78話 天使とは
「天使だと?今、そう言ったのか…?」
「…はい」
ミルモは気まずそうに頷く。
それが本当なら、今のミルモがここまで必死なのも理解できる。だが、何故こんなところに“天使”が。いつ、どこから来たというのか。
「正確には、“天使と同等の存在”と言った方がいいかもしれません…サナダの知る、私を含めた4体の天使とはまた別の個体なのです」
「別の個体って…お前らみたいなのがそう何体もいるものなのか?そもそも、どこから…」
「今それに答えている暇はありません」
ミルモは会話を切ると、強引に私の手を引いて歩き出した。余程、その天使達と遭遇するのを恐れているのか、かなり急いでいる様子だ。
「ま、待ってくれ!部屋に待たせている亜人が1人だけいる。せめてソイツだけでも拾っていってやれないか!」
「…分かりました。では、その子だけ。その子だけです」
「すまん。恩に着る」
「謝るくらいなら言わないで──────」
直後、ミルモは一点を見つめたまま固まった。
私も不思議に思い、ミルモの見ていた方向へと目を向けた。
それは遠くからこちらを見つめていた。
真っ白な毛皮に、金色の瞳。遠くから見ても分かるほどに並外れて大きな全体像。ミルモの言う“天使と同等の存在”内の1体。その正体は、巨大な狼であった。
「…ダメ」
ミルモが不安げに呟く。泣きたくなるようなその表情に気を取られていると、向こうに見えていたはずの大狼の姿がいつの間にか消えていた。
「っ、ダメなのですっ!!」
ミルモが悲鳴にも似た叫びをあげた。
大狼はいつの間にか目の前にまで迫っており、その巨躯で私を押し倒した。迫る牙。興奮気味なのか、荒い呼吸。ダラダラと垂れる涎がガスマスクを伝った。
今にも噛みつかれそうな勢い…!
「くっ…おおおいおいおい!ミルモ!!何とかできないか!!」
「ま、待ってください…」
何を迷っているのか、ミルモは拳を握ったまま、何をするでもなくその場に突っ立っていた。
大狼の開かれた口が私の眼前にまで迫る。
「ぐぐぐぐっ…!助けられるなら…早めに頼むぞ…!!」
「う……ご、ごめんなさい!!」
ズ ゴ ッ !
突き出された拳が大狼の横腹へと突き刺さった。それと同時に大狼は悲鳴を上げ、その場から走り去って行った。
訪れた静寂の中、私は倒れた体勢をゆっくり上げる。
「助かった…なんだ簡単に追い払えたじゃないか。そんなにビビることないんじゃないか」
「はぁ…はぁ…」
「…?!」
「うぅ……うぅぅぅ…」
どういうわけか、ミルモは涙を流していた。
ポロポロと落ちる涙を必死に手で受け止めている。
その様子に私は面食らった。彼女がここまで感情を豊かに表現したことがあっただろうか。
「だっ…大丈夫、か?」
「あい……問題ありません。私はどうやら、グスッ……人間に寄りすぎたみたいです…」
「だとしても、何をそんなに泣くことがある?」
「気にしないでください…ちょっと、怖かっただけです」
ミルモは涙を拭い切ると、再び歩みを進める。
気丈に振舞おうとするその姿。今の彼女のことを“天使”と呼べるのか。“人類の敵”と、呼べるだろうか。私には、最初に会った時とは全く別の存在になったように思える。
「…ミルモ、お前は──────」
「…?なんです」
「──────いや、なんでもない」
私たちがお前を討とうとしたとして、それを受け入れるのか。
今の彼女なら頷く気がして、聞けなかった。
〜〜〜〜〜〜
私たちは無事に館内を抜け、スタート地点である私の部屋へと立ち戻った。
「……ホントに来た…!」
部屋には大人しく座って 待っている亜人が一人。肩の負傷を治療しながら待っていた。
「この子がそうなのです?」
「そうだ。彼女も“本部”に連れ帰るが、いいか?」
「問題ありません」
「ど、どこに行くの?」
「先も言った通り、安全な場所だ。安心しろ」
「でも、外には化け物がいるし…」
「…大丈夫なのです。いざとなったら私が追い払えるのです」
「…ということだ。安心してくれ」
