77話 気づかないで
───甲高いガラスの割れる音。人の悲鳴。
それと共に、私は目を覚ます。
「…?」
誰もいない部屋の中で、一人小首を傾げた。
今日でユルムとの約束から7日が経つ。この組織を今日で離れるはずだが、なんだが外が騒がしいようだ。
「おーい、リニス?ハルラー?リル?ツムギー?……おかしいな」
いつもなら起きた時に誰かしらが部屋にいるはずだが、呼びかけに応じる者はいない。隣にいたミルモもいつの間にかいなくなっている。
それによく見ると、窓にいつも止まっているはずの“黒き劣情”もいない。
私は戸惑いながらも、防護服とガスマスクを装着して部屋から出た。
「これは…」
部屋から出たことで、私は今の状況を理解し始めた。
割れた窓ガラス。崩れた壁に飛び散った瓦礫の破片。まるで襲撃を受けたような光景の中、私は倒れていた亜人を見つける。
「おい、おい!大丈夫か!」
「う、うう…」
倒れていた亜人を抱き上げると、肩の辺りが血で赤黒く染まっていた。規則正しく並んだ穴は獣の噛み跡のようである。
「離せ…奴隷、め……」
「言ってる場合か!一旦、安全な場所に──────」
ウ ォ ォ ォ ォ ン
亜人と肩を組み、歩き出そうとした所で、狼の遠吠えが聞こえた。
音からして、遠く離れているようだが…。
「クソッ、何がどうなってる!」
「もう、ここに安全な場所なんて、ない…」
「どういうことだ」
「突然、化け物が押し寄せてきた…亜人でも、変異生物でもない…あれは──────伏せてっ!!」
亜人が咄嗟に体勢を崩すがままに、私もその場に突っ伏した。
バサッ バサッ バサッ
大きく羽ばたく音。
窓ガラスの近くを何か巨大な影が通り過ぎていった。完全に通り過ぎたことを確認してから、私は話し始める。
「今のがお前の言う化け物か?」
「うん。今みたいのが4体…もうめちゃくちゃだよ…」
「4体もだと。そんな急に、どこから…?」
「わかんない…ぅぅっ…ヤダよ…私まだ、死にたくないよ…」
「…建物内に、他に逃げ遅れた者はいるか」
「そ、そりゃいるけど…」
「お前はこの部屋にいろ。何故かは知らんが、他の場所より襲われていない。探せば中に救急箱くらいあるだろう」
「どうするの?ここにいたって逃げ場なんて」
「案内してやる。ここよりずっと安全な場所だ。だから、30分だけここで待て。絶対に迎えの者を寄越そう」
「待って!アナタは…?!」
亜人を私の部屋へと押し込むと、私は通路を走り出した。未だ状況は呑み込めないまま。だがしかし、この身は人命救助のために駆け出していた。
「ミルモ…!流石にお前は無事だろうな…!?」
“本部”に帰るのなら、まずは彼女を見つけなければならない。ヤツは今どこで何をしているのか。
“化け物”がどこを彷徨いてるのか分からない以上、声を上げて探すことすらできない。
地道にそれらしい場所を回るしか…。
そう考えながら通路を抜け、大広間へと出た時であった。
「あ……?」
飛び込んできた光景に目を疑った。
松の木だろうか。大広間の中心、室内だというのに立派な木が生えている。そして、その根元には倒れ込んでいる多数の亜人…。
「なんで木なんか…え…?」
木の中心。幹のあたりに人らしきものが埋まっていた。そして、私はその“人らしきもの”に見覚えがあった。彼女は間違いなく──────そこまで考えたところで私の意識は途絶えた。
〜〜〜〜〜〜
「──────サナダ!サナダ!しっかりするのです!」
夢を見ていたかのような心地から、私は覚醒した。
気づけば、先程いた場所とは全く違う場所に立っていた。それに、目の前にはミルモが立っていた。なんて都合がいいのか。
「ミルモ、無事か…私は一体何をしていた」
「こっちが聞きたいのです!この状況で1人で行動するなんて!死にたいのですか?!」
「あ、ああ…すまん」
いつもより必死なミルモに思わず気圧される。
彼女がここまで焦っていたことがあるだろうか。それほどまでに、今の状況は危機的だということなのか。
「それよりもリニス達は…?一緒じゃないのか」
「……リニス達は…もう、いません」
「え…?」
「…恐らく…私たちよりも先に逃げました。行方は知りませんが、今の所死んだところは見ていないのです」
「…そうか。なら、いい。生きているのなら、どこかでまた会うだろう。それで、他に生きている亜人はいるか?」
「人の心配をしている場合ですか。もう帰りましょう。本部に」
「なに…?お前らしくもなく、怖気付いているようだぞ。あんな図体がデカいだけの化け物、お前の敵じゃないはずだろ」
「化け物…ですか」
刹那、ミルモは暗い表情を見せる。
何か言おうと口を開けたが、言うのを堪えるかのように、次はその口を噤んだ。その仕草は、誰よりも人間らしく見えた。
「あれは化け物ではありません…あれは“天使”です」
「…なに?」
耳を疑った。
今この場に“天使”が5体いるのだという事実に。
加えて、ミルモのまるで真実を話しているかのような面持ちに。
私は動揺した。




