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はずれいし

 目覚めるとやたら近い位置に天井があった。部屋は薄暗いしちゃんと布団を被っている。

 しばらく考えてやっとここが寮だということを思い出した。ここ外石寺は修行僧を随時募集している。一泊二日から年単位まで、歳は十二歳から上限なく受け入れている。この寮は長期滞在者とたまにくる偉い人が主に使用している。

 二段ベッドを抜け出しカーテンと窓を開けた。冷たく湿った山の匂いとお香の匂いがした。遠くには読経も聞こえる。

「寺って感じ。」

 一人そう呟いて俺は欠伸した。寒くなってきたのでペラペラの浴衣を脱ぎ着ていた服に着替える。今後俺が請求されるのは、浴衣のレンタル代、下着と歯ブラシの購入代、あ、宿泊費と食事代も取られるのかな。ケチくさいよなー。

 着替え終わって廊下に出たが人の気配はなかった。階下にも誰もおらずなんとなく靴を履いて外に出た。遠くに袈裟姿の坊主が数人見える。その内ひとりがこちらを振り返ったため急いで背を向けた。ここにいる奴らは基本坊主頭で袈裟か作務衣を着ているため、俺のような有髪でセーターを着た奴はとても目立つ。

 早足で砂利を踏みしめ外へと急いだ。この宗教法人の敷地は広い。おまけに出入り口は常に当番が見張っている。いったい誰が攻めてくる設定なのか。

 出入り口で「ちょっと!」とかけられた声を無視して、俺は逃げるように外へ出た。適当な角を曲がって少し走ってから後ろを振り向く。誰もいない、自由だ。

 ほっと吐いた息が白かった。このダラダラした坂道を下れば、小さな商店街と駅がある。今はどうしてもハゲじゃなく女の子が見たい。でないとおかしくなりそうだ。

 少し歩いていると住宅地の中に小さな公園があった。ブランコと砂場とベンチしかない公園で、女の子は俯いてブランコに乗っていた。

「こーゆーのじゃないんだよなぁ…」

 俺は心底がっかりしながら女の子に近づいて言った。

「ねぇきみ、生きてる?」

 女の子は無言で顔を上げた。目の奥が真っ黒だ。死んでる上に闇堕ちしかけだ。堕ちるなら堕ちればいいのにと、女の子の肩に触れようとした瞬間、凄まじい悲鳴が頭の中に響きわたった。

 ━━あぁ、辛い目にあったのか。本体はもうとっくに供養されてるのに、被害にあった瞬間の悲鳴と衝撃だけがここに残されてしまったのか。

 少し迷ってから女の子の隣のブランコに腰掛けた。放っておいても数日で消える儚い存在だ。でも放っとけない気持ちもわかる。

「ねぇ、この坂を上がると外石はずれいし寺ってのがあるんだけど知ってる?」

 女の子はまた俯いてしまってこちらの声が聞こえているかどうかもわからない。

「その中にね、外石神社ってのがあるから、そこにいる神様ならなんとかしてくれるかもしれないよ?」

 そう言って下を見て気付いた。この女の子には足がない。

「……俺はね、この坂道を下って駅の向こうの学校に通ってたんだ。外石学園っていう私立の仏教校、知ってる?男子校だから知らないか。ちゃんと中学三年間通ったはずなのに、俺ほとんどなにも覚えてないんだよね…それって、生きてたっていえるのかな?」

 返事はなかったが、俺は勝手に続けた。

「中学卒業してからは修行に専念…って体だったけど、実際は歳の近い奴らと遊んでた記憶しかないんだ。楽しかった…でも誰の顔も名前も思い出せない。これってホントの記憶かな?」

