【電子書籍化】殺される10分前にデスループさせられても無理なんですけど!?
それは痛みすら感じない一瞬の死だった。
わたしはぱちりと瞬く。視界を焼き尽くすような真っ白な光が満ちて、次の瞬間には見慣れた室内が広がっていた。
「あああああ……」
わたしは両手で顔を覆って呻き、そして夜の野山に響き渡るような大声で叫んだ。
「戻すならもっと前に戻してよおおおおおおおお!!!!!!!」
本来なら叫んでいる暇はない。あと10分でわたしは殺されてしまうのだから。そう頭ではわかっていても、これで八度目だ。さすがに気力が尽きた。わたしは絨毯の上にばたんと倒れ込む。もう何もかもがいや。
時間が巻き戻っているのか、わたしだけが戻っているのか知らないけれど、戻すならせめて殺される1日前とかにしてくれない!? 10分前に戻されてもできることなんて限られているんですけど!!?
※
わたしはレティ。人里離れた一軒家に住む薬師である。
『女性の一人暮らしは危ないわよ、街に引っ越してきたら?』と取引のある商家の奥様なんかはいってくれていたけれど、この家は婆様が遺してくれた家だ。わたしの両親はわたしが物心つく前に亡くなってしまって、わたしは婆様に育てられた。
この家は薬師の婆様と子供のわたしと、途中から一緒に暮らし始めたもう一人の思い出が詰まった家だ。離れるつもりはなかった。
なにより、ここで帰りを待っていると彼と約束したのだから。
───いやーでも、今にして思えば引っ越しておくべきだったわ、ハハッ。
たとえ毎回殺される10分前に戻るのだとしても、街中に住んでいたら、隣近所に助けを求めるとか、衛兵さんの詰所に駆け込むとか、もっと取れる方法があったと思う。
だけどこの家は山の中腹にあって、周囲には見渡す限りの大自然が広がっている。10分ではどれほど必死に走っても街どころか最寄りのお隣さんの家にさえたどり着けない。それはすでに挑戦したので知っている。
始まりは、いつも通りの夜だった。
今日のわたしはひどく疲れていた。だから早めの夕食を取って、温めたお湯に入って、明日の準備も済ませて、寝られるかわからなくてもベッドに入ろうと思っていた。そしたら突然、鍵のかかった木製の玄関扉が破られて、知らない男が入ってきた。剣を持った男だ。あまりのことに理解が追い付かず、逃げ出すどころか悲鳴を上げることさえできないまま殺された。
それが一度目の死だ。
気がついたらわたしは、およそ10分前と同じ姿勢で、小さな丸テーブルに広げた薬草の片づけをしているところだった。自分が生きていると気づいた瞬間、全身からどっと汗が噴き出た。なんんてひどい夢を見たんだろうと思った。知らない間にうたた寝をしてしまって、自分が殺される夢を見るなんて。昼間に聞いた噂話に、それほど心が参っていたのかと思った。
わたしは手早く片づけを済ませて、落ち着かない心臓を宥めるようにお茶を淹れた。そして飲んでいる間に玄関が破られた。今度は悲鳴は上げることができたと思う。結末は同じだったけれど。
それが二度目の死だ。
その後の三度目から五度目までは、わたしはほとんど恐慌状態に陥っていた。何が起こっているのかわからない。これは現実なのか悪夢なのか。時間が巻き戻るなんてありえるの? 本当はもうわたしは死んでしまっているんじゃないの。わからない。わからないけど逃げないと。あの男が来る前にとにかく逃げないと。
そうやって着の身着のまま家を飛び出して、毎回同じ男に見つかってジ・エンドだった。
「戻すのならもっと前に戻してよおおおおおおおお!!!!!!」
と叫んだのは五度目の死の後が最初である。
なんなのこれ? 嫌がらせ? 10分前に戻されても何もできないんですけど!?
