9話 黒縁メガネは誰が為
「…!くっ…ぅ…!」
「遅いですよ。“亜人管理官”」
正午。
エイルに冷たく言い放たれる中、“亜人管理官”の仕事として、汗だくになりながらダンボールを抱え歩いていた。
もう長いことこの重労働をやらされ続けている。
冷房から吹いてくる風が心地よい段階を越し、最早寒いくらいになっていた。
「“亜人管理官”。まだダンボール1つ目です。これではいつ終わるか分かりませんよ」
「わ、分かっている…!少し待ってくれ!」
思わず荷を下ろし、その場にへたり込んでしまう。
そんな様子の私をエイルは冷たい目で見下ろす。
彼女は私と違いダンボールを3つ重ねて運んでいるが、それは亜人だからこそできる芸当だろう。私のようなシェルター暮らしの常人では1つ運ぶのが精一杯。
今、私が運んでいるのは“亜人管理官”の仕事部屋に置いてあった荷物だった。シェルター内からわざわざ上がり、ビルの方まで運んでいる。
何故そんなことをする必要があるかというと、私の仕事部屋、そして住居が移転したからである。
もはや“明けの明星”全体には周知の事実だが、空気清浄機の設置によってシェルターより上の階層が一般人にも住めるようになった。
1階から3階は元々亜人達の住居ということで、シェルター内に住んでいた人々は依然としてその住まいや職場を動かすことはなかった。
だがしかし、“亜人管理官”だけは別であった。
その職柄、できるだけ亜人の近くにいた方がよいとのことで。
そして叔父が想像以上にスペースを占有していたとのことで。
我ら“亜人管理局”(2名)の住まい、もとい住居は上の階へと引越しになった。
そして、現在私が直面している問題とは──────。
「アナタが眠っている7日間、私は一人で頑張りました。その分の働きにはまだ程遠いですよ」
「わ、分かっている…これダンボール何個目だ?」
「さっき1つ目と言いました」
──────七日間欠勤の揺り戻し。
エイルは怒っているのか知らんが、ずっと無表情でダンボール片手に私と話している。
いや、無表情は元からだ。だが初めて見た時、叔父と話していた彼女はもう少し表情豊かだった気がする。
「エイル…そういえば私はお前のことを何も知らないな」
「会って数日の仲ですので」
「同じ“亜人管理官”とはいえ、お前自身も亜人だ。私としては知っておくべきだと思っている」
「…マサムネさんのまとめたデータでも眺めていてください」
「叔父が事務的にまとめたデータなんぞ当てにならん」
マサムネとは叔父の名である。
叔父がまとめたデータに記されてあるのは彼女の身長と体重。血液型や彼女の持つ能力についてなど。趣味嗜好に関しては記されていなかった。叔父にはそれほど時間がなかったからだろうか。
私が彼女に関して知っているのはただ1つ。
「マサムネさんを馬鹿にしないでください」
叔父のことを異様な程に敬愛していること。
「マサムネさんはあなたより“亜人管理官”の歴ははるかに長かった。先達から学ぶことはいくらでもあるでしょう」
「叔父は事務仕事に関してはかなり雑だ。色々見たが学ぶことなどなかったよ」
「それはあなたがマサムネさんの意図を汲み取り切れてないからです。もっとしっかり読んでください」
「人を尊敬するのはいいことだが、会って数日の人間のことを頭ごなしに肯定するのもどうかと思……いやすまない。分かったからダンボールを振りかぶるな」
先程まで涼しい様子だった彼女の顔が険しいものになる。いつも彼女が感情を顕わにする時は決まって叔父が関わってくる時だけであった。
「あの人と過ごした時間は数日ですけど…私があの人に救われたことには変わりません…」
「あ、いや、すまん…私とて叔父を嫌っているわけではないんだ」
「そんなにすぐ謝るくらいなら、マサムネさんの喋り方を真似ないでください。マサムネさんはもっと追い詰められないと謝らない人です」
「なんだそのこだわりは…」
エイルはダンボールを抱えたまま、珍しく怒った様子で行ってしまった。
尊敬している人を悪く言われたら怒るのは当然かもしれないが、彼女の場合は度が過ぎてるんじゃないだろうか。
まだすぐ出発は無理だ。もう少し休んでから行こう。
「…お…サナダ氏じゃん…」
「ん…?レヴィオか…いつもの2人とは一緒じゃないのか」
「…今一旦練習終わってみんな休憩中…2人はサラ氏のところに行ってケーキの余りがないか見に行ってる…」
「レヴィオは行かないのか」
「…甘い物好きじゃない…」
レヴィオの趣味嗜好については記載が無かった気がする。