 誰も答えてくれない問い。

「先生の顔だけ覚えてるんだ。俺の肩を揺さぶりながら『今ならまだ間に合う』って叫んでる顔。これは…これだけがホント。ちゃんと先生は存在した。」

 寒さでかじかむ手を擦り合わせる。この芯まで冷える感じは生きてるせいか、死んでるせいか。

「ねえ、過去も未来もない場所にあんまり居ちゃいけないよ。痛みにしがみついても痛みは消えない。……なんてね、聞こえてないよね。」

 長い独り言に付き合わせてしまった。もう一度女の子の肩に手を伸ばすと、彼女は黒い砂のように霧散した。

 ため息が白いってのは風流なもんだ。そんなことを考えながら外石寺へ戻る。あそこにはヒト使いが荒い神様と先生と甥がいる。

 寺の入口に戻ると作務衣姿の先生と甥がいた。

「おなか空いてませんか?」

 先生の問いに「空いた」と答える。にこりと笑う先生を見て、本当の俺を知っているのはもう先生だけなのだと気付くなどした。




 とある神社の横に中石寺あたりいしじという寺があった。ごく普通の寺だったが、いつしか賭け事のあたりや懐妊などを祈願する者が詰めかけるようになった。

 住職は激怒した。

「こっちははそういう場所じゃねぇ!」

 住職の怒りは収まらず、寺の名前は外石はずれいし寺へと変更された。



「…八年間も色々教えたのに、覚えてるのソレですか?」

 先生はお茶を飲みながら呆れたように笑った。

 ここは寮の一階にある娯楽室だ。小さなテレビが一台と漫画や本などが置いてある小さな部屋だ。俺の背後には石油ストーブが燃えており、さっきたらふく晩御飯を食った俺には暑いぐらいだ。

「一番面白…じゃなくて、興味深かったので。何百年も前の偉い坊さんだったんでしょう?腹立つからって名前変えますか?普通。しかも隣にあった神社の名前まで。」

「神様になんでも言う事聞いてもらおうとする人間の妄執はすごいですよ。知りたいなら特別参拝の日にいらっしゃい。時々化け物が来ます。」

「…そんなでしたっけ?俺、あんまり覚えてなくて。」

「ここ数年パワースポットだなんだと騒がれましてね。私のパワーがごっそり持っていかれます。」

「止めたらいいのに。」

「ここは基本お坊さんしか入れませんから、年に数回ぐらい中をお見せないとね。怪しい宗教団体だと思われちゃいます。」

「学校があるのに?」

「そっちは私、運営に関わってませんので…というかよく覚えてますね?私のことも覚えててくれたみたいだし。」

 娯楽室には俺と先生の二人きりだった。ストーブの上では加湿器代わりの鍋が静かに沸騰している。建物の外からは時折足音が聞こえる。まだみんな忙しいんだろう。さらに遠くからは車の走行音がする。人気ひとけのない宿とは大違いだ。

「そりゃ覚えてますよ。ここにいる唯一の神様系の人ですから。俺けっこうべったりでしたよね?付き人みたいなことしてませんでした?」

「…そうですね。このばかでかい敷地の中にある建物のほとんどはお寺に関するものですが、隅っこに小さな神社があります。寺と神社がくっついているのって、実はちょっと珍しいんですよ。」

「さすがにそれは覚えてます。」

「私はそこで宮司をつとめております。わかりますか?神社で一番偉いんです。」

「知ってます」

「それを踏まえてあなたに伝えないといけないことがあります。」

「それも知ってます…俺に早く死ねって言いたいんですよね?」

「……正確には、あなたはもう死んでいる。ですね。」

 漫画みたいなセリフを吐いて先生は少し笑った。

「それ本気で言った人、世界初じゃないですか?」

「世界には内緒にしておきましょう。幸い宗教団体ってのは内緒が得意です。」

 先生は笑ってお茶を飲んだ。俺は振り返って石油ストーブの上でふつふつと沸いている鍋を掴んだ。夜はまだ寒い。熱いお茶でも飲まないとやってられない。

 急須にお湯を注ぎ足ししばらく待つ。出涸らしの茶葉はもう味がしないだろうけど。

「俺、永遠の眠りについたつもりだったんですよ。でも起きちゃったんですよねぇ…覚悟が足りなかったということでしょうね。」

「このままでは二十歳のあなたの願いが成就しません。」

 先生に真っ直ぐ見つめられて思わず目を伏せる。この男はいつもそうだ。うっすら光ってるのはハゲのせいじゃない。

「先生、今の俺は、どっちだと思う?」

「些末なことです。私はね、宮山くんの願いを叶えると決めたんです。いつまでもウジウジしてるなら叩き直しますよ。」

「だって、だってあの宿寂しいねん。俺が前おったとこは人がいっぱいやった。でも今は俺を信じてる奴なんか一人もおらん。いちこは消えたし陽斗は俺を敬ってはおるけど信じてない。こんなん契約違反や!」

「…なるほど。それは確かにこちらの不手際かもしれません。ですが要のあなたが迷ってるようでは困ります。」

 言い返そうと口を開いたが、なんの音も出てこなかった。

「あなたの場所へ、お戻りください。おやま様。」

 先生に頭を下げられ俺は唇を噛んだ。

 嫌だと喚きたかった。けれど俺は既に、俺の為に大きな大きな犠牲が払われていることを知っていた。

「……わかった。」

 やっと出た声は小さく掠れていた。

「役目を、果たそう。」

 





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