8話 涙、ケーキ、夢
サラは相変わらず難しそうな顔で私のことを見ていた。三角頭巾に真っ白なエプロン。彼女の衣服からは甘い香りが漂っている。
「いつも通り、人聞きの悪いことを言ってくれるな」
「間違ってはないでしょう?若い女の子と一緒に嬉しそうに話してました」
「鼻の下は伸ばしていない」
「どうだか。ガスマスクの下では伸び伸びしてたんでしょ」
どうしても認めさせたい様子。
だが認めたら認めたで攻められそうだ。
試しに無言を貫いてみる。
「……」
「…言い返せないですか?では、認めたということで」
「どうしようもないじゃないか…私がお前になにかしたか?」
「何かしたわけではありませんね」
「…?そうだろう?」
「というか、何もしていないのがむしろ問題と言いますか…分かりませんか」
「何もしていない?──────あ」
含みのある発言に反応し、記憶を辿るとすぐにそれに思い当たった。
シズクに氷漬けにされる前、サラは私に何か用事があったので探し回っていたはずだ。結局何も解決せずに時が過ぎてしまっている。
「……すまない。“亜人管理官”失格だ」
「ええ、失格ですとも。私に会って最初にそれを言い出さなかったから怒ってるんです」
「すぐに要件を聞こう。何があった?」
「部屋ですよ。アナタが手配するといった私の部屋。渡された配置図が古くて役に立たなかったんです…もうエイルさんに教えてもらったから解決してますけど!」
「すまん。私が手配すると言っておきながら…」
エイルとは、阿字野エイルという亜人のことだ。叔父が最後に保護した銀髪の亜人。今は私の助手として働いており、時折私の見えないところで助けてくれている。
彼女にも、後で礼を言わなくてはいけない。
これでは死んだ叔父に顔向けできない…。
「アナタが私をここまで連れ出したのに…途中でほっぽり出したようなもんですよ」
「はぁ…すまん。こんなはずでは無かったのだ…ダメだな。私は…もっと上手くやるつもりだったのに…」
「……。」
「あんな無茶をしたから…いやそれよりもあの時に…」
「はぁ…もういいですって。許してあげます。もう随分経ちましたから。少し意地悪したかっただけ、です」
「……あぁ、そうか。満足してくれたなら、良かった」
サラはそう言ってくれているが、私の中では処理しきれていない。こんな賑やかな場だというのに、気持ちは落ち込むのを止めない…。
「辛気臭い人…ほら、コレ」
「…ケーキ?」
「私が作った物です。このパーティの参加者に振る舞わせてもらってるんです。アナタも食べてください」
「ああ…ありがたく、いただく」
チョコケーキだ。
甘い物、ましてや洋菓子などここ最近口にしていない。好きか嫌いかで言えば好きな方だが、舌は肥えていない方なので、正しく評価できる自信が無い。私なんかが口にしていいのだろうか。
一緒に渡されたフォークで、一口大を口元に運んだ。
「──────美味い」
「…!あ、当たり前です!不味いなんて言ったら火達磨にするつもりでしたから!」
「いや、本当に美味い。甘さが控えめで私好みだ。これは、1個じゃ足りないな」
「っ…いっ、いいから食べるのに集中してください」
「ほぉー…やるな。これをここにいる皆が食べているんだろう?もう立派なパティシエじゃないか…夢が叶ったな」
「……わ、私の力だけじゃありません。あ、アナタが、いた、からでも、ありますので…」
「…?どこを向いて喋っている。何を言っているのか分からんぞ」
「うるさいっ!!」
何やらそっぽを向いてモゴモゴ喋り出したかと思えば、突然怒鳴り出した。やはり亜人の中でも特に扱いに困るやつだ。
「もういいです!食べ終わったら食器は返しておいてください!」