「う、うん…」
そうと決まれば善は急げ、だ。
部屋にあった荷物をまとめ、私たちは早々に部屋を出た。どうも“天使”達は組織の敷地内から出ようとしないらしいので、まずは敷地から出ることを優先する。
割れた窓ガラスから外へと抜け、ひたすらに敷地外を目指す。その間、宮殿内は嵐の前のように静かだった。
振り向くと、空に大きな影が飛んでいる。
巨大な双頭のカラスだ。
その桁違いなスケールからして“天使”の内の1体。こちらに気づいていないのか、宮殿上空をひたすらに飛び回っていた。
「──────皆、無事だろうか」
ふと、D部隊のことが脳裏を過ぎる。
ここを去ることの心残りがあるとすれば、彼女らのことだ。無事に逃げたのだろうか。まだ生きているのなら、どこかでまた会えるだろうか。
考えてもしょうがないことをグルグルと考えてしまう。
「あの…」
肩を叩かれ、振り向く。
負傷した亜人が気まずそうに私を見ていた。
「…今、私を呼んだか」
「う、うん。その、アナタの名前を教えて欲しいなって…助けてくれた人に“奴隷”なんて、失礼かなって」
「サナダだ」
「サナダ…名字、だよね?下の名前は?」
「それは聞かないでくれ」
「……なんで?」
「私は自分の下の名前が嫌いだ」
言いたくない。
理由はある。
「そっか…私は加々村マナ。その、安全なところっていうのに着いたら、よろしくね。サナダさん」
「ああ、できる限りのサポートをしよう」
「…もう少しで敷地外に出られるのです」
顔を上げると、敷地を囲っているのであろう壁が見えてきていた。
ここを出られれば、後は“本部”に向かうだけだ。そうすれば──────
ガサッ
木々の間にある茂みの中、大きな影が動いたのに気が付く。
ゆっくりと、いたってスローな動きで這い出てきたのは、規格外な大きさの蛇。
ミルモとマナは気づかなかったようだが、私は気づいていた。その大蛇が発していた強烈なまでの殺意に。
蛇の微かな動作に反応して、私は二人の前へと走り出た。
「サナ──────?!」
ザクッ!
小気味よい音とともに、蛇の口から伸びた触手が私の肩を貫いた。
同時に、冷たい何かが触手から私の体内へと流し込まれた。
「っ、いっ…!!」
「サナダ!その蛇から離れてください!!」
ミルモの手刀により触手は断ち切られる。
肩から走る激痛と冷たい感覚に顔をしかめながら、私はその蛇の正体を目の当たりにする。
“彼女”は蛇の口内から、一糸まとわぬ姿で、粘液とともに流されるように出てきた。
「──────余計なことをしてくたね…亜人管理官ごときが…!!」
「お前は、ユルム、か…?」
現れたのはまるで別人のように変わったユルムの姿であった。
緑かかっていた黒髪は完全に緑色に変わっており、形こそは人間のそれを保っているが、肌にまとわりついた鱗や黄色い瞳は以前の彼女とは全く違っていた。
彼女の全容が蛇から出ると、蛇は抜け殻のようにしぼんでいった。
「ああ、アンタの知ってる岩戸ユルムさ。もっとも、前までの私とはまるで体の造りが違うけどね」
「あの時に殺したはずなのです…!あそこからどうやって…」
「アンタに真っ二つにされてからFC薬を自分に注入したのさ。結果はご覧の通り、私も晴れて“天使”になれたってわけだよ」
「FC薬…天使になれただって?」
「これでアンタとイーブンさ。え?そうだろ、天使ィ!!」
ユルムの頭髪が揺らめいたと思えば、それぞれが別々の軌道でミルモへと向かい始める。
「マナ!サナダ!あなた達は先にあの壁へ…!!」
ミルモは背中から白銀の翼を顕現させ、迫り来る触手を振り払っていく。
何故ユルムがミルモを襲っているのか。FC薬とは。天使になれるとは。
何もわからないことばかりだが、今はどうも考えている状況ではないようだ。
マナの手を引き、その場から走り去ろうとした。
「…へぇ、なるほど」
そう、後ろから聞こえる。
振り向くと、私たちをかばって触手に穿たれているミルモの姿がそこにあった。