唯一の救いは、殺されるときに痛みを感じないことくらいだった。あの殺し屋(?)の男はとても腕がいいのだろう。痛みもなく死んでいる。いや、そんなのが救いといっていいのかわからないけれど。でも、これが毎回激痛を味わって死ぬのだったら、わたしはもっとずっとパニックになっていて、冷静になることはできなかったと思う。
そう確信したのは六度目の死の後だ。
六度目は最悪だった。
五度目の後に何とか現状を受け入れて、わずかながらも落ち着きを取り戻したわたしは、逃げられないなら抗戦するべきだと考えた。我が家にはそのためのマジックアイテムがいくつもそろっていた。平凡な薬師の家には不釣り合いな貴重な品の数々である。売り払ったら一財産築けることだろう。
どれも一緒に暮らしていた恋人が、魔王を倒す旅に出た後に送ってきた物だ。女性の一人暮らしは危険だからと心配して、取り扱いの説明を書いた手紙付きで。
……職業柄知っている。高額なマジックアイテムなんていうのは、強大な威力を持つ一方で扱いが難しい。手順を一つ間違えただけで自分の手が吹っ飛ぶこともある。
だからわたしは今まで、送られてきたそれらをすべて彼の部屋に押し込んで、一度も触れたことはなかった。けれど今、わたしには強力な武器が必要だった。
あの男が来るまで時間がない。わたしは大急ぎで彼の部屋を漁り、ざっと見て一番使いやすそうな指輪を手に取った。これは指にはめて相手に向けて、呪文を唱えるだけで強力な光の矢を放てるらしかった。わたしは震える指で彼の書いた手紙を開き、焦りながら取説を斜め読みした。
斜め読みしたのが悪かった。
あの男が来る前に使い方を試しておかないと。そう思って呪文を唱えたわたしは、光の矢に自分の腹部を貫かれて仰向けに倒れ込んだ。即死ではなかった。血だまりの中で、気が狂いそうな痛みの中で、それでもわたしは意識を保ってしまっていた。痛いという言葉すら形にならない激痛だった。心が焼き切れるような凄まじい痛みだった。死にたい、死にたい、死なせて、誰か。
そこに男がやって来た。男は驚いた様子で「私以外にもいたのか……!?」といった。それから、すぐに剣を抜いた。「すまない」と、最後に男がそういった気がした。
わたしの耐えがたい痛みはそこでようやく終わり、再び10分前に戻ってきた。
七度目は、六度目の痛みのショックが引かず、椅子に座ったままぼろぼろ泣いている間にやって来た。男が剣を振りかざしても、今度は何も思わなかった。だってこれは一瞬だ。痛みも感じない一瞬の終わりだ。どうせまた10分前に戻るだけだ。
八度目は男との対話を試みた。
六度目の腹部貫き事件があまりに辛かったせいで、わたしはこの男への恐怖心が薄れてしまっていた。何なら親しみすら覚えていた。我ながらやばい。メンタルがおかしくなっている。そう自覚しつつも「お話しませんか?」とお茶を振舞おうとして、お茶は飲めずに終わった。まあ痛みはなかったのでヨシとする。
───いや、ヨシとしちゃ駄目でしょうよ……。
わたしは絨毯の上に倒れ込んだまま、この死に戻りが始まって以来最も冷静な気分で考えた。
もうマジックアイテムに手を出す気にはなれなかった。六度目を思い出すだけで全身がガタガタ震えてしまうのだ。ちょっと無理である。
ただ、この謎の死に戻りの原因はもしかして、あのマジックアイテムの山のどれかなのかもしれないとは思った。というか、それ以外にこの摩訶不思議現象に理由が付けられない。わたしは偉大な魔法使いでも世界を救った勇者でもなく、ただの平凡な薬師なのだ。同居人で幼馴染な恋人が、ちょっと平凡じゃなかっただけで。
寝転がったまま、暖炉の上へちらりと視線を向ける。
そこには薄紅色の羽根が置いてある。よくよく見たら、風もない室内でわずかに浮いていることがわかるだろう。非凡な恋人から贈られてきたマジックアイテムの中で、一つだけしまい込まずにおいたものだった。
それだけは手紙ではなく、彼から直接手渡しで贈られたものだ。使い方も単純明快。恋人の名前を呼ぶだけだ。これは一度だけ奇跡をもたらしてくれる妖精の羽根で、どれほど遠く離れていても、名前を呼んだらたちまちのうちに彼がわたしの元に現れるのだという。
『身の危険を感じることがあったら、これを使って俺を呼んでね』といわれた。
どれほど遠く離れていても、必ず君の元へ帰るから、と。
そう、この羽根を使えば、魔王を倒して世界を救った勇者ルーファスが、たちまちのうちに来てくれる。
ルーファスは、わたしが知る限り誰よりも強い人間だ。剣の腕だけでなく、伝説級といわれる強大な攻撃魔法をいくつも操ることができる。魔王に対抗することができる唯一の勇者だ。いくらあの男が凄腕でも、ルーファスには勝てないだろう。