「ああ、返すのはどこに…おい!どこにだ!」
サラは答えることなく、逃げるように去っていってしまった。半分になったケーキと食器だけが私の手に残った。
こんなに美味しいケーキだ。立ったまま食べるのは忍びない。どこかに腰を下ろしてゆっくり食べるとしよう。
「席をお探しかな?」
「ああ、すいません。わざわざご丁寧に」
「なに、怪我人に無茶をさせるわけにもいかないのでね」
「…もう完治しているがな」
椅子を引いてくれたのはクルネだった。
サラとはうってかわって、上機嫌な表情で私を見ていた。ニヤニヤとした悪い笑みだ。
「何がおかしい」
「ふふ…いやなに…なんで防護服とガスマスクを持ち歩いてるんだい?」
「分かっていて聞いているだろ。全く、置き手紙でも寄越してくれればよかっただろう」
「君がいつ起きるか分からなかったんだ。仕方ないだろ」
「じゃあ、なんでガスマスクと防護服を私のベッドの脇に置いてあった」
「今朝に私が置いたからだね。無論君のために」
「やはりお前か…」
私の舌打ちにクルネは上機嫌に笑う。
明らかに新品だったから、おかしいと思っていたんだ。目覚める時間に、ある程度目星はついていたのだろう。
「意地の悪い…」
「君だって好き勝手したんだ。これくらいはいいだろう?」
「…そうだな。すまん」
謝る私に、何故かクルネは苦虫を潰したような表情を見せた。
「今日に限っていやに素直じゃないか。調子狂うね」
「反省したんだ。馬鹿なことをした、と。好き勝手した私は、今この場にいる誰にも顔向けできる立場じゃないだろ?」
「君がやった事なんてほとんどの人が知らないよ…今こうして生きてるんだからいいじゃないか」
「…人の困る顔が好きなんじゃないのか」
「あのねぇ。私が人の困る顔を見るのが好きな理由を教えてあげようか」
クルネは私の腕を掴んだ。
他人に掴まれて初めて気づいたが、目覚める前と比べて私の腕はかなり細くなっていた。
「いつも私が困らせられる側だからだよ。特に君と、君の叔父にね」
「……悪い。私が眠っている間、また何か迷惑をかけたか」
「どうかなー。あの重傷からこうして生還できたの、不自然に思わないかなー」
「ああ。今こうして意識があることが、夢なんじゃないかと思ってるが」
「ヒント。私の能力は“傷の治癒”だ」
「……すまん」
「私が“駆除隊”について行ってなかったら君は間に合わなかった。もう、二度と、無茶な真似はしないでくれたまえよ」
クルネは半ば突き放すように、私の腕から手を離した。だがその顔に怒りはなく、慈愛に満ちたような表情で私を見ていた。
「とは言っておいても、君はまた無茶するんだろうな…叔父の方と同じで」
「叔父も、やはり私のように無茶をしたのか」
「ああ。だが君みたいに落ち込んだりはしなかったな。次の日には豪快に酒をあおっていたよ」
「はは…俺には真似できないな」
「アイツが無茶をすればするだけ、私はその分迷惑した。けどな、その結果がこれなのさ」
クルネは踊るように両手を広げ、パーティー会場全体を示した。
行き交う人々は誰も彼もが幸福に笑っていた。
「亜人と人間の共存。あの空気清浄機だって、亜人と人間が手を取りあったから生まれた」
「そう、なのか…?」
「そうさ。アイツが“亜人管理官”としてここまで繋いだ。アイツはこの光景を夢見てた。そして今、実現した。だから、次の君はこの光景を守ることが役目なのさ」
「守る…」
「アイツとは役割が違う。だから、君は簡単に死んでくれるなよ」
にっ、と笑い、握り拳を私に向けた。
遠回しに励ましてくれてるのか。
彼女の言う通り、私は叔父のようにはなれない。だが、叔父のようになる必要も無いか。
「“世羽根の毒”を取り除くこと以外なら、私がなんでもサポートしてやる」
