雪の妖精に渡せなかった手紙
冬の雪は真っ白な舞台を作る。広くて美しいステージ。誰しもが主役を演じられる。そんな場所で君は踊る。女友達だろうか。何人かの女の子と戯れついている姿は、超一流のバレリーナの踊りのように見える。くるりくるりと華麗な舞が見える。着地の瞬間に、夕焼けが顔を覗かせる。その光がまるでスポットライトを君に当てたみたいだ。美しい……美しすぎる。
日焼けを知らない純白の肌に、肩まで伸びたストレートの黒髪が風に舞うように靡く。柔らかな表情は笑顔でさらにふわふわとしたように映るし、身体にも無駄がない。それでも表情と顔に近しい柔らかさも感じられる。かわいい。美しいんだけど本質はかわいいんだ。
さっきはバレリーナと言ったけど、違うな。雪の精。雪の妖精だ。雪の日だけじゃなく、学校に来ればいつでも逢える。特別な存在のはずなのに、いつでも見られる。日常の中にある非日常のような存在だ。
僕のように普通の有象無象の男では手が届かない。そんな遠く儚い存在。高嶺の花なんて使い古した言葉では表現できないくらいの存在なんだ。
それは頭でも心でも分かっている。だけど、恋心くらいは持っていたい。放課後の校庭を四階の窓から見下ろすしてしか、君を見つめる事はできない。君が近くに居ると見ると口が縫い付けられたように動かなくなってしまう。声を掛けられているのに、名前さえ言えない。姿を見つめようとしても、眩しさと熱さで直視出来なくなる。だから君のからすれば、僕はモブキャラよりも下の存在なんだと思う。それでも笑顔でいてくれて、優しくしてくれる美雪さんは美しくて眩しい。
情けなくて不釣り合いな僕でも、貴女を好きでいたい。美雪さんの事が僕は大好きなんです。毎日毎晩ずっと美雪さんとの恋が実る事を想像して、夢を見てしまって、授業も上の空で聞けていないくらい、美雪さんが好きなんです。そんな僕の想いをただ、見つけてください。好きでこの恋の赤い実がはじけたと言う事だけでもいいから、ただ知って欲しいのです。それで、僕を思い切り振ってください。ごめんなさいと。冷たい言葉と態度でいいので。
美雪さんにはきっと素敵な男の方が居て、僕よりも素敵な性格のいい人が似合っているのは分かっています。僕と違って、性格が良くて運動もできて勉強もできて爽やかな素敵な男性と一緒に幸せになる人生が、美雪さんには一番合っているし、そうであって欲しいです。だから僕のような人を見ない人生を歩んでください。
だけど、繰り返しでウザいと思います。思いますけど、自分の心にケジメをつけるために、この言葉を最後に言わせて下さい。
美雪さん、山野美雪さんを僕はずっと大好きです。死ぬまで僕は美雪さんを好きでい続けます。美雪さん以外に僕は靡きませんが、美雪さんの幸せを心と身体の全てで祈っております。だから、どうかお幸せに
書いた手紙を僕はそっと通学用の鞄にしまった。少しだけ歪んで眩しくなった視界を窓の外に向ける。より深くなった雪景色が広がる。僕を見たのかどうかはわからない。けれど、こちらを見てにこりと微笑みかけていた。僕はピストルの銃弾を避けるように、目を逸らして教室の方を向いた。
「これで、いいんだ」
これから卒業までこの手紙は渡せなかった。それから僕はこの手紙を学習机の中の鍵付きの棚に丁寧に直していた。
あの日から十二年過ぎた。僕は今二十七歳のアラサーの男。冴えない見た目のように人生も冴えない。平々凡々以下の人生。負け組の男だ。一個だけ誇れるとしたら、学生時代からの皆勤賞は続いているし、残業だって沢山こなせている。給料は安いけど。健康診断だって引っかかった事がない。この二つしか僕には取り柄がない。
そんな僕だけど、同窓会に何故か呼ばれてしまった。空気だったから、学生時代仲のいい友達が居たわけでもないのに、何故か呼ばれた。誰が連絡先知ってたのだろうか。知ってたとしても何故呼ばれたのかわからない。
それでも僕は不思議な事に二つ返事で参加してしまった。自分でも理由がよくわからない。いじめられたり理不尽な弄りを受けたりしていなかったからだろう。楽しくもないし、何にもされなかったし、話すらされなかったけど。
その肝心な同窓会は、思っていた数倍楽しくない。酒は飲めないからお酌もされないしさせてもらえない。やり方わかるけど、居ないように扱われる。当然だけど話しかけられもしない。学生時代同様空気。会社でもそうだから空気になってしまう事自体が別にそこまで気にしない。だけど。呼ばれたのにこの扱いは心にくるものはある。
オレンジ味のある光で明るく暖房の効いた居酒屋の大きな一室が、僕には夜の寒空の下のだだっ広い何もない遊具のない公園にしか見えない。フローリングの床のなんとも言えない硬さも相まって居心地が悪い。寒い夜の中に一人だ。そんな寂しい場所でしかない。
これならこなきゃよかった。何故、僕は来てしまったのか。これなら会社で残業してお金を稼いだ方がマシだった。今ならみんな優しいから話しかけられると思った? そんなわけないだろ。成人式とその後の同窓会でもだーれも話しかけられなかったのに。そんな事わかってたのに何故来たのか? 会社が嫌だったのか? でも、ここを辞めたらもう行く場所ないだろ。新卒で仕事見つからなっかたからなんとか拾って貰った場所だろ。嫌がったらもう野垂れ死ぬしかないのに、嫌になっちゃダメだろ……。
後悔が大き過ぎて、心の中で無駄な自問自答を繰り返す。無い頭で考えても無駄なのに。それでもそんな事が頭でずっと回ってしまうくらい、しんどい。
もう帰ろうか。誰かに仕事が出来たと嘘ついてこの場を去ろう。そう考えた時だった。
スゥーッと襖が開く。空気が変わる。前を向いたら、そこには雪のステージが現れているように見えた。
美雪さんが、入ってきたのだ。雪の妖精が僕の前にまた姿を見せてくれたのだ。
相変わらず美しくて……いや、直視できる? 大人になってより美しくはなっている。かわいいの投資は強いけど、美人の要素もちゃんと主張している。ならば、直視はできないはず。学生時代でさえできなかったのだから、パワーアップした美貌なら尚更。でも、出来ている。何故だろうか。
遠くに行ってしまって、他の人達と話している様子はわかるけど内容はわからない。笑顔を絶やさない姿も、その笑顔自体も素晴らしい。瞬きさえ惜しく感じてしまう程。左手薬指にはきらりと輝く結婚指輪と思われるものをつけている。幸せなはず。じゃなきゃここに来るわけがない。でも、なにか違和感がある。
あの時のくるりと舞う姿には、明るく温かみが感じられる雪のステージが見えた。でも、今の美雪さんにそれは感じられない。凍てつく吹雪の中の深い雪の雪原で哀しく踊っている。そんな感じがする。明るさも温かみもないから直視出来るのだろう。でも、何故そうななのかはわからない。わかる術もない。僕に出来る事があればいいけど、雑兵如きに出来る事はない。
笑顔なのに、取り繕っている美雪さんを指を咥えて見てるしかないのか……。僕は、無力だ。好きな人の苦しみを知る事も癒す事もできない、雑魚だ。
自分自身に嫌気がさし、下を向いて歯軋りするしかなかった。同窓会はもうしばらく続き、ただ五月蝿いだけの音が耳にガンガンと響いていた。