わかっていた。わかっていて、使えなかった。
最初からずっと疑ってしまっていたことがあったから。
それは殺されるよりも恐ろしくて、直視することが耐えがたくて。
わたしはむくりと身体を起こした。
「───でも、いい加減にもう、確かめないと」
いったい誰がわたしを殺そうとしているのか。
たぶん、もっと早くに確認するべきだったのだ。
目を背け続けたから、八回も死に続けることになったのかもしれない。
※
わたしは壁を背にして包丁を握りしめて、九度目の死を待った。
男はいつも通り玄関扉を破って現れた。
何度見ても思う。男は身なりが整っている。金に困った強盗や、頭のおかしい快楽殺人鬼には到底見えなかった。もし、どちらかに見えていたら、わたしは最初からルーファスを呼んでいただろう。
だけどそうは見えなかった。男はまるで騎士のようだった。まるで、王に仕える騎士のような。
わたしは包丁を突き付けるようにして叫んだ。
「知ってるのよ! 誰があなたにわたしを殺すように命令したか、知っているんだから!」
カマをかけてみても、男の表情は変わらない。
包丁に怯む素振りもなく、まっすぐにこちらに向かってくる。
わたしは重ねて叫んだ。
「信頼できる人に手紙を託したわ! わたしが殺されたら、領主様へ届けられる手筈になっているのよ! すべてが明るみに出るわ! あなたも、あなたに命令した人間も終わりよ!」
嘘だ。そんな手紙はない。ただの脅しだ。少しでも男が怯めばいいと思った。
けれど男の表情は変わらない。動揺の一つも見えない。
───……あぁ、やっぱり。
そういうことなの、ルーファス……?
真白い光が満ちる。
九度目の死の後に、わたしは再び同じ室内を見ていた。
ひどく疲れてしまって、暖炉の前の絨毯にごろりと転がる。
天井を見上げながら考えた。
まるで騎士のような殺し屋だった。
手紙があるといっても、どこにある?とも、誰に託した?とも、聞かれなかった。
それはきっと問題にならないからだ。真相を綴った手紙が領主様の元に届こうとも、握りつぶすことができるから。
今日、街に買い物に行ったときに聞いた噂がある。
───世界を救った勇者ルーファスは、王女様と結婚するのだという。
……最初から思っていた。
わたしは平凡な薬師だ。誰かに殺されるような恨みを買った覚えはない。よしんば、わたしの知らないところで恨まれていたとしても、わたしが交流のある相手というのはごく普通の街の人たちだ。殺したいなら本人が来るだろう。殺し屋に依頼なんてしないだろうし、仮にしたとしても、あんな凄腕の騎士のような男がやってくるとは思えない。
わたしの知り合いで非凡なのは一人だけだ。
わたしが子供の頃に、婆様が拾ってきた男の子。最初は全然喋らなくて、喋るようになったと思ったら腹の立つことしかいわなくて、数えきれないほど喧嘩をした相手。
だけど一緒に薬師になるための勉強をした。婆様が病に倒れた後も、二人で懸命に看病した。婆様の葬儀のときも、二人でいたから耐えられた。
初めて指先を絡めたときのことを覚えている。初めてキスをしたときのことも。忘れるはずがない。大好きで、大好きで、ルーファスの紅い瞳は世界で一番きれいだと思っていて。
ルーファスだってわたしを好きだといってくれた。愛しているといってくれた。世界を救うための旅に出たのだって、わたしが安心して暮らせるようにするためだった。
「ごめんね。どうか待っていてくれ。必ず帰ってくるから」
そういわれて、泣きながら頷いた。待っている。ずっと待っているから。必ず帰ってきてね。どうか無事に帰ってきて。何があっても生きて帰ってきて。それだけでいいから。
そう伝えてから五年。ルーファスの気持ちを疑ったことはなかった。彼は手紙をくれて、こちらを心配してマジックアイテムまで同封してくれたから。やがて手紙が届かなくなっても、旅がそれほどに過酷なのだろうと思っていた。ルーファスがどうか無事でありますようにと朝に晩に神に祈っていた。
魔王が倒されたという噂が広まって、それが真実だと発表された後も、なかなか帰ってこなくても、きっと忙しいのだろうと思っていた。王都は遠いし、すぐに帰れなくても仕方がない。だって彼はもう薬師のルーファスではなく、世界を救った勇者ルーファスなのだ。きっと色々とやることがあるのだろうと思っていた。
王女様と結婚するという噂を聞いたときだって、何かの間違いだと思っていた。
……思っていたかった。
わたしは上体を起こし、暖炉の上に置いてある妖精の羽根を見つめた。
あれを使えば答えは出る。そうわかっていながら動けない。確かめることが怖い。信じ切れない自分が憎い。
(……もしもルーファスの口から「君が邪魔になった」といわれたら?)