「…ああ。この光景を守るため、“亜人管理官”として、尽力するよ」
笑い返し、同じく拳で応えた。
きっと彼女もまた、叔父に感化された者なのだろう。人間と亜人。叔父の作ったこの光景を深く胸に刻んだ。
「よし。すっかり元気になったようだね」
「完治した時点でまあまあ元気だが」
「ふふん。じゃあ残すはメインイベントだ!」
「メインイベント?ライブのことか?」
「いやそれもあるがね。君にはまだやるべきことがあるだろう!」
持っていたガスマスクと防護服のセットを奪い取られ、ケーキの無くなった皿を持たせられる。そういえば、サラから食器を返すように言われていたっけか。
「あそこの人集りを見ろ!あそこでケーキを配っている。食器はあそこに返すんだ。分かるかい?あの人集りだよ!いいかい?」
「なんだ。やけに念を押すな。ガキじゃないんだ。それくらい分かるよ」
「ああそうかい!じゃあ行ってきたまえ!」
背中を押されるがままに、私はその人集りに向かって歩き始めた。あちこちに人集りは出来ているが、目標の場所はその中でも特に賑わっていた。よっぽどサラのケーキの評判がいいのだろう。“亜人管理官”である私も鼻が高い。
『──────あー、テステスー。お待たせしましたー!10分後に演奏始めますー!』
遠くではレン達がライブの準備を始めている。
人々の反応から察するに、ヤツらなかなか人気らしい。あの時に1曲くらい聞いておけば、古参をアピールできたかもしれない。少し後悔した。
「ほら、ゆっくり食べるのよ。こぼしたらダメなんだから」
サラが子供に切り分けたケーキを渡している。
なんだ、優しい顔も出来るんじゃないか。その優しさをもう少し私にも向けて欲しいものだ。
「──────!!」
「──────!」
「─────────!?」
と、あちこちを眺めながら歩いているうちに、会場一の人集りへと辿り着いた。ここもまた、人がごった返している。出直すべきかと思ったが、どうも食器は洗って使い回しているらしい。これだけ人がいるのだ、早く返した方が後のためだろう。
「っ…!す、すいません。通ります。食器、返すとこなので…!」
間を縫うようにして移動する。
人の波に何度も揉まれながら、ようやっと私はそれらしいカウンターの前へと躍り出た。
「──────ぶはぁっ!す、すいません。食器を返しに来ました」
「あっはい。ありがとうございま──────」
人影が見えたので、顔を見ることなく、咄嗟に皿を差し出した。
その刹那、受け取ろうとした色白の手と手が触れ合った。
顔を上げ、相手と目が合う。
淡い水色の頭髪に、猫のように丸い瞳。彼女はサラと同じようにエプロン姿で髪を後ろに結わえていた。
「…シズクか」
「ぁ……」
「その、なんだ…元気だったか」
「……」
「私は、見ての通り元気だ。心配するな。私がこうなったのは私の責任だから、お前が気負う必要は」
シズクは私を見るなり固まり、そして。
「サ、ナダ、さ…」
固まったまま、涙を流した。
「…っ?!」
騒然としていたはずの辺り一帯が、幽霊でも通ったみたいに静かになった。
群衆の視線は当然シズクへ…行ったあとに私の方へと跳ね返ってくる。誰も何も言わないが、傍から見ればまるで私が泣かせたみたいである。
「サナダ、さん……うっ、ひっく……ひっ……」
「シズク。あの、泣き止め。泣き止んでくれ。周りを見てくれ。ほら…頼むから」
「うわあああぁぁぁ!!サナダさぁぁぁん!!」
カウンター越しに抱きつかれる。
シズクの泣き声とヒソヒソとした群衆の声が響く中、鈴の音のような笑い声が響いたのを私は聞いた。
夢ならば、どれほどよかっただろうか。
今日一強く願った。