
少年が天井を仰いでいる間に、白いボールはこっそりと少年の手の中に戻っていた。これを純愛と見るかストーカーと見るかは少年次第だ。
「……僕は、何も覚えてないです。」
「覚えてる必要はないよ。目の前にあることが全てだから。」
俺はキリッとした顔で言った。今すごく神様っぽいことを言った気がする!
俺の興奮とは裏腹に少年は静かな目で手の中のボールを見つめていた。
「……では、あなた様がここにいらっしゃったのも意味があることなのでしょうね。」
「残念ながらな。」
ここはヒト使いの荒い神様のテリトリーだ。自分で言えばいいのに。
「眠りを妨げましたこと、どうぞお許し下さい。わたくしはこれにて下がらせて頂きます。」
少年は丁寧に頭を下げた。
「ん。俺は昼まで寝るからな。ぜんぜん寝てへんねんから。」
少年は承知したと言って部屋を出て行った。俺はそれを見送る間もなく眠りに落ちた。
眠ったと思った瞬間に体を揺さぶられ起こされた。薄目を開けるとまた坊主頭の作務衣を着た男が横にいる。
「もう朝ですよ。いいかげん起きてください!」
「昼まで寝るゆうたやろ…」
「なんのことですか?さすがに早起きしておつとめをしろとは言いませんが、寝坊はいけませんよ!」
揺さぶられて渋々目を開ける。カーテンの隙間から光が漏れて男の顔がよく見えた。老けたな。老眼鏡と皺が追加されている。
「せんせー、嫁さん元気?」
「嫁?いえ、私は…」
「覚えてる必要はないよ。目の前にあることが全てだから。」
そう言って布団を被ると先生は長い間なにも言わなかった。放っておいてこのまま眠ろうとした時、先生は静かな声で言った。
「最近はね、ずっと服の中で隠れてるんです。彼女のせいで一人ぼっちになったと思ったこともありましたが、今は彼女のお陰で私は一人ではないのだと思えるようになりました。……二時間後に起こしますね。」
「早いわ!もっと寝かせや!」
起き上がって叫んだが、先生はそのまま部屋を出て言った。俺ほんまに寝てへんのに…
少しでも寝ようと慌てて布団に潜り込む。目を瞑ってふと考えた。
迷子だったのはいったい誰だろう?
ハミゴ=仲間はずれ