(あり得ない。ルーがそんなことをいうはずがないもの)
(そうよ。たとえ心変わりしたとしても、ルーならきちんと別れを告げてくれるわ。何もいってこないのは彼に後ろめたいことなんてないからよ)
(でも帰ってこないじゃない)
(忙しいのよ)
(手紙もないわ)
(……忙しいの)
(王女様と結婚するって)
(何かの間違いに決まってる……!)
(現実を見なさいよ。そうやって盲目的に信じているから殺されるんだわ)
(ルーはそんな人間じゃない! 疑うなんて最低でしょう! ルーはそんなことしないもの……っ!)
涙が勝手にぼたぼたと流れた。信じ切れないわたしは最低だ。疑ってしまう自分が憎い。なのに怖くてたまらない。もしもあの紅の瞳が愛情の冷めた色でわたしを見たら? もう愛していないといわれたら? ……あぁ、そうだ。わかっている。結局のところ、わたしが一番恐れているのはルーに殺されることじゃない。ルーの気持ちがもうわたしにはないのだと思い知ることだ。彼の瞳がほかの女性へ向いているのだと突き付けられることだ。それが何よりも恐ろしい。考えるだけで息が苦しくなって、本人に確かめる勇気が持てない。
「……そうよ。本人に聞けないなら、ほかの人に聞けばいいんだわ」
よろよろと立ち上がって、今度は椅子に座った。
そして、十度目の死をもたらすために、男がやって来た。
わたしはできる限り哀れっぽい声を出して尋ねた。
「抵抗はしないわ。ただ、どうか最後に一つだけ教えて。これはルーの……、いえ、勇者ルーファスの望みなの?」
男は答えない。無言でこちらへやってくる。
男が剣を抜く。この作戦は駄目だったかと思った瞬間、男がいった。
「ちがう」
思わずまじまじと見上げる。
男は苦しそうな顔をしていった。
「君を手にかけたことを知ったら、勇者は必ず私を殺すだろう。何の償いにもならないが、君の仇はすぐに討たれるはずだ。それだけは伝えておく」
痛みはなかった。
見慣れてしまった真っ白な光が満ちる。
わたしは再び10分前に戻っていた。
椅子に座ったまま、ハッと瞬いて、慌てて暖炉に向かう。
妖精の羽根を握りしめて、彼の名前を呼んだ。
「ルーファス、来て!」
室内にまるで竜巻のような風が起こった。
そして、次の瞬間には、美しい紅の瞳がわたしを捉えていた。
光を弾く金の髪。貴重な鉱石のように輝く瞳。子供の頃は同じくらいだったのに、いつの間にかわたしよりずいぶん高くなってしまった背丈。五年前よりも少し大人びた容姿。けれど変わらない、その愛情に満ちた眼差し。
あぁ、ルーファスだ。わたしの大好きなルーファスだ。
胸がぎゅうと引き絞られるようだった。眼の奥が熱い。喉が震えて、嗚咽が零れそうになる。
「レティ! 会いたかった……!!!」
ルーファスにぎゅっと抱きしめられる。
絶対的に安心できる腕の中で、わたしは耐えきれずに泣いていた。ルーの背中に手を回して抱きしめる。「会いたかった」と何度も囁かれて、同じだけ「わたしも」と返す。
それから、わたしはハッと状況を思い出して、腹の底から叫んでいた。
「ごめんルー!!! 本当にごめんなさい!!!!! 疑いましたごめん!!!!! ほんとごめん!!!!!!」
突然耳元で大音量の謝罪を叫ばれたルーは、びっくりした顔でわたしを見つめていった。
「え、なに? 俺の帰りが待ち切れなくて呼んでくれたんじゃないの? ちがうの?」
「は? 帰る予定があったの?」
「あったよ!!? 手紙に書いたでしょう?」
「手紙なんて届いてないけど!?」
「マジで!?」
マジですと頷くと、ルーはショックを受けた顔になった。
そしてすぐに、守るようにわたしを左腕で抱きしめて、右手を剣にかけていった。
「じゃあ、何か危険があるんだね? 状況を説明する時間はある?」