即座にメモ帳を取り出し、書き記した。
「うお…凄い反応速度…」
「今は仕事中なのでな。いつでもメモできるよう持ち歩いている」
「…仕事?何してんの…」
「引越しだ。今日からここの1階で働く」
「…マジか…いいじゃん…毎日演奏聞いて行ってよ…」
「暇があればな」
油を売るのも程々に。
これ以上モタモタしているとエイルにどやされそうなので、さっさと行こう。
ダンボールを担ぎ上げ、再び歩み始めた。
「くっ……ぉおお…!」
「え……」
「ふんっ…!む、むむ…!」
「…ぷふっ……ふ、ふふ…」
「おぉぉぉぉ…!」
「……ぷっ、あ…あはっはははは!!いひっ、何その顔!!へっ、へんなの!おかしー!」
「ぐっ…お前…こっちは真面目なんだぞ…!」
「うおお──────なんだなんだ!」
「レヴィちゃんどったの〜」
レヴィオの笑い声を聞いた残りのメンバー達が駆けつけてきた。
「あは、あは……いひひ…!」
「うわー!レヴィちゃんがレアな顔してるー!サナダさんの仕業ですか?!」
「レヴィちゃんは顔芸に弱いんだ〜サナダお前分かってんな〜」
「っ、笑わせるためにやってるのでは無い…!邪魔するならあっちへ行け!」
「レヴィちゃんが笑うの止めたらあっち行く〜」
「レヴィちゃん頑張って!笑うのやめたらサナダさんが運ぶのに集中できますよ!」
「そ、そんな…笑わないようにとか言われたら…ひ…余計に……いひひ…!!」
ただ荷物を運んでいるだけだというのに、何故この3人はこうも盛り上がれるというのか。
〜〜〜〜〜〜
私が目覚めた時、そこは瓦礫だらけの世界になっていた。
目覚める直前まで女子高生だった私は当然不安だった。
周りには誰もいないし、見たこともない生き物が遠くを歩いている。コンクリート貫いて伸びている植物はなんだか赤紫だったり、蛍光色だったりで、景色がガラリと不気味に変わっている。
いきなり異世界にいるみたいな感覚だった。
そんな中で武装した人達に囲まれて知らない場所に連れていかれて…。
だから保護室でマサムネさんに会った時は、本当に救われた気分だった。
「世界中が陰鬱になってるがな…平和でもそう変わらんよ。人ってのはいずれ独り立ちしなきゃならん。見てきた景色が変わっていく中、しぶとく生きるのが人間というものだ」
マサムネさんは自分の着ていた白衣と、取り出したメガネを私にくれた。
「それでも寂しいと言うのならな…まあ、私の傍で私のしていることを見ていろ。お前が今どうするべきなのか、すぐに分かる」
マサムネさんはたしかに手放しに褒められるような人ではない。周りの人よりも面倒くさがりだし、自分勝手にこだわりを持って行動をする。
だが、彼がいると周りがパッと明るくなっていく気がした。
きっとそれは私だけじゃなく、他の人も感じていた。
この希望がないかのような世界で、淡く光る蝋燭のような人だった。
誰かに貶されるのはいい。
私がマサムネさんの良さを知っているから。
私があの人にムカついているのは──────
「──────はっ」
目を覚まし、息を飲む。
荷物を運びきってまどろんでいた私は、突然聞こえてきた騒音に起こされまひた。
目を擦り、音のする方へと目を凝らしてみます。
「──────!」
「─────!」
やはりあの人でした。
何やら楽器を持った女の子達に応援されながらここを目指しています。騒がしくもあるが“亜人管理官”としての役割は全うしながら、荷物を運んでいるようです。
「なんであんなことになるんでしょう」
その様子に、私はやはりムカつきました。
最近、亜人達の声が聞こえる場所を見ると、大抵アナタがどこかにいます。悪いことではありません。私が腹を立てるべきではないのは、重々承知。
それでも、私があの人をイマイチ気に入らないのは──────亜人に囲まれて“亜人管理官”をやってるアナタが、時折マサムネさんと重なる時があるからです。
「ぜぇ……!はぁ……!エイル…着いたぞ」
「いぇーい!おめでとー!」
「昇進〜」
「…進化…亜人管理官から…顔芸師に…ふふふ」
「エイル…はぁ…これで1つ目だ…今日中には終わる…はぁ…機嫌を、直せ…!」
「……調子乗らないでください」
「なんでそうなる…!?」
悔しい。
マサムネさんがいなくなっても、この空間が成り立ってしまっていることが、私には口惜しいのです。みんながもっと、マサムネさんの凄さに気づいてくれればいいのに。
今この場で、マサムネさんの凄さに気づいているのはきっと私とこの人だけ。
それが何よりも、悔しい。