「まだある。とりあえず座って話そう」
小さな丸テーブルを挟んで座ると、ルーの表情が和らいだ。
「やっと帰ってこられた……。待たせてごめんね、レティ」
ルーファスの長くて硬い指が、テーブルの上にあるわたしの手を、そっと包み込む。
紅の瞳がとろりと溶けてわたしを見つめる。わたしは沸騰しすぎた鍋のようにドコドコと心臓を鳴らした。鈍いと、昔はさんざんルーにいわれたわたしでもわかる。これはもうキスのタイミングだと思われます。でも待って。お願い待って。いまキスをしたらもう全部頭から飛んでしまいそうだから。嬉しくて幸せでいっぱいになってしまうから。そんな甘い瞳でこちらを見ないでください。
わたしは片手を突き出して、制止するようにしていった。
「聞いて、ルー。状況を簡単に説明すると、あと8分くらいしたら騎士みたいな殺し屋が来ます」
紅の瞳が一瞬で殺気立った。
※
それからおよそ8分後。
11度目の死のために、男がやって来た。
いつも通り木造扉を破って入ってきた男は、わたし以外の人間が室内にいることに気づいて息を呑んだ。
「勇者ルーファス……ッ!」
「やあ。君が俺のレティを殺そうとしている騎士みたいな殺し屋か。あぁ、なるほど、騎士なんだろうね。その剣は近衛騎士に与えられるものだろう」
ルーはテーブルに頬杖をついたまま、男の剣を指さした。
「王の命令か? 俺を王女と結婚させたがっていたものね。魔王を倒した強いつよーい勇者様がいたら、他国との戦争にも勝てるだろうって? ハハッ」
ルーは肩を震わせて笑った。それは底知れないほど深い怒りのこもった声だった。
「そうだね。勝てるよ。手始めにこの国の王城をぶっ壊してこよう。王も、大臣どもも、お前たちも一人残らず生かしてはおかない。全員死ね。俺のレティを傷つけようとした奴は全員死ぬべきだ。なあ、そうだろう? 俺は世界を守ったのに、お前たちはレティを殺そうとしたんだから、当然だよな?」
「ルー、落ち着いて。事情を聞きだすっていったじゃない」
わたしは声を潜めていったけれど、紅の瞳は殺意に満ちたまま、男を見つめていった。
「こいつは王の命令でレティを殺そうとした。王は俺が王女との結婚を拒んだからレティを殺そうとした。周りの連中もそれを止めずにレティを殺そうとした。それで全部だ。ちがうか?」
「……ああ。その通りだ」
男は降参するように両手を上げて、どこか疲れた顔でいった。
「頼める立場ではないことは重々承知だが、どうか、お願いしたい。世界を救い給うた勇者よ。私の首一つで済ませてはもらえないだろうか?」
「何をいっているんだ、お前は? 俺がこの国ごと滅ぼさないことに感謝しろよ」
「…………そうか」
わたしはとっさに両手を突き出して、ルーに叫んでいた。
「まあまあまあまあまあ!!!!!」
「どうしたの、レティ? 虫でもいた?」
「ちがうわ! あのね、ルーファス。わたしは穏便にすませたいな~って」
「あぁ……、ごめんね、レティ。気づかなくて。ちゃんと家の外で殺ってくるからね」
「ちがうわ! 殺るのはやめよう!?」
「なんで?」
ルーファスが可愛らしく首を傾げていう。ルーはわたしよりも背が高いし、着痩せするだけで筋肉もしっかりついている男性だけど、それでもこういう仕草が可愛くみえる。顔がとてもきれいだからかもしれない。顔面のキラキラっぷりがすごい。ただし今は殺気に満ち満ちておりますが。わー美形が激怒すると怖いなー。
「実質的にはわたしはまだ死んでないから、敵討ちの必要がないと思うの!」
「こいつは十回もレティを殺した。八つ裂きにしても飽き足らないよ」
「十回の内の一回は自爆だったからね!? むしろ助けてもらったまであるからね!?」
「近衛騎士なんて王の犬だよ。生かしていても災いにしかならないんだ。レティを狙った連中は全員死ぬべき。そうじゃないと安心して暮らせないだろう?」
美しい紅の瞳が、今や殺意でガンギマってしまっている。
駄目だ、これは。こういうときのルーファスは何をいっても聞かない。こうなったら実力行使あるのみである。
わたしはすっくと立ちあがり、ぱんと両手を軽く叩いていった。
「引っ越します」
「レティ?」
「ルーのいうことにも一理ある。ここにいたらまた命を狙われるかもしれない。ということで引っ越します。この国を出て遠くに行きます。なんなら海の向こうの大陸を目指すのもいいですね」
「レティがそんなことをする必要はないよ。俺がちゃんと全員殺してくるから」
「引っ越します!!! これはもう決定事項です。わたしは今夜中に荷物を纏めて旅立ちます。ルーにはとってもとっても一緒に来てほしいです!!!」
「レティ……。いくらレティの頼みだって、俺はレティを殺そうとした奴らを見逃すことは」
「じゃあ一人旅ですね!!! とっても危険かもしれませんが仕方ないですね!!!!!」
わたしは腹の底からの大音量で叫んだ。今こそ山暮らして鍛えた腹筋を生かすときである。このときばかりは我が家の周りに民家がなくてよかったと思う。
どうにか勢いで押し切ろうとするわたしに、ルーは渋い顔でいった。
「……いや、レティの脅しにはのらないから。そんなこといってもレティは俺を置いて一人旅なんて行かないでしょ」
「そうですね、わたしも一人は不安なので護衛を雇おうと思います!!! そこの騎士様!!! わたしと一緒に旅に出ませんか!!!!!」
「はあ!!?」
今度叫んだのはルーだ。
突然話を振られた騎士は、困惑を露わにわたしたちを見ている。
だけど、すぐに状況を察したのだろう。わたしのルーファス煽りに乗るべきだと判断したのだ。
騎士は恭しく片膝をついて、わたしに頭を下げた。
「雇っていただけるなら、喜んでお供しましょう」
「はああああ!!? 何をいってるんだよ図々しい!! 殺しに来たくせによくそんなことがいえるな!!? レティも正気!? こいつ、レティを殺した奴だよ!? 大量殺人鬼だよ!? こいつこそ今すぐ死ぬべきだろう!!?」
「だってルーがついてきてくれないなら仕方ないじゃない。それに被害者はわたし一人だから大量殺人鬼じゃなくない? むしろわたしが止めても大量殺人鬼になろうとしてるのはルーじゃない? ということで騎士様、よろしくお願いしま~す」
「わかった!! わかったよ!!」
ついにルーが叫んだ。
「俺が一緒に行く! 俺がずっとずっと一緒にいるから!! 頼むからその嘘はもうやめて!! 脅しだとわかっていても胸が痛い!!」
「ごめん、ルー。脅しじゃないの。わりと本気」
「なお悪いだろうが!!!」
※
そうして、それから。
わたしたちは船の上にいた。海の向こうの大陸へお引越しするためである。あれから日が経ってもルーの殺意が全然消えないので、物理的に距離を取ろうというわたしの作戦だ。
例の騎士とはあの夜に別れて、それっきり会っていない。
わたしを殺せなかったことで責任を取らされるんじゃないかと心配になって、一緒に国を出ますか?と誘ったけれど(ルーには『レティのそれはお人好しとかじゃなくて、ネジが一、二本外れてるよね』と怒られた)、騎士はすがすがしい顔で首を横に振った。
───陛下の元に戻ります。私のやるべきことをします。……最初から、こうするべきだった。お二人には感謝しています。あなた方の旅路に幸福があるように祈っています。
それが別れの言葉だった。
わたしも、あの人が無事であるように祈っている。
それをいうとルーにはネジが飛んでいると怒られるけど、多分、一度も死ぬときに痛みを感じなかったからだろう。わたしはべつに善良な人間ではなくて、至極単純な人間なのだ。これが毎回激痛の中で死んでいたら、あの人も王様も心底憎らしくて、ルーを止められなかったかもしれない。
でも、わたしが痛みにのたうち回ったのは自爆した一回だけだった。
だからわたしにとっては、ルーが大量殺人鬼になってしまうほうがずっと避けたいことだったのだ。
あの夜以来、時間が巻き戻ることは経験していない。まあ死んでいないからというだけなのかもしれないけれど、だからといって試してみる気にはなれない。
ただ、ルーはひどく不思議がっていた。
ルーが送ってきたマジックアイテムの中に、死に戻りするような効果のある物は一つもなかったらしい。そもそも時間を巻き戻すなんていうのは神の領域であって、たとえ10分だろうとも、マジックアイテムごときで可能になるものではないのだという。
その話を聞いたとき、瞼の裏にふっと、あの真白い光が瞬いたような気がした。
───そこは、見渡す限りの瓦礫の山。
誰の声も聞こえない。悲鳴も、嘆きも、泣き声すらも。世界は滅んでしまった。魔王は倒したのに、平和は訪れなかった。勇者は一夜にして一国を滅ぼした。各国は新たな魔王の誕生を恐れ、倒すべく手を尽くした。けれど新たな魔王を倒せる勇者は現れず、世界は滅んでしまった。新たな魔王はずっと亡骸を抱えている。愛する人の亡骸を抱きしめて、ただ一人荒野に佇んでいる。新たな魔王の紅の瞳はもはや現を映さない。亡骸を抱きしめて、愛する人の幻だけを追っている。壊れた魔王だけが永続する。そこは地獄の果て。世界にはもう何もなく、終わりすらない。神は憂いをもって運命が分岐するその直前まで時を戻した。繰り返し、繰り返し。けれど神が手を差し伸べられるのは分岐の直前までだ。ここから先は、世界が、そこに生きるものたちがどうにかしなくてはならないのだから。
「レティ? どうしたの? 疲れた?」
心配そうなルーの声を聞いて、一瞬で意識が戻る。
わたしはぱちぱちと瞬いた。何を考えていたのか、もう思い出せない。立ちくらみでも起こしかけていたのか、意識が飛んでいたらしい。自覚はなかったけど疲れているのかも? と首をひねると、ルーは問答無用でわたしを横抱きにして寝台まで運んだ。
「眠くないけど」
「いいから休んで。俺が傍にいるから。これからはずっと傍でレティを守るからね」
「じゃあルーも一緒に寝る?」
にんまり笑いながら誘うと、ルーが苦悶の顔で首を横に振った。
「疲れているときにそういうことをいうものじゃないんだよレティは……!!!」
「ごめんごめん」
「反省の色が感じられない……!」
※
ちなみに。
ルーが犯人かと疑いましたということは、床に額を付けんばかりに謝った。
もっとも、すぐにルーに抱き寄せられて「それは本当にショックだけど……、でも手紙が奪われていることに気づけなかった俺がマヌケだし……、何よりレティが狙われたのは俺のせいだから……」と呻かれた。
手紙のこともわたしが狙われたことも、王様が悪いのであってルーに責任はない。そういったけれど、ルーはどうしても自分を責めてしまうようだった。だからわたしは言葉の代わりにぎゅっとハグをした。
ルーは嬉しそうに笑って「俺を疑って悪かったと思うなら、レティからキスして? それでチャラにしてあげるから」といい出した。
なんでルーはこう、キラキラの笑顔でこんな恥ずかしいことをいい出せるのでしょうか!? その笑顔はわたしにはちょっと眩しすぎるんですけど!?
わたしの心臓はドンドコ太鼓祭りへと進化を遂げていたけれど、世界で一番格好良くてたちの悪い恋人は嬉しそうにわたしを見ている。
わたしはルーの頬を両手で包み込むようにして、死にそうなほど甘いキスをしたのだった。